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産経新聞の主張「1年ぶりの死刑 法執行は粛々とすべきだ」に違和感を覚える人は少なくあるまい。
人の死を「当然のことが当然になされたにすぎない」と傲然と伝える行間から、人権意識の荒廃が臭ってくる。人権派を「人権屋」と敵視するこの新聞ならではだが、閉塞的な社会状況に乗って拡散するから要注意である。
死刑を支持する人は、原始的な報復感情が強い。歴史的には封建時代以前の公開処刑場で見られたもので、残虐なほど観衆は狂喜した。
人権意識とは反対方向の感情であり、死刑を支持する人が多いと言うことは、社会の未発達もしくは劣化を物語る。
死刑支持者にはしばしば、特有の屈折した理屈がみられる。被害者の人権はどうなる、死刑廃止論は被害者の人権軽視、というのがそれである。
これは論理のすり替えか開き直りである。差別意識も刷り込まれている。
人権には、王と平民の区別も、加害者と被害者の区別もない。衡平性、バランスの問題があるだけである。
2年目を迎えた裁判員裁判では死刑の判断も迫られるが、万が一にも死刑宣告が乱発されるようになれば、社会には殺伐たる雰囲気が満ちるだろう。
人間が人間を殺す死刑は、本質的に共食いと似ている。箱の中の蜘蛛の群れが最後に一匹になるように、国家権力による暴力である死刑が横行する社会は、統制と恐怖が支配し、怒りと憎しみに愛や寛容は隅に追いやられ、道徳は地に墜ち、急速に衰退に向かおう。
憂慮されるのは、死刑がバーチャル化し、安易に実務的に宣告され、執行されることである。
近代は公開処刑は非人間的として禁止されたが、一般人から死刑への実感を奪ってしまったことも否定できない。実感なき死刑制度の矛盾である。
それに警鐘を鳴らす意味で千葉法相が死刑に立ち会ったとしたら、評価してよい。産経主張は「裁判員に予断を与える」と立会いを非難したが、的外れである。
千葉法相は死刑のバーチャル化と衝動的な死刑判断を防ぐ上で一石を投じたと言える。
死刑に携わる人は現場に立ち会い、それがいかに野蛮で非人間的なものであるかを実感し、生涯を通して考え続けるくらいの責任を感じてしかるべきである。
人間一人の命はそれくらい重い。死刑囚だからとどこかのバーゲンのように軽く扱って許される性質のものではない。
産経主張は「内閣府が今年2月に公表した世論調査では、死刑を容認する意見が過去最高の85・6%に達している」と嬉々として挙げるが、これは悲しむべき現象なのである。
格差拡大やリストラなどで人間がモノ扱いされ、世界中で人が殺しあう昨今の世相と無関係ではあるまい。
例えば、米軍は世界中で戦争に従事し、無数の人間を「敵」として殺している。現場の兵士は人間が人間を殺す矛盾に直面し、精神病を患う兵士が続出している。
ところが、命令を出しているホワイトハウスの住人たちは、戦場とは無縁の日常生活を送り、宴会に興じ、生活をエンジョイしている。
死刑のバーチャル化と戦争のバーチャル化は、人権軽視、人命軽視で根底でつながっている。
悪の連鎖を断ち切る必要がある。
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酒鬼薔薇聖斗・教育
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韓国のラジオ放送「開かれた北朝鮮放送(Open Radio for North Korea)」は28日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル、Kim Jong-Il)総書記(68)が自分の隠し資産を、後継者と目されている
三男、金ジョンウン(Kim Jong-Un)氏(27)に贈与しようとしていると報じた。同放送によるとこの贈与の手配をしているのは、金総書記の側近で、国外にある総書記の秘密資産の管理を任されているとみられ、4月に駐スイス大使を退いた李哲(リ・チョル、Ri chol)氏だという。金総書記の個人資産は、経済不況と北朝鮮に対する国際社会の制裁が原因で、目減りしていると専門家はみている。08年8月に総書記が脳卒中に倒れて以降、ジョンウン氏が後継者になる準備が進められていると各地で報道されている。めったに開かれることのない朝鮮労働党の党代表者会が9月に予定されており、
北朝鮮専門家の中には、この会議でジョンウン氏が後継者に指名されるとの見方もある。
