河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

在日・マイノリティー・差別

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 今朝も散歩がてら、ゴミ集積所で空き缶を回収する人々を見掛けた。
 最近はとみに数が増え、若い人の姿も珍しくないが、ゼイを白い目で見下げるのは良くない。そういう人は、自分の人間性を疑ってみる必要がある。
 空き缶回収者にはゴミを散らかす不心得者も確かにいるが、私が知る限りでは、多くはきちんと後片付けをしている。

 ゼイも、何ら恥じることはない。少しでも収入を上げ、自立しようとしているからだ。
 資源経済的にも、国内資源のリサイクルに寄与している。

 それにつけても、ゼイを見る度に、在日一世達の、苦しくも逞しい歴史を思う。
 裸一貫で解放を迎えた一世らは、屑鉄拾い、ホルモン焼きなどで食い繋ぎ、生活基盤を一歩一歩拡げていった。今の空き缶回収と似ている。
 川原のホームレス村は、かつての朝鮮人部落そのものである。

 とは言え、いつまでも感傷に浸っている場合ではない。
 何故今になって、高度成長時代に消えた現象が復活するのだろうか?
 豊かになったはずの日本人達が、終戦直後の朝鮮人達と同じ境遇に置かれている現実は、我々に何を問いかけているのか?

 この問に答えられない限り、日本の沈没は続くに違いない。

 英労働党系の左派知識人のコリン・クラウチは、グローバル化に伴い多国籍企業が政治を支配し、弱者の声が無視されるポスト・デモクラシーが進行していると警鐘を鳴らすが、それへの強力なアンチテーゼが韓国のロウソクデモではないか。
 大統領を使って圧力をかけてきた米国の肉食産業に屈した自国大統領に抗議して、中高生を含む広範な市民が首都のど真ん中に参集し、直接ノーを突きつけ、遂に謝罪声明を引き出した。
 巨大資本とその僕の思い通りにはさせないと、市井の人々が声を上げ、政治を変えさせた前例として、現代政治史に記録される快挙と言えよう。

 とりわけ、組織化されずバラバラで、発言力を持てない怒れる大衆が、インターネットで情報を交換し、互いに呼びかけながら結集した点が教訓的である。
 中国でもネット市民が共産党総書記を動かし、政治に影響力を発揮している。当事者から直接聞いた話だが、実は、かの天安門事件を引き起こした遠因も、韓国の光州事件の映像をテレビで観て刺激されたと言う。韓国と中国の大衆運動は相互連関性を持ち、ネット時代になって一層親密化しているように見える。

 日本も、対岸の火事視している場合ではない。
 最低賃金制を無くせ、いつでも首を切れる派遣を認めろ・・・と巨大資本は注文を付け、「いやなら資本を海外に移転する」と脅すと、大抵の政府はビビッて言うことを聞いてしまう。
 韓国同様に、日本もそうして労働条件が悪化し、格差が拡大している。
 
 残念ながら、クラウチもそれに対抗する有効な手段は今のところないと嘆く。
 どの国の政府も、国際競争力の看板に隠れて資本の言いなりだし、労働組合はほとんどが弱体化するか御用組合化し、役立たずとなってしまった。
 昨今の原油高騰、食糧高騰も背後に国際金融資本の投機的な思惑が働いているが、G8すら手の施しようがない。

 このままでは民主主義はますます形骸化し、多国籍企業など巨大資本の体の良い搾取の道具と化すだけである。
 地球上の富は最終的には、数%の資本家の手に握られるだろうという学説もある。現状はそれを裏付ける方向で進展しているが、一握りの富裕層の下で圧倒的多数が搾取され、貧困にあえぐ究極の非民主主義的な現実の前で、民主主義は無力に見える。
 様々なテロの頻発はその矛盾の暴発と言えるが、民主主義を大衆の手に取り戻す手立ては無いのだろうか。

 その一筋の光明が、韓国のロウソクデモではないだろうか。
 それはインターネットを武器に大衆が団結し、為政者に直接訴え、政治を民主化する可能性を示している。
 政治の独占、寡占化は情報の管理操作から始まるが、それを破るのがネットである。

 保守に飼い慣らされやや動きが鈍かった日本でも、高齢者医療問題を契機に、ようやく直接民主主義の新たな動きが顕在化してきた。
 例えば、「反貧困キャラバン」東日本ルート出発式が来月13日に浦和で始まるという。隗より始めよである。ソウルのロウソクデモがそうであったように、ネットでこうした動きが伝わり、団結の輪が広がれば、停滞した政治に風穴を開けることができよう。
 
 

 保守とは平たく言えば、町内の頑固おやじのようなものだが、自民党長期政権下で任命が繰り返された今の最高裁は、さしずめ頑固おやじの牙城といったところだろう。
 昨日の従軍慰安婦関連判決はそのことを改めて示した。

 旧日本軍の性暴力を裁く女性国際戦犯法廷を取材したNHK番組が改編されたことに関して、放映直前に安倍官房副長官、中川昭一衆院議員がNHK幹部を呼びつけていたことが、報道の自由への干渉ではないかと問題視された。
 一、二審判決は安倍らの圧力を認定し、提訴した市民団体の勝訴としたが、最高裁第一小法廷は肝心な安倍氏らの関与についてはすっとぼけて飛ばし、NHKには報道の自由があるとして逆転判決を下した。
形式論理で国民を煙に巻こうとしているが、簡単に言えば、政治家の圧力で番組を改編しても放送の自由と、馬鹿なことを言っているのである。

