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魏志倭人伝の解明 − 西尾幹二「国民の歴史」を批判する
著者:藤田友治 発行所:論創社 2000年10月10日発行 日本に文字のなかった古代史では当時の中国側により記録されたものを拠り所とするのは当然であるが、その歴史書の解釈がまた問題となっているのも事実である。
邪馬壹国(やまいちこく)が九州にあったのか、はたまた畿内にあったのかというのが長い間日本の歴史学会で論争されてきた。反中央権力の京都大学系が九州説で権力そのものの東大系が畿内説というところでも面白いのだが、著者は文字として記された歴史の意義を鋭く解きつつ、古田武彦氏の説を支持する。昨今は米国大統領選で大統領側から発せられたオールタナティブ・ファクト(別の事実)やフェイ・クニューズ(偽ニュース)が堂々とまかり通る世の中になりつつあるが、この事実はこれからの時代に生きる人々には宇高な事実である。 著者は「国民の歴史」は事実でないことを記して歴史を操作していると批判している。「国民の歴史」いわく、日本は単一民族である。アイヌの人々が登場しない。魏志倭人伝は歴史資料に値しない、と。しかし、これらは明らかに事実と異なる。中国の史書は漢書、後漢書、三国志、晋書など24史全3249巻あり、日本に関する部分はそれぞれの編著者がそれぞれの史書を基に積み重ねられたものであり相矛盾しないという。 本書では晋の時代に陳寿により書かれた、65巻からなる「三国志」魏志の30巻にある東夷伝の2000字程度のテキストを通じて歴史家の諸説を批判しながら評価を行い、九州説の優位をとっている。 全227ページの一部を抜き出そう。
━「邪馬壹(いち)国」とあったのを邪馬台国と原文改定をしたのは、「大和」に古代からの政権の基盤があったからであるとする大和朝廷一元史観によっている。また、近畿の大和説だけでなく九州の山門(ヤマト)説においても、卑弥呼を中国皇帝へ従属した王ととらえ、九州の首長ということで、大和朝廷と切り離すため(根底には中国への差別感と皇国史観があります)に、やはり原文改定をしていたのです。(壹ではヤマトにならないということですね。) ━物証としては魏から邪馬壹国へ賜与された品と、邪馬壹国から魏へ貢献したした品が記載されているが、特に「同鏡百枚」が、三角縁(ぶち又はえん)神獣鏡なのかどうかという問題があります。この神獣鏡は日本で五百数十面、古墳時代前期(三から四世紀)からのみ出土しており、中国本土からは一面も出土していない。このことから、神獣鏡は魏鏡ではなく国産鏡であり魏の下賜品は後漢式鏡を中心に求めるべきである。そしてその分布は北部九州(160枚、山口、岡山、兵庫、滋賀で5枚)が圧倒していることから九州説が優位である、としている。 ━結びとして、中国側の記した貴重なる資料である三国志・魏志倭人伝を基に歴史教育を展開してきたが、それは歴史資料に値するからであり、古代日本の国家がどのように形成されてきたのか、日本人の風俗や文化の様子が解明される貴重な資料であり、近畿説や九州説の対立を超えて、重要なテキストであると確信できるからである。 本書に接するまでは畿内説、九州説とどちらが妥当なのか分からなかったが、俄然、九州説が正しいと思えてきた。
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今日の一冊
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タイトルは今ひとつだが内容はビックリというところだろうか。常識と思えたことが間逆なことになる。 |
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この本の解説は 事故直後の3月29日から5か月と5日間、内閣官房参与を務めて原子力工学の専門家が、緊急事態において直面した現実と、極限状況で求められた判断とは?緊急出版! とある。
4年半ほど経た今日からこの内容を読むと、全体としての甘さ、分かっていたことへの無自覚、甘い自己責任、専門家らしくない程の内容の薄さである。
著者は当事者意識が、それがどの程度原発事故にかかわれる立場だったかはともかく、薄い。客観的すぎる。そのように感じてしまう。
原子力村のあきれるほどの村意識はすでに皆さんもご存じの通り。東京都民が全員避難するような状況にあったほどの危機状況が今日まで十分に語られていないこと。行政の縦割りによるSPEEDI予測の非開示。放射性物質の廃棄方法さえ確立されていないのに原発を再開している現実。トイレなきマンション状態。利益優先の電力会社と誰のための政府か。レベル7の原発事故が引き起こすであろう今後の健康被害。
お薦めできない1冊でした。
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くない部分が含まれていて、非常に不愉快になってしまった。
この部分は必要ないと思えるし、この小説の良さを殺してしまっているのではないかと非常に危惧する。その残酷な表現部分は小説ではない。歴
史的事実を述べただけではないか。
第2部予言する鳥はその部分を再表現しているが、第1部で無くても何の問題も無いのではないかと思えて仕方ない。
あるいは終わりまで読まなければ分からないとおっしゃる方がおられるかもしれない。いかし、必要な驚きの部分と不愉快極まりないものは明確であり、この部分がある限り、二度は目を通したくない。残念。
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村上春樹、彼の作品が世界各国で売れているという。この報道につき動かされて、彼の作品を読んだ。
「1Q84」 「海辺のカフカ」
これらの作品は無機質でなぜか不安を覚えるものであった。 不安は不快感といっても良いのかもしれない。
死生観や性表現がぞんざいで思いやりがないのだ。
もっとも、この感覚は私たち昭和世代が感じるのに過ぎないかもしれない。21世紀に生まれた平成世代の若者
たちには」、あるいは奇抜で構成力のある、音楽に満ちた同時代的な作品として、魅力あるものとして読まれて
いるのかもしれない。
これだけでは、私の世代は村上春樹の作品は共感を呼ばない、と切って捨てているだけになる。
世界的な評価を一日本人として評価しないというのに過ぎない。日本語より英語などに翻訳した翻訳者の力量
なのか、あるいは日本語以外の言語向けの作品だったということなのか。無機質な、土地柄を知らなくても理解
できる無国籍の作品なのではないかと思う。
「なじまき鳥クロニクル」
続いてこの作品を読み、私は少し安心した。村上は日本に住まない日本人作家というだけなのかと思ったが、日
本の原風景的なものを描いていた。といっても、まだ第一話の数話を読んだだけなのだが、少なくとも不安感を
感じさせた前の2作品に比べると、作品の書かれた順序はともかく、安心させる作品である。
これから先を読んでいくが、どの様な展開になるか楽しみである。
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