2010/7/31(土) 午前 11:14 [ AFP ]
3万人の人々が毎年自殺で死んでいる現状から、いかに自殺が身近なものか、とくと考えるべきものだ。
異常でもなんでもない、異常というのは作られた幻想に過ぎぬ。
もっと身近な交通事故でさえ今は6000人とかに少なくなっているのだから、自殺を思い留まった人も含めれば、けっして遠い彼方の話ではないのだ。
だからいつも言うのだ、拉致と死刑と、そして自殺と、どれが一番の緊急事態なのだ。大騒ぎすべきは3万人の世捨て人たちと残された家族であろう・・・・・お金を投資すべきはそちらの筈だ。それをマスコミもどいつもこいつも、あさってばかり問題にしやがって、
これらの人たちが消えて行く事によって、生産力も消費力も衰えていくのは必然。
このようなところに日本経済が立ち直れない根本があるのだ。自殺を異常事態だ、非常識だと答えを打消す心が、日本をダメにしているのだ。
2010/7/31(土) 午前 11:23 [ ara*2*66 ]
殺人犯は一律で死刑にすべき、というお考えはよくわかりますし被害者の無念を考えればもっともだと思うのですが、すべて死刑に、ということであれば、今年無罪となった菅谷さんも処刑され(死刑確定囚が再審で無罪になるのは非常にまれです)無実の人を殺すことになってしまう。現在の制度でも無実の死刑囚がいるのでは、という懸念があります。理念としての「目には目を」というのはもちろんだとおもいますが、現在の制度には欠陥を感じざるを得ません。
2010/7/31(土) 午後 0:25 [ 太郎 ]
証拠が不十分である場合、又、本人が頑強に無罪を主張している場合など再考の余地がある場合は、出来うる限り冤罪を防ぐ必要があり、4回でも5回でも審理を尽くすが良かろうと思います。
それも、3重4重の別組織での審理をさせなくてはなりません。
同じ裁判形式であると、視点が同一になり易いからです。
殺人犯を一律で死刑にすべきと言ってるのではなく、殺し方によって、死刑と有期刑を分けるのがいいじゃないかと思うのです。
人数で杓子定規にやるのは、分かり易いとは言えますが、あまりに軽率のような気がします。
少しずついたぶりながら殺すようなやり方であるとか、バラバラにするとか、これらは例え一人であっても犬畜生にも劣るような陰湿な側面がありますから(多分、生まれ持っている性質でありましょう)これらは断罪すべきです。それでもよくよくの事情があれば軽減されるでしょうが・・・・
2010/7/31(土) 午後 1:02 [ ara*2*66 ]
点数制を採用すれば良かろうと思います。
例えば丸暴組織なら、最初マイナス一点スタートからとか、そうすれば、量刑を決定するにも裁判員が悩む必要もありません。
裁判に「情」の入り込む隙間が有り過ぎるから問題が起きるのです。交通事犯のように有無を言わさず点数制で審議すれば、もっとも近代刑法と言えるのではありませんか・・・・
2010/7/31(土) 午後 1:02 [ ara*2*66 ]
確かに死刑を喜ぶような新聞記事には違和感があります。
聞けば、死刑よりも終身刑の方が抑止効果があるそうだし、鳩山(弟)のように、「ベルトコンベア式に死刑を実行するのが楽」と言うのは愚かな発想だとは思いますが、一方で被害者の無念や遺族の苦悩を思うと、加害者だけがのほほんと生き長らえる制度も釈然としません。
自分(或は仲間)が襲われ、やむを得ず相手を殺しても正当防衛なら許されます。仮に過剰防衛でも状況によって免罪もあります。
しかし、女性や子ども、老人などは身を守る力がありません。そう言う弱者を狙う殺人犯は本来正当防衛で殺されても仕方ない行為をしてるのに、捕まれば命は守られ、人権も尊重される。
なんか変・・・
どうしても死刑を廃止するなら、凶悪犯らには地雷除去など危険な社会奉仕を一生やらせて欲しい。
2010/7/31(土) 午後 4:02 [ cutter ]
死刑は原始時代、古代からある。
死刑廃止は近代になってからだから、文明度と関係している。
2010/7/31(土) 午後 7:53 [ 一読者 ]
文明度というのは思い上がりです。昔の平安時代ではあまりそのような死刑制度というものはなかったように思います。歴史家ではありませんから詳しくは知りませんが・・・・・武士が台頭するようになってから、力を背景とした厳しい断罪の社会が発生したように思います。
