イスラエル、バラガン日記

イスラエルに留学している大学生のブログです。

たんなる日記

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文字通り、普通の日記です。
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前の記事でハヌカの祭り関連の記事を書きたいと言っていたところなんですが。イスラエルで最も有名で、僕も大好きだった歌手が23日前に亡くなられたので彼について今回は書きたいなと。。。



1126日深夜、歌手のアリク・アインシュタインさんが亡くなられました。74歳でした。

アリクはイスラエル建国前の1939年、テル・アビブで生まれました。生涯で40枚以上のアルバムを世に送り出し、数多くのテレビ番組に出演し、また俳優としても多くのドラマに出演しました。彼の人気がでたのは1960年代は、イスラエルが建国からまだ約10年と若く、自分たちのアイデンティティーを模索している時代でした。そんななか彼は数多くの曲を世に送り出し、イスラエルに住むユダヤ人としてのアイデンティティーを築いた人物の1人だと言われています。

 

ある音楽評論家は「アリク・アインシュタインはイスラエル一の歌手以上の存在だった。アインシュタインこそ真のイスラエルの地なのだ」と評しています。

またネタニヤフ首相は翌日にテル・アビブの大広場で行われた追悼式典で演説し「アリク・アインシュタインはイスラエルのサウンドトラックだ。彼について話す時、私たちはイスラエルの地について話しているのだ。」と述べました。

シモン・ペレス大統領も翌日の新聞に次のような追悼の投稿を寄せました。「私は彼の歌が大好きだ。皆も分かっているだろうが、彼のような人物は今までもこれからも出てこないだろう」

 

半世紀もイスラエルを代表する歌手であった事と、彼がイスラエルという国が形成される前から国中に愛されていたという事から、彼は「イスラエル現代音楽の父」や「イスラエルのフランク・シナトラ」などとも言われています。

 

またイスラエル国内の世俗・宗教という2つの相容れない社会に分裂する前から活躍していた事から、彼のファン層は超世俗派からユダヤ教超正統派までとイスラエルの全ての層に多くのファンが居ます。子供用の歌も多く発表したので、今でも多くの若者が「アリクの曲で育った!!」と言うほど。

なので追悼式典と葬儀には数万人が集まったのですが、そこには超正統派から世俗派、老人から若者までと全ての層がテル・アビブの広場に集結し彼の死を悼みました。

「こんなに幅広い層が、そして超正統派とテル・アビブの世俗派が1つになって喪に服す光景は、イスラエルで最初で最後だろう」とテレビの生中継でも言われていました。

 

亡くなった翌日と翌々日はもちろん1面を彼が飾り、紙面の数でも新聞の半分がアリク・アインシュタイン関連の記事でした。

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〜翌日()と翌々日()の大手紙1面。翌々日の1面中央には追悼式典で花を捧げる一般参列者の様子が。〜

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各界の著名人が哀悼の辞を投稿し、彼の生涯の様々な事件や逸話が記事になっていました。彼は1980年代後半からはテレビへの露出をやめ、レコーディング活動のみの活動となっていました。
公共の場に出ず、セレブになってもテル・アビブの小さなアパートに住んでいたという、謙虚で質素な生活を送っていたという所からもイスラエリーたちは彼から「古き良きイスラエル」を見ていたのだと思います。また記事の上下や左右には彼の代表曲が引用され、テレビやラジオでも彼の曲が2日ほどはずっと流れていたところからも、いかに彼が愛されていたのかが分かりました。

僕のFacebookの友人(もちろん20)の多くも彼の死を悼む近況を書いたり、彼の曲をシェア―したりなど彼の偉大さを窺い知ることができました。

 

これを読まれている方の大半が、ヘブライ語は話さないかと思います。なので、彼の曲を深くは理解できないかと思いますが、代表曲を1つ紹介したいと思います。

1980年に発表された「君の羽根の下に僕を入れてくれ」という曲です。ヘブライ語で書くと:

הכניסיניתחת כנפך=ハクニスィーニー・タハットゥ・クナフェフ

と長くなります。。。これはハイム・ナフマン・ビアリックというイスラエルの有名な詩人が残した詩で、恋詩です。

愛する人を切望すると同時に、曲の最後に「星には裏切られ、夢も過ぎ去った。私には何もなく、あるのは広大な無だけだ」とあるなど、絶望の詩でもあります。

全て訳す時間も技量も僕にはないので、歌詞の素晴らしさは分かって頂けないかも知れませんが、1度聞いて頂ければ彼の柔らかな歌声にどれだけのイスラエル人が感傷に浸り、また癒されたかがお分かりになって頂けるかと思います。

