イスラエル、バラガン日記

イスラエルに留学している大学生のブログです。

イスラエルと言う国

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アブラハムから始まるユダヤ人は歴史のある民族なのですが、
現代の「イスラエル国」として考えるとある意味イスラエルは歴史の浅い国です。
その国と民族の年齢差は2000年の離散、ディアスポラのゆえなんですが・・・
 
そんなイスラエル。
今週の月曜の日没からの1日、イスラエルでは62回目の独立記念日(יום העצמאות:ヨム ハ・アツマウットゥ)でした。
 
イスラエルが建国したのは1948年5月14日なんですが(グレゴリオ暦)、ユダヤ暦で言うとイヤルと言う月の5日になり、ユダヤ暦の方の日付で独立記念日も祝ってます。なので、年によって若干時期が(4月か5月の間で)変わってきます。なので、独立した日付と祝う日が違ってくるのです。
 
それはさておき。
月曜の日没後の夜、僕のアパートの近くにあるハル・ヘルツェル(הר הרצל:ヘルツェル山)で国家式典が執り行われました。このハル・ヘルツェルはシオニズムの父、テオドル・ヘルツェルの名前から来ていて実際に彼もここに埋葬されています。ヘルツェルの墓がここにある事から、イスラエルに大きく貢献した功労者がここに埋葬される、国立共同墓地になっています。また建国1年後の1949年にハル・ヘルツェルは戦没者のための国立墓地に指定され、戦没者記念日などの国家式典などもたびたび行われる事からハル・ハズィカロン(הר הזיכרון:記憶の山)という別名もあります。
(ヤッド・バッシェムというホロコースト記念館もあるこのハル・ヘルツェル。実は僕の家からバスで5分のところなんです)
 
そして国家式典後の深夜から翌朝の明け方まで、エルサレムのダウン・タウンはディスコと化しました。日没まではイスラエル中が戦没者記念日で国中が喪に服していたのに、その日の夜には街がディスコ化し、次の日は国中がバーベキューをするという、24時間で「ここまで変わるかっ!!」ってほど国のムードが変わります。
 
僕も夜、コングリゲーションの友達と一緒に街で飲んでいたので、その時の写真をいくつか貼っておきます。
 


イメージ 1
〜夜9時のマハネ・イェフダ(イスラエルの錦市場)です。11時ぐらいからDJが来て野外ディスコになるので、通りを封鎖しセキュリティーと年齢チェックを行うために警官が待機しています〜


イメージ 2
〜エルサレムのダウンタウンの大きな広場にできた、特設野外ディスコ。ダウンタウンの通りと言う通りにバリケードが張られ、警官のチェック無しには入れないようになっています。写真を見ても分かるとおり、ホンマに街がディスコになってました。〜
イスラエルでは今日(29日)の日没から、ペサハ(פסח)・過ぎ越しの祭り(Passover)になります。なので、今回はペサハについて書いていきたいと思います。


〜ペサハ(過ぎ越しの祭り)での習慣〜

  •   ペサハ(過ぎ越しの祭り)は2つのパートに大きく分けられます。1つ目は最初と最後の1日(イスラエル外では2日ずつ)、この日は安息日・シャバットになります。なので休日となり、仕事を休み安息に入ります。そしてその間の5日(か4日)は「חול המועד  (コール・ハモエッド」といって教育機関は休暇になりますが、お店などは仕事を平日と同じように行う日になります。
  • ペサハの中で非常に重要なのが「חמץ (ハメッツ)」、(イースト菌などの)パン種が入っているものを食べない・家に置かないという習慣です。エジプトをイスラエルの民が出る時、パン種の入った普通のパンを作る時間がなかったという故事から、ペサハ(過ぎ越しの祭り)の間はパン種の入った(小麦が発酵している)食物を食べず、家にも置かない事が神から命じられています。ハメッツには小麦はもちろんの事、大麦・ライ麦・オート麦などが該当し、食物で言うとパン・ケーキ・クッキー・シリアル・パスタや麦系統を含むアルコールなどが当てはまります。なので、ペサハ前になるとユダヤ人家庭では、家中を掃除し家にあるハメッツの食品をペサハまでに食べ切るのです。過ぎ越しの祭りの別名が「除酵祭」と言う名前なのはこのためです。
  • マッツァמצה米が主食の日系ユダヤ人がいればさほど苦労しませんが、ほとんどのユダヤ人はパンやパスタなどのハメッツの小麦を主食とする人たち。そんな彼らのペサハ中の主食はマッツァと呼ばれる、パン種がなく膨らんでいない小麦でできたクラッカーのようなもの。ほとんどのユダヤ人家庭ではペサハ中はこれが主食になります。そのため、ペサハが「חג המצות (ハグ・ハ マツォット:マッツァの祭りとも呼ばれています。
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  • セデル(סדר):過ぎ越しの祭りで最も大事な日はイスラエルでは初日、イスラエル外では最初の2日の夕食。この夕食はセデルと呼ばれ、ハガダという式文にのっとって世界中のユダヤ人たちがほとんど同じ形式で食事を行い、出エジプトや奴隷中のエピソードなどを意味する物を食べていきます。(日本のお正月のおせちとちょっと似た感覚です)
 


