イスラエル、バラガン日記

イスラエルに留学している大学生のブログです。

二十一の信仰日記

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メシアニック・ジューの事、聖書の事。
思った事、聞いた事などを書いていきます。
ここは「たんなる日記」とは違い、お堅いネタを展開していきたいと思います。
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僕はイスラエルで祭がある時はたいていユダヤ教正統派のサイトを見て、いろいろと勉強するように習慣づけています。
今回のヨム・キプールでも面白い記事を2つ見つけました。
 
1つ目の記事は「なぜ、ヨム・キプールの日にはヨナ書を読むのか」というもの。
その記事の中に書かれていた理由は2つ。
1つめ:                      
ヨナ書は神の手(御手)を超えられるものはいないという事をわれわれに教えている。ヨナが必死に神から逃げようとしたが神の摂理から逃れる事ができなかったように、私たちも(犯した罪への)神の裁きから逃れる事はできない。
 
2つめ:
神はニネベの人々を滅ぼすと宣言したが、神は最後に彼らを許された。この事が私たちに「過去のふるまいや態度がどうであれ、心から悔い改めれば、神の慈悲と憐れみに預かる事ができる」という事を教えてくれる。
 


そして2つ目の記事は「なぜヨム・キプールの日には、革製品を身につけないのか」というもの。
記事の中にはまずレビ記16章29節に書かれている「身を悩ます」という事をするユダヤ教的な意味から書かれていました。ラビ的見解によれば「身を悩ます」という事は贅沢をしないという事で、革の靴やコートなどを身に付けることは身を悩ます事に反する贅沢に当たるらしいのです。
 
革を身につけたり靴として革靴を履いたりという事は、テクノロジーの発展で他の素材が見つかるまでは一番着心地・履き心地がよく、高価な素材でした。
これと同じ理由で、ティシャ・ベアブというエルサレム神殿(第1・第2)が崩壊した日に宗教的な人は断食するのですが、この日も断食する人は革を身につけないのが習慣になっています。
 
もう1つの理由は、革を身に付けるという事がアダムとエバが犯した罪を連想させるからというもの。原罪によって神が2人をエデンの園から追放した時、神は革の着物を作ってアダムとエバに着させました(創世記3:21)。あがないの日であるヨム・キプールに、罪について連想させる事を極力避けるためにユダヤ人はこの日、革でできたものを身に付けないようです。ヨム・キプールの日に金を身に付けないのもこれと同じ理由、金の子牛での罪を思い出さないようにするためみたいです。
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〜上記の理由から、イスラエルではCrocsがヨム・キプールでの一般的な履物になっています〜
実は先週の週末(11・12)と東京の方に行っていました。
土曜日は僕の母教会の超教派の集会で、そして日曜日は川崎のある教会のほうに呼んでいただいて、イスラエルの現状やイエスを信じるユダヤ人(メシアニック・ジュー)について話せる機会を与えられました。
 
日曜日に寄せていただいた教会では、いろいろと教会の老若男女いろいろな人と礼拝後にフェローシップが持て、すばらしい日曜日でした。
母教会ですらきちんとした場でメッセージを語った事がないので、報告が中心ではありましたが1日4セッション(各約20〜40分:礼拝3回・Kids1回)はカナリ体力的にはきつかったです。ただ夕方の礼拝が終わった後は疲労感よりも、充実感の方が断然大きかったです。
「イスラエルに対して祈ってもらいたい」という一心で話すことができたのが良かったのだと思っています。
 
また、副牧師の方が僕のプレゼンの後に「イスラエルのために祈る」というテーマでメッセージをされたのですが、そのメッセージがすごく上手く僕が言った事を使って下さったり、言えてなかった角度から話して下さったり。自分でも言うのも変ですが、コンビ的によかったなと*
副牧師の先生に、そして何よりうまく僕たち2人を使って下さった神に、感謝しています。
 
教会のいろいろな方に僕は褒めて頂いたのですがそこは神です。教会からの帰り道におごりそうだった僕にキチンと釘を刺さはりました(まぁ、それはこの場では書かんときます笑”)。
また、帰った後に家族に「やっぱり『神がイスラエルに居るというだけでも使われる』という意味が分かったわぁ〜」と言うと母がすかさず、
「勘違いしんとき。あんたが偉いんちゃうで!!」と・・・
 
さすがそこはイスラエルとともに歩んでいる神、念入りにも僕が調子に乗らないよう何度も用意をされていました。イスラエルの神は僕がおだてれば簡単に調子に乗ってしまう、「おっちょこちょい」な僕を知っておられます。笑
 
とにかく、イスラエルに対しての目が少しでも・1人でも多く開かれたのならば、僕が京都から東京まで行った意味はあったと思っています。
イスラエルのために祈る、これが一過性のもの・ブームに終わらないように、そしてイスラエルに対して祈るのがキリスト教内で当たり前の事になるように。そのために自分はこれから何ができるのか、それについて今考えています。
 
