小説 「欧州周遊旅日記」

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 黒瀬にはとにかく理解しがたい話だった。真理子とはうまくいっていたと思っていたし、彼女に別の男がい

るとは思ってもいなかった。話を更に聞けば、年が離れているから子供は作らないという。黒瀬は逆の立場で

考えてみた。二十近く年上の女性を愛せるだろうか、と。しかも、言葉のバリアーがあり、食習慣も違えば何

もかも違う、極北の地へ移るという。とても考えられなかった。想像の域をでていた。


 二人に沈黙が訪れた。所詮、愛情問題は理屈の問題ではなかった。非合理であるからこそ愛情だった。愛情

を理性的かつ合理的に捉えるのが通常は女性の側だが中には例外もある、と考えるしかなかった。真理子はよ

く自分の生活をリセットしたいと言っていた。黒瀬はその意味を深く考えず、理由を問うこともなかった

が、彼女は自分のそれまでの人生に満足していなかったのではないか、とその時初めて思った。平凡だっ

たのか、それとももっと何か他に求めるものがあったのかは分からない。どこにもいない青い鳥を海外に

求めたのだろうか。真理子がアメリカ国籍だった理由も尋ねていなかったのに気づいた。そして、両親の

ことを話したことがなかった。知ったつもりが、ほとんど彼女を知らなかったのかも知れない。


 黒瀬は若かった。その時の勢いで、優しい言葉の一つもかけず、さようならも言わずに別れた。別れた

後、一人寝室で横になり、真理子との日々を思い出しながら、涙を流した。その日以降、彼女との音信は

なかった。

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「確かに。ただ、僕にはそう簡単に割り切れないだけだ。あの9・11テロが、何故起こり、何故こうも議論

されているのか。日本の報道なんてCNNやNBCの、ひいては米国政府の受け売りに過ぎない。ベトナムの

報道がそうだったろう。今や、アメリカの町々に星条旗がひらめいている。こうした時は保守的なナショナリ

ズムが喚起されているんだ。実際、イスラム圏の人々の人権が軽視されている。日の丸に埋め尽くされたかつ

ての日本と同じだ。この意識の源はアメリカ人の意識の集大成だ。特に支配的なキリスト教徒白人たち

の。国家とそこに住む人々は違うかも知れない。しかし、人々がなければ国家もない。戦後世界を支配し

てきた奢り高き意識を僕は許し難いんだ。」


 牧野は黙っていた。黒瀬に話しても分からないだろうと思っていた。


「私はもう三十なのよ。今まではっきりしなかったのに今更反対することはないでしょう。」


 ─それは結婚の事についてなのだろうか。何をはっきりすれば良かったのだろうか。君だって届けを出

すだけの結婚なんて何の意味もないことだと言っていただろう。それが、今になって。


「今までそんな話を切り出したことはなかったろう。それを急に言われたって。しかも、五十近いオジン

と結婚するなんて頭がおかしくなったのか。それとも、大富豪だとか、芸術家だとか、大政治家だとか、

宗教家で尊敬に値する人物だとか、何かあるんだろう。ただのオジンだなんて言うなよ。僕自身が惨めな

気分になる。」


「何も無いわよ。ただの白人よ。あなたには話しても分かってはくれないわ。」と、真理子は黒瀬を見ず

に言った。

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彼はニースで牧野と出会ったとき、知り合いとして紹介されたアメリカ人を思い出していた。聞けば二十才

以上も年上で、しかも動作やしゃべり方がどうもナヨナヨ「しているので覚えていた。まさか、彼女がそんな

男と結婚するなどとは思いもよらなかった。


 その白人は牧野の話すところによれば、前日ニースで知り合ったらしい。海岸で声をかけられ、同行してい


ただけだという。しかも、彼はアメリカに居住しており牧野がアメリカを旅行した数回以外は会ったことが無


く、あとは手紙のやりとりをしていたに過ぎないというのだから黒瀬には理解しがたいことだった。


「僕はアメリカ人が嫌いなのを知っているだろう。何でそんな奴を選んだんだ。僕のどこに不満があった

んだ。」


「知ってるわ。反米があなたの青春そのものなんだってことを。ベトナム戦争で良心的徴兵拒否した米兵

をかくまったことや、ベトナム戦争に使われる石油燃料が貨車で運ばれるのを王子で阻止しようとしたこ

とも。相模原で戦車の移動を地域の労働者と共に止めたことも。ベトナムの戦争に反対するデモに明け暮

れたのよね。佐世保への原子力空母が寄港することを反対したのが原点だった。それはよく知ってるの

よ。私はあなたより少し上の世代よ。私たちの時代は本当に反米闘争が頂点だったわ。でも、アメリカ人

と国家は別でしょう。」

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 原口を駅に見送ってから部屋に戻ると黒瀬はベランダに出て一人グラスを傾けていた。空には明るい月

