イスラエル、バラガン日記

イスラエルに留学している大学生のブログです。

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さて、イエスのヘブライ語名「イェシュア」に迫る第2弾です。
1弾の最後に、ユダヤ人はイエスを(新約聖書に書かれている)正式名称の「イェシュア(ישוע)」と呼ばずに「イェシュ(ישו)」と呼ぶと書きました。今回はその歴史的経緯についてお話したいと思います。


 
ישוע-イェシュア
ישו-イェシュ
 
さて、この2つの語の違いは何でしょうか?
そう、イェシュア()の3文字目、最後の文字アイン()が消えているのです。デビット・フルッサーやシュムエル・サフライなどユダヤ人のイエス研究の第一人者たちも含む多くの学者たちによれば、イエスの住んでいたガラリヤ地方では語尾のアイン(ע)を発音しない場合が多く、1世紀に住んでいたイエスは実際に「イェシュ」と呼ばれていただろうと言われています。
ミシュナ・タルムード時代(1世紀〜6世紀)でも「イェシュ」という単語はイエス(イェシュア)だけに限らず、一般的な名前だった事が分かっています。4世紀の中ごろに書かれたタルムード・イェルシャルミ(-Jerusalem Talmud)には、イェシュというラビの名前が少なくとも2人登場します。グネザ()と言われるユダヤ人がヘブライ語を書いた入らない神を捨てる神捨て場から、この事が証明されています。
ただ時代の流れとともに、彼らの名前が忌み嫌うイエス(イェシュ)と同じなる事を嫌い、彼らイェシュと言う名のユダヤの賢人たちの名前が次々ともともとの「イェホシュア(יהושע-ヨシュア)」に改正されていき、結局「イェシュ」はイエスだけをさす言葉へと一般的な名前から変化していく事となりました。
 
そして「イェシュ」がイエスだけを指す、ネガティブな単語に変化した後に新しいイェシュと言う名前の解釈がユダヤ教の中で生まれました。
それはイェシュ(ישו)が、
יימח שמו וזכרו=彼の名と記憶が消し去られるように。
という文の頭文字だというものです。「יימשח (忘れ去られる/ように)」のי」、「שמו(彼の名)」の「ש」、そして「ושכרו(と彼の記憶)」の「ו」。この解釈は歴史的には全く根拠がないことがグネザからの発見で証明されたのですが、未だに多くの宗教的なユダヤ人はこの解釈を信じています。
 
またミシュナの解釈により、イェシュアを元の名前の「イェシュア」と呼ぶ事をユダヤ人は禁じられています。なので、宗教的なユダヤ人たちはイェシュアという本当の名前を知って、あえて蔑称のような形でイェシュと呼んでいるのです。
 
ではイスラエルの人口の大半を占める、世俗的なユダヤ人はどうでしょうか。確かに彼らもイエスの事をイェシュアではなくイェシュと呼んでいますが、彼らはイェシュという1語にラビ・ユダヤ教が作り上げた軽蔑・嫌忌の意がある事を知らない人間が多いです。イェシュがもともとの名前だと思っている人間も意外と多いのです。
 
なので今は新聞や学術文書や本などではたいていはイェシュと言う言葉が使われています。多くの人にとって別に軽蔑や嫌忌を彼に対して持っている訳ではありませんが、「イェシュ」の方が一般に認知されているという事と、さすがに前の記事で紹介したようにイシュアには「救い」と言う意味があるのでさすがに彼を「イェシュア(救い)」と呼ぶのはまずいと言う思いから、イェシュと言う方をほとんどのところで目にします。
 
なので、イエスに対してのアレルギーはイスラエルでは取り除かれつつありますが、95%はイェシュがまだ使われているのがイスラエルの悲しい現状です。
イスラエルで1日も早くイエスが救いの「イェシュア」と呼ばれる日が1日も早く来るよう、お祈り下さい。


