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11月27日(月)付け、地方紙朝刊 作家 宗田 理さんのコラムより 最近いじめられたからといって、自殺する子供たちが多い。死にたくなったら、人は死ぬとどこへいくのだろうか。考えて見るといい。 仏教では、あの世とこの世とのさかいには三途の川があるという。この川を渡るには三つの道がある。だから三途の川という。 生前にどんな行いをしたかによって、どの道を行くかが決められる。善人は橋を渡る。罪の軽い人は浅瀬。重罪の人は流れの急な深瀬をわたらなくてはならない。三途の川の河原が”さいの河原”である。子どもの死者はここで地獄の鬼にいじめられる。なぜいじめられるかというと、幼くして死ぬと、あとに残った親たちを悲しませる。親不孝の罪は重いと考えるのが仏教である。 子どもをなくした親の悲しみをうたったのが地蔵和讃だが、その一部を紹介する。 「これはこの世のことならず 死出の山路のすそ野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟わが身と回向して 昼は独りで遊べども・・・」 日が沈むころ、地獄の鬼が現れて、子どもたちが積んだ石の塔を鉄の棒でこわしてしまう。このあわれな子どもたちは結局、地蔵ぼさつにすくわれることになるのだが。 むかしは病気などで子どもがよく死んだ。その霊を慰めるために、畑の道端に石のお地蔵さんを立てた。今でも見かけることができる。 地獄と極楽の話を幼いときに老人から聞くのは決してムダなことではない。そうすれば、自ら命を絶つようなことはしなくなる。 地獄と極楽の話で、自殺を食い止められるかどうかはわからないが、 子供の頃の、祖父母と過ごした時間は、確かに貴重だったと思う。 厳しい祖父に口うるさい祖母だったが、今は亡き、祖父母のことは今でも好きだ。 それから、このコラムを読んで、中学校のとき(多分)の国語の教科書に載っていた、 「羅生門」をなぜか思い出した。人のエゴイズムにかなりへこんだ。 今は、あの世の存在を硬く信じているわけではないが、 目に見えないこと、科学で証明できないことを、否定はできないと思っている。 神棚と、仏壇には毎日手を合わせる。
どこかで、信じている、というより信じたいと思っているのかもしれない。 試練も苦行も、与えられたもの。とは、なかなか思えないけれど、 それを放棄して、死を選んでも、さいの河原で鬼にいじめられてはたまらない。 |

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私は仏壇に手を合わせています。親が生まれてほしいことを望んで産んだのにその子が生きようとしないのは、辛いですよね・・・。
2006/11/28(火) 午後 9:51
kokotan912さん、こんにちは。コメント遅くなってすみません。最後は、自分自身のために生きるものだと思いますが、人は、やっぱり一人じゃ生きていけない。愛してくれる人々を裏切ることは、決して許されないと思います。
2006/11/30(木) 午後 2:59