 安倍氏らが事前に番組について探り、けしからんと息巻いていたのは周知のことである。
 首相になっても米メディア相手に従軍慰安婦否定発言を重ね、逆に訪米中に「二枚舌」「反省を知らない」と散々叩かれた。
 今回の判決も、国際社会ではまだやっているのかと笑われるのが関の山だ。

 問題は、世の中の空気を全く読めない最高裁判事らの資質にある。
 横尾和子裁判長はややとうはたっているが、一応最高裁の紅一点である。それが櫻井よし子氏らと同じく慰安婦らの人権に不感症としたら、存在価値が疑われよう。

 今回の判決はある程度予想された。
 最高裁はこれまで歴代自民党政権の逆鱗に触れることは避け、違憲立法審査権も数える程しか行使していない。
 任命権者である首相の意向に逆らえず、また、同じ保守的な思考の人物から選ばれることもある種の馴れ合い判決の原因と考えられる。

 最高裁人事が官僚化していることと併せ、必要以上に保守に偏った最高裁の改革が必要だろう。
 とりあえず、先の日銀人事同様に、野党は最高裁判事任命に関して同意権を厳しくすることが求められる。
こう言うと首を傾げる向きもあろうが、米国では保守とリベラルがバランスを取るのは当たり前の事になっている。

 秋葉原無差別テロ犯は取り調べに、携帯サイトに直前まで30回も犯行予告を書き込んだが、誰からも反応がなく、「誰も見てくれない」「止めてほしかった」と話しているという。
 日頃からサイトを利用し、「現実でも一人、ネットでも一人」との書き込みもあった。

 疎外感や孤立感が犯行の要因であったことは間違いあるまい。
 他人を傷付けることでしか、透明化しつつある自己の存在を確認出来なかったのであろう。

 以前、米バージニア工大でも韓国系学生による銃の乱射事件が起きたが、金銭=資本万能主義の競争=淘汰が日常的に行われる資本主義社会の宿命とも言えよう。
 近年、とりわけ日本で続発するのは、急速な格差拡大と社会的不平等が背景にある。

 と言うと、早速保守派から、「何でも政治や社会のせいにするのは誤りだ」「自己責任だ」と反論する声が沸き上がる。
 今朝も、軽いのりが売りの某局のキャスターが、「社会のせいにする風潮が事件を誘発する」などと妙なことを口走っていた。

 こうした発言は、保守の責任逃れである。戦後一貫して日本の政治経済をリードしてきたのは保守であり、政治とは結果責任だからだ。
 今日の日本社会の閉塞状況は、自民党政治、ひいては保守政治の行き詰まりを物語る。それこそが保守の自己責任であり、責任転嫁は見苦しい。

 個人に限って言えば、完全に自己責任を負える人など居ないし、そもそも有り得ない事である。
 唯一の例外がロビンソン・クルーソーだが、一人孤島に漂着し、そうせざるを得なかった。そのクルーソーもパートナーを得て、ミニコミュニティを作り、辛うじて生き残る。

 周囲に無数の人々がいながら、実は誰もいない社会は、クルーソーのミニコミュニティとどれ程の差があろうか?
 むしろ、人間の絆で劣化してる面すらあるのではないだろうか。社会の根幹が揺らいでいるのに、固有の歴史や文化をいくら強調しても空疎に響くだけである。

 韓国の青年学生たちは街頭デモで、米国の青年学生たちは黒人のオバマを担ぐことで、不条理な現実にノーを唱えている。
 今度は、日本の青年学生たちが保守という錆びた鎖から自らを解き放つ番ではないか。

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 韓国では中高生たちまでがインターネットで互いに呼び掛けながら、政府の失政を糾すデモに馳せ参じている。
 世界トップレベルの学力を有しているだけに、「政府は民意に背いている」と事態を鋭く見抜き、権利意識や社会参加意識が高い。

 それに比べると、日本の青年学生たちは飼い慣らされた子猫のように従順だ。
 拝金主義の横行、格差や社会的不平等拡大など、歪んだ社会への不平不満は韓国同様に山のようにありながら、社会参加意識にまで高めることが出来ず、内に籠らせ悶々としている。募る不安は現実逃避のせつな主義や快楽主義で忘れようと努めるが、時として暴発し、弱者への攻撃で憂さを晴らそうとする。

 これは、保守化し、餌を与えられるのを待つ飼い猫の様になってしまった大人社会の縮図でもあるが、そこには保守への大いなる幻想がある。
 保守は持てる既得権者、支配者のイデオロギーであり、持たざる者、被支配者を去勢し、無気力にするドラッグの様なものである。

 国民総中流化が実感できた高度成長時代には、今の生活を守ろうと保守化するのは、それなりの根拠があった。しかし、中流化幻想が崩れつつある現在、保守は大多数国民にとって、生活破壊とほとんど同義である。
 例えば、福田首相はかたくなに社会福祉関連予算を毎年2200億円削減するとするが、保守政権である以上当然である。道路、防衛等々限られた予算で保守の権益を擁護するには、自ずと社会的弱者を切り捨てるしかないからである。

 さらにもう一つ、進歩志向の韓国のネットユーザーに比べ、日本のユーザーが若くして保守的なのは、初期の段階で、アジアに対して喧嘩腰の保守系メディアの影響を受けたからとみられる。
 内なる矛盾を外に向けさせる保守の伝統的手法に染まり、石原慎太郎都知事をかっこいいと錯覚するなど、精神的に手懐けられてしまった側面がある。

 デモは憲法で保障された請願権である。
 当然の権利を行使して、社会的正義感を行動に表し、精神の自由を取り戻そう。


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