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中国漁船による韓国海洋警察庁隊員2人の殺傷事件について韓国メディアは意外と冷静だ。一部保守系メディアや団体は興奮しているが、今朝のKBSは事件に簡単に触れる程度で、自制が利いている。
むしろ「日本にとっても看過できない事態」(産経)と日本の一部メディアの方が過剰反応して反中感情を煽り、「尖閣に自衛隊常駐。防衛費増額」(石原自民党幹事長)といった強硬論を助長しているきらいがある。
事件は黄海の大青島の南西85キロ沖の韓国の排他的経済水域(EEZ)で12日午前7時ごろ、起きた。違法操業中の中国漁船を発見した海洋警察庁特殊部隊員16人が警備艇のボートから乗り移り、船員らを拘束した。
その際、船長とみられる男がガラス窓を割り、ガラス片を振り回し、特殊部隊員一人が出血多量で死亡、もう一人が負傷した。海洋警察は乗組員9人を拘束し、殺人罪で立件する方針だ。
厄介な事件だが、対応に失敗知ると韓中関係に亀裂が入り、成功すれば海洋問題の平和的な解決の前例となりうる。
背景には尖閣問題と同じ資源問題がある。日本の一角には「尖閣問題とは根本的に異なる」との見方が出ているが、それは認識不足だ。尖閣は海底資源、こちらは漁業資源である。
尖閣問題で日本は中国船船長を唐突に逮捕し、また唐突に釈放し、迷走したが、「強気に押せばどうにかなる」と中国漁船関係者が誤解し、今回の事件に微妙な影響を与えた可能性がある。
韓国海洋警察庁は12日、銃器使用条件を緩和すると表明し、隊員に危害が加えられた場合に限っていた実弾発砲を、今後は違法操業船に接近する段階から積極的に行うと警告したが、死傷者が出た以上、妥当な措置であろう。
ただし、それはあくまでも警察行動としてである。中国側も違法操業は認めており、密輸など犯罪行為に準じた対応として理解出来る。
しかし、「一部の漁船には中国海軍の兵士が漁民に姿を変えて乗り込んでいるとの情報もあり、中国国内で軍強硬派の発言力が勢いづいている事情を背景に、偶発的事件から日中、中韓の軍事的衝突にエスカレートする危険性を指摘する声すら専門家の間では上がっている」(「流血の海、中国漁船の凶悪化浮き彫り」産経13日電子版)はうがり過ぎであり、反中感情を悪戯に煽る危険性すらある。
あくまでも平和的な外交交渉で解決すべきことは言うまでもない。
念頭に置くべきは、法治国家への過渡的な状況にある中国の国内事情である。
問題は、韓国外交通商省の朴錫煥・第1次官が駐韓中国大使を庁舎に呼び、抗議とあわせて中国側の取り締まり強化と再発防止策の徹底を要請したことに中国大使は遺憾の意を表明した。
だが、北京で記者会見した中国外務省の劉為民報道局参事官が「われわれは韓国が中国漁民の合法的権益を十分に保障し、人道主義に基づき対応するよう希望する」と逆に被害者であるかのように強弁したことだ。「中国側としては主管部門が中国漁民への教育や出漁する漁船の管理を強化し、越境捕獲や違法操業を制止するなどの措置を何度も講じてきた」と中国側の努力を強調したものの、外交儀礼に反している。
翌日になって、ようやく「不幸な事件」「遺憾」と事実上謝罪したが、一貫性を欠き、迅速な対応に問題があることを露呈した。
日本の世論にも「中国の行動がよく分からない。このままだと中国は自分の周辺は全て中国の物と言いそうな予感がする」と不安がる声が少なくないが、問題を中国政府の外交姿勢と短絡的に結び付けるのではなく、もっと広い視点から見直す必要があろう。
改革開放政策の最中にある中国は、高度成長の陰で様々な矛盾が噴出し、貧富拡大や官僚主義にデモが頻発し、末端統治機構が揺らいでいる。漁民のコントロールもままならない。
それを念頭に解決に当たるべきであり、邪推や悪意から悪戯に追い詰めるのは逆効果である。
今回の事件は、個別の紛争を解決できない中国の国内事情が今一度明らかになった側面がある。
あくまでも平和友好外交を機軸にした戦略柔軟性をもって、軟着陸を目指す平和な海を取り戻す大局から事に当たる必要がある。
海洋法の不備を整備し、トラブル解決の国際ルールを確立することが不可欠である。
国内の政治基盤が揺らいでいる李明博大統領には荷が重いかもしれない。
野田首相が訪日するが、リーダーシップを発揮できれば日本の存在感が高まるだろう。
その一方で日本では今回の事件に悪乗りする傾向も見られる。
石原・自民党幹事長は米国での講演で「尖閣への自衛隊常駐。防衛費増額」を主張した。そうかと思えば、自衛隊出身の森本敏氏が産経正論で「沖縄は中国阻止の前線基地。米軍と協力し、空海戦闘に応じ」と憲法違反を呼びかけ、3日付同紙コラム「中華経済圏を阻止する」も「米国をタテに統一戦線を」と世迷い事を叫んでいる。
時代錯誤の従米保守派が事を悪用し、日本を第二、第三の「坂の上のキノコ雲」へと誤導しようとしているが、憲法九条違反の無法状態をいつまで許容するのか、日本の良識が同時に問われる。
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