イメージ 1
私たち日本人もそうですか、ユダヤ人にとってもイエスとはまだこんなイメージ、西洋のスーパースター。
中東臭さは中世の美しい絵画には微塵も描かれていません。

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キリスト教を100万時間、勉強するより、ユダヤ教を100時間、勉強する方が、有益だと思いますよ。

2011/3/7(月) 午前 4:15 マーラーー 返信する

>マーラーーさん
もちろんキリスト教(特にカトリック)の歴史が血塗られている事に疑いの余地はありません。ただ、神話のような昔の事になるのであまりピンと来ませんが、イスラエルがどれだけ皆殺しを出エジプトからイスラエルの地に定住するまでの間に行った事か。

キリスト教の方が近代史的な部分なので、そちらばかりが気になりがちですが、「ユダヤ教=クリーンで完璧な宗教」とはならないのです。

マーラーーさんもイスラエルに来て、街行く人に聞いてみて下さいよ。「ユダヤ人の中のユダヤ人、ハレディームに対してどう思っている??」かを。大半の人間が嫌っていますし、ラビの強姦・汚職・売春など、不祥事が多々新聞などで取り沙汰されています。

キリスト教・ユダヤ教というようなところで考えるのではなく、純粋な「信仰」がシステマチックに「宗教」としてかっちり組織化されたとこから、宗教と言うのは堕落の道を歩み始めるのです。トーラーやシャバット、コシャーはきちんと守っているけど道徳を全く守っていないハレディームが山ほどいます。
これはどの宗教も同じ事です。)

2011/3/7(月) 午前 5:13 [ テル ] 返信する

ただ旧約・新約を問わずに聖書の理解を深めるために勉強するならば、ユダヤ教でしょうね。
ただ、そこまでユダヤ教をごり押しされるのであれば、イスラエルに来て改宗されたらどうですか??(日本国籍は失う事になりますが・・・

2011/3/7(月) 午前 5:13 [ テル ] 返信する

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>ラビの強姦・汚職・売春など、不祥事が多々新聞などで取り沙汰されています。

できれば、この実例を、お示しください。

2011/3/7(月) 午前 11:17 マーラーー 返信する

お久しぶりです。

ほへ〜
イロイロ奥が深いですね。
ドラマやアニメ、映画でそれぞれに解釈され、演出に利用されているものくらいしか知らない者にとっては、新鮮さと、やはり、どこかにフィクション性を感じてしまう記事ですね。

2011/3/7(月) 午後 2:25 [ ぬくぬく ] 返信する

>マーラーーさん
ヘブライ語ならば普通に新聞記事にあるのですが、英語の方のリンクを貼っておきます。

ラビの性犯罪:
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4026792,00.html

性犯罪で訴えられている大統領を「被害者が異邦人だから」と無実を主張するラビ:
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4035656,00.html

ハイファのチーフラビの汚職:
http://www.jpost.com/NationalNews/Article.aspx?id=207774

国民としての義務を果たさずに補助金だけもらう超正統派に対する学生デモ:
http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-3986242,00.html

2011/3/8(火) 午前 3:12 [ テル ] 返信する

>マーラーーさん
僕はここでユダヤ教を頭ごなしに非難している訳ではありません。
ヨーロッパでも探せばいくらでもこのような記事がでてくる事でしょう。それに今までやってきた事を客観的に考えると、キリスト教の方が明らかに加害者です。

僕がここで言いたいのは、パーフェクトな宗教はないという事。信仰という純粋に神を畏れ信じるところから、離れ組織化されていくとどの宗教でも堕落していくという事です。

2011/3/8(火) 午前 3:15 [ テル ] 返信する

>ぬくぬくさん
お久し振り(??)です。
どこの国の宗教にもそういうケースはあるのではないでしょうか?
例えば、全てのお坊さんが信仰・道徳的に見本となる素晴らしい人かと言われると・・・そうでない人もいるでしょうし、極端な話(性的なのも含め)犯罪に手を染めている人もいるかも知れません。

宗教と言うのは実に乱用・悪用されやすいシステムなのです。

2011/3/8(火) 午前 3:22 [ テル ] 返信する

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ありがとうございます。キリスト教の「原理そのもの」に問題があると思いますよ。

なぜ、ユダヤ人は、キリスト教を拒否するのでしょうか?

