河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

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(カバー写真左上から張学良、天皇裕仁、習近平、蒋介石、周恩来)
ほとんどのマスコミが見逃しているが、習近平が目指すのは格差ゼロの共産主義社会である。それは格差拡大に苦しむ西側諸国との平和的な体制競争の幕開けとなる。
本書はその訳を体系的に理解するために、まず、日本在住の張作霖直系孫の生々しい証言と新史料を基に、日中近現代史の7つのタブーを暴く。
その上で、張学良と深い繋がりのあった毛沢東、周恩来、トウ小平、習仲勲ら革命第1世代の思いを背負った習近平総書記が毛沢東の失敗を乗り越えて社会主義・共産主義再建のロードマップを進んでいることを、世界で初めて歴史的、体系的に明らかにした。

目次
プロローグ 平和と和解への願い
第1章 張作霖暗殺に激怒した天皇裕仁
第2賞 「抗日」を大義に甦った張学良少帥
第3賞 平和憲法制定にイニシアチブを発揮した昭和天皇
第4章 習近平と安倍晋三の遠くて近い関係
第5章 ユーラシア大陸の新勢力図:「ドイツ帝国」vsロシア・・中国
第6章 中国が米国を追い抜くワケ
第7章 「米中新型大国関係」は歴史の一プロセス
第8章 習近平主席と平成天皇の静謐な対話ー刻まれた戦争体験
第9章 「習近平暗殺計画」説の深層
エピローグ 張四代の系譜と夢

《はじめに》
本書は図らずも手にした張一族四代の真実から、明治維新以来の官製常識を覆し、歴史の闇に隠された「二人のプリンス」の友誼と挫折に光をあて、「抗日闘争」と、それを契機に世界史の表舞台に躍り出た中国共産党の真実を明らかにする。そして、近現代世界を東西広く俯瞰しながら、地球的規模の米国との対等な「新型大国関係」構築を目指す習近平率いる中国の今日的位相を明らかにし、巷間飛び交う断片的な中国論に満足できない読者の期待に答えようとするものである。タブーなしの辛口は「親中」とは言えないが、誤解と対立を再生産する「反中」とは対極にある。無論、いわゆる「反日」とは無縁である。
張作霖は馬賊ではなかったとか、天皇裕仁がキリスト教に改宗しようとしたとか、日中戦争の転機を開いた西安事変(1937年)の立役者の張学良が秘密共産党員であったとか、荒唐無稽に思われる叙述が随所に溢れているが、いずれも事実、若しくは、独自の視点から史料を読み解いた十分に合理性のある推論である。それらが伏流水となり、戦後世代の習近平を米国と競う超大国のリーダーに押し上げる。一見して無関係な三人を宿命的に繋ぐ見えない糸を辿り、建前に隠された本音(意志)を穿ち、歴史の真実を浮かび上がらせた。
強烈な意志がシンクロして巨大な力となり、歴史を創る。「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていたであろう」と述べたのはパスカルであるが、歴史における個人の役割がいかに大きいかを再認識させられる。「抗日」で国民党と共産党を団結させた西安事変も、張学良が毛沢東や周恩来と出会わなかったらありえず、中華人民共和国は誕生しなかったであろう。ポスト建国世代の習近平が超大国の米国と「新型大国関係」構築で丁々発止と渡り合うなど、夢のまた夢でしかなかった。

世界のパラダイム(枠組み)が揺れている。主因の一つは中国であるとの認識を多くの人が共有しているが、では、中国、具体的には、習近平が何を考え、どこに行こうとしているのかについては知的、政治的エリートたちの間でも意見が極端に割れる。それが世界を混沌とさせている最大の理由である。
習近平は2014年から9月3日(1945年の日本降伏の翌日)を国家の祝日に格上げし、翌年の「抗日戦勝70周年及び世界ファシズム戦勝70周年」記念行事で「70年前の今日、中国人民は14年の抗日戦争の偉大な勝利を手にした。近代以降の中国において、抗日戦争の勝利は外敵の侵入に対する初めての完全な勝利であった」と演説した。共産党主導の「14年の抗日戦争」を強調するのは、「抗日戦争の主体は共産党ではなく、国民党であった」(馬英九台湾総統)、「日本軍降伏を受け入れたのは蒋介石の国民党政府」といった一面的な評価を正し、中国共産党の役割と正統性を再認識させることに本音がある。
それに疑義を抱く人は、西安事変の真相に触れた時、張作霖爆殺事件→満州事変(1931年)→日中戦争を一つの流れとして理解し、「14年の抗日戦争」の真実に近付くだろう。「抗日」は「反日」と誤解されやすいが、より正確には「抗日本軍国主義」と表現すべきなのである。

