小説「パリは夜露に濡れて」

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(五)  出逢い


「今日はいい天気で良かったわ。雨でも降っていたらどうしようかと思っていたの。急に寒波がやってきたん

ですもの。」


「冬は嫌いかい。そういえば君は寒がりだったよな。」


「どちらかと言えば、夏の方が好きよ。太陽がカアーッと照るのって魅力的でしょう。春や秋はそれなり

に風情があっていいけれど、微温的というのか、そういうのはピンとこないのよ。メリハリがあるって言

葉があるでしょう。そう、その言葉がぴったりなんだな。それが夏だわ。」


「僕は春が好きだ。冬の間厚く積もった雪が融けて道はぬかるけれど、雪の上には草花の芽がすでに顔を

輝かせている。雪国の者にとって春は本当に待ち遠しい季節なんだ。」


「そう云えば、あなたの生まれた田舎、ドカッと雪が降ってしまったら東京に戻れないからってこの正月

にも帰らなかったわね。でも、あなたの話を聞いていたら雪の降り積もった真っ白な田舎も見たい気がす

るな。」


「雪の少ない季節には行けるさ。婚約してからまだ初めての冬だ、あわてることはない。」


「来年は行けるかしら。今年のように雪が降らなければいいけれど。」


「そうだな。」


 神宮外苑の銀杏並木は熱い太陽を遮るように鬱そうと生い茂げらせていた夏の緑葉をすっかり忘れたの

だろうか。絡んだ梢を寒風に晒しながら、冬の日差しを受けてかすかな影を落としていた。黒木は濃い灰

色のコートに分厚いマフラーを首にぐるぐると巻いていた。前田は紺色のコートと、その下に薄緑のマフ

ラーを僅かに覗かせていた。

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その夜、黒木の仕事を引き受けた向井の知人の写真家との打ち合わせが遅くまで続いた。そして打ち合わせの

終わった後も、黒木は宿に戻らず向井の所に泊まることにした。暗闇の中を一人で帰るのをためらった。彼は

時間の経過とともに事の重大さと恐怖感をじわじわと感じ取っていた。


 翌朝、彼はSNCFのサン・ラザール駅から急行でルーアンへと発った。

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 黒木は仕事の条件を向井に説明した。それは黒木が東京で引き受けたのと変わらない条件だった。向井はそ

れを書き留めると早速電話をかけた。最初の電話ではだめだったが、二人目の女性が引き受けてくれたうえ、

すぐに打ち合わせに来ることになった。


「聞いていたと思うが、引き受け手が見つかったよ。すぐ来ると言うから少し待ってくれ。」


「それは良かった。これで安心してどこかに身を潜めていられるよ。」


「そうだな。それで病院の方はどうするんだ。」


「行って礼を述べたいのは山々だが、やっぱり今は行かない方がいいと思う。面会人は調べられるに決

まっている。間違いとはいえ、一度は豚箱に入れられたんだ。今度またもめ事に関係しているとなれば国

外退去の可能性も出てくる。再入国できなくてはパリにも来られなくなる。」


「それで、どこに隠れているつもりだ。」


「そうだな、ノルマンディーの方向かな。いざというときはイギリスに逃げられるし。近場でルーアン辺

りにしようか。」


「あそこは素敵な街よ。ジャンヌ・ダルクで有名でしょう。パリからも近いし、必要なときは私たちだっ

てすぐに駆けつけることもできるわ。身を潜めるにはいいところでしょうね。」と、彼女は自分が旅でも

するかのように弾んだ声を残し、仕事に出掛けていった。

パリは夜露に濡れて

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物語のあらすじ

 元新聞社カメラマンの黒木はアルバイトでパリの歴史的建造物などを撮影すべくパリに来た。レンズを通し

てパリの歴史、文化、芸術の層の厚さを感じる中、ペールラシェーズ墓地でパリコミューン戦士の壁を撮影し

た後から理由の分からない襲撃を受ける。襲撃の理由が写っては都合の悪い人物による証拠隠滅だろうと思わ

れる中、団塊の世代の4人のパリ仲間がその写真を巡る様々な出来事に関わってくる。4人はそれぞれの理由

や考えをもちつつ流れ着いたパリに生活しており、パリの風景と生活を活写しながら遠く離れた故国の歴史的

重みを各自が背負って暮らしている。


 兵士の壁の写真は黒木の人生をも映し出した。十年前に婚約しながらもパリに失踪していた婚約者が兵

士の壁で撮られた写真に写っていた事から彼の内面的な葛藤と仕事への情熱が歴史的パリと迫り来る締め

切りというスケジュールを背景に複雑に交錯する。


 黒木の前に登場した、日本の伝統を愛するパリジェンヌとの淡い恋と行く末の予感。


 これらの全ての出来事をを結ぶ接点がフランス大革命に由来する社会奉仕団体にあった。マスコミが日

に日に事件の展開を報じる中、襲撃事件に遭いながらも衰えぬプロ根性で仕事を仕上げてパリを離れる黒

木。奉仕団体の秘密活動が大きな政治問題としてフランス政界を揺るがしていた。

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「ボンソワール、イルダ。大丈夫ですよ、心配はいりません。」と手を振って見せた。


「そうそう、さっきの件だけれど、男の入院先が分かったわ。ポルト・ド・サン・ウーアンのマリー・

キューリー病院よ。警察ではなく、見当を付けて近くの病院に直接電話を入れたの。なかなか教えてはく

れなかったけれど、知り合いだからと言ったら今度は私の名前を聞かれるので困ったわ。でも、そう尋ね

るのは男が入院していることだから、そこで電話を切ってしまったの。そして、もう一度電話をかけ直し

たら、今は誰も繋げないと言って切られたの。彼が居ることは確かよ。」と得意そうに言った。


「どうも有り難う。容体は分からないね。」


「ノン。でも悪ければ報道されるでしょう。」


「我が家にはテレビやラジオの類がないので今夜は無理だが、明日の新聞を見れば分かるだろう。」


「それもそうだな。」


 黒木はリビングルームに案内された。そこには場所違いの畳が敷かれていた。


「驚いたね、これはどこで手に入れたんだ。まさかパリで畳にお目にかかれようとは思わなかったよ。」


「これは日本製ではなく、フランス製なんだ。畳表はヴィニールだが、ここでは最近人気があってね。本

物には負けるが、雰囲気だけは十分味わえる。」


「いいねえ、異国でジャポニスムを味わえるなんて。日本ではリヴィングルームだ、キッチンだと奇妙な

西洋スタイルが入り込んでいて和室はほんの申し訳程度に付いているだけだ。自分たちの素晴らしい文化

を見失っているね。」


 畳の上には低いテーブルと椅子用のクッションが置かれていた。黒木は靴を脱いで上がり、小さな紺の

クッションに座った。畳に手を置くと、ヴィニールは冷んやりとしていた。イルダがどのように座るのか

と見ていたら、しっかりとあぐらをかいて座った。


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