たとえキリスト教徒が、1人もユダヤ教徒を殺していなくとも、キリスト教の「原理そのもの」が容認できないのです。

2011/3/8(火) 午前 8:21 マーラーー 返信する

>マーラーーさん
キリスト教の原理そのもの、とは何か定義して頂けませんか??
お気付きかも知れませんが、僕も普通のクリスチャンではないので。。。苦笑

2011/3/9(水) 午前 2:20 [ テル ] 返信する

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*「スケープゴート」とイエス・キリスト*

キリスト教における救世主、イエスは、<神の小羊>として、全人類の罪を背負い、犠牲になる事によって、全人類を救済したことになっている。つまり、彼は「スケープゴート」(犠牲・生贄)の役割を担っているのだ。

しかし、ヘブライ聖書は、人間を「スケープゴート」として犠牲にする事、を拒否しているのであるから、ユダヤ人がキリスト教を容認できないのは、当然と言えよう。

2011/3/9(水) 午前 4:36 マーラーー 返信する

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あなたは、クリスチャンとしてではなく、人間として、すばらしい。

僕も、実をいうと、正統派ユダヤ教徒は大嫌いです。

しかし、ユダヤ教(主義)には、捨て難い「実利」の部分が存在します。

残念ながら、それは、ほぼ、ユダヤ教徒に独占されています。

僕は、ユダヤ教(主義)を、ユダヤ人の独占から解放したいのです。

そして、人類全体が「神の祝福の傘下」に入る様にしなければならない、と思います。

ユダヤ人と他民族が、平等化するのです。

それは、ユダヤ人が、ユダヤ教(主義)を捨てるのではなく、他民族がユダヤ教(主義)を受け入れる事により、達成されます。

2011/3/9(水) 午前 4:58 マーラーー 返信する

>マーラーーさん
ユダヤ教の人身御供への禁忌は、アブラハムがイサクをまさに捧げようとしたその時に、「アブラハムよ、息子に手をかけてはいけない。ひとりごをも惜しまない信仰は分かった。」と言った事から来ています。なので士師記にはエフタが1人娘を捧げたという話があるのですが、ラビは必死にその後結局エフタは捧げなかったと主張しています。

まぁ、ここで普通クリスチャンなら・・・神はそのアブラハムの潔い信仰に答える形で、神のひとりごであるイエスをペサハ(過ぎ越し)の子羊として捧げ、人々の罪を取り除いた。
とされています。

まぁ、ハッキリ言うと僕はこの点については分かりません。
理論的にはどちらでも証明できるだろうとは思うのですが、実際にそう思って生きているかと言えば・・・

まぁ、ただユダヤ人は神学的な問題よりもイエスという名のキリスト教のユダヤ迫害史の方が受け入れがたい事実なのです。

2011/3/14(月) 午前 1:21 [ テル ] 返信する

人類全体が神の祝福の傘下に入るためであれば、ユダヤ人と他民族が平等化する必要はありません。
アブラハム契約の根幹に「あなたを祝福するものをわたしは祝福する」とあるからです。

神がユダヤ人と異邦人を完全に分けているにはそれなりの意味があると思いますし、他民族がユダヤ教を受け入れれば「選民としてのユダヤ人」というユダヤ教の原型が無くなってしまいます。

神はユダヤ人を神の民、人類の長子とし、私たち異邦人をその助け手として用意されたのです。マーラーーさんの主張は典型的なワン・トーラー論で、少し危険をはらんでいると思います。