その序曲は、結果的に悲劇となる「二人のプリンス」の出会いである。張作霖の後継者とされた20歳の張学良は1921年秋、訪日した。わずかに読売新聞が「永隊旅長張学良(張作霖子息)渡日」と伝えたが、錯綜した国際情勢の下で秘密のベールに覆われた事実上の国賓であった。皇太子裕仁と背丈、年格好、醸し出す雰囲気まで「瓜二つ」と周囲を驚かせ、病床の大正天皇に代わって謁見した貞明皇后が我が子と見間違うほどであった。
外側の自分と内側の自分との乖離に悩んでいた「二人のプリンス」は、英語や漢語筆談を交わしながら打ち解け、互いに心を開き、ナイーブな内面世界が共鳴音を奏でる。幼児から帝王学を仕込まれ、志と異なる軍人の道を歩まされていた孤高の二人は密かに、西洋文明と共に日中支配層に深く浸透していたキリスト教を心の拠り所にしていたが、自然と感応しあい、認めあうところとなった。初対面の相手を信じたが、自分を信じたかったのであろう。
「二人のプリンス」の友誼は日本と張作霖治下の東北三省(満州)の同盟の証となったが、背景には、領土紛争を発端にイタリアでムッソリーニのファシズムが猛威をふるい、ドイツでナチズムが台頭し、日本では日本軍国主義の足音が忍び寄る厳しい現実があった。張学良離日三日後、庶民宰相の呼び声高かった原敬首相が暗殺された。

その7年後、関東軍による張作霖爆殺事件が引き起こされる。敬愛する父を奪われた張学良は日本の背信に怒り、「抗日」が激しく芽生えてくる。
即位直後の天皇裕仁も関東軍の関与を疑い、田中義一首相を繰り返し叱責し、辞任に追い込む。
傀儡満州国建国で東北を追われた張学良は絶望から一時期、酒色と阿片に溺れる。だが、忽然と再起を誓って渡欧し、バチカンにローマ法王を訪れる。皇太子裕仁の一言が頭を過ったに違いない。裕仁は張学良と出会う直前に欧州歴訪から戻っていたが、渡欧中に特別にローマ法王と会見し、深い感銘を受けた様子が『昭和天皇実録』に記されている。張学良にその思いを嬉々として語ったことであろう。

欧州歴訪から帰った張学良は別人のように逞しく、したたかになり、蒋介石の求めに応じて国民党軍副総司令に就任し、共産党討伐軍を率いて西安に前線司令部を置く。一計を案じて総司令の蒋介石を誘き寄せ、共産党と共闘する「抗日聯共」を約させたのである。
西安事変がなかったら、中国が抗日戦争で勝利することはできなかった。また、共産党が日本降伏後に再燃した国民党との内戦を制することもできなかった。毛沢東が「救国の英雄」と張学良を称えたのは至極当然であった。
「二人のプリンス」を結び付けたのはキリスト教であったが、それぞれの立場から公にされず、日本敗戦後、天皇裕仁は人間宣言を行い、キリスト教に改宗しようとした。張学良は半世紀にわたる幽閉中に洗礼を受けることを許された。
因果応報と言うべきか、彼らの仲を引き裂いた関東軍の中核に東條英機がいた。A級戦犯として処刑された東條らが靖国神社に合祀されたことに共に怒り、天皇裕仁は1978年から参拝を止めている。

