河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

在日・マイノリティー・差別

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 昨夕、某局の特番「THE世界遺産」で、古代エジプトのファラオ・ラムセス4世を紹介していたが、自らを太陽神の生まれと王の無残なミイラ姿には違和感を感じた。
 「最愛の王妃のミイラが発見され、王の傍で永遠の眠りに就くのはいつのことなのか」といったナレーションには、苦笑してしまった。

 威厳を保った墓から暴かれ、ミイラ姿で衆目に曝されながらの永遠の眠り? 
 屈辱的なことではないか。死んでしまった当人はあずかり知らぬこととは言え、後裔たるエジプト人のプライドはどこに行ったのだろうか。

 そう思うのは、カイロのエジプト考古学博物館2階の第56室にはファラオのミイラだけを展示する、別料金100ポンドの通称ミイラ室があり、包帯を解かれ、足の指まではっきりとわかる裸体のファラオたちが並べられている。王家の谷にあるツタンカーメンのミイラは、体は包帯に包んだまま顔だけ見れるようにし、定期的に公開されている。
 死後の再生を信じ、絢爛豪華な墓を王家の谷に造営したファラオの威厳も何もあったものではない。特別料金で観光客を引き寄せる奇怪な観光資源でしかない。

 自国史のルーツに関わる古代史を商業主義によってここまで貶める例は、他にないのではないか。
 北朝鮮、中国、旧ソ連=ロシアは建国の功労者の遺骸を保存し、国民に公開しているが、権威を傷つけないように、衛兵がガードに立って周囲を固め、生前のような正装で威厳を保っている。
 日本では、古代天皇陵の発掘さえも許可されない。

 ファラオのミイラはイギリスの植民地時代に、英国人考古学者らによって暴かれたものであった。
 外国に流れ、サーカスのライオンのように長く見世物にされていたものもある。
 その影響が抜けきれていないのが、エジプト考古学博物館のミイラ室ではないか。

 自民党がどうしてあそこまで暫定税率や道路特定財源に執着するのか、東京などにいるとなかなか見えてこない。
 だが、地方に行けば一目瞭然である。

 二階総務長官が地元和歌山の建設業者らをひきつれ、道路建設の重要性を訴えてデモったのは正直なほうだ。安倍、麻生氏の選挙区を繋ぐ第2関門橋、町村官房長官の地元にある通称町村橋など、利益誘導で有権者の関心を引いた実例はあまたある。
 自民党では橋、道路を引っ張って政治家として一人前、とされてきたからだ。

 福田首相が煮えきらないのも、そうした伝統と無関係ではない。
 関東一都六県で就職率がもっとも良いのは、福田首相の地元の群馬だそうだ。不思議だが現地に行けば納得。四人の首相を輩出したお陰で高速道路や利根橋が縦横に走り、企業誘致が進んだ結果である。

 特定地域に湯水のように税金を注ぎこむ政治道路は、財政赤字が深刻化し、福祉予算が削られ、生活破壊が進む現在、国民をないがしろにする悪政と知るべきである。
 それに気付かない自民党は、政権担当能力に疑問符が付いたと言うべきか。

 あるいは個々の議員は、気付いているのかもしれない。
 来る選挙で自分だけでも生き残るために、集票の最後の橋頭堡である道路にしがみついているのであろう。

 ネグリのインタナショナリズムはまだ、日本という池にポトンと落ちた小石の波紋くらいのものだろう。
 それでも、注目せざるをえないのは、イラク、アフガンなど至る所で低所得者層、被支配層出身の多国籍兵士同士を「テロリストめ」「おまえこそ侵略者だ」と殺しあわせる「帝国」の陰謀に終止符を打つ運動へと合流、発展する可能性を感じさせられるからである。

