映画「Life 天国で君に逢えたら」official blog

夏樹さんの小説、ドラマ化決定!(09年3月情報)

寄せ書き(メッセージ)

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夏樹さんへ

お誕生日おめでとうございます!!
映画が公開してから早いもので
もう1年近くが経ちます。

日本は今年は雷雨が多かったり
すごく暑かったり、ですが
天国の風の様子はいかがですか?

去年の今頃、我々スタッフは
選手時代の夏樹さんに負けないくらい
まーっクロに日焼けしながら
江ノ島だー!大阪だー!ハワイーだ!と
走り回っていました。
とーっても楽しかったです。

1年経ち、キャストもスタッフも
それぞれ別々に日々を走っていますが
夏樹さんがくれた”絆”はいまだに太い綱です。

「夏樹さんの人生を映画にしたい!」と集まったスタッフ。
まず最初に着手し、最後まで考えこんだのが脚本作りでした。
今回の映画は、斉藤ひろしさん、吉田智子さんの2名で取り組んでくださいました。
ドキュメンタリーや、遺された書籍、資料だけでは伝えきれない
夏樹さんの”Life”を2時間で表現するために
プロデューサー、監督を交え、撮影開始直前まで
何度も何度も脚本打ち合わせは検討を重ね続けられました。
今回は吉田智子さんからメッセージを頂きました。

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私が初めて夏樹さんと出逢ったのは、テレビ画面を通して。
不思議なほど生き生きと“死”を享受しているその姿が、とても鮮烈でした。
癌は、私にとって身近な話です。30歳という若さで亡くなった小説家の友人、
私が結婚する直前になくなった義父・・・。
そして今も、知人や、その家族が、癌と闘っています。
そんな中、誰かに導かれたように、舞い込んできたこの仕事。
私は迷うことなく、「やります」と即答しました。

でも、この映画に関わってみて驚いたのが、「飯島夏樹」という人物から受け取ったものが、
人それぞれに違う、ということでした。
最初に脚本に取り組んでいた斉藤さんは、とことん明るく生き切った夏樹さんに魅力を感じたのでしょう。なんとコメディアプローチ、斬新な発想でした。
そして夏樹さんの友人でもある、企画プロデューサーの平野さんは、あの生き様を、どこかファンタジックに、1つの生命の奇蹟として捉えていたように思えます。
プロデューサーの仁平さんは、女性らしく、その夫婦愛・家族愛に感銘を受け、
監督は、実はストイックだった夏樹さんに、男として何か感じ入るものがあったようです。

私自身が感じたものは、意外に思われるでしょうが、夏樹さんの------弱さ、でした。
ドキュメントをみた時は、その破天荒ともいえる明るさに衝撃を受け、同時に勇気をもらいました。
でも、夏樹さんという人を知ろうとすればするほど、
その強靭さの裏にあった、人間らしい歪みや、迷い、苦しみが見えてきたのです。
------弱虫の飯島夏樹。
そう、この映画は、世界トップクラスのウィンドサーファーだからこそ成し得た、稀有な人物の“Life”ではなく、みなさんの身近に存在する“Life”です。
そして、そんな彼を支えた奥様と、4人の子供たちの、海のように広く深い、優しさの物語なのです。

ドキュメントとも、夏樹さんの遺稿「ガンに生かされて」とも少し違う、映画『Life 天国で君に逢えたら』。監督・プロデューサー・脚本家・・・みんながそれぞれに抱いている夏樹さんへのリスペクトを喧々諤々ぶつけあってできたものが、この作品なのだと思います。
この作品をみた方々が、ここから何かを受け止め、それぞれの「飯島夏樹」を------自分なりの“Life”を見つけてくれたら、と願っています。