「二人のプリンス」の物語は今もなお現在進行形である。安倍晋三首相は戦後70周年記念談話で先の戦争への反省を間接的に短く言及するにとどめた。だが、天皇明仁は翌8月15日の日本武道館での全国戦没者追悼式での「お言葉」で戦後の復興を「平和の存続を切望する国民の意識に支えられた」と振り返り、「先の大戦に対する深い反省と共に、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い・・・」と述べ、同席した安倍首相との違いを鮮烈に印象付けた。米有力紙ワシントン・ポストは即日、「安倍と平和主義で一線を画す天皇」とのタイトルで、「過去の慣例を破り、自らの言葉でsorryではなく、deep remorseと深い反省の言葉を述べた」と報じるなど内外で「日本の良心」と評されたが、父親の平和への思いを受け継いでいることが文脈から読み取れる。
奇しくも、習近平の父の習仲勲元副総理は西安事変当時、西安市の国民党軍と睨みあっていた共産党根拠地延安を地盤とした青年共産党員であり、張学良との因縁浅からぬものがある。他方で、安倍晋三の祖父岸信介は関東軍が作り上げた満州国総務次長として経済的な実権を握り、習仲勲と敵対していた。習近平と安倍晋三が歴史認識で激しく対立するのは血縁の業でもある。

本文を読んでいただければ理解されるであろうが、「抗日」=「抗日本軍国主義」は特定政治勢力の戦術やイデオロギーではなく、民族解放、階級解放、人間解放と結び付く時、人類普遍の大義となり得る。
そこから自ずと日中究極の和解と東アジアの平和と安定→“一つのアジア”の道が見えてくるだろう。
「平和学の父」と定評のあるヨハン・ガルトウング博士は「紛争解決にはそれぞれが抱える過去のトラウマや望んでいる未来を聞き出し、敵対の根底にある本質的な問題を解消することが必要」と説くが、ギクシャクした日中関係にそのまま当てはまる。仏教では因果応報と言うが、人間は“何か”を背負って生きている。意識の深層に潜む“何か”が希望や絶望、喜怒哀楽となり、他と主体的に、時に宿命的に関わる。それが人間であり、どんなに敵対する人間でも人間同士、理解しあえる、というのが本書の隠れた主旨であることも明らかにしておきたい。

ノンフィクションの特性を生かし、登場人物たちが特殊な状況の中で何を思ったのかを分析することに努めた。
同様の手法を『朴正煕 韓国を強国に変えた男』を用いたが、幸いにして韓国語版を大統領当選前の朴槿恵氏が読み、「父のことをよく書いてくれた」と側近に語ったと聞いた。それからほどなくしてー東北地方太平洋沖地震から二、三ヶ月後であるが、朴正煕大統領の最側近であった金在春5・19記念財団理事長から私の東京の自宅に電話がかかってきた。5・19軍事革命後の大統領選挙候補選定で最高会議常務委員会が紛糾した際、ナンバー2の金鍾泌を野心家と批判し、朴正煕大統領誕生に道を開いた元中央情報部長である。私は彼の批判をセリフにしたが、「まさにそのように考えた」と言う。一度も会ったことがないが、60余年の時空を超えた証言が耳に響き、不思議な感覚に憑かれた。
類的な存在である人間は、一定の条件下で合理的な選択をする性向が属性としてある。非合理的な衝動もその延長線上にあると言えよう。「存在が意識を決定する」(カール・マルクス)が、使命感といった強烈な意識が存在の壁を突き破る実例を読者諸氏は本書で幾つか目にすることになろう。

《本文》

《おわりに》
読者諸賢は既に気付かれているであろうが、近現代の日中関係は張作霖暗殺事件(1928年)から狂い始めた。歴史認識問題を解消するためには張作霖を正しく理解することが不可欠である。馬賊と貶め、中国国家元首(大元帥)へのあるまじきテロを正当化し、侵略政策を隠蔽してきた大正時代以来の官製常識からそろそろ解放されなければならない。
本文に詳しいように、張作霖は貧農の母親の細腕で育てられ、遼東半島の片田舎で獣医をしていたが、日清戦争従軍後に一念発起し、奉天軍閥の領袖、中国東北三省(満州)の覇者へと駆け上がり、全中国をうかがう。経済的才覚に富み、日本の3倍に達する広大な満州の地勢学的な特徴を存分に活かして地域を特産の大豆で世界市場を席巻する豊穣の地へと急速に変貌させる。また、本拠地の奉天(瀋陽)に東北大学を創設して文化興隆に努めるなど、第一次世界大戦後の不況と凶作・飢饉に苦しむ日本が注目するところとなっていた。
日本と東北が協力関係を深めれば、あるいは戦争以外のみちがあったやもしれない。歴史にifは禁物とはいえ、関東軍が最悪の方向に事態を追いやったことは間違いないだろう。