死刑を廃止するためには、恨みを諦めに変えてもいいくらいの補填がなければ、一生癒える事がないのです。殺人者が生き長らえ、いとおしい被害者が無残に殺される現実を直視した時、それをジッと我慢するには、余りある加害者に比してより以上に満足できるものが必要なのです。誰しもが同じ殺し方で殺したい・・・・と思う心情を誰が共食いとか、殺伐とした雰囲気が漂うとか言えましょうか・・・・
自然に発生する感情の横溢です。それを実行する事とは別物ですが・・・・
そして次第にそれも時間とともに薄れて行くのです。それも自然の為せる産物です。
被害者家族は、殺人者が死刑になって死んでくれて初めて、モヤモヤが吹っ切れる場合が多いのです。そこから新たなる門出が始まると言っても過言ではないし、恨みのほとんどは雲散霧消するのです。
2010/7/31(土) 午後 10:02 [ ara*2*66 ]
残された被害者家族たちのためにも、ひとつの区切りのようなものが必要で、それが殺人者の死によってもたらされるのです。
だから、拉致家族にして見れば、シンガンスさんや金正日さんが死んでくれて、ひとつの区切りとなるのです。
家族はそうでしょうが、マスコミや政府は立場が違います。それを大仰に騒ぐ彼らの組織は別の邪な思惑が見え隠れしているのです。
被害者家族がそれによって不幸を背負って行くような事態では、公正な裁判が行われているとはとても思えませんね。
自分たちをこんなドン底に陥れたのは殺人者そのものですから、憎しみは募る一方となります。その憎しみを否定するのですか・・・・
その憎悪は自然に発生したるものです・・・・それを軽減させなくばならないのは、政治のやるべく事なのです。
2010/7/31(土) 午後 10:15 [ ara*2*66 ]
それからもうひとつ言い忘れていましたが、一人の殺人者を探し当て追い詰めるのに何人の捜査員の手当てと経費と期間の合算があると思いますか・・・・たった一つの殺人事件が、たったひとりの殺人事件がこれほどに大きな影響を及ぼしてしまうものなのです。いかに殺人というものの罪深さがあるものかを胸に刻んでいただきたい。
金正日さんの事を出してしまいましたが、あれは米朝の戦争中時での出来事であって、普通の殺人事件とは趣がやや違う事を付記しておきます。(日米同盟)とのつながりも関係しています。
ただ被害者家族は拭えぬ怒りがあるのは当然の事です。
だからと言って、政治やマスコミが「いつまでも」大騒ぎするのとは意味が違います。政治は国際的交渉事なのですから、何もしないで「見ているだけ!・・・とか、文句を言うだけ!」では済まされないのです。
2010/8/1(日) 午前 8:19 [ ara*2*66 ]
以上で前回と今回で死刑存置側の意見の集大成を申し述べられたと思います。これが他の人の存置論とは微妙に違うかも知れませんが、ほぼそれほどの相違はないでしょう・・・・
2010/8/1(日) 午前 8:31 [ ara*2*66 ]
死刑支持者が多い国は社会が混乱し、人心が荒れている後進国によくみられる。北欧など社会が安定し、豊かな国は死刑を廃止している。先進国では日本、米国は例外的。ともに財政赤字が深刻化し、格差拡大で社会の緊張が高まっている。
2010/8/1(日) 午前 9:32 [ 一読者 ]
日米ともに落ち目だから、間引き段階に入っているのだろう。
2010/8/1(日) 午前 9:42 [ 在ソウル ]
一読者さん
北欧は人口にしても少なく、確かに安定もしているだろう・・・・しかし、それは、政治や人々の思想が、考え方が優れているからだ。
日本のように一部の圧力で、政治が左右されてしまったり、情報機関(マスメディア等)がこのような惨状の国では、正義の刃はないに等しい・・・・・人々が必ずしも常識人ではないから、歪みがあちらこちらで見かけられてしまうのだ。つまり、被害者に対しての充分なケアというものが日本に於いて行われているだろうか?大分是正はされてはいるが、まだ殺され損という時代であろう・・・・ケアが十二分にされている国家とならなければ、復讐心を抑える事はできないのだ。
拉致家族をごらんなさい、お金を貰いつつも、いまだに憎しみを抱いているではないか・・・・・
政治も国民生活を第一に置いているか?・・・・それを唱えている「小沢さん」をアメリカも官僚も検察も検察審査会もマスコミも寄ってたかって叩いているだろ・・・・そんな国で、死刑廃止など片腹痛い・・・・
2010/8/1(日) 午前 10:38 [ ara*2*66 ]