P.S.天国の飯島夏樹さんへ。
「おいコラ脚本家、そこはちょっと違うよ」、と思うところがあったらごめんなさい。
でも、夏樹さんのことだから、きっと笑って許してくれると思います。
あ、それから、ウィンドって、凄いカッコいいんですね。今まで知りませんでした。
時速90キロの闘いに、もう、惚れ惚れしてしまいました。
いろんな意味で、私も、たくさんのことを学ばせて頂きました。
ありがとうございます。


脚本 吉田智子

夏樹さんへ

そちらはいい風吹いてますか?
日本は今年はとっても暑いです。
いよいよ来週です。ドキドキです。
夏樹さんから私たちがいただいた大切なメッセージを
やっと皆様にお伝えできる日が近づいてきました。

今日は41回目のお誕生日!
おめでとうございます!

スタッフ一同

この映画のハイライトの1つ、ウインドサーフィンシーン。
慣れない製作スタッフがひたすらにとまどうばかりだったなか、
監修・指導を一手に引き受けてくださった岩崎真さんは、
キャスト、スタッフにイチからウインドサーフィンの素晴らしさを教えてくださいました。

その熱い想いの原因は、生前に夏樹さんと語った映画化実現への夢。
岩崎さんを始めたとした世界のトップウインドサーファーの皆さんの協力を得て、この映画は、
夏樹さんに自慢できるようなウインドサーフィンシーンをフィルムに収めることが出来たと思います。

夏樹さんに負けるとも劣らない、岩崎さんのウインドへの愛情、
そしてなにより、海の仲間・夏樹さんへの想いを、ぜひお読み下さい。

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夏ちゃんとは生前に、
もし映画化がほんとうに実現したら
ウインドのシーンはこうしたいああしたい、と
半分本気、半分夢物語のように
何度か話をしました。

そしてついに映画化決定!

寛子ちゃんからのメールに、
「映画作りのときには協力してほしい」
というようなことが書いてあったのを見て、
「もちろんっ!」と即レスしたのは言うまでもありません。

元々そういう世界には全く縁のない人間ですから、
事の重大さをよく分かっておらず、
「夏ちゃん、やったぜぃ!」とか、
「ウインドが少しは世に認知される!」とか、
それくらいのことしか考えていませんでした。

なにしろ海に生息している人間というのは
頻繁に会うのに連絡先も知らない、
というようなこともしばしばあったりする、
ゆる〜い感じが基本ですから。
(実際、夏ちゃんと僕は知り合ってからの数年そんな感じでした。)

ところが、制作の人から連絡が入り、
言われるままに、大沢さんと会ったり、
監督やスタッフとの打合せに参加したりしているうちに、
「こりゃあ、実は大変なことだぞ」という
プレッシャーが日々増していったのでした。

キャストの方々の執念さえ感じる気の入れようや、
スタッフの真剣さなど、
映画作りに対する姿勢を目の当たりにすると、
+αの(いや、もっと)気合を入れないと
おジャマ虫になってしまいそうな気さえしました。

まあでも、良く考えたら
ひとりでリキむ必要はないんですよね。
困ったことがあったら海の仲間も沢山いますし。

それに、基本的に僕は、
ウインドのシーンのお手伝いを
隅っこでちょっとさせてもらえれば良いのですから、
そう考えれば、わたくしごときが
プレッシャーなど感じる必要もないな、と
開き直れたわけです。

ただただ、
夏ちゃんが(ウインドのことに関して)望んでいた、

"できるだけ単純な形でウインドの魅力を伝えたい"

