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イスラエル―ハマス間の交戦が8日間続いた11月。 12月に入りイスラエルの防衛省のパレスチナ間とのコーディネートを行う部署から、先月11月にイスラエル側からガザに向けて行われた市民・人道支援のマンスリー・レポートがPDFファイルで出ました。英語の読める方はそちらを直接読んでみて下さい。
http://www.cogat.idf.il/1930-en/Cogat.aspx それによると、軍事作戦がガザで行われた11月、イスラエル側のケレム・シャロム検問所から日用品(食料・医療品等)がトラックで3908台、ガザ側に送られました。過去3カ月がトラック5203台(8月)、4642台(9月)、5400台(10月)なので、通常時よりもやはり減ってはいますがイスラエルはガザへの人道支援を止めていた訳ではなかったのです。
軍事作戦中(11月14〜21日)真っ只中の18日にも、同検問所から日用品やプロパンガスなどを積んだトラック124台がガザ側に入った様子がYoutubeにもアップされています。 さて。 先月ガザ側に搬入されたトラック3908台の内訳は:
となっています。
さて、イスラエル側ばかりをかばう訳ではありませんが。。。 エジプトを始めアラブ諸国は武器などの軍事面や政治面では全面的にガザ・ハマスを支援しますが・・・ガザ市民が日々生きるために1番必要としている、アラブ諸国からガザ市民への『物資支援』が(エジプトの)ラファ検問所からガザ側に送られたという話は聞きません。
アラブ諸国が本心からパレスチナの建国/独り立ちを望み、そのためにパレスチナを支持・支援しているのならば。。 今、こうしてイスラエルが行っている物資支援をアラブ諸国が継続的に、またインフラを整えるための技術支援や(アラブに山ほどある)石油の輸出支援などを行って、パレスチナ政府が『キチンとした一国家』として国民を扶養できるようになるための支援すべきはないでしょうか。
エジプトを始めアラブ諸国から、 ハマスではなく、ガザ市民を助けるための支援がガザに届く事を願って・・・
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イスラエルと言う国
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さて、最近はブログで政治についてばかり書いてきたので、すごく「重たい」ブログになっていたので・・・今日は「何でもないようなこと(虎舞竜とは、少し古いですが)」について書きたいなぁと。
師走、イスラエルにいて長くなりますが、こう12月になるとやはり日本の年末、「ゆく年くる年」が恋しくなるものです。
さてイスラエルの12月ほどムードがない年末はないのではないでしょうか。 イスラエルももちろん現代国家として太陽暦であるグレゴリオ暦を用いていますが、本来は太陰太陽暦の「ユダヤ暦」で1年が回っています。なので新年は秋になり、グレゴリオ暦の新年は他の欧米諸国と大体同じだと思います。大晦日の夜から元日の朝にかけて、カウントダウンのパーティーが町で行われるのみ。イスラエルでは1月1日は平日、2年前には大学の期末試験が元日だったこともあります。。。 イスラエルの年末、12月は世界的に侘しいものなのです。
そんなイスラエルにも祭りがある事はあるのです。それが光の祭り、ハヌカ(חנוכה)です。ハヌカの祭り自体についてはだいぶ前に記事を書いたのでそちらをご覧下さい。今回はそれの大まかな歴史的背景についてお話したいと思います。
紀元前4世紀末、マケドニアのアレクサンダー大王が10年ちょっとの間にインドまでの世界帝国を築き上げました。イスラエルも紀元前332年マケドニア領になり、サマリアではサマリア人が反乱を起こしたため、反乱が鎮圧されたのちサマリアの町はマケドニア兵士の入植地と化しました。
彼の死後、配下の有力武将による後継者争いが約20年続きましたが、300年にはアレクサンダー大王の世界帝国は大きく分けると2つの帝国に分かれました。それがシリア・小アジアからメソポタミアまでを治めるセレウコス朝と、エジプトのプトレマイオス朝です。
