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昨日、やっと最初の試験を終えてきました。「シナゴグとユダヤ美術」というコースの試験でした。
この授業、なかなか面白いんです。
実はクラシック考古学(ヘレニズム〜ビザンチン時代)を専攻するようになってから、新約聖書を文献として扱う授業が増えてきているんです。新約聖書は、ヨセフス・フラウビウス(Josephus Flavius)と共に、第二神殿時代の立派な歴史的文献として挙げられています。なので、このシナゴグを扱うこのコースでも第二神殿時代のシナゴグを取り扱う文献としてイエスがシナゴグで説教をした箇所が何度か出てきまた。
またもう1つの面白い点として、ビザンチン時代の教会(教会建築で考えれば初期)とその時代のシナゴグがかなり似ているというのが発見できたことです。今日はそれについてお話したいと思います。
神殿がまだエルサレムにあった1世紀初め、シナゴグは宗教的な建物というよりも地域共同体の建物、コミュニティー・センターのようなものでした。もちろん安息日のシャバット(土曜)には礼拝が行われてはいましたが、トーラー・スクロールは置かれていませんでしたし、シナゴグがエルサレムの方に向いているという今のシナゴグの常識も当時は存在していませんでした。シナゴグは宗教的な場所であると共に、町内会のような政治的・自治会的な場所でもあったのです。
しかし神殿が崩壊した70年以降、シナゴグはコミュニティー・センターから今のシナゴグのような「ユダヤ教の建物」という宗教色を強めていきます。神殿というユダヤ教のよりどころを失った彼らは、シナゴグを擬似神殿・神殿を準えたものとし、町内会のような世俗的な活動はされなくなり、シナゴグが「神聖な場所」と化していったのです。このような思想の変化と共に、シナゴグも宗教的なユダヤ築物として独自の建築・装飾スタイルが確立されていきます。
しかしシナゴグから生まれたキリスト教の教会がビザンチン時代に入り発展していくと、教会建築の要素がシナゴグに逆輸入されていきました。それまでのユダヤ教は偶像崇拝の点から、人物を描いた美術(Figurative art)は固く禁じられ、シナゴグ内の装飾もすべて幾何学模様や植物・建築物(主に神殿)等でした。それが聖書の物語や人物などを取り入れたビザンチンの教会がどんどんと増えていくにつれ、そのシナゴグもその波から逃れられなくなっていきます。
その1つの例がこちら。
琴を奏でるダビデ。右がシナゴグ、左が教会で共にビザンチン時代初期のものです。
もう1つがこちら。
こちらは一般の信者が座る場所とリーダーや長老などの指導する立場の人たちが座る場所を分けるためのプレートです。シナゴグではメノラ(燭台)、教会では十字架が彫られていますが、先ほどの床のモザイクと同様構図はほとんど同じです。それまでユダヤ教のシナゴグでは一般信徒と指導者層が別の場所に座るという考えは確立されていなかったのですが、ビザンチンの教会の影響でシナゴグでも座る場所を分けるという習慣が生まれたのかも知れないと推測されています。
このように、シナゴグなどのユダヤ教から教会・キリスト教が見えてくる。
これがクラシック考古学の醍醐味です。
また興味深い発見があったら、また投稿したいと思います。
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