 立場は異なるが、「帝国」の一翼を担う日本政府も同じ臭いを嗅ぎ取っていると見られる。
 ネグリは国際文化会館の招きで20日に来日し、東大など3大学でグローバル化時代の労働問題などをに講演する予定だったが、日本大使館がビザを発給せず、「この5年で訪れた22カ国では同種の経験をしておらず、失望をもって訪日を断念する」と述べた。大使館は1970年代以降のネグリの政治的過去と法的地位に関する記録を提出するよう求めたが、要するに、「政治犯だったことを証明しろ」と難癖をつけて来日中止に追い込んだのである。
 これには脳科学者として人気急上昇中の茂木健一郎らが文明国として恥ずかしいと抗議しており、波紋は意外と広がっている。
 それだけに、日本大使館の「帝国」的嗅覚には、テロリストにつながる危険人物と感知されたのであろう。
 http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm
 http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2008/03/post_c16b.html

 ネグリ(74歳)は元イタリア共産党員。79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕され、83年にフランスへ亡命した。殺害事件が無罪、国家転覆罪は禁固刑が確定し、97年に帰国して03年まで服役した。
 そうした経歴がネグリの言葉に重みを与えているが、彼が提唱するマルチチュードは、国際化、ネット化時代に即応した労働者階級と解釈できよう。スターリン主義に毒されたマルクス主義からは、未熟、原則からの逸脱と批判されるであろうが、マルクス主義をドグマから解放し、行き詰まった現代世界を俯瞰する批判精神として蘇させる新たな契機となると積極的に評価すべきであろう。

 さらに言えば、マルクス主義者のネグリが、右傾化、保守化が顕著な日本社会に受けいれられつつあるのは、決して偶然ではなく、この社会に資本論が予言した末期的な社会経済的条件が生まれているからに他ならない。
 働いても食えないワーキングプアや社会保障切捨てに象徴される絶対的貧困の再現が、それである。資本主義社会での資本の蓄積は数%の階層に富を集中させ、貧困層を大量に生み出すとするマルクスの窮乏化論は、日本、米国などの現実を見事に言い当てている。
 また、米国経済を根底から揺るがせているサブプライムローン問題も、マルクスが予言した金融資本の末路を地で行っている。

 最近は書店でもやや飽きられつつある国粋主義的な雑誌、書籍に混じって、30代、40代の論客が著したマルクス主義関連の書籍が売れているという。
 ワーキングプア問題を国会で追求した共産党のホームページへのアクセスが急増している現象も、報じられている。
 戦後を支配してきた保守政治の限界が露になっている中、こうした傾向は今後、加速化していくと思われる。
  
 他面において、日本人は周囲の空気ばかり読んで思想を内面化しない弱点があり、ネグリも一時の部分的なトレンドに終わってしまうとの指摘にも、一理ある。
 『代議士の自決』の第九章「日本的民主主義の根の浅さ」でも指摘したことだが、日本の戦後民主主義は米国に与えられたもので、自力で勝ち取ったものではない。
 近年のナショナリズムの台頭と国家主義回帰は、それを反証している。とりわけ、拉致問題で左翼、リベラルまでがいとも簡単に大政翼賛会的な“自民党拉致対策本部政治”に取り込まれ、安倍政権誕生に喝采を送ったのは、感情に流されやすい彼らの思想の軽さと危うさを端的に物語る。

 しかし、逆に見れば、国粋的な保守派が後生大事にしているナショナリズムも、わずか百数十年前の明治維新後の近代国家形成期に、プロシア=ドイツを真似て急造されたイデオロギーでしかない。
 従軍慰安婦や南京虐殺などに保守派が過度に神経質になり、薮蛇に、頼みとする米国を含む国際社会から辛辣な批判を浴びたのは、彼らの浅薄性と脆弱性を示している。
 そのような底の浅い情緒的な思想で、転換期にある日本社会を支え続けるのは、難しいと思われる。

 「帝国」との腐れ縁を断ち切り、外交的軍事的財政的に余分かつ無駄な負担を降ろし、周辺のアジアとの歴史的地理的な連帯を取り戻すことが日本再生へとつながる。
 その第一歩が、民衆レベルのインターナショナルな連帯なのである。