ユダヤ教の中にも大切な、重要な祭りがいくつかあるのですが。
古代エジプトの奴隷からの解放、そして契約の民になる出エジプトを祝うこのペサハ、過ぎ越しの祭りが1番ユダヤ人にとって大切な祭りだと言われています。
 
ユダヤ人を知りたい!!または、ユダヤ人の祭りを知りたい!!
という方には、まずペサハについて少し勉強される事をお勧めします。
ペサハを学べば、ユダヤ人のエッセンスが分かってくるはずです・・・
イスラエルでは今日(29日)の日没から、ペサハ(פסח)・過ぎ越しの祭り(Passover)になります。なので、今回はペサハについて書いていきたいと思います。


ペサハ(過ぎ越しの祭り)とは・・・
7日間(イスラエル外では8日間)の過ぎ越しの祭り、ペサハは春先のニサンというユダヤ暦の第1月の15日から21日(イスラエル外:22日)まで祝われます。過ぎ越しの祭りは、イスラエルの古代エジプトの奴隷からの解放、いわゆる「出エジプト」を祝う祭りです。
 
 
〜ペサハ(過ぎ越しの祭り)の簡単な背景〜
エジプトの王ファラオの支配の下、イスラエルの民は奴隷として重労働を課されていました。御自分の民、イスラエルの民の苦しみ・苦役を知った神はモーセをファラオのもとに送り、イスラエルの地に戻るという神からのメッセージを語り、イスラエルの民をエジプトの地・重労働から解放するよう求めました。しかし、ファラオは断固としてイスラエルの民の帰還を認めませんでした。そこで神は10の災いをエジプトに下されました。
 
そしてニサンの月の15日(紀元前1300年頃とされている)、神は10個目の「エジプトの長子を全て殺す」という災いをエジプトに下されました。イスラエルの民にも長子はたくさんいたのですが、イスラエルの民の家庭を神は「過ぎ越され」ました。それが、この過ぎ越しの祭り(Passover/ פסח-ペサハ)の名前の由来です。10個の災いにより、ついに頑なに解放を拒んでいたファラオがイスラエルの民の帰還を認めました。エジプトからイスラエルの民が解放されて出る時、パン種を作る時間がないほど急いでエジプトの地から逃げるようにして出て行きました。ペサハの期間中にパン種の入った物を食べない習慣はこの故事から来ています。
 
そして、ここからイスラエルの民は荒野での放浪の40年間へと入り、シナイ山で神から「(不変の」約束の民」としての契約を結び、祖国イスラエルの地に帰るにいたるのです。
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プリムでの風習

エルサレムでは昨日の晩(1日)プリムが終わりました。
この記事ではプリムでの風習を紹介したいと思います。


<プリムのならわし>

1.エステル記の朗読
プリムの夕べにシナゴグに会衆が集まり、エステル記を読みます。子供たちを中心に、いろいろな大きな音を立てる物を持ってきます。そして朗読中にハマンの名前が出てくると、その名が聞こえないように騒ぎ立てます。エステル記には「ハマン」がいっぱい出てくるので、その名が出てくる度に会衆全体で大騒ぎをします。