と並んで地球に最接近した赤い火星が輝いていた。

 



牧野真理子と渋谷のカフェバーにいた。牧野はヨオロッパ旅行の途中、ニースで出会った米国籍の日本人

だ。彼女は大学院を卒業後、国に帰らず日本の外資系銀行に勤め、外為業務に就いていた。


「黒瀬君、実は今日大切な話があるの。」と牧野が切り出した。その話し方がいつもと違うのに黒瀬は気

づいた。思わず、牧野の顔を覗きこんだ。そこにはいつもの牧野ではない眼差の牧野がいた。


「何だよ、藪から棒に。」と黒瀬はやや構えながら言った。


「実は今度、結婚することになったの。」と、出だしは少しおどおどしたように、そして結婚のところだ

けは力強く言った。かれはギクリとした。思いもしない言葉だった。頭の中が一瞬白くなった。


「そうか。それは良かった。で、誰とだい。まさか僕の知っている相手では無いだろうね。」と、彼は努

めて冷静を装いながら答えた。


「知っているとも言えるし、知らないかも知れない。ほら、ニースで出会ったとき、私と一緒だった人が

いたでしょう。あの人よ。」


「何だって、それでは君はあの男と僕との二股をかけていたのか。信じられない奴だな、君という人

は。」と言って、黒瀬はテーブルの料理にフォークを突き刺した。付け合わせの野菜のドレッシングが自

分の黒いジャケットに跳ね返った。「だから、女というのは信じられないんだ。あんなオジンのどこがい

いんだ。」

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「それも一つの考え方だろう。しかし、日本とフランスは違う。マスコミは第二第三の権力と言われる

が、売上を伸ばすのは至上命題なんだ。それが現実なんだよ。」


「そうか。では、君はそれでもいいと云うんだな。それが限界なんだと。」と、黒瀬は酔いの中でも芯は

あまり酔っていない自分を感じていた。『それ』、が何を指しているのかは分からないまま原口を問いつ

めた。


「僕は本当は革新的ではない。きっと保守だ。父は東都大学の教授だし、それが僕の思想の根底にある。

大学の学問なんて、今あるこの社会を造ってきた学問なんだから、それが革新的であるはずはない。僕は

好きこのんで自分の親の元に生まれたわけではない。もちろん、否定もしないが。」


それは確かだった。誰も自分の生まれた世界にどのような責任も無い。責任は自分がそれを意識してか

ら、自分として何をするかだろう。


「分かった。君は本来のマスコミ人間ではない。正義を希求する人間ではないんだ。それを失ったら、そ

んなのは社会報道ではないだろうが。」


「黒瀬、君の云うことはいつも正しい。でも、どうしようもない。僕の力で報道の姿勢が変えられるのな

ら、とっくの昔にそうしていたろう。」


「確かに、そうだろう。僕にそれ以上云う権利はない。でも、やはりそれでは納得がいかないんだ。同じ

メルティングポットにいた人間としては、それではいけないんだ。」


「君は鹿島田に近すぎる。彼は僕らのホープかも知れない。でも、そのホープならば倫理的にもホープで

あって欲しい。それを無視できるのは君が彼に近すぎるからだよ。」


 話はそれ以上進展しなかった。確かに黒瀬と鹿島田の関係は親しかったし、彼の政治を離れた時の行状

はよく知っていた。しかし、その事実とマスコミによる追求は違う次元のものだと思っていた。黒瀬は本

音は言わなかった。原口だって言わなかったろう。それが人生だと云うことを知る年にもなっていた。本

音を言ってしまえば、それ以上が無いのを知っていた。その先を語れば、もはや嘘しかないのを知ってい

た。それは悲しい現実だった。

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