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各雑誌に日本没落とか危機といった、大きな見出しが目立つようになった。
戦犯探しが盛んだが、文藝春秋にしても中央公論にしても保守系誌のためか、昔は良かったのにと司馬史観的な懐古趣味に流れがちだ。いずれも根底に、国家主義もしくはヤマト民族主義的な情緒を漂わせているのはそのためだが、こうした復古的な狭いナショナリズムでは、日本は先細り、閉塞感は強まるばかりだろう。
日本沈没を予感せしめる現況は、戦後一貫した保守政治の帰結であることは誰の目にも明らかである。
それにもかかわらず、依然として賞味期限の過ぎた保守にしがみつき、出口を見付けようとあがくところに、日本の悲劇がある。
隣の韓国ではすでに二回も与野政権交代が起こり、今も李明博政権は失政を責められ、連日数万のデモ隊に退陣を突きつけられている。
ところが日本では、これほど数々の失政や不祥事が噴出しているというのに、憲法上の権利として認められたデモはまばらであり、不満の捌け口が無差別テロなどに向かっている。
政治家を使い捨てと考える韓国民の潔さに比べ、日本は未練がましく、用なしの骨董品にこだわりすぎではないか。
小泉、安倍、福田と世襲議員が政権をたらい回ししているのは日本だけの特異な現象だが、これに麻生が続けば、まさに笑えないマンガである。
ちなみに、韓国では世襲政治家は朴正煕元大統領の娘の朴槿恵前ハンナラ党代表くらいで、金大中、金泳三元大統領の息子らはすべて落選した。
そうした日本的な中途半端が災いし、改革がもたつき、あらぬ方向にねじまがってしまったのである。
「失われた10年」を取り戻すと期待された小泉改革も既得権益の再分配を巡る保守勢力の争いに終わり、中産階級の没落をもたらしただけであった。年間成長率が高々1%程度で新しい富が創出されたわけでもないのに、金融、派遣など非生産分野を中心に富裕層が急増したのは、偏った規制緩和で勤労中産層の所得が体よく収奪され、移動したことが最大の原因である。
このまま行けば特権と貧困の世襲化で日本社会は二極分解し、活力は失われ、果てしのない混乱へと陥ろう。
保守とは古いものを守ることで過激化のブレーキ役となり、中庸中道政治実現に寄与することもあるが、現下の日本では、暖簾に胡坐をかいて停滞と腐敗を覆い隠す古看板でしかない。
吉兆の女将ではないが、もったいないなどと使い回しせず、また、臆病にならず、潔く捨てる勇気を持つことである。
退廃と老化をもたらすだけの保守政治と一度決別し、これまで積もり積もった垢を綺麗に洗い落とし、新たに出発しない限り、日本の再生は難しいだろう。
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