|
Parashat ha-Shavua(パラシャット ハ・シャブア)とは:
ユダヤ教で安息日ごとにシナゴグの礼拝において読むトーラーの箇所の事です。略して「パラシャ」などとも呼ばれています。
今週のパラシャは、申命記16章18節から21章9節。
ショフティームと呼ばれる箇所です。ショフティームとは英語ではJudges/Justices。
その名の通り、今週のパラシャには裁きなどに関する事が事細かに記されています。
大まかに言うと・・・
・人を裁く際には最低2人の証人が必要である事
・偶像崇拝や魔術などへの重ねての禁制
・王を立てた時の王のあるべき姿
・のがれの町(過失の殺人を犯した者が逃げ隠れる町)について
・戦争の時に関する規則
などです。
ここの箇所を読んだり、HPやラジオ放送などを聴いて僕が印象に残った箇所を少し書きたいと思います。
それは申命記18章13節です。
−あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。
(口語訳)
この箇所は日本語訳の聖書では「全き」と言う言葉が使われています。しかしヘブライ語で見てみると、「全き」というよりかはnaive・simple、日本語で言うと「単純に・素朴に」と言う言葉がより原語に近いようです。
ラシ(11〜12世紀にかけての著名なラビ)の注解書によると、神が求めている事は・・・
・未来の事を神に尋ねたり気にするのではなく、シンプルさ(素朴さ)を持って神を信頼する。
・そして、シンプル(素朴)さを持って起こった事を全て受け入れる。
そうすれば神と共にいることができる。と言うのがラシの注解です。
この節を、そしてラシの注解を見事に体現したのがイエスだと思います。
イエスはゲッセマネの所でも見て取れるように、迷いが全くなかった訳ではありません。しかし彼は十字架と言う事実を見事なまでに受け入れました。
僕達にはいろいろな問題が日々の生活の中にあります。「明日はどうなんだろう・・・」と嘆く事もあります。しかし神が求めている事は、未来に目を向けるではなく、神を単純に信頼する事。そして、起こった事を受け入れる事。
申命記の18章13節。
これはユダヤ人に与えられた律法・旧約聖書だけにはとどまらず、僕達にも与えられているものです。そして、イエスも実行したことでもあり、この節をはじめて体現した人物こそイエスだと言えるでしょう。
イエスが行った十字架の根本にあるのは、「単純に神を信頼し、受け入れる」という事です。彼は本当に父と子のように神を信頼し、十字架を受け入れました。
私達もイエスと同じように毎日の生活の中で、十字架を負い続けています。
また負い続けなければいけないのです。
シンプルに、未来を気にせず神をその場で信頼しきる事によって。
そして起こった(神が与えた)事を受け入れる事によって。
|