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この紙の山、見て下さい!!
これ、僕が参加する大学の発掘のための事前資料なんです。
僕の発掘場所は、ウァディ・ハマンというガリラヤ湖畔の村にあるローマ時代の遺跡。
イエスが生きていた時代の遺跡と考えられています。
そこで2・3日前、発掘に参加する生徒が集められ、事前資料のリストをもらいました。
そこでみんなで手分けして、考古学部の図書館やキャンパスの大図書館で集めた資料の山がこれ。
これ、全部ヘブライ語で200ページあります。
発掘への事前課題は、これらの資料を全て読み、ローマ・ビザンチン時代のガリラヤの歴史背景(1)、ガリラヤのシナゴグの年代測定について(2)、ウァディ・ハマン(発掘現場)の発掘の歴史(3)、そしてウァディ・ハマンで発見された主な時代と主な発掘品(4)について、5ページにまとめろというもの。
提出期限は、発掘の初日、今月の20日です。
習ってまだ2年のヘブライ語で、200ページを10日間で読んで・まとめて・5ページも書かないといけないとは・・・今までの課題よりはるかにミッション難易度は高いです。。。
ミーティングが終わった瞬間に、
「ちょっと待ってつかぁさい・・・」
と龍馬伝ばりに言いそうになりました(笑)
これから10日間は写真にある、書類の山とbabylonの英語-ヘブライ語のポケットディクショナリーが僕のお友達になりそうです。しかも、発掘のために色々揃えるために買い物にも行かんとあかんし・・・
とにかく、もうちょっと時間をもらうなり。資料の数を減らしてもらうなり。
来週、大学の先生に掛け合ってきます。
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考古学うんちく
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ヘブライ大学で考古学を勉強している事を利用して、いろいろと「あぁ〜」と思った事や考えた事を書いていきます。
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日本の考古学部の事を僕はとんと知らないのですが、ここイスラエルでは考古学部といえば課外学習が一番多い学部。ヘブライ大学での1回生の日程がもうすぐ終わるのですが、最近は5週間連続で木曜に校外学習が入っています(木曜日は考古学部ではレクチャーが基本的になく、校外学習の日とされています)。
さて、今週の木曜は校外学習5週連続リリースの第4弾という事で・・・(笑)
ビザンチン考古学で、南のネゲブに行ってきました!!
この日回ったのが2箇所、オブダット(アブダット)とマムシット。 2箇所とも、ナバデア人の遺跡であり、その後のローマ・ビザンチン時代にも交易路上として栄えた宿場町です。
ナバデア人とは紀元前4世紀ごろから栄え始めたアラブ系の馬を使って交易を行っていた遊牧民族。しかし、紀元前2世紀頃になると人口増加により遊牧が不可能になり、各地に定住をし始め「ナバデア王国」となりました。王国の中心地はぺトラ、「インディージョーンズ」でロケ地になったのとかでご存知の方も居られるかもしれません。のち(紀元2世紀初め)にぺトラを占領され、ローマの属州となりました。 この日回ったオブダットとマムシットはナバデア人の時代からローマ・ビザンチン時代にかけて、『香の道』の宿場町として国際色豊かな街として栄えました。ギリシャ・ローマへと繋がる地中海や紅海の港町とぺトラを結ぶ交易路は、ナバデア人初期から香の交易で栄えました。しかしナバデア人がもともと遊牧民であった事もあり、建築物はローマ・ビザンチンのものが多いのです。
行ってみてすごく興味深かったのですが・・・
南部は観光客も少ないせいか、国立公園の発掘・整備がかなり遅れています。 まぁ、それだけ考古学者の仕事は残されているという事なのですが、政府自体も(マサダは別として)南部の遺跡よりも北の方の遺跡に力を入れているので、これからも大規模な発掘事業が行われるかは疑問符が付きます。 遊歩道の上にも土器の破片が散乱してるなんて・・・整備されまくっているマサダとは大違いです。 土器をお土産として持って帰ってきました**
来週の木曜日は、(旧約)聖書時代からヘレニスト→ローマ→ビザンチンと栄え、どの時代の遺跡も残っているベイト・シェアン(別名:スキノポリス)にローマ考古学で行ってきます。イスラエルにあるローマ時代の遺跡としては最大級、グレコ-ローマの文化を色濃く残したローマの街が遺跡になっているので、1回生最後の校外学習も楽しみです。 |
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久し振りの投稿になってしまいました。
変な話ですが。yahooブログ、投稿しにくくないですか??