より多くの教会で、イスラエルへの目が開かれるように。
 
管理人、テル。


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芸人と信仰者

芸人と聞くとみなさんどんなイメージを抱かれるでしょうか??
金、女、酒。
 
どちらかと汚いと言うか、「俗」なイメージを持たれると思います。「芸人はやっぱ私生活もムチャクチャしてなあかん」みたいなイメージが芸人の中でも、僕らの一般的なイメージでもありますよね。
なので、「芸人と信仰者」はどちらかと言うと対義語であまりリンクしない感じがありますよね。
 
ただ、僕は最近すごく芸人と信仰者というものの共通点と言うか、似ているなぁ〜と。
 
実はヘブライ大学の本学の方で去年の10月から学び始めての1月2月の間、真剣に「ホンマ大学行くん、やめたろかなぁ」思ってました。それまでの1年はヘブライ大学のインターナショナルスクール・予科(メヒナ)の方で語学の勉強が中心なので比較的うまい事いってました。
 
ただ、本学の方の考古学が始まると・・・ホンマ分からへん、ちんぷんかんぷんな状態に陥りました。今のように授業の詳細の内容が分からないと言うより、何について話しているかすら分からない。ホンマにレクチャーの1時間半の間、ノートを開けて鉛筆を持って、何の板書もできずに口ぽっかーんって感じでした。最初の1週間を終えて週末に1人で家に居ると、ず〜っと大学に行かへんような言い訳を考えてる。ホンマ、大学サボったろか・辞めたろか!!って本気で思いました。
 
そこで「1日の最後は笑って寝よう」と思い、寝る前にyoutubeで漫才のビデオを漫才を観て寝るようにしました。僕は京都なんでチュートリアルとブラックマヨネーズの漫才ビデオばっかり観ていました。そうすると心なしか前よりもぐっすり寝れるようになりました。ただ、僕のアパートから大学に行くバスの中は45分から1時間あるんですが、大学が近づくにつれてテンションが下がってお腹が痛くなってくるというのは変わらず。そこでバスの中でもiPodで漫才を観始めました。
 
そうして、チュートリアルとブラマヨの漫才に助けられ、僕は不登校にもならず今は結構友達もできて考古学部に馴染む事ができています。イスラエルの友達も今は結構できています。
 
ザ・ハイロウズ(THE HIGH-LOWS)の名曲、「日曜日よりの使者」という曲にはこんなエピソードがあります。ブルーハーツを解散してザ・ハイロウズを結成した甲本ヒロトは当初、落ち込んで自殺を真剣に考えていたのですが、ふと見たダウンタウンの番組(日曜日)で思わず笑っていまい、自分がまだ笑えることに気づき、自殺を踏みとどまったらしいです。それでできたのがこの、「日曜日よりの使者」。
 
この他にも、本気で自殺を考えていたけど寄席や劇場、テレビなどで芸人に笑わされて自殺を思いとどまった人は結構いると思います。そんな彼らからすれば、お笑いに命を救われた訳です。
 
僕も(チュートリアル・ブラマヨ)芸人達にホント救われました。
 
人を救う ―
そういう視点で考えると、僕は芸人という職業がスゴク神々しく、素晴らしい職業だなと思えてきます。お笑いも信仰も「人に生きる希望を与える・人を救う」という、理想はある意味同じだと思います。笑いが人を救うのは一時的なものですが、信仰による救いはより永続的なゆるぎないもの。
 
ある意味、
信仰は究極のお笑い、
信仰者は究極のお笑い芸人だ!!
 
この前の記事で「信仰とは神との掛け合い漫才である。」と言いましたが、それと関連して最近はそんな事を考えています。
 
 
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イスラエルに住んでちょうど2年が経ち、日本のニュースにも疎くなっている僕。
最近、僕のお気に入りブログにもなっているだいすけさんのブログで『S-1グランプリ』について知りました。
今回はそのことについて僕なりに思った事を書いていきたいと思います。
 
M-1は若手芸人発掘や、島田伸介やダウンタウンの松本一志などの漫才に対する熱いものなどが感じられ、僕は有意義なコンテストだと思っています。
ただ、このS-1というものに対しては何のコンセプトも感じられず、ただのソフトバンク(孫社長)がお笑いバブルに乗っかってつくった「金に物を言わした」大会としか思えません。
 
ただ、優勝し1億円を獲得したNON STYLEを批判するのは間違いだと思います。
M-1を獲っている彼らは、客観的におもしろいのです。(僕がファンだという事ではありませんが苦笑")
お笑い芸人として、当たり前の事をし、結果的に(ある意味たまたま)彼らが優勝し、1億円を取ったわけですから。
全ての批判はソフトバンクに対してだけであるべきだ、というのが僕の考えです。
 
