小説「パリは夜露に濡れて」

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 サクレ・クール(聖心)寺院はまばゆいほどに白く輝いていた。1870年のフランス・プロシア戦争とそ

れに続くパリの内乱の犠牲者を悼んで建てられた。当初そのローマ・ビザンチン様式については美的論争が

あったというが、今ではモンマルトルの風景に欠かせぬ建物といわれるのは確かだった。テラスからはパリの

街が見渡せるが、遠景は霞かスモッグでヴェールに覆われたようにぼんやりとしていた。元々パリのパノラマ

は美しいとは思えなかった。都市計画の全くない東京はどうしようもなく雑然としているが計画的に作られた

美しいはずのパリも上から見る生活臭あふれる姿は余り見られたものではなかった。家並みの上にのぞく素焼

製で不揃いの煙突とテレビアンテナの群が美観を損なっていた。


 彼は階段を下りた。階段の途中でちょっと大きな黒猫がじっと彼の方を見ていた。下からの寺院も絵になっ

た。恐らく一世紀ほど前に建てようと決めた時から、このバジリクはその階段を含めたものとして設計された

のだろう。再び上がるのに西の階段を使った。映画、『赤い風船』に出てくる階段だ。上って行くすぐ脇

をケーブルカーがゆっくりと上っていった。

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 黒木はアベッス通りを西へ歩き出した。そしてすぐにラヴィニョン通りに折れ、その坂道を上った。突き当

たりがエミール・グド広場でマロニエに覆われていた。その広場の左手のホテルとブリキの塀の間にショーウ

インドウがあり、ピカソをはじめとした画家のステューディオだったことが紹介されている。洗濯船の名で知

られたアトリエだ。1914年にモンパルナッスに彼等の精神が移るまで、文字通り芸術家の城だったといわ

れる。残念ながら1970年に焼け落ちてしまっていた。


 そのアトリエはもちろんリスト入りしてはいたが彼は余り気乗りしなかった。表側から見た緑色のブリ

キの塀と入り口の戸に着けられた大きな錠前がかつての洗濯船の印象とはずいぶんかけ離れてしまってい

たからだった。そこには画家の名と顔写真、ステューディオに住み、そして去った年が載っていた。実に

素っ気ない物だった。日本ならでかい記念碑と土産品でも作るだろうにと思わざるを得なかった。


 広場をさらに上がり、サクレ・クール寺院の方に向かうと、観光ガイドの本が語るように、辺りの家並

みはユトリロのキャンバスそのものだった。黒木がモンマルトルでもっとも好きなところだ。遠くサク

レ・クールの白亜の尖塔が見えた。テルトル広場には一流になろうと必死の画家たちが自分の絵画を売っ

ている。向井もパリでの出発はこの広場だった。彼の批評としては、「そこで描かれる絵はポンピドゥ・

センターに飾られたのよりずっと生きがいい。」だった。ポンピドゥには現代美術が展示されている。し

かし、彼の批評にも関わらず、テルトル広場の大半の絵はただ単に綺麗なだけで薄っぺらかった。彼が向

けるファインダーに写る画家たちの目はどれもうさんくさそうだった。

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 向井は駅から遠くないところに住んでいた。黒木はメトロの入り口にある広場の、ところどころ鳩のフンに

汚れたベンチに腰掛けて予定表を広げた。リストではすぐ脇のジュアン・リクテュ・スクエアはかつてのモン

マルトルのシティーホール跡で、ヴェルレーヌが1870年にここで結婚式を行っていた。そこでは子供たち

が遊んでおり、カメラを向けたら全員が背を向けた。


 モンマルトルは彼の好きな場所の一つだった。そこはボヘミアンたちがかつて集い、語り合い、飲み、議論

し、愛し、憎しみ合い、そして去っていった所だった。一外国人の感傷にすぎないのかも知れないが、そうし

た歴史を目撃してきた街を彼は気に入っていた。


 モンマルトルの名前の由来は伝説によれば西暦250年頃、パリ最初のビショップ(司教)、サンドゥ

ニら三人が迫害を受け、この丘で斬首された。だが、サンドゥニは自分の首を持って北へ歩き、現在のサ

ンドゥニ市で倒れたと云われている。このことから、殉教者(マルティール)の丘(モン)、すなわちモ

ンマルトルの名が付けられたという。そしてプロシア戦後のパリ・コミューンでは171門の大砲がプロ

シア兵からパリを守るためにこの丘に据え置かれた。ボヘミアンたちがその自由で気ままな生活を送った

のは1900年をはさんだ十数年であり、その時代、モンマルトルは文学と芸術の世界センターだった。

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(四)  危機一髪


 サント・シャペル前のバス停から21番のバスに乗った。バスは両替橋を渡りシャトレ劇場とパリ市劇場の

間を抜け、ルソーが物体の落下実験をしたサン・ジャック塔を横切り、リヴォリ通りを左折した。キングコン

グがエンパイア・ステート・ビルディングならぬ、その建物に上るテレビ広告を流しているサマリテン百貨店

を過ぎると左にルーブル宮殿がその歴史的偉容を見せた。キャフェ・ドゥ・ラ・レジャンスを過ぎ、コメ

ディー・フランセーズを右に見ると日本人通りと呼ばれるオペラ通りへ出た。そしてオペラ劇場、プランタン

百貨店と走り過ぎ、終点のSNCF(国鉄)、サンラザール駅に着いた。


 黒木はそこからメトロでピギャールの次の駅、アベッスで下りた。その駅はモンマルトルの丘の中腹に

あり、地上までエレベーターが付いていた。駅の入口のつくりは今や数少ないエクトール・ギマールのデ

ザインによるアールヌーボーそのものの装飾だった。彼はかつてその入口を撮影したことがあり懐かし

かった。駅前には赤い煉瓦の教会があった。たまたま結婚式があり、盛装した二人が幸せそうな顔をほこ

ろばせながら出てきた。列席者が二人にライスシャワーをかけている。道を行き交う人々は案外無関心

だった。

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 警視庁を出るとすぐ仲間に電話を入れた。向井はスケッチに出ていた。イルダの話では特に変わったことは

ないという。彼はひとまず安心し、夕方再び電話する旨を伝えた。牧村は無事なら寝ている時間なので後で掛

けることにした。千田は店にいた。黒木は簡単に事の次第を話した。千田は「本当に悪運続きで気の毒だな。

こちらは特に変わったことはないよ。」と言った。石川は不在だった。


―とりあえず、彼等にまでは警察の手は伸びなかったらしい。まずはよかった。しかし、絹子はどうなったん

だろうか。まだ捕まってはいないとしたら、これからその可能性があるということなのか。―


 それほど大きな事件が続いても撮影の仕事の時間は待ってくれなかった。黒木は性格的に撮影の仕事を休め

なかった。幸い、仕事道具は警察から返されており、すべて持っていた。彼はバッグから撮影リストを取り出

し、どこを廻るか考えた。向井に会いたいこともあり、モンマルトルに決めた。


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