そのような国家だから、死刑廃止などできないのだよ。憎しみを抑えるには、余りある豊かなるものが必要なのだ。徹底的なケア組織が必要なのだ。日本にそんな機運があるか?・・・・・そういった事に力を注ぐのが北欧の有り方なのだ。だから、死刑廃止を唱える前に、被害者へのケア、心の傷を引き摺る人々への補償のようなシステム作りが先決なことなのだ。それで始めて殺人者に対する憎しみが和らぐ・・・・・これらが常識として理解できる大半の国民でなくてはならない。日本人にこれらを理解できている人が何人いるのか?良く考えてください。
拉致家族がお金を貰いつついつまでも憎しみを温存しているのも、いつまでも政治やマスコミが大騒ぎしているからだ。大騒ぎするのは「憎しみの再確認」作業でもあるんだよ。
そのような憎しみの再確認作業をマスコミや政治がやっている事、事態で愚かなことがわかるだろう・・・・・本来、解決が長引くのなら、忘却作業を進めなければ北欧のような国家には成り得ぬ・・・・
2010/8/1(日) 午前 10:53 [ ara*2*66 ]
ただ単に死刑を廃止すれば済むものなのかは、識見有する者ならば簡単に分かる。
それをするためには、憎しみの軽減が絶対必要なことで、それでなければ上滑りの議論でしかない。北欧はそれらも含めて政治もマスコミも取り組み解決しているのだ、そして、それが国民各位に当然のように流布されている筈だ。私は北欧の事情など知らなくても、常識として判断できる。そのほかの国で言えば、ただそれを真似ているだけの国もあれば、それぞれの国情にあった制度にしている国もあるだろう・・・・が、基本は最初に死刑廃止ありき・・・・ではなく、最初に、残された被害者への救済ありき・・・・からスタートしなければならない。それが憎しみの軽減につながるからだ。
2010/8/1(日) 午前 11:06 [ ara*2*66 ]
日本の現実は厳しい。
しかし、死刑廃止が民度の物差しであることは間違いない。
2010/8/1(日) 午前 11:16 [ 在ソウル ]
私は民度の物差しとは思わない。
何故なら、自然は必ず殺人者を簡単に誕生せしむるからだ。
私は自然法が最も優れるものと思うからだ。
殺人者を生むのも、何か必要があるからだろうと推定するからだ。
国の規模から考えても、北欧に近づくのは困難、世界の人口数から考えても、その食料の枯渇からすれば到底、殺人者を失くすことは困難。これからも殺人者を糾弾することはあっても、殺人者を擁護する社会は生まれそうもない。
資金的にも余裕があるから政治がそれをできるのだ。老人大国日本にその余裕はない。これからもアメリカにジャンジャンお金を使わされる。死刑は残して置くべきだ。少なくともそれを恐れる人がいる限り、その人たちのために残して置かなくてはならない。それは殺人者のためではない、「躊躇する善良なる多数の国民のために」残して置く必要があるのだ。一種の予防線で、賢明なる人々に犯罪を想定させないための関門としての役割であり、賢明な国家の選択であろうと思う。
そういう意味で、死刑廃止を民度とは絶対思わない。
2010/8/1(日) 午前 11:50 [ ara*2*66 ]
>死刑支持者にはしばしば、特有の屈折した理屈がみられる。被害者の人権はどうなる、死刑廃止論は被害者の人権軽視、というのがそれである。これは論理のすり替えか開き直りである。差別意識も刷り込まれている。人権には、王と平民の区別も、加害者と被害者の区別もない。衡平性、バランスの問題があるだけである。
だから死刑賛成派は、死刑を無くす事が被害者側の権利としての衝平性を欠き、バランスを失うと言っているんでしょう。解りますか?
これのどこら辺が屈折した理屈なのでしょう。
自分の物差しと目盛りが違うと、賛成派の人たちは平衡感覚が無い様やら、差別意識がある、なんて言い切ってしまうのですね。差別意識があるのは河さん、あなたではないですか?
2010/8/21(土) 午前 3:49 [ 初見 ]
バーチャルの件についてもですが、そもそも人権の根源である自然権思想もバーチャルの世界ですが・・・・。個人の人権が何より大事という考えは、フィクションであり、それを大勢が支持しているだけで科学的意味の真理ではありません。少し自然権思想から離れて物事を考えてみては如何でしょうか。
死刑制度の根本的矛盾の記事の方でも言いたいことはあるのですが、返信は来ないであろうと思うのでここだけにしておきます。
2010/8/21(土) 午前 3:50 [ 初見 ]