 「反テロ戦争」なるものは後世の歴史に「9.11同時多発テロを利用し、世界覇権と石油利権確保を狙ったブッシュの野望」と記録されるであろうが、世界が被った傷は余りに深い。
 憎悪が渦巻くカオス状態に陥った世界秩序回復には、相当な時間と努力を要しよう。

 「米国の国益を第一に行動する」と公言したブッシュ大統領の一国行動主義の最大の後遺症は、自国中心的な価値観と国益を金科玉条に構える国家エゴイズム、いわば“ネオコン・ナショナリズム”で世界中をCO2とともに汚染してしまったことである。
 その結果、国家はリバイアサンに退化し、国際社会は力がすべての弱肉強食世界となり、国際規範は従うものではなく、利用するものと化したかのようである。
 
 このまま世界は、いがみ合い続け、その間に地球温暖化が加速化し、カタストロフィーに向かうとの悲観論も根強くある。
 だが、人類社会も捨てたものではない。よく目を凝らしてみると、敵意と報復の負のスパイラルを断ち切り、国境を超えた連帯を回復しようとする新しい風が、そこかしこで吹き始めているのだ。

 その一つが、マルチチュード (Multitude)の連帯を提唱するアントニオ・ネグリへの共感の輪が、ここ日本でも次代を担う若い世代に広がっていることである。
 まだ一般には聞きなれないマルチチュードは、直訳すると多様な群集という意味だが、政治哲学者にして革命運動家でもあるネグリは、それを、「帝国」の専横に対抗するグローバルな民主主義的ネットワーク運動の主体足りうる存在と意義付け、「様々な差異から出発してゆっくりと〈共〉を築き上げよう」と訴え、世界中で急速に支持を獲得しつつある。

 ネグリの思想が注目されたのは、2000年に出したマイケル・ハートとの共著『帝国』で、第一次湾岸戦争からユーゴスラビア内戦、グローバリゼーションに至る流れを「グローバル化で衰退する主権国家に代わって新たな『帝国』的秩序が出現しつつある」として、「帝国」をキーワードに、統一的に説明したことである。この「帝国」は、唯一の超大国・アメリカを中心とした世界的なネットワーク状の管理・抑圧的権力を指す。
 ネグリは、9.11同時多発テロや「反テロ戦争」以後、「帝国」は露骨に戦争をグローバルな管理の手段とし、世界の人々を階層序列化しコントロールしていると認識する。

 他方で彼は、『マルチチュード <帝国>時代の戦争と民主主義』などで、グローバル化とともに多くの人々が国境を越えて移動・交流する中で互いに「生」や「愛」を共有しながら連帯し、「帝国」に対抗する民主主義的なネットワークを形成する。
 それが、グローバル民主主義の担い手であるマルチチュードである、とする。

 国家や領土が時代遅れになりつつあるとの漠然とした思いは、誰しも抱いている。
 しかし、先行きが不透明であり、伝統・慣例という古びたシェルターに逃げ込む人々が少なくなく、ナショナリズム台頭の土壌になっている。 
 それだけにネグリ、ハートらは新鮮味をもって受け止められ、グローバリゼーションに流され、「反テロ戦争」の先行きに不安と危機感を強めている人々に、新たな希望と実践の指針を示したと言えよう。

 彼らの分析の特徴は、グローバル化による主権形態や国民国家の変容を「帝国」との関連で鮮明に浮き上がらせ、同時に、それを止揚し変革する主体が国境を超えて不断に成長していくことを示した点にある。
 彼らは現代をポスト近代の夜明けと捉え、新興のマルチチュードを、近代の担い手となったホッブスのリヴァイアサンと対比しながら、新たな時代を切り開く主人公と位置づけている。

 それはまだ生成過程にある実体を指す抽象的な概念ではあるが、運動論、実践論としてもつ意味は小さくなく、事実、世界中で影響力を着実に拡大している。 
 ネグリは昨年、欧州憲法批准に賛成を呼びかけ、否決したフランスを非難した。新自由主義に賛同したのではなく、賞味期限が切れつつある国家主義や主権至上主義を超える試みと考えたからであり、そうした問題意識は評価できる。
 ソ連、東欧社会主義圏崩壊以降、バベルの塔のようにボロボロに侵食されたインターナショナリズムが、マルチチュードとともに復活しつつあるとしたら、喜ばしいことだ。