イスラエルは初め、プトレマイオス朝に支配される事になったのですが、セレウコス朝との境界・最前線に位置していたので、(100年間で6度と)たびたび起こるシリア戦争の戦地になるなど2つの王朝に振り回されることになりました。
300年から200年までの100年間はプトレマイオス朝の支配下だったのですが、200年にイスラエルの北にあるパニアス(ピリポ・カイザリア)での戦いの後、イスラエルの地はセレウコス朝領内になりました。当時のセレウコス朝の王だったアンティオコス3世はさらなる領土拡大を目指し、西で当時台頭していたローマと戦争を起こしましたが、ローマに大敗してしまいます。ローマ・セレウコス朝間の講和条約で敗北したセレウコス朝は莫大な賠償金を課され、アンティオコス3世は王朝の繁栄と共にこの賠償金による財政の圧迫を後代に残しました。
この賠償金をなんとかするため、セレウコス朝は宥和政策を進めてきた他国の宗教へ積極的に介入し、各地の神殿から宝物や金銭を徴収し、それと共に他宗教の禁止・ギリシャ化(ギリシャ宗教への吸収)を以降進めていきます。それに強く反対し自分たちの宗教を頑なに守り譲らなかったユダヤ人に対し、アンティオコス4世(エピファネス)はついにアンティオコス法令と呼ばれるものをユダヤ人に対し布告します。 これはユダヤ人のユダヤ教の律法を守ることを禁じ、ギリシャ宗教を強要するというもの。この法令の大きなポイントは次の6つです:
この法令によりエルサレム神殿は「ゼウス・オリンピア」というギリシャ神殿に、ユダヤ人の町であるエルサレムは「アンティオキア」というギリシャ風ポリスに変わりました。
セレウコス朝内の多くのユダヤ人はこの法令に屈服し、ユダヤ的伝統・慣習を捨てギリシャ人化しました。しかしまた同時に、ユダヤ教の信仰や慣例を守り続けセレウコス朝の迫害を受け、殉教したユダヤ人も数多くいました。これは西洋で最初の「殉教」が社会現象化した例です。
そしてアンティオコス法令が公布された紀元前167年、ハスモン家を中心としたマカバイ戦争(ハスモン戦争/反乱)が起こり、神殿をユダヤ人が奪還し、それを記念する「ハヌカ(חנוכה)」という祭りの起源となるのです。
さて、ハヌカという祭りの説明をこの記事の歴史背景を頭に入れて読んでみて下さい。
http://blogs.yahoo.co.jp/life_box_chocolate/31611841.html
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出エジプトから祖国イスラエルにたどり着く前の40年間、ユダヤ人の先祖はシナイの砂漠・荒野を放浪していました。その時に危険や苦難から彼らを守っていたのが、神が昼に与えた雲の柱と夜に与えた火の柱。それ以来ユダヤ人はこの秋の祭の間、「スカー(ヘブライ語:סוכה)」という天井が植物でできている仮の住まい(仮庵)で暮らし、神の荒野での恵みを思い出して神に対する絶対的な信頼・信仰を再確認するのです。七日七晩、仮庵の中で(スコットの特別の祈りとともに)食事をして、仮庵に住んでいた荒野での40年間を追体験するのです。
仮庵での食事に加えてもう1つ大切なミツバ(戒律)は、「4種類(ארבע מינים:アルバ・ミニーム)」を手に取るという事。これもレビ記で神が命じたことから来た伝統です。
レビ記23章40節:この4種類の植物を束ねるのですが、この4種類にはいろいろな解釈があるようで、体の部分(眼・口・心臓・背骨)を表してるという解釈や、違った4種類のユダヤ人を表しているという解釈があります。
スコットはイスラエルでは7日7晩、ディアスポラ・離散の地(イスラエル外)では8日8晩のお祭なのですが、最初の1日(イスラエル外では2日間)はシャバット・安息日になっています。そしてスコット最後の1日は「ホシャナ・ラバ(大いなる救い)」と呼ばれ、新年(ロシュ・ハシャナ)から始まる神の審判の終わる日だといわれています。ユダヤ教のシナゴーグに行けば、上記の「4種類」の植物の束を持ってトーラーを読むテーブルの周りを7度回りながら祈る(歌う)ユダヤ教徒を見る事ができます。
スコットが終わるとすぐに、トーラーの1年通読のサイクルの1回目を祝う「シムハット・トーラー」があり、大学でも新年度を迎えるのです。
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もう、ヨム・キプール(9月18日)から10日経ったのですが・・・