イスラエルがシリア内戦の負傷者に対して無償治療を行っているという事を、前の記事では紹介しました。
実は今月初めにシリア内戦への医療支援では初となる、シリア人の赤ん坊がイスラエル北部で生まれました。今回はその記事を紹介したいと思います。

 内戦勃発後初、シリア人の赤ちゃんがイスラエルで生まれる―

臨月のシリア人女性は出産を間近に控え不安を隠せずにいた。内戦によって彼女の村は封鎖されているような状況。そこで彼女は地元の病院ではなく、国境に向かいイスラエル兵に助けを求めた−今すぐ病院に搬送してくれと。「イスラエル兵は真摯に接してくれました」
 
イスラエルのシリアへの医療支援はまた次のステージへ:
初めてのシリア人の赤ん坊が今朝(113日)、北部ツファットのズィブ・メディカルセンターで生まれた。イスラエル国防軍により母親は昨夜病院に搬送されたのだが、その時はすでに分娩が始まっていた。シリア人の母親は20歳で初産だったが、自然分娩で無事3200グラムの男児を産むことができた。
これまでイスラエル側で治療を受けたのはシリア内戦による負傷者だけだったが、今回は初めてシリア人妊婦に対する治療が行われた。母親が医療スタッフにした話によると、彼女はシリア南東部クネイトラ県の村に住んでいるのだが、集落は封鎖状態にあり病院も機能していないような状況。「村には産婦人科も助産師も居ず、私のお産を手伝ってくれる人は誰も居ませんでした」と彼女は説明した。「私は看護婦として働いているので、こちらの怪我人がイスラエルで治療されているという事は前から知っていました。なので陣痛が始まった時、すぐイスラエルとの国境に連れて行ってくれるよう頼みました。もしかしたらイスラエル軍が出産の手助けをしてくれるかも知れない、という希望の光が心に小さく灯ったからです」
 
『イスラエルに入るという事に対しての恐怖心』
彼女の希望は現実のものとなった。「嬉しい事に、イスラエル軍が激痛に苦しんでいるのを見て、私をすぐにイスラエルの病院に搬送してくれました」と彼女。「イスラエルに行くという事への恐怖心はとても強かったのですが、それよりも子供の無事が心配で仕方ありませんでした。助産婦や医師たちイスラエル人スタッフは愛情を持って、真摯に接してくれたので出産を無事に終える事ができました。」
彼女はこう続けた。
「私の国とは国交ももちろんないのですが、敵国に居るという感じはまったくしません。みなさん私を助けてくれますし、心配してくれています。私の村は封鎖されているので、長い間唯一の食べ物はお米でした。ここに来て、ホント久し振りに野菜や肉を食べる事ができました。健康的な食生活を送れているので体調もすこぶる良好で、かわいい我が子も素晴らしい治療を受けられています。みなさんの献身的な介護や理解、そして気遣いに本当に感謝しています」
メディカル・センターの主任助産師も彼女の出産について語ってくれた。「彼女が病院に着いた時、すでに破水していて分娩第2期の状態でした。もちろんイスラエル人の妊婦と同じように彼女の出産にスタッフは心を込めてサポートしましたし、彼女は初産で出産にご主人が立ち会う事ができなかったので、精神的なサポートを少しでもできればなと思いました。シリア人の彼女がイスラエル人の助産師たちの手を握り、国籍を越えて出産に臨み、出産後にみんな喜びながら抱き合ったのは非常に印象に残る事でした。」
彼女は国籍・民族・宗教に関係なく、妊婦11人に真心こもった対応をしていると話してくれた。「多分この異国での初産は彼女にとって忘れ難いものになるのではないかと思います。いつか彼女が公にこの体験を話せる日が来ればなと願っています。」

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シリアに帰った時の彼女の身の安全を守るため、彼女の名前は伏され写真にはモザイクが入っています。
今はもちろん無理ですが、彼女が本当に「私の初産はイスラエルだったの。イスラエルは悪魔の国だと教えられていたけれど、ホント優しく接してもらったわ」と、話せる日が来ればいいのですが・・・