ワントーラー論についての私の母教会のサイトです。メシアニック・ジュー(ご存知でしょうか??)の人たちが意見を色々と述べています。
http://www.zion-jpn.or.jp/onetorah/index.htm

2011/3/14(月) 午前 1:27 [ テル ] 返信する

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ありがとう。勉強になります。

ワン・トーラー論の前提は、「メシアニック運動」ですが、僕は「イエス」と「キリスト教」を否定する訳ですから、典型的なワン・トーラー論ではありません。

「キリスト教」と「ユダヤ教」は、正反対の思想を持つ別個の教えです。

「キリスト教」と「ユダヤ教」は、両立し得ないのです。

それは、歴史によって証明されたと思います。

2011/3/14(月) 午前 4:50 マーラーー 返信する

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ヘブライ聖書には、現状の世界を、より良い世界に変革するという、強力な意志が宿っている。

それは、人間を襲う、あらゆる苦難(病気・災害・貧困・飢餓)を乗り越え、生き延びなくてはならないという意志である。

このことが、「イスラエル=神と闘う者」という言葉として表現されているのである。

神を、世界の支配者と考えるならば、人間は自分が生き延びるために、その支配者と格闘して、命を守らなくてはならない。

「イスラエル」(神と闘う者)とは、そういう意味を持つ言葉なのだ。

そして、それを無意識のうちに体現しているのが、ユダヤ人無信仰者(世俗者)なのである。

歴史的偉業を成した著名なユダヤ人は、ほとんど全て無信仰者(世俗者)であった。

ユダヤ人信仰者(超正統派・正統派)で歴史的偉業を成した人は、皆無である。

それは、信仰者がヘブライ聖書の本質的意味を理解せず、誤った解釈をしているからだ。

「イスラエル」(神と闘う者)と言う言葉にこそ、ヘブライ聖書の本質的意味が含蓄されているのだ。

2011/3/14(月) 午前 5:39 マーラーー 返信する

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イスラエルは唯一 神様に祈るものであり その生存権利を認めないのは まずいでしょう キリスト教はあくまでも 弱者救いの神様という解釈だと思います イスラエルも 共存を自覚しないといけない

2011/3/14(月) 午前 10:07 [ isn ] 返信する

キリスト教徒ユダヤ教が両立しえなくなったのは、イエスや彼の弟子よりもずっと後、数世紀たってキリスト教が反ユダヤの、ユダヤ教が反キリスト教の教義を確立してからです。

教理や神学というような後付されたものを取っ払えば、キリスト教徒ユダヤ教は両立どころか千数百年の対立の歴史はありますが、和解する事が論理上、可能なのです。
逆にキリスト教・ユダヤ教の聖書に基づく2つの宗教が両立し得なければ、どれとどの宗教が両立できるのでしょうか。

否定する事は簡単ですが、和解できる可能性が少しでもあれば和解するように働くというのが、筋だと考えますが。これは宗教に限った事ではなく全てにおいてそうです。

2011/3/14(月) 午後 7:56 [ テル ] 返信する

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>キリスト教徒ユダヤ教が両立しえなくなったのは、イエスや彼の弟子よりもずっと後、数世紀たってキリスト教が反ユダヤの、ユダヤ教が反キリスト教の教義を確立してからです。

*************************

この御認識は、大変な誤謬ですよ。そもそも、キリスト教は、ユダヤ教に対する否定論として成立した訳ですから。

キリスト教は、一神教でもなければ、偶像崇拝を否定する宗教でもありません。

ユダヤ教では、人間を「神」として崇拝する事は、厳禁されているのです。

ですから、「キリスト教」と「ユダヤ教」は、正反対の思想を持つ別個の教えなのです。

2011/3/15(火) 午前 4:18 マーラーー 返信する

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キリスト教が、「過去の異教の要素」によって成立している事は、学者によって証明されていますよ。

事実を否定する事は出来ないのです。

2011/3/15(火) 午前 4:25 マーラーー 返信する

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