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児童虐待や子殺し事件が後を絶たない。摘発が強化された、伝染病的な流行と様々な見方があるが、背景にあるのは、年収などカネで人格や人間の価値まで測ってしまう金銭フェティシズム(崇拝)がある。
こうした人間の商品化、疎外は資本主義社会の宿命だが、漫然と流されてしまうわけにはいかない。色々な手立てが考えられるが、原点に戻って考えるのは、混乱を収束させる有効な方法である。
親の子に対する愛は本能的なもの、との命題に疑問を抱かせる昨今の風潮だが、どっこい、それはやはり真実であった、と改めて教えられる学術発見が最近あった。
チンパンジーの母親が死んだ子どもをミイラ化するまで背負い続ける例を、京都大学霊長類研究所の林美里助教、松沢哲郎教授らのチームがギニアの野生チンパンジーの群れの中で複数観察し、ヒトが死者をとむらう行動の起源ではないかとして論文にまとめ、27日付の米生物学誌に発表した。
朝日新聞が報じるところによると、チームは、西アフリカのギニアで野生チンパンジーの群れの調査を30年以上続け、①ジレと名付けたチンパンジーが1992年に病死した2歳半の子どもを27日間以上、2003年にも病死した1歳の子どもを68日間背負い続けた、②同じ群れの別の母親も死んだ2歳半の子どもを19日間背負ったことを確認した。
3例とも死体はミイラ化したが、母親は生きている時と同じように毛繕いをしたり、体にたかるハエを追い払ったりした。
チームは、子どもに愛情を示しているようで、生きているときと背負い方が違うことから「死んだことは理解している」とみる。
「ヒトが死者をとむらう気持ちも進化の過程で生まれた。死んだ子どもによりそうチンパンジーの行動に、その起源があるのではないか」と松沢教授は話しているという。
納得できる話だ。
私も川辺の散歩で似たような光景を見たことがある。
川岸に近い葦の茂みに巣を作っているバンという鳥が、餌を採ると自分は食べず、必ずまず数羽の子に口移しで与えていた。敵が子を襲った時は、体を張って守る。自分の数倍もあるカラスに向かって体当たりし、追い払うシーンを目撃したことがあるが、実に感動的であった。
居合わせた人々も「人間もバンを見習わないとね」と口々に語っていたが、同じ思いであったのだろう。
児童虐待や子殺しなどは、チンパンジーやバンの風上にも置けない、人間として恥ずかしく、情けないことである。
種としての人類の破滅の兆し、と言っても過言ではあるまい。
死んだ子への愛情が弔い行動となり、宗教の起源となった。これは進化論のロジックに適っている。
逆説的にいえば、昨今の新興宗教隆盛は人間社会の根本が金銭フェティシズムにより突き崩されていることへの危機意識の反映ではないか。
かの酒鬼薔薇聖斗も自分の神・バアモイドオキを作り、透明化する自分に何らかの存在意義を与えようとし、その儀式として小さな子供たちを犠牲にした。性的サディズムに原因を求めるのは、問題の矮小化である。
子供が親に反抗するのは自我が芽生えた成長の証であるが、それを「自分が否定された」と曲解し、「躾」と称して虐待する親は、形態は異なるが、酒鬼薔薇と同じことをしているのである。
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2010年04月28日
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