言い訳っぽく聞こえるかも知れませんが、というのも僕もこの投稿していない間に何度か投稿を試みました。
で、『新規投稿』のページで原稿を一通り書き終え、
太字にしたり写真や水平線を挿入したりしていると・・・
投稿のウィンドウがフリーズしてしまい投稿できず、もちろん原稿はパーに。。。
という事を僕の学習能力の低さゆえか、何度か繰り返してしまいました。
で、この記事からwordで原稿を作ってから投稿するようにしました。
そんな事はさておき・・・
最近、ローマ考古学の授業で面白い課題学習が出ています。
その課題の記事というのが、古代ギリシャ・ローマの食事の部屋から各文化の特徴を探るというもの。
その記事を読んで、記事を自分なりに記事を各パートに分けて見出しをつけ、ギリシャ・ローマの食堂の特徴をまとめて比較し、記事に対しての感想を述べると言うものです。
この記事がすごく興味深くて面白いんです。
内容を簡単にまとめると・・・
ギリシャ・ヘレニスト時代の典型的な食堂がこちら。
アンドロンという形で、正方形の部屋にソファーが入り口以外の全ての面に壁に引っ付くような形で置かれています。各ソファー写真のように1人か2人で使い、各ソファーごとに小さなテーブルが置かれています。これがヘレニスト時代の典型的なギリシャ的食事の部屋でここでシンポジウムが行われ、食事の後に討論会が開かれていたようです。
筆者はこのアンドロンの配置、入り口以外は四角の部屋全ての面に人が座っていた事から、比較的ギリシャ文化はヒエラルキー(階級制度)がガチッと決まっていない、比較的社会的平等がある文化だというふうに結論付けています。
それに対しこちらがローマの典型的な食事の部屋。
トゥリクリニウムと言って、四角の部屋なんですが入り口の面にはソファーは置かれず、残りの3面に「コ」の字のようにソファーが置かれる「パイ(Π:ギリシャ文字)シェイプ」というかたちになっています。テーブルは1つ中心にだけ置かれ、みんなで共有していたようです。
筆者はこの(3面だけの)「コ」の字のソファーの配置から、誰がどこに座るかが非常に問題になっていただろう。なのでローマ文化は非常にヒエラルキーがハッキリした文化だったのだろうと、筆者は結論付けています。
この記事の面白い観点は、机やソファーの配置という考古学的資料から各文化のヒエラルキーの特徴を導き出すと言う観点。
ただ、この記事で取り上げられていたのは考古学的資料だけからではまだ不十分。ソファーの配置だけではヒエラルキーがどうのこうのは言えないので、もっと歴史的資料が必要ではないかというのが僕の感想。
(こういう課題で感想を問われた場合、絶対何か筆者への反論をしなければいけないのです。)
ただ、歴史的根拠や資料などを使うのがヒエラルキーを語る時にはセオリーなのですが、食事をどのように座って食べるかでヒエラルキーを語ると言うのは面白い観点だと思いました。
ただ考えると日本も「1人1人の個人の膳」→「ちゃぶ台」→「テーブル」という食事形態の変化は社会のヒエラルキーの変化を反映しているような気がします。あと、日本人は「パーソナル・ディスタンス」が他の文化よりしっかりしていますがこれは、日本古来のお膳での1人1人が孤立したような形態で食事から来ているのではないか・・・
食事ってやはり文化のなかで最も重要なエレメントの1つ、
「食事から文化が見えてくる」ってホンマで、面白い観点だなぁという事で、記事を読んでいろいろ思わされたというか考えました。
さて、この課題の期限まで1週間。
しかもローマ考古学の最終スコアのなかで10%を占めます。
試験で9割は非常に高いハードルですが、課題で9割は時間を掛けてきちんとやったら越えられない事もないハードル。しかもこの課題で9割を取ったら確実に9%は成績で見込めます。
もう1つ、イスラエル考古学の方も2つ記事を読まなければいけない課題があるのですが、
しっかりやって、高得点狙っていきます!!
