|
さて、「ハヌカ関連の記事を書きたいと思います」と書いたのですが、8日間のハヌカが昨日(5日)の日没に終わってしまいました。最後の晩になったおとついの日没は、ハヌキヤの枝全てに8本のキャンドルが灯され、まさに『ハヌカのクライマックス』でした。 さてハヌカの説明として「ハヌキヤという8枝の燭台に毎晩キャンドルが灯されていきます」という説明を聞いても、なかなかイメージが湧かないかと思います。という事で、実際にはハヌカの日没のキャンドル点灯がどのようなものなのかを、Youtubeの動画を使ってみなさんに紹介しようと思います。 イスラエルの一般的な家庭のキャンドル点灯はこんな感じです。
最後の歌が途中で切れていますが、イスラエルのスタンダードなハヌカの夕べはこんな感じです。家族が一堂に会し、家長と一緒に家族みんなでろうそくを祝福して、ハヌカで起こった奇跡を神に感謝する祈りをしながら1本1本に火を付けていきます。このクリップでは左側ではお父さんが大きなハヌキヤに火を灯していますが、その右側にも小さいハヌキヤがあり子供たちが点灯を行っています。
祈祷文の後はハヌカ定番の礼拝用の詩文を2篇、違うメロディーに乗せて家族全員で歌う。 これが典型的なユダヤ人家族のハヌカの夕べです。 かなり世俗的な家庭ならばハヌカを祝わない家庭もありますし、超正統派に近いユダヤ人家庭は少し違ったり詩の数や長さが多くなったりするようですが、ハヌカ定番の2編はユダヤ人の家庭であればほとんど同じメロディーのようです。 さて、では黒尽くめの超正統派たちはシナゴグでどのようにハヌキヤに火を灯しているのでしょうか。 こちらのクリップに登場しているのは、ラビ・イツハク・ドビッド・グロスマンという著名なラビで、イスラエルのチーフ・ラビ機関のメンバーです。 だいたい40秒ぐらいから最初に見た家族のハヌカにもあった最初の祈祷が始まっています。超正統派のシナゴグなので省略せず最後までやるようです。
キャンドルにラビが火を付けた1分35秒ぐらいから、1篇目のハヌカの詩文が同じメロディーで、2分20秒前後からは家庭のハヌカにはなかった祈祷が読み上げられて、節の付いた祈祷も数曲歌われています。 そして、4分20秒から5分にかけては定番の2篇目が歌われています。実はこの2篇目は6番(段落)もあるかなり長い詩なのですが、一般の家庭では最初の1段落目だけの省略した形を歌っています。しかし、正統派になればなるほど、そしてこのような超正統派のシナゴグでは最後まで歌われているようです。 祈祷文や詩文の意味は分からないですが、最初の家庭でのハヌカとこのクリップを見てもらったら、同じ歌を同じメロディーで超正統派と世俗派がハヌカを祝っている様子をご覧になっていただけるかと思います。
では次に、一風変わったハヌカのキャンドル点灯を。それはハヌカの夜に行われた音楽ライブでの1コマです。 ハレル・スカアットと言う人気ポップ歌手のライブがハヌカにあった際のものです。ハヌカのキャンドル点灯は子供が中心になって行う家庭がやはり多いです。なのでこのライブでは子供連れの保護者が多かったのでしょう、子供たちを前に読んでハレルと一緒に子供たちが1人1人キャンドルに火を灯していく様子が分かります。なかなか火が付かないので、ジョークを飛ばしたりハヌカに関する歌を定番の詩の後に歌っています。
最後はこちら、タイのシナゴグであったハヌカの様子です。 タイに旅行に行くなんてほとんどは世俗派か無神論者のイスラエリーばかり、そんな彼らでもハヌカの晩にはバンコクのシナゴグに結構人が集まるのは驚きです。 最初に超正統派のユダヤ教徒が、2000年前にあったハヌカの風習についての論争について紹介しています。キャンドル点灯自体は4分55秒ぐらいからです。
祈祷からハヌカの詩文2篇にかけて、全てが今まで紹介したクリップと同じ節を付けて斉唱されているのを見る事ができます。
宗教的・世俗的を問わず世界中のユダヤ人の多くが、同じ様式で昨夜までの8日間ハヌカを祝っていました。 説明文だけではなかなか分かりにくいですし、「実際どのように祝われているのか」はなかなか分かりません。 この記事で少しは分かっていただけたのではないかと思います。
テル |
全体表示
[ リスト | 詳細 ]
|
前の記事でハヌカの祭り関連の記事を書きたいと言っていたところなんですが。イスラエルで最も有名で、僕も大好きだった歌手が2・3日前に亡くなられたので彼について今回は書きたいなと。。。