ただ、優勝の1億円の使い道の記事を見て、「(一部であっても)どこかに寄付したい」という言葉が出てこないのには、仕方ない事ですが残念に思いました。NON STYLEにではなく、寄付と言う行為がなかなか定着してない日本の社会に対してです。
 
欧米では寄付と言うのが『チャリティー』としてセレブリティのステータスの1つになっています。
ユダヤ教やイスラム教でもツェダカ(ユダヤ教)やサダカ(イスラム教)という寄付が一般化しています。
仏教でも喜捨と言うのがあるので、日本でももう少し寄付やチャリティーが定着していてもいいはずなんですが・・・
 
日本の現状は、ご覧のとおり。
芸能人がユニセフかどこかに大きな寄付をしたと言う話を聞く事もなければ、チャリティー番組の24時間テレビにもがっつりギャラが出ている始末。海外ではチャリティー番組ではノーギャラが一般的、明石家さんまがノーギャラ出演を制作サイドに拒否され出演辞退となった話は有名ですし、ビートたけしもノーギャラでないことを批判しているみたいです。
 
彼らの、僕に言わせれば『英雄的行為』がマスコミで大きく取り上げられる事もなく、世論も彼らに賛同し番組批判をするでもなく「24時間テレビのギャラが出ている??まぁ、テレビやし。しゃあないんちゃう??」と言ってゆったり構えてる。
 
やはり宗教に対して無関心な日本ではこんなかんじなのでしょうか??
ただ僕は逆にこれはチャンスだと思っています。
 
もし自分がクリスチャンだと声を大にして公言し、活動する芸能人やアーティストが現れ、日本の芸能界の中で積極的にチャリティーを行ったら・・・もしかしたら、日本社会に風穴を開ける事ができるかもしれません。クリスチャン人口が1%だという(ベルリンの)壁を壊す事ができるかもしれません。
 
僕たち、クリスチャン1人1人が信仰を実践し、生き様を周りの人に見せいい影響を及ぼす。
これが信仰のホントの形。ただ、やはり社会の中で影響力のある人たちがそれを行えば、「あんな生き方かっこいい!!」ってキリスト教に、聖書に、そして神に対し目を開き始める人たちが、僕たち1人の影響力では考えられないような人数出てくるはずです。
 
 
 <結論>
S-1グランプリからは話が完全に逸れてしまいましたが・・・苦笑"
寄付やチャリティーという言葉がしっくり来ていない、または(24時間テレビやホワイトバンドのように)履き違われている今の日本の状況は、非常に悲しい状況です。
ただ、チャリティー・寄付というアイデアと共に聖書が日本文化に入り、浸透し始めたら・・・みなさんも日本人の新しいものを取り入れるスピードは日本史の時間で習っているので分かるはずでしょう。
 
キリスト教内の革命は「イスラエル」から。
そして、日本のリバイバルは、寄付と言うアイデアから始まるかも知れません。
 
近いうちに「寄付したいと思います」という言葉をセレブリティから聞く日が来るよう祈って・・・
 
テル
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信仰とは・・・

もうすぐ21歳になる信仰者がイスラエルよりお届けする、信仰日記。

信仰とは、神との掛け合い漫才である。


どれだけ聖書を読み込んでいて、どれだけ聖書について論じれるか。
それらはとても重要だとは思いますが、それは信仰ではなく信仰を強化してくれるものにすぎません。
「聖書に精通している=信仰ができている」という方程式は僕の考えでは成立しません。聖書に精通しているだけだったらそれは単なる聖書学者。

では信仰とは何か??と言えば、「どれだけ神を実感できるか」だと僕は思います。
日々の生活の中で、どれだけ神を感じ、それを「神」と名付け、神と共に生きていると思えるか。
それが信仰。

聖書の知識もユダヤ的な聖書の見方やその他もろもろは、とても大切な事ではありますが僕たちの信仰を強めてくれるものに過ぎず、神を感じる事ができてはじめて生きてくるものだと思います。

神は365日24時間、年中無休いろいろなかたちで僕たちの前に御自身を現されています。
他人を通してであったり、自然現象や時には奇跡的なかたち。かたちは色々ありますが、神は常に僕たちに対して姿を見せられて、メッセージを常に送られています。
僕たちはそれにどれだけ反応し、それを神だと感じ、神と生きる事ができるか。

そんな事を考えると、なんとなく漫才と似てるなぁ〜っと最近思えて来ています。
信仰とは神がボケで、僕たちはツッコミのしゃべくり漫才ではないか。

神から常に発せられるのボケ(メッセージ)を、ツッコミである僕らはどれだけ拾えるか。
神からのボケだと言う事に気付き、どれだけそれに対していいツッコミができるか。

神という最高のボケの、最高の相方、最高のツッコミになれるかどうか。
それが信仰ではないかな。

21歳にもなって、「信仰=漫才」なんて子供っぽいと思われるかも知れませんが。
最近、結構真剣に信仰と漫才って似てるんじゃないかなぁと思っています笑"

テル
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