二十一の信仰日記
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メシアニック・ジューの事、聖書の事。
思った事、聞いた事などを書いていきます。
ここは「たんなる日記」とは違い、お堅いネタを展開していきたいと思います。
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10:22 そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。 10:23 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。 10:24 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。 10:25 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。 10:26 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。 10:27 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 10:28 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。 10:29 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。 10:30 わたしと父とは一つである」。 [ヨハネによる福音書 10章22節〜30節] 22節に書かれている、冬の宮きよめの祭り。実はこれ、ハヌカの事なんです。 あまり知られていませんが、新約聖書はハヌカについて書かれている書物の中で最も古いものの1つなんです。これはミシュナやタルムードなどのユダヤ文献が書かれるよりももっと前の事です。 ハヌカはユダヤ教の祭りなんですが、タナハ(ユダヤ人にとっての聖書)には書かれていません。ハヌカで祝うマカバイ戦争がタナハの成立後の出来事だからです。しかし、クリスチャンにとっては聖書である新約聖書にはハヌカについて書かれていて、イエスも祝ったと書いてあります。 そういう意味で、ハヌカはユダヤ教の祭りの中でも少し変わったお祭りです。 引用したところからも分かるとおり、イエスはハヌカという光の祭りの時に自分がメシア性を言い表しました。またその少し前、8章でイエスは自分が「世の光」であると言っています。 世の光であるイエスが、光を祝う祭り「ハヌカ」で自分がメシアである事・世の光である事を(ほぼ明確に)宣言しました。 ユダヤ的視点を使いハヌカとこの箇所が繋がると、より深い聖書の読み方ができるかもしれません。
ハヌカはスフガニヤや油料理を食べたり。楽しい祭りでもありますが、ユダヤ人、そして異邦人クリスチャンの私たちにとっても意義深い祭りなのです。 |
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こうしてイスラエルに来て、考古学を学んで。 考古学ってメッチャ広い学問やなぁ〜って思います。 (年齢的には祖父ですが)僕のイスラエルでの父親みたいな存在の人に、 「考古学は全てを含んでいるから」 と歴史を学ぶか考古学を学ぶかを迷っていた僕に言ってくれたその言葉が、だんだん今になって分ってきました。 例えば、今取っているコースの1つに「ギリシャ考古学入門」というのがあります。 ここでは、ドーリア・イオニア・コリント式などの建築を学んだり。陶器や彫刻などの美術を学んだり。もちろん歴史も。 それに、教授のレクチャーではないインストラクションの方ではギリシャ神話をついこの前まで習っていました。 この前新約聖書を読んでいてこんな箇所がありました。 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。 彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘルメスと呼んだ。 使徒行伝 14章11〜12節ゼウスはギリシャ神話の中の主神。 ヘルメスは旅や泥棒、商業に羊飼いの神です。その一方、ヘルメスはゼウスをはじめ神々の使者・伝令役、メッセンジャーを務めていたと言われています。 なので、語るパウロはギリシャ神話にのっとり「ヘルメス」と呼ばれたのです。 さぁ〜っと読んでしまったらそれまでの事です。 しかし、こういう1つ1つの積み重ねが聖書と私たちとの距離を縮めてくれるのだと思います。 そういう意味で、考古学を分らないながらもレクチャー聴いて、板書ファイルもらって週末復習して。
やってて意味はあるんだなぁ〜と思ってます。 考古学の建物にはところどころ、こうして発掘物が展示されていたり、発掘記録の写真が貼られていたりします。 |
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ヘブライ語は近年乱れてきていると叫ばれていますが、 さすが聖書が書かれた言語。 ウルパンでヘブライ語を学ぶと聖書との関連を感じ、なかなか面白い時があります。 このまえは「להגר(レハゲル)」という動詞を勉強しました。 意味は「(他国へ)移住・移民する」と言う意味で、語根は「הגר(H.G.R)」の3文字なのですが・・・ この「הגר」、聖書の登場人物の1人なんです。 それは、アブラハムの妻サラのつかえめハガル。 ハガルはイシマエルを身ごもってから、サラを見下すようになったので、 サラがハガイを苦しめるようになったので彼女はアブラハムのもとを去りました。 またサラがついに身ごもりイサクを生んだ後、イシュマエルはイサクをからかうようになり、 サラはハガルとイシマエルを追い出すようにアブラハムに願いました。 神がサラの懇願を聞き入れるように命じると、アブラハムはハガルに食料を与えて去らせました。 2回も国を去ったハガルの3文字、「הגר」が「(他国へ)移住・移民する」という語根になっている。 ウルパンの授業はつまらなく、 「こんなノート取るなら、友達からもらった考古学の授業のノート見とくゎっ!!」 って感じですが、ここだけはおもしろかったのでバッチリ板書してきました** イサク(יצחק:イツハク)は「彼は笑うだろう(未来形)」、 イシマエル(ישמעאל)は、ישמע(イシュマァ:聞くだろう)・אל(エル:神)→「神は聞くだろう」。 こんな意味が聖書学者でも、ヘブライ語に精通している訳でもない、 ヘブライ語初心者の人間の僕でも分かる事ができます。 意味はwikipediaや本などを見たら分かります。 ただ、自分で「(言語的に)あっ、ホンマにそうなんや」って分かるのと本でただ知ったのとでは、 知った後の聖書の登場人物との距離感が少し違ってくると思います。 そういう意味で、
ヘブライ語を少し(かじる程度)でも学ぶ事は、聖書を読むうえで何かしら意味はあると思います。 |