そのヨム・キプールの5日後のティシュリの月の15日の日没から1週間、イスラエルではまたユダヤの祭があります。クリスチャンで「ユダヤ人・旧約の祭やし私たちには・・・」と思っている方、その今イスラエルで祝われている祭は新約聖書にも書かれ、イエスも守っていた祭なのです。
その祭の名前はスコット(סוכות)、「סוכה (スカー)」= あばら屋・簡易住居の複数形。日本語では「仮庵の祭」、英語では”Feast of Tabernacles”と呼ばれています。
日本語では仮庵の祭と呼ばれていますが聖書を見るといくつかの名前を見つける事ができます。刈り入れの祭(出エジ23:16)、七月の祭(ネヘ8:14)、主の祭(レビ23:39)などです。エズラ記の3章4節を見れば、第一神殿崩壊後のバビロン捕囚の間もスコットが祝われていた事が分かります。
仮庵の祭はペサハ(פסח=過ぎ越しの祭)、シャブオット(שבועות=ペンテコステ)と並び、三大巡礼祭になっていて神殿があった時代は世界中からユダヤ人がエルサレムに燔祭を捧げに上っていました。神殿がなくなった今でも、この3つの祭のシーズンには世界中の多くのユダヤ人がエルサレムにやって来ます。
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日本では終わったんですが、実は昨日の日没から今日の日没はイスラエル・ユダヤ人にとって1番大切で神聖な日でした。それは、ヨム・キプール(正確にはヨム・ハキプリーム)−大贖罪日。
ヨム・キプールはシャバット(安息日)の中のシャバットと言われる、ユダヤ人の1年にとって最も重要かつ大切なシャバット、聖書では「全き休みの安息日」や「最も厳かな安息日」などと書かれています(レビ記16:31, 23:3など)。
ユダヤ教では、ユダヤの新年でヨム・キプールの10日前にあたるロッシュ・ハシャナに神がほぼすべての人を裁き、その日にいのちの書に名前を書き記します。しかし神はヨム・キプールまでの10日間を猶予の期間として与えられます。
そして10日後のヨム・キプール、いのちの書が閉じられて印を押されます。そして、悔い改めたユダヤ人たちは無事、1年を新しく迎える事ができるのです。
ヨム・キプールは神との破った約束に対して許しを求める日なので、その前の日にユダヤ人は周りの人と互いに許しを請い合います。そしてヨム・キプールの日、この日は「〜してはいけない日」です。ヨム・キプールで1番大切な「〜してはいけない」は、「飲んでは・食べてはいけない」です。またユダヤ教の伝統の中で、断食をするのは飲み食いをする事のない天使を真似るという事を意味するようです。
ヨム・キプール、5つの「〜してはいけない」 ヨム・キプールになるティシュリ(ユダヤ暦の1月)の10日の前日に当たる9日は、日没から始まる断食の日のために備えて「食べる日」になっています。そして10日に入った夕方にシナゴグや会堂に集まり最初のサービスを行います。ユダヤ人の男性は日ごろは夕方にタリート(祈るためのショール)は羽織らないのですが、このヨム・キプールだけは夕方にもかかわらずにタリートを羽織ります。
日が沈みかけヨム・キプールが終わる直前のサービスでは、トーラー・スクロールの入ったボックス(棚)のドアが、1年に1度だけ最初から最後まで開けたままにしてサービスを行います。これは天国の扉が開いている事を象徴しているようです。そしてヨム・キプールの最後には「主は我らの神である(アドナイ・エロヘィヌ)」と7度、そして角笛・ショファーが1度吹かれ、そして「来年はエルサレムで(シャナ・ハバア・ビルシャラィム)」とコングリゲーション全体で朗誦してヨム・キプールの長い断食が終わります。
<ヨム・キプールでの挨拶>
ヨム・キプール前の挨拶では、よく「ハティマ・トバ(חתימה טובה)」などとお互いに言い合います。これは、ヘブライ語で「よい署名・調印・サインを」という意味で、ヨム・キプールでの贖いによっていのちの書の方に名が記される事、そしてそのいのちの書が印される事(よい調印)への願いを込めた挨拶です。
ヨム・キプールに祈るユダヤ人たち。
有名な絵です。
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