張学良の西安事変はそれを正すための義挙であったが、大きな謎を残した。周恩来はどうやって敵陣のど真ん中の西安に現れたのか?
張学良はさらにもう一つの大きな謎を残した。蒋介石により台湾に移されて半世紀も幽閉され、解放直後、「大陸に行きたい」と述べていた。トウ小平も快く応じたが、結局、ハワイに渡り、2001年に異国で101年の生涯を終える。どうして夢にまで見た故郷東北に一度も里帰りしなかったのか?
大きな謎を2つ残して逝ったが、江沢民総書記・国家主席は弔電で「救国の英雄」と不滅の功績を称えた。外部から見ると不可解なやり取りであるが、そこに中国共産党と張学良の有無相通じる信義が脈付いていたことは本文にある通りである。
習近平総書記・主席には「抗日」を大義名分に掲げる以上、その信義に応える歴史的な責務がある。

もう一人のプリンス、裕仁も戦前は軍部に操られ、敗戦後はA級戦犯容疑で訴追されかねない窮地に陥り、風浪に揉まれつづけた。
伊藤博文ら農民・下級武士中心の薩長軍閥政府による急進的な文明開化政策=西洋化政策の“錦の御幡”として利用されたのが明治天皇とするなら、その子の大正天皇は自立を模索しながら、庶民の中に入ろうとし、内では一夫一婦制を取り入れて家族を大切にした。プレッシャーに潰されて脳の病を患い、勅書を丸めて遠眼鏡にしたと揶揄されたが、大正デモクラシーはその開明性と無関係ではありえない。
その遺志を継いだのが天皇裕仁である。生涯、最初にして最後のイニシアチブと言うべきであるが、軍部の本土決戦論を退けてポツダム宣言受託の聖断を下し、現人神の呪縛から自らを解放する人間宣言を発する。そして、マッカーサーの日本民主化の意を垂範率先し、平和憲法制定となって結実した。自ら収まった象徴天皇の地位を全うし、1989年1月に87年の生涯を閉じた。

張学良が残した二つの謎にかねてから関心を持っていた著者は、偶然と言うべきか引き合わせと言うべきか、張学良の孫と知り合う幸運を得た。地域のビジネスホテルの落成式で紹介されたのだが、『朴正煕』の読者ということで親交を重ねた。
張学良の孫と打ち明けられた時には、驚いた。周恩来首相の配慮で四川省成都から日本人の母親と共に「一時帰国」し、東京近郊でひっそりと暮らしてきたという。張学良の二つの謎解きの、天が与えた好機と胸が踊った。
ソ連崩壊後に明らかになった史料等と格闘し、張学良が中国共産党秘密党員として周恩来らと密接に協力した西安事変の真実に辿り着いた。それはコミンテルンの統一戦線方針の実践であると同時に、「抗日」に全人格をかけた張学良の信念そのものであった。「抗日」の本質が見えた瞬間であった。
その視点からさらに、万人が自由平等な社会主義・共産主義社会を綱領に掲げ続ける中国共産党の在り方と、資本主義復活かと受け取られている改革開放政策を掘り下げた。さらに、習近平の腐敗撲滅運動の究極の目標、さらには世界第1の経済大国を視野に入れた「中華の夢」に肉薄する。毛沢東、周恩来らが目指した理想は、下放された黄土高原に泥臭く根を下ろした解放世代の毛沢東主義者を自負する習近平の中では、建前でも遠い理想でもない。
「ソ連を恋しくない者には心がない。ソ連に戻りたい者には脳がない」と語るプーチン・ロシア大統領の心情にも通じるところがあり、エマニュエル・トッド、トマ・ピケテイ、チプラスらソ連崩壊のトラウマを背負った西洋知識人の見果てぬ夢でもあろう。
ソ連式社会主義が崩壊し、資本主義もまた格差拡大や地域紛争などで大きな曲がり角に差し掛かり、一段と先行きが不透明になって混沌とした現代世界は、偏狭なナショナリズムに傷付いた過去を根底から総括し、インターナショナルな地平線を新たに拓く力強いビジョンと瑞々しい論理を求めている。
習近平政権が挫折を乗り越えながら、前人未踏の夢の実験に挑んでいることは間違いない。

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