|
3つ目は、日本である程度働けたという達成感。
今年はいろいろと僕がイスラエルに居ると言う珍しさからか(笑)、教会に1日呼んで頂いたり、日本のクリスチャンの友達が増え、イスラエルについて去年よりも述べ伝える事ができたかな・神の計画に少し参画できたかな、と自信過剰ではありませんが思っています。ただの留学生とではなく、一信仰者として帰り甲斐があったな、と。信仰者冥利に尽きるな、と感じれた日が幾日かありました。イスラエルでは感じる事のできない「あっ、信仰者として仕事ができてる」って気持ちになれました。今僕はイスラエルに「準備期間」としている訳で、まぁそれ自体が「信仰者として仕事をしてる」という事になるのですが、「これがいずれ役立つんやろうなぁ〜」ぐらいで、日本で感じたようなリアリティーでは未だ感じれていません。
まぁ、そんなこんなで、日本からのフライトでは終始塞ぎ込み、イスラエルで留学するという事の重圧に圧倒され、イスラエルに戻るという事に対して尻込みしていました。。。
ただそんな時に、今回の帰国で仲良くなったクリスチャンの友人(姉妹)とのFacebookでのチャットを思い出しました。そのチャットで僕は、
「信仰って何かを信じる事をもちろんですが、神に全てを『預け切る』って事のような気がするんですよね。神は僕らを創られた方、なんで僕らの能力・ポテンシャルを作られた僕ら以上に知っていて。能力なんかを全て知った上で、僕ら1人1人に召しや働き場を与えられてるんで、安心したらいいんじゃないかな〜。」と彼女に言いました。
えらそうなにそれを言った自分が、言った事をすっかり忘れて機中で(信仰という)路頭に迷ってました。。。そうだ、安心して与えられた働き場でやってったらええんや!!自分が言った事やん!!
と、落ち着いてから自分に対して苦笑してしまいました。。。
イスラエル、そしてメシアニック・ジューの重要性を寄せて頂いた教会や超教派の集会(うちの母教会主催の)などで話させてもらったのですが、言った事で自分への再確認の作業ができるんですよね。なので、チャットした彼女には感謝しています。
聖書をどれだけ読み込み・知っているかは信仰者としてとても重要な事ですが、「生きた信仰・信仰の実践」とはこういう場で神にどれだけ預け切る事ができるかだと思っています。
神に委ね切った・預け切ったからって今の働き場(イスラエルで)全てが成功する訳ではありません。神が僕の方向を変えるため、成績や金銭問題という壁に僕をぶつからせるかも知れません。でも、それまでは今与えられた働き場で神に預け・委ね切って、まっすぐ走ったらいいんです。
「安心しろ。自分を創ってポテンシャルを全部知った上で、神は召しを与えられてはるんやから。」
多分今年も、この言葉を日々言い聞かせて贈る年になりそうです。
いよいよ、来週の日曜日から新年度、大学です。
2010.10.07
管理人、テル
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年10月08日
全1ページ
[1]
|
イスラエルの「我が家」に到着してほぼ2日。
時差ボケもほぼ治り、今は気分的にも落ち着いてきました。
「今は」という言葉を使いましたが、イスラエルへ向かう機中(特に関空-フランクフルト間)では憂鬱で、チョット塞ぎ込んでいました。フランクフルトで6・7時間あったので、少し冷静に自分の中で気持ちを整理する事ができ、イスラエルの空港を出てエルサレムに入った時には懐かしさを感じられるぐらい、イスラエル・モードに切り替える事ができていました。
なんでそんなにも憂鬱で塞ぎ込んだ気持ちだったのか??
フランクフルトでの6・7時間の間に考えていたのですが、少なくとも3つ理由があったと感じています。
1つ目は、単純な故郷を去る時に感じる祖国への惜別の念。
いくらイスラエリーの友人や日本の兄弟姉妹・友人に「テルはほんまもう、イスラエリーって/向こうに馴染んでる感じやね。」と言われても、僕のアイデンティティーや最後の部分までイスラエルに売った訳ではありません。僕は、僕が日本人だという事、日本に生まれ育った事を誇りに思っていますし、祖国日本を忘れ去った事は一瞬たりともありません。
イスラエルでも居心地は(言語の上達とともに)格段に良くなってはきていますが、1月日本に居て感じた事は「やっぱり、日本ええわぁ〜」。外国に行って、染まって帰って「日本って嫌な・居づらい国やなぁ〜」なんて言う人間に僕は軽い嫌悪感を抱いてしまうのです(笑)。
2つ目は、「知って行く」という恐怖感。
去年もある程度感じたのですが、去年はインターナショナル・スクールを終わって大学入学前という事で、「ヘブライ語で全て学ぶ」という事がどれほど若者風に言うと「キツイ」かという事に対して僕は無知でした。困難だという事は当然頭では分かっていましたが、ヘブライ語が母語ではない友達に囲まれていたインターナショナル・スクールでは「ほんまにナチュラル・スピードなヘブライ語で行われる授業」というのは当然のことながら皆無でした。ある意味、無知って強いなって思います。無知だからこそ、訳も分からず飛び込めたんです。
その点、今年はその「キツさ」を分かった上で飛び込むので・・・しかも今年からは宗教学のキリスト教専攻というメジャーを取ったので絶対量が2倍。。。冷静に考えると「全講座で合格ラインの60%取れるかな・・・」と、いくら僕が明るい心境に居てもこの現実だけで僕の心をKOするには十分です(笑)
〜記事が思いのほか長くなったので、つづきは次の記事へ〜
|
全1ページ
[1]





