イスラエル、バラガン日記

イスラエルに留学している大学生のブログです。

二十一の信仰日記

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メシアニック・ジューの事、聖書の事。
思った事、聞いた事などを書いていきます。
ここは「たんなる日記」とは違い、お堅いネタを展開していきたいと思います。
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7月2日のテロに思う。

知らない方はこちら

久し振りのテロですね。こっちの最新情報では、死者は人とのことでした。
エルサレムの中心街と報じられていますが、これはジャッファ(ヤッホ)通りと言って市街地では1番大きい幹線道路です。
テロのあった時、私はちょうどイスラエルに来ていた父ともう1人の集会員の人と一緒にタクシーで街の郊外から市街地に向かっていました。
ラジオを聴いていた運転手がいきなり、「テロが起こった、道が封鎖されるからここで降りてくれ」と言われて街の入り口からてくてくと歩いていく事になりました。
そしてちょうどテロの現場の近くを通ったので写真をいくつか載せておきます。

イメージ 2

ー現場から200mほどの場所。道は封鎖され、立ち入り禁止になっています。ー

イメージ 1

ー道が封鎖されたので警察官が車を誘導しています。みな、自分たちの目的地にどうやって行くのかを警官に聞いていますー

イメージ 3

ーテロの現場。グチャグチャになった自動車が見えます。ー

yahooのニュースへのコメント欄を見て、思った事があったので。
ここで書きたいと思います。

何が言いたいかというと、イスラエルに過剰なほど批判的なコメントがあったので。こっちに住んでる私の目から見て、そして兵役に行った(今でも行っている)友人の話などをまとめて反論をしたいと思っています。

気になったのが、「イスラエルは石を投げた子供をいきなり自動小銃で撃つ国ですから」と言う発言。
武器もなく、石を投げるパレスチナ、それを容赦なく自動小銃で射殺するイスラエル。典型的なパターンですね。
でも実は、イスラエル国防軍が撃っているの、実弾ではなくゴム弾です。しかも威嚇射撃です。兵役に行った友人いわく「ゴム弾だと向こうも分かっているので、全く怖がられない」との事。
それに、武器がないパレスチナとか思われていますが・・・ガザ地区からはロケット弾がイスラエルに撃ち込まれているのが現実です。最近はマシなようですが、一時は毎日何十発単位の数が撃ちこまれていたのです。


私は別にパレスチナを悪だとは言いませんし、イスラエル軍にももちろん落ち度はあります。
しかし、イスラエル軍はキチンとした人道的な国防軍だということを知っていただきたいと思います。

国防軍の兵士が実弾でパレスチナを発砲するときは数ステップの手続きが必要なのです。今から話すのは国防軍でスナイパー(狙撃兵)をしている友人からの話です。
アラブ人がイスラエル軍に攻撃しようと接近しているのに彼が気付いた時は、無線でリーダーに連絡し発砲の手続きをするよう伝えます。するとそのリーダーが軍の幹部に連絡をし、またその幹部が上の幹部に連絡をする・・・結局発砲の許可が下りる頃には逃げられている場合がほとんどのようです。
発砲の許可が下りた時も、日本の警察と同じように極力足などの下の部分を撃つように命令されているようです。

その上、銃撃戦などがあった時にパレスチナ側の怪我をした兵士もイスラエルの病院に運ばれ、ユダヤ人の税金によって治療されるのです。
イスラエルは国防軍との名前の通り、基本的に自衛行動しかしていません。

パレスチナとの分離壁も決して褒められたものではありませんが、ロケット弾・テロリストの侵入などを考えたら理解を示す余地は多分にあると思います。

このブログのトップページでもお話したように、私は今イスラエルに聖書を学ぶために留学しています。
なぜイスラエルなのか、その答えには簡単に答えられます。
イスラエルが聖書の国だからです。
創世記に始まる旧約聖書は、イスラエル・ユダヤ人の歴史について書かれたものです。それだけだと言っても過言ではありません。そして新約聖書も決して例外ではありません。
まず、新約聖書で1番重要な人物は誰ですか??こう聞けば、誰もが「イエス」と言うでしょう。全くもってその通りです。
では、イエスはどこの人ですか??イエスは生粋のユダヤ人です、彼は生涯のほとんどをイスラエルで過ごしています。
新約聖書のほかの書簡を読んでも、イエスと切り離せる書簡はありません。
イエスと切り離せない、と言う事は「イスラエル・ユダヤ人」と切り離せないと言う事なのです。

これで、聖書とイスラエル・ユダヤ人が切り離せない事がお分かりいただけたでしょう。

しかし、キリスト教のほとんどはイスラエルやユダヤ人をあまり取り上げたがりません。なぜでしょうか??
その理由は、「置換ちかん神学」または「置き換え神学」と言われる神学です。

置換神学とは、聖書に幾度となく書かれているユダヤ民族に対する神の恵の祝福またその約束は、ユダヤ人のイエス拒絶〜十字架に架けたという罪の故に、ユダヤ人からキリスト教会が相続し、ユダヤ人は神の選民と言う立場を剥奪されたという理解です。簡単に言うと、ユダヤ人への祝福について書かれているところを全部クリスチャンの事として読もう、と言う訳です。
実はこの置換神学がキリスト教会の主流であり、この神学が反ユダヤ主義に繋がっていくのは、皆さん察しがつかれているかも知れません。
この神学の根拠には使徒行伝の最後の部分の箇所などが上げられるのだろうと思うのですが。

しかし、神はユダヤ人を決して捨てられてはいません。
ここでは、置換神学の反論を私なりに展開したいと思います。

もう一度言いますが、神はユダヤ人を捨てられてはいません。彼らは昔も今もこれからも、神の民であり選民です。
それは、ユダヤ人が優秀だったり他の民族よりもハンサムや美女が多いなど容姿が勝ってるからでもありません。神は神御自身の御名のためにも決してユダヤ人を捨てられはしないのです。エゼキエル書の36章をお読みになれば分かって頂けるのではないかと思います。

エゼ 36:21
 しかしわたしはイスラエルの家が、その行くところの諸国民の中で汚したわが聖なる名を惜しんだ。
エゼ 36:22
 それゆえ、あなたはイスラエルの家に言え。主なる神はこう言われる、イスラエルの家よ、わたしがすることはあなたがたのためではない。それはあなたがたが行った諸国民の中で汚した、わが聖なる名のためである。

ここには「わが聖なる名のためである」と明記されています。この2節でお分かりのように、神は御自身の御名にかけてユダヤ人を捨てられる事はないのです。御自身の御名にかけて、ユダヤ人の選民の立場を剥奪しクリスチャンに与える事はされないのです。

また、サムエル記上の12章にはこう書かれています。

サム上 12:22
 主は、その大いなる名のゆえに、その民を捨てられないであろう。主が、あなたがたを自分の民とすることを良しとされるからである。

ここでも、神は御自身の御名のためにイスラエルの民を捨てられないと書かれています。
2000年間の離散を経験しても、ユダヤ人は神の民であり続けるのです。

置換神学と言うものが、これらの聖書の箇所と矛盾しているのは明白です。

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今年でイスラエルの建国から60年間が経ちました。
そろそろ、キリスト教全体がイスラエルに対して目を開きだしてもいい頃でしょう。
イスラエルに対して目を開くと言う事、それはすなわち神の御名、そして神に正しく目を開くと言う事なのですから。

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