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7日、サンデージャポンで今話題のK野球選手、タレントのことが取り上げられたが、
某新聞の配信では太田光が「捕まってよかった」と厚生の機会を得たのではと好意的に 語ったと報じた。 テリー伊藤は「ケツバットを打ちたい」と激怒しながらも厚生を願った、としている。 これに対しホリエモンは覚醒剤をやめられないのでは、と述べ大杉太蔵も一回手を出したら厳しいですよ、と主張し厚生派と白熱した議論となっていた、と取り上げている。 この記事の後半はいかにもスポーツ紙らしく嘘である。この番組を徒然なるままに眺めていた者からすると、珍しくマジで対立した意見をぶつけていた。最後にテリーが、白熱した議論だったけど良かった、と言わざるを得なかったないほどの激論であった。 太田光もテリー伊藤も立ち位置からして無難にまとめようとした。しかし、ホリエモンはも厚生なんて出来ないよ、と塀の向こう側からの経験を交えた意見だった。そしてあの太蔵が、「日本は甘すぎる。あれほど覚せい剤に手を出したら終わりだと言われているのに、それを破ったばかりのKの厚生話をするなんておかしい。絶対にアウトだ。」と珍しく真っ当な意見を業界派にツッコまれながらも主張したのだ。 あんたはエライ。珍しくエライ。 日本は厳しすぎる、とUSAのオッチャンは自分の国がシャブ漬けになってる状況からの意見を言って業界派への援護をしたが、シャラップであった。更に言うなら、テリーはKに対して激怒してはいない。口先だけのポーズである。 この程度のテーマにあっても、マスコミは嘘を平気で記事にする。あるいは正しく伝えてはいない。事実を伝えるということ一つをとっても、中立的な報道とか不偏不党などというが、そのような事はできるわけはないのである。どのような事実も立場が変われば異なった側面からの事実であるに過ぎない。 |
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高浜原発再稼動差し止めについて
この訴訟の内容の詳細は知らないが、とにかく原発をとめることは何より喜ぶべきことに違いない。それは、原発の廃棄にこそ意義なり価値があるから。本当に素晴らしいことだ。
何度も言う様に、これほどの殺人道具を国家が認めて、実際に福島でその人体実験の結果を待っている状況を考えるまでも無い。これまで、そしてこれからの、原発の稼動により生じる新たな放射性元素を処理する場所もないのだ。あたりまえだ。この地震大国の狭い日本にあるはずは無い。
政府はこの状況を転換できる。可能なのだ。あなたがその権力を与えているのだ、時の政府に。
原発と原爆だけは地球から廃棄しなくてはならない。日本から、世界から。原発を推進を認める自民党やその他の党にあなたの一票が入っていることを考えなくてはならない。
あなたは人類の滅亡に加担しますか。
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知りませんでした。あの有名人の妻が日本人だったことを。
荘則棟(そうそくとう)は中国の卓球選手で3度の世界選手権でチャンピオンになり
ました。前陣速攻、ピンポン外交という言葉はご存知でしょう。
中国が大国ではあっても情報を外部に出さない時代に、ピンポン外交で米中の国
交が樹立しました。ついで日中国交樹立へといたった、立役者の一人です。スポー
ツ大臣にまでなったそうです。
じつは、その妻が佐々木敦子という日本人だったというのを今日テレの番組で知り
ました。同時に、このピンポン外交の卓球選手が文化大革命で失脚して、党籍まで
剥奪されて不遇の時代を送りました。
佐々木さんは満州生まれ。日本敗戦でも中国に残り、13歳から23歳までを中国で
過ごしています。過酷な文革のなか、日本に帰国。日本では共産圏からの帰国者と
して差別されます。
名古屋で卓球の世界選手権開催を知り、島根から名古屋の会場に駆けつけます。
中国は初めて世界選手団を送り、彼女は応援に向かうわけです。その中に荘則棟
選手がいました。選手が新幹線で大阪に移動するのに同乗し、荘則棟に手紙を渡し
ます。かれは、中国語ができるなら日中の架け橋になったら、と話します。これが彼
女の人生の転機となり日本の商社に入り、北京在住員となります。
彼はすでに失脚して地方で卓球を教えていました。二人は会って、親しくなり、結婚
しようとするが、中国政府は彼女を国外追放に。数年後、入国を認められるが、夫
は外国への出国は禁止、彼女は中国籍になること、北京での生活という条件をつけ
られます。
平和な日々が続きます。結婚20周年記念パーティーの翌年、彼はガンに。日中が
尖閣問題でゆれるとき、日本での治療を考えたが、国を捨てるという不名誉を考え、
とどまります。そして彼の逝去。
中国政府は告別式を認めませんでした。抗議。逝去した病院での式を認めたが、一
般人の参加は認められなかった。
彼女は夫の墓を8ヵ月後に作ることを認められ、その後帰国。日本でも分骨を持ち
帰り葬儀を行いました。
中国政府への不信を抱きつつも、本心はついに口を出ることはありませんでした。
その後中国の学友を訪ねる。
日中を母国と考える彼女。日中の政治状況が頭の中を去来しつつ、日中友好を願う。
詳細はこのリンクをご覧ください。
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2008年6月6日、目を開けると大きな、巨大な壁があった。東急東横線二子多摩川駅前。ご存じ二子 |




