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久しぶりの更新です。
年をまたいで、信じられないような事件が相次ぎ、到底理解できるはずもなく、
ワイドショーの格好の餌食になったこれらの事件に、人が失ってしまったものは何なのか、
改めて、考えさせられる今日この頃。ですが、
つい、先日まで、世の中を駆け巡っていたのは、「いじめ」。
1月5日(金)の新聞のインタビュー記事をご紹介したいと思います。
作家の重松清さんが、いじめについてインタビューされている記事です。
<記>いじめは昔からあるが、最近のいじめは集団の力が強まって陰湿化しているように感じる。なぜでしょう。
<重松>変わった要因は3つあると思う。親との関係よりも子供同士の集団の力が強くなっちゃったのは完全にハードの問題。具体的には、携帯電話とインターネット。僕たちの時代だったら、夕方バイバイって友達と別れたら、そこからは家の時間だった。今は、いつどこの誰とコミュニケーションとっているのか分からない状態。そうなると、子どもは家にいて肉体はあるんだけど、心はまだ学校の友達関係の中にいたりしているわけで、親の知らないところでいじめが増えるのは必然なんですよ。
2つ目が、僕たちの子ども時代から始まっているのかもしれないけど、子どもが消費者になって、物欲をあおられているわけですよ。昔は手っ取り早く稼ごうと思ったらカツアゲなんてやってたんだけど、逆襲を食らっちゃうリスクがあるから、いじめているやつをやったほうが確実にお金を取れる。これは恐喝や窃盗そのもので、いじめではなく犯罪なんです。
3つ目がね、子どもの自意識が変わってきた。今の子どもたちは小さなころから、「お前には豊かな可能性があるとか未来がある」とか言われ続けて、中学生ぐらいになると、だんだん自分の限界が分かってくるが、自分が優れているという気持ちは持ちたいわけ。その時に、自分の優れているものは何だろうと探して努力していくより、手っ取り早く自分より下の人間を作れば満足感が得られるじゃないですか。でも、下の人間を作るはっきりした理由付けがないから、いつ自分が負け組みの方に入れられるのか分からない。その不安定さが逆に、いじめる側にいたときに徹底して歯止めなくやっちゃうことになる。下手にかばうと、自分が負けのほうに行っちゃうしね。
<記>今のお話を聞いていると、改めていじめ問題の解決は難しいと感じます。
<重松>いじめ問題は解決難しいでしょう。でも目の前の具体的ないじめは食い止められるかもしれない。いま教育関係の人たちがいじめ問題を何とかしようとしてて、観念論、抽象論で議論している。目の前のいじめの話がどこか置き去りになって、子どもはこうあるべきみたいな話になる。教育とか子どもの問題は、まだ理想のほうがでかい。だからみんな理想の子どもを、理想の学校を、理想の親をつくるにはどうすればいいかって思っている。でも、目の前のいじめを現実的に解決しなきゃダメだと思う。
・・・中略・・・
<記>いま、いじめを受けている子どもにはどんな言葉をかけますか。
<重松>一言、「死ぬな」ということ。いまは残念ながら、いじめの処方箋はない。長期的な戦略もないんだけど、今日、とりあえず「お前は死ぬな」ということが大事なんじゃないの。処方箋や戦略を探し続けていると、サッカーで完璧な戦略を練っているうちに、ボールは向こうへ行っちゃったよみたいな感じになりかねない。目の前に球が来たら蹴るでしょ。その反射神経が大事だと思う。
まあ、もし子どもがいじめを受けたときのシミュレーションは、事前に考えておいたほうがいいかもしれない。うちでは、学校に行かせない、行く必要ないっていうことで、俺とかみさんの意見は一致している。もし何かあったら、学校やめちゃえばいいと思っている。夫婦とか自分の中で、もし子どもがいじめにあったら、自分はこうするぞと言う気持ちを固めておいたほうがいいんじゃないかな。
いつのまにか、目の前の出来事より、理想の空間に身をおいてしまっているのかもしれない。
その理想空間から、少しでも外れると、パニックになる。
もちろん、理想を持つことも大事なことだと思うし、理想とするものは持っていたいとも思う。
ただ、現実とかけ離れた理想空間は、危険空間以外の何者でもない気がする。
重松さんは、
「一般的に親が一発で分かる正解と言うか、完全な解決策を欲しがっていて、いろんな現実との折り合いを自分でつけていない機がする。百のいじめがあったら、百通りの現実があるわけですよ。と言うことは処方箋も百通りなかったら嘘なんだよね。」
ともおっしゃっています。
目の前の現実を受け止めることが最初の一歩なのかもしれない。