シリアからの犠牲者たちに治療を行うイスラエルの医師たち:
この惨事を世界に伝えるべき 〜続々編〜

【上】はこちら
【中】はこちら

奔走するソーシャル・ワーカー
もう1人興味少女Bの例を紹介したい。彼女は15歳、シリア南西部のダルアー空爆時により重傷を負ってイスラエルの病院に運ばれて来た。その空爆により、彼女は彼女の兄弟と祖母そしていとこを亡くした。彼女はシリアの野戦病院で診断され片足を切断したが、もう片足と腹部に強い痛みを感じ苦しんでいたので、空爆の4日後イスラエル側に搬送されたのだ。病院ではいくつかの手術が残された足と腹部のために行われ、2週間後には片足で立てるようになり松葉杖で歩けるまでになった。
「彼女は大変な危機を乗り越えた」とアラブ系ソーシャル・ワーカーは話す。「彼女は最初、自分の殻に閉じこもっていたが、私を知って恐がらなくなってからようやく心を開き出してくれた。その後のある会話で彼女はこんな質問をした、『誰が私と結婚してくれるの?誰がキチンと機能しない女性を欲しがってくれるの?』」彼女の母親と一緒に1月半この病院に居、最終的にはそのソーシャル・ワーカーが個人的な支援者を見つけて彼女の義足を作ることができ、彼女は両足の姿で退院する事ができた。
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このソーシャル・ワーカーはイスラエルの病院に居るシリア人負傷者にとっては、なくてはならない存在だ。この仕事についてわずか1年だが、この数ヶ月間彼はある時は通訳、ある時は寄付を集め、ある時は家族のように負傷者に寄り添うなど奔走している。負傷者の間を飛び回り、話をしながら両目を失った少女からさえも小さな笑顔を引きだしている。「最初はPTSD(心的外傷後ストレス障害)に彼らがなっていて精神的ケアが必要かの確認するだけが仕事だったが、だんだんと彼らとの個人的な関係を築き始め、話を聞いたり会話をして笑ったりする仲になった。毎朝彼らと顔を合わせるとまず聞かれるのが、シリアの情勢といつ家に帰れるのかの2つだ」と彼は語ってくれた。祖国や家族への思いの方が、シリアという戦場に戻る事に対する恐怖よりも強いようだ。
 

支援の困難さ
少女Bのように入院中に母親などの家族が同伴しているのは例外、ほとんどの負傷者は小さな子供たちでさえ1人で入院している。そんな支えのない中で怪我やトラウマと戦うのは非常に困難な事だ。イスラエル人の子供が入院した場合、入院中には両親が一緒に居て友人たちが見舞いに訪れる。ただ彼らはここで孤独、夜に泣きたくなった時も誰の胸もなく、抱きしめてくれる親もいない。そのような役割を少しでも補うために、カウンセラーやソーシャル・ワーカー、そして医者たちも一緒になって働いている。
 
困難は心のケアではない。負傷者たちは、まさに着の身着のままでイスラエルに運ばれて来たので歯ブラシや替えの下着さえ持っていない状態だ。最初の頃はスタッフが彼らの家庭などから用意していたが、搬送されてくる負傷者の数が増えてくると特別に銀行口座が開設され義援金を募り始めた。義援金はアラブ・イスラエル人だけではなく、キブツなどユダヤ系イスラエル人や赤十字などからも届いている。今では病院の倉庫にたくさんの物資が用意されている。これからの冬のための厚手の服や、女性のためのサニタリー・グッズ、子供のためのペンやノートなども倉庫に置かれている。
 

治療費は誰が・・・?
シリア人負傷者たちにとって足りないものは物資や心のケアだけではない。負傷者たちへの治療は、イスラエル人に行う一般的な治療とは難易度も費用も桁違いのものだ。ツファットのオスカー医院長によると、彼らの治療費の総額は3億円近くにのぼるが治療費は今のところもちろん一銭も払われていないとの事だ。イスラエル人の場合は保険のカバーがきくのだがシリアからの負傷者の場合、誰が医療費を払うのかが不透明なまま病院は治療をし続けている。
「どの政府機関も取り合ってくれず、私たちをたらい回しにする。保険省から防衛省に回され、現段階では総理大臣の決定を待っている段階だ。最近保険省から医療費の50%は保険省が負担するという連絡が入ったが、ただ単なる口約束なので懐疑的だ」とオスカー医院長。
 