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イスラエルに来て2年と1月チョット。
1週間ほど前に生まれて初めて発掘というものに参加して、
『至福の時』を感じる事ができました!!
それは、土器などの発見をした時ではありません。
僕の感じた至福の時とは・・・
この眺めを見ながらコーヒーを飲んだ時です!!
朝起きて顔を上げたらガリラヤ湖の湖面に、この光景が・・・
そして朝一に飲んだあのコーヒーの味、今も忘れられません。
洒落たカフェで飲んだコーヒーよりも、昔の彼女とスタバで飲んだコーヒーよりも、
段違いに美味しかったです**
人生で一番美味しいコーヒーを飲んだ僕の初発掘でした。
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ご無沙汰になってしまいましたが、今回は先週行ったハル・ニタイでの発掘についてもう少し書いていきたいと思います。「えっ、こいつ何の事について書いてんの??」と思った方は前に書いた「ついに、初発掘!!」をスターターとしてどうぞ。
僕が参加した発掘が行われた、ハル・ニタイ(ニタイ山)はミグダルという小さな街の近くにあります。ちなみにこのミグダルはあの「マグダラのマリア」の生まれた街としても知られています。
そんなハル・ニタイはとなりのハル・アルベルという山と隣接しています、もともとは1つの山だったのですが太古に起きた地震により2つの隣接し合う山へと分かれたようです。
ユダヤ人の大歴史家、ジョセフス・フラビウスの記述によればハスモン朝(紀元前2〜1世紀のユダヤ王朝)と後に王になりイスラエルを支配するヘロデ率いるローマ軍との最後の戦いがハル・アルベル行われたとされています。ジョセフスによれば、ハスモン朝の最後の残党が隠れ住んでいたのがハル・アルベル。
そして数年前に、その隣のハル・ニタイでローマ時代のものと思われる壁か石垣のような建築物が発見されました。それらがそのハスモン朝とローマとの戦いと何かしらの関係があるのではないかという事で行われたのが今回僕が参加した発掘です。
〜スケジュール〜
6時: 起床後、コーヒーとクッキーの軽食
7時半〜10時半: 発掘
10時半〜11時: 朝食
11時〜2時半: 発掘
2時半〜3時: 昼食
3時〜7時半: 発掘
7時半〜: 食事の用意
9時ごろ: 夕食(たいてい豆か米の入った雑炊)
就寝=各自の時間
こんな感じで丸3日間、発掘に参加してきました。
皆さん発掘というとブラシを持ってコシコシみたいな事を創造されるかも知れませんが・・・
実際は大量に積み上げられた石、岩や土砂などを取り払う、ホントに力仕事。僕は石・岩担当だったので1日10時間以上、丸3日、ずっと重たい石をせっせと運んでました。まるで土建屋さんの夏のバイトって感じですね。
ただ、岩や土砂を取り払い発掘を進めた結果、ローマ時代の石垣だという事はほぼ確実だという事が分かりました。また、ヘレニズム時代のコインが何枚か見つかったほか、土器の破片も数十個見つかりました。土器の中には青銅器時代の土器の破片もいくつか混ざっていました。
大発見とはいきませんでしたが、ある程度石垣の全貌が明らかになったので、ある程度の成果を挙げれた発掘でした。
それに僕にとっては初めての発掘。
「発掘ってこんなもんなんだ!!」って分かっただけでも僕にとっては大きな収穫がありました!!
何枚か写真を貼っておきます。
〜石垣の発掘現場。
茶色の部分が掘った部分です。3日間で2mぐらい掘り進める事ができました〜
〜ハル・ニタイから北を望む。
手前に見える集落が、ミグダルです。〜 |