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お久しぶりです!今では親が共働きするところが多くなって、ダメなことはダメと言われることになれてない子ばっかりだと思うんです。しかも、子どもを見てないのに「うちの子はそんなことはしない」と言う始末。よくテレビなんかで議論してますが、メディアを通して議論するとどうしても客観的になってしまうのでこういったことを生徒や教育委員会だけではなく、保護者会などでガンガン意見交換をして真剣に話し合ってほしいです。
2007/1/18(木) 午後 11:59
コツさん、お越しやす(^^)。そうですよね。大人たちは、自分が子供の頃のことを忘れてしまったのでしょうか。厳しくされ、いやな思いをしたからこそ、今があるのに、「子どもにはいやな思いはさせたくない」と、変な優しさを注いでいるような・・・転ばぬ先の杖も必要かもしれませんが、転んだときの処置が大切だと思います。
2007/1/20(土) 午後 7:25
この記事もそうなのですが、今テレビでもいじめ関係の番組が多いですよね。その現場にいるのは被害者と加害者であって教師とか特にですが、その現場にいないのに知らないふりをしたり、口だけだったりは最低ですね。そんな人間から「人に優しくしましょう」って説得力がないです。
2007/1/21(日) 午前 11:27
おかしな世の中です・・・。思うに、手加減という概念が欠乏しているのかも知れませんね。或いは、こういうことをすれば、こういう結果が待っているという想像力もなくなってるのかも知れません・・・。いきなり何でもリセットにしてしまう。脳が機械化してるのかなあ・・・。詰まるところ、ネットと携帯の普及は、人間のイマジネーションをマヒさせてしまうのでしょう・・・。
2007/1/21(日) 午後 11:55
いじめは歪んだ自己主張です。いじめをするのは身体能力や適応力の優れた子がそれを認められず、そのいらだちからくる満たされない心を、運動能力の劣る人をいじめて解消しているのです。何か、皆に認められることを見つければ、いじめはしたくなくなります。…私のブログに来ませんか?
2007/1/24(水) 午後 8:18 [ par*di*e*oat*4142 ]
はじめに、コメントくださった皆様、返事が遅くなり、申し訳ありませんでした。
2007/1/25(木) 午後 3:41
ココタンさん>どんな事件でも、誰にでも起こりうることなのですが、起こってはじめて、『どうして?』と、うろたえてしまいます。分析も必要なことですが、目の前のことを処理していくことが、大事ですね。
2007/1/25(木) 午後 3:46
namoamidabutsu18さん>パソコンも、携帯も、便利な道具ですが、使い方を間違えてしまえば、何にもならないと言うことが前提で使用したいものです。はさみや包丁と一緒ですよね。優れた能力を発揮できる使い方もあれば、凶器にもなりうると言うことでしょうか。想像力の欠如は、ひしひしと感じます。
2007/1/25(木) 午後 3:50
paradaiseboat14142さん、はじめまして、ご訪問&コメありがとうございます。夢中で遊んだり、夢中で何かをすることが減ったのでしょうか。後ほど、うかがいます。
2007/1/25(木) 午後 3:52
家族の崩壊が1原因だと思います。家族がそろって食事ができる状態が崩壊しました。低賃金・残業や長距離通勤・単身赴任などが原因です。国の労働政策が問題を複雑にしています。親子のコミュニュケーションが不足しています。次に学校が人と人との関係で教育の基本が忘れられている事です。人格の形成と言う根本が忘れられ、単なる知識の詰め込みと良い大学に入る為の差別と競争の場になったことです。
2007/1/28(日) 午前 4:38 [ - ]
第3に地域社会の横の連携が崩れ、子どもたちが外で遊ぶ事がなくなりました。メンコ・凧揚げ・釘刺し・パチンコ・陣取り・石蹴り・缶蹴り・竹馬・S字ゲーム・押し競饅頭・馬とび・川遊び・肝試し・かくれんぼ・・・ 日が暮れるまで遊んだものです。このような遊びがなくなりました。遊びの中で、人と人との関係を学びましたが、今は危険だからと外で遊ぶ事が出来なくなりました。
2007/1/28(日) 午前 4:44 [ - ]
秩父雲竜さん>生活の画一化、日本人総中流階級、横並び・・・『個性、個性』と叫びながら、はみ出すことを恐れ、当たり障りのない人付き合い。『個性』なんて、この世に生まれた時点で、その人は『個性』の塊のはず。地面が平らになり、生活が便利になって、人は次に何を求めるのでしょうか・・・
2007/1/28(日) 午前 10:16