数百人というシリア人がイスラエルの病院ですでに治療されたがその大半は特別な治療などで医療費が高額になりやすい子供たちだ。心のケアにはたくさんの人的資源が必要なうえ、高額な検査に、多くの複雑な手術、集中治療に入院、薬代、そして輸血などさまざまな出費がかさむ。また負傷者1人1人がどのような予防接種を受けてきたかが分からないので、投与する薬が増えたり予防接種を行ったりとそのような問題も潜んでいる。各病院では、数百・数千万円という治療による出費が、地方病院が慢性的に抱える財政難にさらなる打撃を与えるだろうと言われている。オスカー医院長は「(政府の)だれかがこれを対処しなければいけない」と付け加えた。
保険省に問い合わせるとこんな回答が返ってきた:
「総理府で行われた協議では国防軍・保険省・財務省の3機関が共同で治療費を負担するアウトラインが提案された。ただ今詳細については協議中です。」
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シリアとの国境地帯から次々と送られてくる重傷を負った子供・女性・若者はいったい誰なのだろうか?
そんな質問を考えている医療スタッフは病院にはいない。「1人の医者として、そんな質問は意味のないものだ。医者としての私の義務は目の前の患者1人1人に向き合うだけだ。なので、どこから・どのような背景で来ているのかや、地位や宗教を知って治療している訳ではない。そんな事をしている時間はこんな緊急時にはないし、できたとしてもしようとは思っていない。」
医療スタッフには病院の外だけで戦っている訳ではない。「テロリストかも知れない人を何助けてるんだ?『博愛はわが家から始まる』と言うじゃないか?」こんな事を言われた時、オスカー医院長はこう答えるそうだ。「こう言うじゃないか?『1つの命を助けたものは誰でも、世界全体を助けたようなものだ(ユダヤ文献より)』って。」
家に帰っても彼らは安らかな気持ちでいれる訳ではない。オスカー医院長は最後にこう言った。
「時々家に帰って、離れ離れになって両親に再び会えるかどうかも分からない子の子供たちの事考えると、あることを連想してしまう。私の母親は13歳、父親は16歳の時、1930年代末のベルリンの駅のホームで、2度と顔も見られないのだと知ることもないまま両親と離れ離れに引き裂かれてしまったんだ。」
 
【完】

記事の最後はもちろんナチス・ドイツではよくあったであろう光景、オスカー医院長は年配の方なので両親がホロコースト生存者、そして祖父母はホロコーストの犠牲になったようです。なので、「両親と離れ離れになってもう1度会えるかどうか分からない子供」を見ると、自然とホロコーストの時を思い出してしまう、といういかにもイスラエルの記事らしい締め方でした。
 
いかにも世間には「イスラエル=完全悪」のようなイメージがあるし、まるで「アラブ人に対して容赦なく発砲・空爆しているのがイスラエル」というように考えられているような気がします。同胞であるアラブ諸国も手をこまねいているのが実情のそんななか温かい、人道的なイスラエル像を少しでもお伝えできたら、と思い3回に分けてイスラエルの新聞の記事を紹介させて頂きました。

シリアからの犠牲者たちに治療を行うイスラエルの医師たち:
この惨事を世界に伝えるべき 〜続編〜

 
少年Aの場合:
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〜少年A〜
少年A(15)は小児科の病室に横たわり、13歳になる弟が兄に食事を食べさせていた。少年Aの片足はシリア内で切断されていたのだが、押し潰されていた片手はこの病院(ツファットのズィブ・メディカルセンター)で救う事ができた。彼らはトラクターでシリア軍に水を届けに行く途中、地雷を踏んだ。爆発の後に兵士たちは彼らを自宅に運んだのだが、怪我の様子を見た父親は彼らをイスラエルとの国境まで運び、国境部でイスラエル国防軍が子供たちを受け取りその日のうちに、ここツファットのメディカルセンターに搬送された(弟談)。運ばれて来た時、少年Aは意識がない重体だったが、4日間の集中治療の結果意識を取り戻した。少年は自分の片足の腿から下を失ったのだが、その事について全く覚えていない。
弟も重傷を負ってこのメディカルセンターにやって来たが、彼の状態の方がだいぶ良かった。特に両足の怪我はひどかったのだが、破片によって全身に傷を負っただけだったからだ。いくつかの手術と皮膚移植の後には彼は病院の廊下を走り回るまでに回復していた。彼がまだ退院しない唯一の理由は彼の兄のそばに誰かがついて居てあげるためだ。2人は声をそろえて「お母さんに会いたい」と言う。もうシリアのおうちに戻りたいのかと聞くと、強く頷き、「じゃぁ、あそこに戻るのは恐くないの?」と聞くと「恐くない!」と強い答えが返ってくる。
 
