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イスラエルの「我が家」に到着してほぼ2日。
時差ボケもほぼ治り、今は気分的にも落ち着いてきました。
「今は」という言葉を使いましたが、イスラエルへ向かう機中(特に関空-フランクフルト間)では憂鬱で、チョット塞ぎ込んでいました。フランクフルトで6・7時間あったので、少し冷静に自分の中で気持ちを整理する事ができ、イスラエルの空港を出てエルサレムに入った時には懐かしさを感じられるぐらい、イスラエル・モードに切り替える事ができていました。
なんでそんなにも憂鬱で塞ぎ込んだ気持ちだったのか??
フランクフルトでの6・7時間の間に考えていたのですが、少なくとも3つ理由があったと感じています。
1つ目は、単純な故郷を去る時に感じる祖国への惜別の念。
いくらイスラエリーの友人や日本の兄弟姉妹・友人に「テルはほんまもう、イスラエリーって/向こうに馴染んでる感じやね。」と言われても、僕のアイデンティティーや最後の部分までイスラエルに売った訳ではありません。僕は、僕が日本人だという事、日本に生まれ育った事を誇りに思っていますし、祖国日本を忘れ去った事は一瞬たりともありません。
イスラエルでも居心地は(言語の上達とともに)格段に良くなってはきていますが、1月日本に居て感じた事は「やっぱり、日本ええわぁ〜」。外国に行って、染まって帰って「日本って嫌な・居づらい国やなぁ〜」なんて言う人間に僕は軽い嫌悪感を抱いてしまうのです(笑)。
2つ目は、「知って行く」という恐怖感。
去年もある程度感じたのですが、去年はインターナショナル・スクールを終わって大学入学前という事で、「ヘブライ語で全て学ぶ」という事がどれほど若者風に言うと「キツイ」かという事に対して僕は無知でした。困難だという事は当然頭では分かっていましたが、ヘブライ語が母語ではない友達に囲まれていたインターナショナル・スクールでは「ほんまにナチュラル・スピードなヘブライ語で行われる授業」というのは当然のことながら皆無でした。ある意味、無知って強いなって思います。無知だからこそ、訳も分からず飛び込めたんです。
その点、今年はその「キツさ」を分かった上で飛び込むので・・・しかも今年からは宗教学のキリスト教専攻というメジャーを取ったので絶対量が2倍。。。冷静に考えると「全講座で合格ラインの60%取れるかな・・・」と、いくら僕が明るい心境に居てもこの現実だけで僕の心をKOするには十分です(笑)
〜記事が思いのほか長くなったので、つづきは次の記事へ〜
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二十一の信仰日記
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