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ラアシャンと言われる、大きな音を立てるプリムのおもちゃ、「ハマン」の名前がエステル記朗読で出てきた時に振り回して、大きな音を立てます。ラアシャンとはヘブライ語で「大きな音(や騒音)を出すもの」。

2.仮装
プリムといえばこれ、仮装です。
この仮装は、エステルがユダヤ人であると言う事を隠していたという事から来ています。なのでプリムには、みんなが仮装をして自分が何者かを「隠し」ます。
プリムの前になると街中の店にドレス・ウィッグなどのたくさんのコスプレグッズが並び、街で仮装した人を見かけます。
こんな習慣は、15、6世紀頃イタリアのユダヤ人の間でその地のカーニバル(謝肉祭)の影響で始まったという説も有力らしいです。

3.飲酒
「悩みが喜びに変わった」とエステル記にあるようにプリムは喜びの祭り。この日はコシャー(食物規定)などにうるさいユダヤ教もドンちゃん騒ぎを積極的にします。「ハマン」と「モルデカイ」の区別がつかなくなるまで酔いなさい、とタルムードにも書かれているみたいです。
なので、世界中のユダヤ人たちはこの日お酒を楽しみ酔っ払いに。
特にイスラエルでは街中酔っ払いだらけの状態になります。
ただ、日本での年末と同じでこのプリムの期間では飲酒運転の取締りが厳しくなります。

プリムという祭り

<プリム(פורים)の起源>
「プリム」の祭りはユダヤ暦の12月、アダルの月(グレゴリオ暦の2・3月)の14日に祝われている祭りです。ただ世界中でエルサレムだけはアダルの月の15日になります。
ちなみに今年のプリムは2月27日、イスラエルでは今日2月28日。

プリムとは古代ペルシャ帝国時代、大臣のハマンによって計画されたユダヤ人絶滅が、エステルとモルデカイのユダヤ人2人の活躍によって阻止されたという事件を祝う祭りです。
紀元前4世紀、ペルシャ帝国は大小127以上の国を支配下にする大帝国をなしていました。ユダヤ人はバビロン捕囚からこのペルシャ帝国によって解放されてはいたのですが、まだ多くのユダヤ人がそのペルシャ帝国の領地に住んでいました。
アハシュエロス王の治世、彼にはワシテと言う美しい王妃がいました。しかし、彼女が彼の命令に背いたために彼女は王妃の地位を追われ、アハシュエロス王は帝国中から新しい王妃を探しました。そして、エステルと言うユダヤ人の女性が新しい王妃として迎えられました。しかし、彼女は自分がユダヤ人であると言うことを隠していました。

しばらく後、反ユダヤのハマンと言う男がアハシュエロス王に気に入られ大臣の上の丞相(総理大臣)に任命されました。そして王は、彼に絶大な権限を与えました。ついにはハマンに対して敬礼する事を王が命じるまでになったのですが、ユダヤ人(ベニヤミンびと)でエステルのいとこモルデカイはハマンに対してひざまずきも、敬礼する事も拒みました。ハマンは激しく怒り、アダルの月の13日に帝国内のユダヤ人を全滅させると言う法令を発布するように王を説得し、詔が発布されました。この「13日」はくじを作ってハマンが自分で引いて決めました。プリム(פורים)とはヘブライ語でくじ、つまりこの時のくじです。

これを聞いたモルデカイは帝国の都スサにいるユダヤ人を集めて、3日間断食し祈りました。そして、その断食の3日目に、エステルは王のために酒宴を開き王に願いハマンもその宴に招待しました。また、次の日もエステルは同じように酒宴を設けました。その場で王はエステルに「あなたの願いは何か。その願いは必ず聞かれる」とエステルに言いました。

エステルはその場で自分がユダヤ人であるということを告白し、王によりユダヤ人絶滅を企んだ丞相のハマンは処刑されました。そして、エステルのいとこのモルデカイが処刑されたハマンに代わって丞相に任ぜられました。

アダルの月の13日にユダヤ人は多くの敵を殺しました。
そして、アダルの月の14日に休み酒宴を開き「喜びの日」としました。

こうして、後にアダルの月の14日をプリムとして祝う事になったのです。

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