レルネル医師はセンターに運び込まれて来た負傷者たちの写真をスライドショーで見せてくれた。ずたずたになった臓器など、見るに堪えない写真ばかりであった。スライドショーの後半では指や足が再生されてある程度機能している写真があった。オスカー医院長はそれらの様子を見てレルネル整形外科医を「まるで魔法使いのようだ」と評する。「戦争時の病院ではたいていの場合、再生という困難な治療は行わずより簡単な手足切断を選ぶ医者がほとんど。しかしレルネル整形外科医は世界的な体の再生を行う専門家がうちの病院に居る事は、本当に負傷者にとって不幸中の幸いだ」
 
イスラエル北部の病院が1つになってシリアを支援
ズィブ・メディカルセンターはシリア人への治療を行っている唯一の病院ではない。イスラエル北部ではいくつかの都市の大きな病院がシリア人への治療による支援を行っている。ナハリヤの病院では女性・子供・乳児を含む計115人への治療活動を行っている。どの病院にどの負傷者を搬送するのかはイスラエル軍が大まかな判断によって決められているが、ナハリヤの病院には頭部や脊柱、神経外科による治療を必要としている負傷者が優先的に送られるようになっている。ツビー・シェレグ医師は治療に関わる全てのスタッフが感極まってしまう瞬間が多々あると語る。「顔と胸部に重傷を負って小児科の集中治療を受けていた3歳の女の子に、意識が戻って起きあがった時、どこにいるのかも何が彼女に起こったのか、そして言葉さえ分からない状態の中ただ『お母さん、お母さん』と泣いた事があった。いくら経験があるスタッフたちにとってもそれは人間として胸が熱くなる、辛い瞬間だった。」その数日後、無事母親を見つけ我が子の見舞いにやって来る事ができ、つい先週彼女は退院した。他にもナハリヤの病院では、あごと口が変形しぐちゃぐちゃになっていた若者が運ばれてきたが、集中治療といくつかの手術の結果、飲食と会話が十分できる状態まで回復し退院させる事が出来たり、頭を撃たれた若い女性を元気な姿でシリアの自宅に送り届ける事ができたり、などのエピソードが他にも多くある。

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敵国の患者を受け入れるということ・・・
彼らの治療はイスラエル人の患者のよりも複雑・困難で彼らと同じように扱われてはいるものの、敵国の患者を受け入れているという複雑な空気が現場には漂っている。負傷者の病室の外には軍の警察官が監視のために立っていて、誰が出入りして病室で何が行われているかをチェックしているし、原則的には負傷者が直接彼らの家族と電話等で連絡を取る事は禁止されている。治療スタッフは軍の他に赤十字などを通して連絡を取っているが、顔が写った状態で負傷者の写真を撮影したり、名前を公表したりする事は彼らがシリアに戻った後の事を考えて禁止されている。「1度負傷者が乳児の母親でどうしてもシリアにいる子供と連絡が取りたいと懇願したので、家族への連絡を許可しようとしたが・・・やはり軍からの許可が下りなかった」とツファットのオスカー・メディカルセンター長は話した。
 
この医療現場の緊迫した雰囲気は、イスラエル国内のアラブ人とドルーズ人の社会のシリア内戦に対する心情にも起因している。ある病院では、アサドを支持する(アラブ・ドルーズ)イスラエル人たちが病院に押し入り、シリア人負傷者に対して暴動を起こすという事件があった。このような背景から軍の決定で、アラブ人ボランティアを一般募集する事できないというのが悲しい現状なのだ。
国連によれば、2014年にはシリアの難民は400万人に達する可能性があるそうで、これはシリア人口の5分の1に当たります。シリア関連の悲惨的なニュースはまさに枚挙にいとまがないのですが、知っておくべき事はあると感じます。
その1つが、シリアに対するイスラエルの医療支援です。
読まれた方の多くは「イスラエルの攻撃/爆撃」の間違いではないのかと思われているかも知れません。ただイスラエルは、シリア紛争による負傷者を受け入れている、数少ない国の1つなのです。今日はそんなイスラエル大手紙の記事を見つけたので、それを紹介したいと思います。
(記事本文はヘブライ語からの要約です)
 