ということだけを考えれば良いワケで、
それなら私も全く同じ気持ちでしたから、
やるべきことは明確になるというものです。

そうすると、不思議なことに
共鳴者というものは自然発生的に現れてくるもので、
「夏樹のためなら」と多くの海仲間が
協力の名乗りを上げてくれました。

日本のトッププロが撮影の裏方に回ってくれたり、
各メーカーがウインドの道具や周辺の小道具を用意してくれたり、
旧友がエキストラの選手を集めてくれたり・・。

おかげで、レースシーンなどは、
世界のTOP3に入る現在最高峰の選手達が加わってくれ、
まさに本物のワールドカップ決勝と言えるほど
迫力満点の画となりました。

これはことあるごとに言っているのですが、
是非とも映画館に足を運んでもらい、
大きなスクリーンでこのウインドシーンを味わってほしい!と。

自分自身、20数年間このスポーツをやってきて、
ワールドカップのレースを生で見たこともあるし、
(そのレベルではないけど)レースに出たこともありますが、
それに勝るとも劣らない臨場感&迫力ですから。

もちろん、この映画のテーマは人間愛ですから、
ウインドは薬味のようなものだということは分かっています。
ですが、わさびの利かない寿司が今ひとつなように、
ウインドのない夏ちゃんは、夏ちゃんではありません。

ウインドと夏ちゃんが融合したからこそ、
これほどまでに人々に感動を与える
生き様たりえたのだと思っています。

夏ちゃんが愛してやまなかったウインドサーフィン。

そのスパイスを少しだけ気にとめていただきつつ、
彼やその家族の愛情、優しさ、勇気、という
爽やかな風を感じてほしいと願うばかりです。

岩崎 真

夏樹さんが天国に引っ越しする直前まで、
自らの日々を綴り続けた「ガンに生かされて」(新潮社)が文庫化されました。
その「解説」として、長年パートナーとして支えてこられた所属事務所・サニーサイドアップの
次原社長が、文章を寄せられています。
夏樹さんがいかに“書く”ことに情熱を注いだか、それを周りの人間がどう感じ、動いたか―――。
改めて「ガンに生かされて」とともにぜひ読んでいただきたいと思うようなあとがきです。
まだお読みになっていない方は、この機会に是非お手に取って、
夏樹さんと次原社長が起こした「奇跡」を感じてください。

※以下は部分抜粋となります。

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文庫「ガンに生かされて」解説

 早いもので、飯島夏樹との最初の出会いからもう16年の年月が過ぎようとしています。
 夏樹から病気のことを聞かされたのは、2002年の初夏のことでした。
夏樹と寛子、私の一番のビジネスパートナーであり、現役時代から彼の最期まで、
そして現在に至るまで、夏樹のマネージャーを担当している常務の松本、そして私という4人で、
八王子のイタリアンレストランで食事をした席でのことでした。

“相談したい話がある”と呼び出された時点で、私たちはすでに夏樹がただごとではない病気に
悩んでいることを知ってはいました。そのうえで告げられた事実であったにも関わらず、
その内容をにわかには真実として受け止めることができませんでした。
人の死を見送るという経験が、まだそれほど多くない自分達にとって、お互いが、未熟だったころから
知っている同じ年の仲間が、抗うことが難しい病に冒されているという現実。
スポーツ選手を支えるという仕事を通じ、他人の人生を預かることの重さについて、
思いを巡らせてきたつもりでしたが、この日を境に、私自身、
人の命というものを真剣に考え始めたような気がします。

 希望は捨てるつもりはありませんでしたが“残った時間で、私達に一体何ができるだろう”という
焦りにも似た気持ちが胸を突きました。

「すべてのことには、神様が与えてくれた意味があるんだよ」は、
クリスチャンであった夏樹の口癖でしたが、ガンの宣告、鬱病の発症、大好きな“海”と引き剥がされて迎えたさまざまな試練の意味に、しばらくは答えが出ませんでした。

 そんな夏樹のターニングポイントは、築地の国立がんセンターに入院したことでした。
夏樹と寛子の「セカンドオピニオンを求めたい」という強い要望に応えるために、
自らもガンからの生還経験を持つ、私の知人のある方を夏樹に紹介したのです。
その方から紹介されたのが国立がんセンター。そして、その方というのが、その後本書が世に出るうえでの浅からぬ因縁が生まれることになる新潮社の石井昂さんでした。