 私が驚き、そして、新たな可能性を見出したのは、国家主義に縛られ、世界でも稀な“親ブッシュ国”として「反テロ戦争」への参加を国際貢献と勘違いしている日本でも、ネグリ、ハートの本が売れ行き好調で、事なかれ主義と産学協同に取り込まれてしまった大学などで、ネグリのメッセージに呼応する動きが活発化してきたという事実である。

 横須賀市でのタクシー運転手刺殺現場に星条旗入りのクレジットカードが落ちていたが、脱走した米イージス艦「カウペンス」乗組員のもので、ナイジェリア国籍であるという。
 最新鋭艦にナイジェリア国籍の米兵!? 奇妙な組み合わせだが、イラク、アフガンなどへの出兵で兵士不足に悩まされ、不法在留者まで永住権を餌に入隊を誘う米国の矛盾した現実を、鏡のようにように鮮明に映し出している。

 ブッシュ大統領は自国中心の一国行動主義により「反テロ戦争」なるものを進めてきたが、その実働部隊は、何のことはない、少数のエリート軍人を除けば、大半が低所得者層出身の志願兵である。
 ブッシュ大統領自身にも徴兵制時代にベトナム戦争従軍を州兵の抜け道で交わした前歴があるが、志願制となってから米国の支配層や富裕層の子弟は、ウェストポイントなどに入ってトップを目指す以外は、軍など見向きもしない。志願兵はほとんどが、職探しか奨学金ほしさが入隊動機だ。アフガン、イラクへと戦線が拡大してからは、米語も満足に話せないヒスパニック系や黒人で補充し、先のナイジェリア国籍の米兵もそうやって軍に紛れ込んだ一人であろう。

 つまり、ブッシュ政権の「反テロ戦争」は、皮肉なことに、米社会から疎外された被支配層に属する多民族・多国籍の青年たちによって支えられているのである。
 ブッシュ大統領がイラクの米兵の戦死者が4000人を超え、その数倍の手足など肉体を失った傷病兵にさして気を遣わないのは、自分たちの日常生活とは無縁の消耗品でしかないからであろう。
 
 国連無視でブッシュ政権がかき集めた有志連合なるものもその一変種、という色彩を強く帯びている。
 もう少し具体的に言えば、イラクやアフガンに派遣された英兵や自衛隊、韓国軍などは、米国内の兵不足を補う国際的な傭兵、という側面があったことは否定できない。

 彼ら国際的な傭兵も大半が、低所得者層、被支配層出身である。
 いつだったか、ネットカフェ難民の30代の青年が「今の絶望状況から抜け出せるなら、自衛隊に入って名誉の戦死をしたい」と某局のテレビ画面で語っていたが、程度の差こそあれ、件のナイジェリア国籍の米兵を含む多くの内外傭兵に共通した心理ではなかろうか。

 その彼らが、イラクやアフガンなどで社会的には同じ境遇にある青年たちと銃を交え交え、殺しあう。
 ブッシュ大統領は「やつらはテロリストだ。手加減を加えるな!」と檄を飛ばし、「ならず者国家」「悪の枢軸」などという言葉にマインドコントロールされた人々は「そうだ、そうだ」と無邪気にうなずくが、本当にそうだろうか?

 今では多くのアメリカ国民さえも「ブッシュに乗せられてしまった」と懐疑的になっているが、イラクなどで米兵に立ち向かう青年たちは、実際は、アルカイダなどのテロリストはごく一部で、その大半は自分たちの生活を破壊した侵略者への抵抗行動に立ち上がっただけにすぎない。
 「自爆テロ」の一言で片付けられるほど、事態は単純ではない。

 これ以上の悲劇はあるまい。神の目には、恐らく愚かな人間たちが繰り広げる喜劇に映るのではないか。
 このような悲劇、もしくは喜劇を、いつまで続けさせるのか。


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