シリアからの犠牲者たちに治療を行うイスラエルの医師たち:
この惨事を世界に伝えるべき

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「世界に向けて、書いて、伝えてくれ」
イスラエル北部ツファットのズィブ・メディカルセンターの眼科長アリエ・アビダンはこう言って頼んだ。未だ昨日の子供のことが彼の頭から離れていない。両目がずたずたになり、片腕がもがれていた15歳の少年がシリア国境部から運ばれて来たのだが、メディカルセンターでは手の施しようがなかったのだ。
「(イスラエルと言う土地柄)戦争からの負傷者への治療は何度もした事があるがこのような光景は見た事がない。少年の眼球はすでにばらばらでもうやりようがなかった。彼は結局視力を失ってしまったんだ・・・」
アビダン医師はこう続けた。「彼はまだまだ子供、なんてことだ!世界にこれを伝えてくれ、私たちが人道的だと言われるためではなく、世界にショックを与え、オバマやヨーロッパやロシアのリーダーたちにメッセージが伝わるためだ。何かが動かなければいけない!

「私たちは戦争に居ずして、戦場に立たされている」
患者の分類を行うフセイン・アマル医師(アラブ・イスラエル人)はこう病院の雰囲気について話した。ここ8ヶ月間、シリア内戦の負傷者が数日に1回、時には1日に数回この病院に搬送されている。なかには女性や子供も含まれていて、イスラエル人兵士や民間人など有事の際の治療活動に慣れているはずの医師たちでも、どうする事も出来ないほどの怪我を負ってやって来る負傷者も多い。「ここに来る多くは、傷口が大きかったり複数の箇所・臓器に深い傷を負っていたり、緊急の集中的治療が必要な怪我人ばかりだ」整形外科長のアレクサンダー・レルネル医師はこう語る。

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「数日前は父親と息子の2人が搬送されてきた。砲弾が自宅に着弾し、自宅に2人は居たため火事に遭った。運ばれてきた時に彼らは砲弾の破片による傷と、火傷の後が体中に付いていた。こんな例はほかにも多くある」と医院長のオスカー・アンボン医師。
 
最初にシリアからの負傷者が運び込まれてきたのは今年の2月。軍からの連絡があり、重体1名と重傷者6名の計7名のシリア人負傷者が搬送されるというものだった。医院長はこう続けた。「3人の医師と3人の看護士が負傷者1人に対し本格的な治療をするための安定化の作業を施し、集中治療室に移した後、各自2つから4つの手術を行った。当時も今も、医療的にはイスラエル人患者と同じように彼らシリア人負傷者を治療している。」

2月にあった最初の負傷者から今まで、計144人のシリア人がイスラエル軍からこの病院に搬送されている(他の病院を入れると200人以上)。負傷の程度により、軽度ならばイスラエル軍がシリア国境部に建てた野戦病院での治療、重傷ならばイスラエル北部の都市のいくつかの病院が負傷者を受け入れている。
「多くのシリア人負傷者に治療を施し、シリアに送り返す事が出来た。しかし、彼がその後どうなるかなんて分からない。もしかしたら、傷口がもう1度開いてしまっているかも知れないし、シリアに帰った後も彼らの安全はとても保証されたものではない」と医院長は懸念する。
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(オスカー医院長)
 
時間が経つにつれ負傷者の様子に変化が見られた。
最初は運ばれてくるのは兵士のような若い男性ばかりだったのだが、徐々に女性や子供も搬送され始めたのだ。医師たちは過去に負傷者が受けてきた治療や予防接種を受けたかどうかなど、治療をするにあたって重要な点について分からないまま治療をせざるを得ないケースが大半だとフセイン医師は話す。
また、イスラエル側の野戦病院から回ってくるケースもあるが、中にはシリア人医師からのメモ1枚が付いているだけというのもある。ある負傷者が持っていたメモにはこう書かれていた。
親愛なる外科医へ、
28歳の患者。胸部に弾丸が入り肋骨にも骨折が見られる。
また横隔膜と肝臓にも弾丸の破片による負傷がある。
肝臓部は縫い合わす事が出来なかったので、きつく包帯を巻くだけの処置を取った。。。
適切な治療を行って下さい、ありがとう。
 
次回につづく・・・

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