 こう書くと、その時から新潮社さんが、出版を前提に夏樹に書くことを勧めたように聞こえますが、
話はそんなに簡単ではありませんでした。がんセンターで出会う、さまざまな人間の生き様に刺激を受けたことが、医者とガン患者を題材にした小説を書き始めることにつながるのですが、
処女作『天国で君に逢えたら』の原型は、レポート用紙に汚い手書きで綴られたものでした。
出版を夢見て、夏樹を支える友人がワープロ打ちにはしてくれましたが、その原稿を持って出版社を回っても手応えなどありません。ウィンドサーフィンの雑誌にエッセイを書いた経験はあっても、小説には初チャレンジの素人が書いた原稿です。おいそれと書籍化してくれるほど出版業界は甘くはなかったのです。

 でも、奇跡は起きたのです。石井さんから渡された夏樹の原稿を、文芸の編集長である私市さんが
「荒削りだが、整理すれば行ける」と判断してくれ、同じく原稿を読んだ担当編集者のタロイモ君が
情熱的に本作りに取り組み、どうにか正式な「書籍」として初版5000部で世に出されたのでした。
その後、本のPR活動の過程で生まれた彼のドキュメンタリー番組が多くの反響を呼び、
幾度も特集が組まれ、処女作はベストセラーに、そしてその後、夏樹はさらに2冊の作品を発表することが出来たのです。
 彼のマネジメントを始めた頃のことを思えば、彼がこんなに若くして私たちの前から姿を消したことも、そして“作家”という肩書きで、多くの皆さんの記憶の中に生き続けていることも不思議でなりません。
 自分が身を削って生み出したモノの反響に勇気づけられた夏樹は「この人、まだ生きてるの? って、皆に笑われるぐらい生きるよ」と、最後まで“書く”ということに情熱を燃やし、3カ月と言われた余命を、9カ月にまで伸ばす奇跡を演出してくれました。

「すべてのことに意味がある」と語っていた夏樹の人生や旅立ちの意味を総括するのは、
まだ早いかもしれません。しかし、彼が“書く”ということをはじめてから、なぜこんなに多くの人が彼に巻き込まれていったのか、彼の持つどういう魅力に引き込まれていったのかを、今も時々思うことがあります。
 飯島夏樹は、決して世界の頂点に立つトップアスリートというわけではありませんでした。
あの運命が降りかかるまでは、マリンスポーツが好きな気さくなお兄ちゃんであり、歴史に名を留めることもなかったでしょう。
 ただ彼が“死”というものを受け入れたその瞬間に、新しい飯島夏樹が誕生したのです。
 新しい夏樹に課せられたものは過酷で、また私たちに見せた姿も一瞬でしたが、書くことを通じた“生”への思いが、多くの人たちを突き動かし、また現役時代を知らない彼の子供たちにも、父としての記憶を鮮烈に植えつけました。

 彼に生きていて欲しかったことは言うまでもありません。もちろん夏樹も無念でしょう。
が、現実に、彼が作家として堂々と稼ぎ出したお金で、残された愛する寛子と四人の子供を養っていくことができます。そして彼の生き様は、本当に多くの人に勇気と感動を与えました。人生の最後に、そんなかっこいい生き様を見せてくれた彼に心から敬意を表さずにいられません。

 彼の作品が、今こうして文庫化され、また映画化を通じて、これから先さらにまた多くの人たちの目に触れていくことを心から嬉しく思うと同時に、彼の生き様がさまざまな人に影響を与えていくことで、飯島夏樹という人間が生きた意味が、もっともっと深くなっていくことを、これからも期待していきたいと思います。

 今、私自身も、彼が残してくれた言葉の一つ一つをかみ締めながら、生きていくことの意味を改めて考えています。


 夏樹、有難うね。
 いつか天国で逢おう。


サニーサイドアップ社長
次原悦子

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