11月26日深夜、歌手のアリク・アインシュタインさんが亡くなられました。74歳でした。 アリクはイスラエル建国前の1939年、テル・アビブで生まれました。生涯で40枚以上のアルバムを世に送り出し、数多くのテレビ番組に出演し、また俳優としても多くのドラマに出演しました。彼の人気がでたのは1960年代は、イスラエルが建国からまだ約10年と若く、自分たちのアイデンティティーを模索している時代でした。そんななか彼は数多くの曲を世に送り出し、イスラエルに住むユダヤ人としてのアイデンティティーを築いた人物の1人だと言われています。
ある音楽評論家は「アリク・アインシュタインはイスラエル一の歌手以上の存在だった。アインシュタインこそ真のイスラエルの地なのだ」と評しています。 またネタニヤフ首相は翌日にテル・アビブの大広場で行われた追悼式典で演説し「アリク・アインシュタインはイスラエルのサウンドトラックだ。彼について話す時、私たちはイスラエルの地について話しているのだ。」と述べました。 シモン・ペレス大統領も翌日の新聞に次のような追悼の投稿を寄せました。「私は彼の歌が大好きだ。皆も分かっているだろうが、彼のような人物は今までもこれからも出てこないだろう」
半世紀もイスラエルを代表する歌手であった事と、彼がイスラエルという国が形成される前から国中に愛されていたという事から、彼は「イスラエル現代音楽の父」や「イスラエルのフランク・シナトラ」などとも言われています。
またイスラエル国内の世俗・宗教という2つの相容れない社会に分裂する前から活躍していた事から、彼のファン層は超世俗派からユダヤ教超正統派までとイスラエルの全ての層に多くのファンが居ます。子供用の歌も多く発表したので、今でも多くの若者が「アリクの曲で育った!!」と言うほど。 なので追悼式典と葬儀には数万人が集まったのですが、そこには超正統派から世俗派、老人から若者までと全ての層がテル・アビブの広場に集結し彼の死を悼みました。 「こんなに幅広い層が、そして超正統派とテル・アビブの世俗派が1つになって喪に服す光景は、イスラエルで最初で最後だろう」とテレビの生中継でも言われていました。
亡くなった翌日と翌々日はもちろん1面を彼が飾り、紙面の数でも新聞の半分がアリク・アインシュタイン関連の記事でした。 〜翌日(左)と翌々日(右)の大手紙1面。翌々日の1面中央には追悼式典で花を捧げる一般参列者の様子が。〜 各界の著名人が哀悼の辞を投稿し、彼の生涯の様々な事件や逸話が記事になっていました。彼は1980年代後半からはテレビへの露出をやめ、レコーディング活動のみの活動となっていました。
公共の場に出ず、セレブになってもテル・アビブの小さなアパートに住んでいたという、謙虚で質素な生活を送っていたという所からもイスラエリーたちは彼から「古き良きイスラエル」を見ていたのだと思います。また記事の上下や左右には彼の代表曲が引用され、テレビやラジオでも彼の曲が2日ほどはずっと流れていたところからも、いかに彼が愛されていたのかが分かりました。
僕のFacebookの友人(もちろん20代)の多くも彼の死を悼む近況を書いたり、彼の曲をシェア―したりなど彼の偉大さを窺い知ることができました。
これを読まれている方の大半が、ヘブライ語は話さないかと思います。なので、彼の曲を深くは理解できないかと思いますが、代表曲を1つ紹介したいと思います。 1980年に発表された「君の羽根の下に僕を入れてくれ」という曲です。ヘブライ語で書くと:
הכניסיניתחת כנפך=ハクニスィーニー・タハットゥ・クナフェフ と長くなります。。。これはハイム・ナフマン・ビアリックというイスラエルの有名な詩人が残した詩で、恋詩です。 愛する人を切望すると同時に、曲の最後に「星には裏切られ、夢も過ぎ去った。私には何もなく、あるのは広大な無だけだ」とあるなど、絶望の詩でもあります。 全て訳す時間も技量も僕にはないので、歌詞の素晴らしさは分かって頂けないかも知れませんが、1度聞いて頂ければ彼の柔らかな歌声にどれだけのイスラエル人が感傷に浸り、また癒されたかがお分かりになって頂けるかと思います。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- その他音楽
|
イスラエルがシリア内戦の負傷者に対して無償治療を行っているという事を、前の記事では紹介しました。
実は今月初めにシリア内戦への医療支援では初となる、シリア人の赤ん坊がイスラエル北部で生まれました。今回はその記事を紹介したいと思います。
内戦勃発後初、シリア人の赤ちゃんがイスラエルで生まれる―
|
シリアからの犠牲者たちに治療を行うイスラエルの医師たち:
|





