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前の記事でハヌカの祭り関連の記事を書きたいと言っていたところなんですが。イスラエルで最も有名で、僕も大好きだった歌手が2・3日前に亡くなられたので彼について今回は書きたいなと。。。
11月26日深夜、歌手のアリク・アインシュタインさんが亡くなられました。74歳でした。 アリクはイスラエル建国前の1939年、テル・アビブで生まれました。生涯で40枚以上のアルバムを世に送り出し、数多くのテレビ番組に出演し、また俳優としても多くのドラマに出演しました。彼の人気がでたのは1960年代は、イスラエルが建国からまだ約10年と若く、自分たちのアイデンティティーを模索している時代でした。そんななか彼は数多くの曲を世に送り出し、イスラエルに住むユダヤ人としてのアイデンティティーを築いた人物の1人だと言われています。
ある音楽評論家は「アリク・アインシュタインはイスラエル一の歌手以上の存在だった。アインシュタインこそ真のイスラエルの地なのだ」と評しています。 またネタニヤフ首相は翌日にテル・アビブの大広場で行われた追悼式典で演説し「アリク・アインシュタインはイスラエルのサウンドトラックだ。彼について話す時、私たちはイスラエルの地について話しているのだ。」と述べました。 シモン・ペレス大統領も翌日の新聞に次のような追悼の投稿を寄せました。「私は彼の歌が大好きだ。皆も分かっているだろうが、彼のような人物は今までもこれからも出てこないだろう」
半世紀もイスラエルを代表する歌手であった事と、彼がイスラエルという国が形成される前から国中に愛されていたという事から、彼は「イスラエル現代音楽の父」や「イスラエルのフランク・シナトラ」などとも言われています。
またイスラエル国内の世俗・宗教という2つの相容れない社会に分裂する前から活躍していた事から、彼のファン層は超世俗派からユダヤ教超正統派までとイスラエルの全ての層に多くのファンが居ます。子供用の歌も多く発表したので、今でも多くの若者が「アリクの曲で育った!!」と言うほど。 なので追悼式典と葬儀には数万人が集まったのですが、そこには超正統派から世俗派、老人から若者までと全ての層がテル・アビブの広場に集結し彼の死を悼みました。 「こんなに幅広い層が、そして超正統派とテル・アビブの世俗派が1つになって喪に服す光景は、イスラエルで最初で最後だろう」とテレビの生中継でも言われていました。
亡くなった翌日と翌々日はもちろん1面を彼が飾り、紙面の数でも新聞の半分がアリク・アインシュタイン関連の記事でした。 〜翌日(左)と翌々日(右)の大手紙1面。翌々日の1面中央には追悼式典で花を捧げる一般参列者の様子が。〜 各界の著名人が哀悼の辞を投稿し、彼の生涯の様々な事件や逸話が記事になっていました。彼は1980年代後半からはテレビへの露出をやめ、レコーディング活動のみの活動となっていました。
公共の場に出ず、セレブになってもテル・アビブの小さなアパートに住んでいたという、謙虚で質素な生活を送っていたという所からもイスラエリーたちは彼から「古き良きイスラエル」を見ていたのだと思います。また記事の上下や左右には彼の代表曲が引用され、テレビやラジオでも彼の曲が2日ほどはずっと流れていたところからも、いかに彼が愛されていたのかが分かりました。
僕のFacebookの友人(もちろん20代)の多くも彼の死を悼む近況を書いたり、彼の曲をシェア―したりなど彼の偉大さを窺い知ることができました。
これを読まれている方の大半が、ヘブライ語は話さないかと思います。なので、彼の曲を深くは理解できないかと思いますが、代表曲を1つ紹介したいと思います。 1980年に発表された「君の羽根の下に僕を入れてくれ」という曲です。ヘブライ語で書くと:
הכניסיניתחת כנפך=ハクニスィーニー・タハットゥ・クナフェフ と長くなります。。。これはハイム・ナフマン・ビアリックというイスラエルの有名な詩人が残した詩で、恋詩です。 愛する人を切望すると同時に、曲の最後に「星には裏切られ、夢も過ぎ去った。私には何もなく、あるのは広大な無だけだ」とあるなど、絶望の詩でもあります。 全て訳す時間も技量も僕にはないので、歌詞の素晴らしさは分かって頂けないかも知れませんが、1度聞いて頂ければ彼の柔らかな歌声にどれだけのイスラエル人が感傷に浸り、また癒されたかがお分かりになって頂けるかと思います。 |

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