河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

朴正煕

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 来年12月の韓国大統領を意識して韓国政界が熱くなり、「政権再創出」をめぐる対立と衝突が激化している。

 盧武鉉大統領は21日、ソウル・シェラトンウォーカーヒルホテルで開かれた民主平和統一諮問会議の常任委員会で、当初の予定20分を一時間も延長し、時に拳を振り上げテーブルを叩いて時局について熱弁を振るった。
 圧巻は、2003年就任後、高建(コ・ゴン)氏を総理に起用したことに対して「結果的に失敗に終わった人事だった」と語った部分。「(進歩と保守対立の)橋渡しとなってくれるよう期待したが、私と盧政権に参加した人が仲間外れになっている」と声を張り上げた。
 他方で、ウリ党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)、金槿泰(キム・グンテ)前現職議長をそれぞれ統一部、保健福祉部長官に任命したことについて「リンカーン大統領の包容人事のつもりだったが、悪口ばかり浴び、大変だった」と語った。
 http://www.president.go.kr/cwd/kr/archive/archive_view.php?meta_id=news_data&id=53d7638211a9bd873d1dd9a1

 盧大統領が高建元首相を中心にした新党構想を牽制した、と受け取るのが一般的である。
鄭前議長、金議長はともに与党の有力大統領候補だが、金議長は、盧大統領弾劾時に大統領代行を無難にこなして評価を高めた高元総理を担いで、与党のウリ党と野党の民主党を解体統合する新党を推進している。
 ウリ党は、盧武鉉政権発足とともに金大中前政権の与党であった民主党から分離、独立した経緯がある。その意味で、新党は旧民主化進歩勢力を総結集して元の鞘に収める側面もある。
 だが、盧大統領は「湖南地方(全羅南北道)に偏った地域主義政党に戻ってしまう」と、批判的である。また、高元首相がもともと保守系の人物であったため、旧民主化進歩勢力が中道右派にねじまげられるとの危機感もある。 

 大統領の「突出発言」に高元首相は「言いすぎだ」と反発し、ウリ党内部にも動揺を引き起こしているが、ここにきて与党の足並みが乱れているのは、世論支持率で野党ハンナラ党に大きく後れを取っているからである。
 各種の大統領選関連の世論調査で最近、首位を走るのがハンナラ党の李明博(イ・ミョンバック)前ソウル市長で、支持率が40%台に乗った。その後を朴槿恵(パク・クンヘ)ハンナラ党前代表、高元首相が追っている。
 不動産暴騰や格差拡大で不評を買っている与党候補は、鄭前議長、金議長などが一桁台にとどまっている。与党候補が大統領選を一年後に控えた時点で、これほど野党候補に引き離された前例はなかった。金議長らが中道右派の高元首相を担ごうとしているのも、苦渋の選択と言える。
 特に、盧大統領誕生の中心勢力とされた、60年代生まれで80年代に大学などで民主化運動を担った「386世代(現在37〜46歳)」が離れ、やはり民主化闘争の経歴を持つ保守系の孫鶴圭前知事に奪われていることが響いている。

 もっとも、野党も与党の失政で得点しているだけで、一皮向けばお寒い状況である。
 しばしば批判されてきた嶺南地方(慶尚南北道)偏重の地域主義体質や旧与党時代の利権体質が改善されたとは言いがたい。世間を騒がすトラブルも絶えない。

 現在“2強”の野党候補は、党とは別の個人的実績や人望で支持を集めているとみられる。
 李前市長は、韓国の高度成長時代を支えた元現代建設社長としての経歴や、ソウルのど真ん中に清流を復活させた実績が、「産業化」のイメージとなり、新たな経済成長へのリーダーシップを期待する40代男性で50%台の支持を得ている。弱点は、20代女性層の支持率が20%台と低いことだ。
 朴前代表は反対に、20代女性層で30%に達する。親しみやすさや女性大統領への期待感があると言われる。また、安保重視で保守志向の50代以上の男性でも、最も保守的とされる朴前代表が高い支持率を確保している。“朴正煕元大統領時代の娘”という毛並みがプラスに作用している。

 現在のままで推移すれば、次期大統領は李前ソウル市長だ。
 しかし、記念式典に欠席し、ゴルフをしたことがノンラン(論難)となって現職首相の首が飛ぶ国柄である。大統領選はしばしば突風が吹き、状況が一変するので直前まで分からない。
 
 朴槿恵前代表の強みは、ファン層が安定していることだ。比較的弱いとされる政策面で存在感を示し、いかに上乗せできるか。
 それを意識してか、今月2日、ソウル市内で行われた講演で、「今の北韓問題は、政治的ではなく国家と民族の未来を考えてアプローチすべきだ。そのために自分ができることがあれば何でもやるつもりだ」と、北朝鮮の核問題の解決のために訪朝する用意があると明らかにした。
 「大統領特使として行くのか」との記者団の質問も否定しなかった。
 与党ウリ党のチェ・ソン議員も「北の高官が韓国の特使として、野党の前代表を望んでいる」と、北朝鮮が朴前代表の訪朝を望んでいるとの見方を示している。
 http://world.kbs.co.kr/japanese/news/news_detail.htm?No=25365

 朴前代表は前回大統領選のあった02年5月に、ハンナラ党副総裁として電撃訪朝し、亡父の宿敵である金日成の息子である金正日総書記と会談(写真)して世間を驚かせた。
 1974年に朴正熙大統領(当時)が在日韓国人の文世光に狙撃され、流れ弾で陸英修・大統領夫人が死亡したが、「事件」後、28年経って被害者の娘と会見した金総書記は、北朝鮮の関与を認めた上で、「あなたの母親に申し訳ないことをした。部下がやったことで自分は知らなかった」と謝罪した。
 金総書記が父親の宿敵であった朴正熙大統領の「軍事開発独裁」を評価していることは知られており、朴前代表も「(金総書記は)亡くなった父に強い関心を示し、国の発展に貢献したと高く評価した」と述懐している。私は先軍政治のモデルは意外とその辺にあると考えている。

 朴前代表は太陽政策を批判する急先鋒であり、北朝鮮には「反北的態度は父親から受け継いだ」とする批判の声もあるようだが、金総書記は何かと因縁のある“朴正熙の娘”に親近感を抱いていることは間違いない。
 朴前代表の訪朝が実現し、過去の大統領で吹き荒れた“北風”を巻き起こすか、目が離せなくなった。
 
 “北風”には与党側も注目し、盧大統領直系の鄭東泳ウリ党前議長が3月南北首脳会談論を唱えている。
 ある意味で、韓国の次期大統領選を左右するのは金総書記である。しかし、政権交代で韓国の太陽政策にかげりが生じれば、北朝鮮社会経済の再建はおぼつかない。鄭東泳前議長か朴前代表か、難しい選択だ。

 韓国政治は、もう一つの韓流ドラマである。
 

朴正煕のビジョン

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 朴正煕が波乱万丈の人生そのままに、最も信頼する側近に暗殺される劇的な最期を遂げてから27年の歳月が流れたが、次期大統領選の推移とも絡んで、朴正煕への評価は再び揺れている。

 写真は、彼が1965年の高麗大学創立60周年に頼まれた揮毫である。
 生涯をかけて追求したビジョンが、一言で表現されている。元小学校教師らしい丁寧な筆致だ。

 「朴正煕ほど多面な顔を持った政治家も珍しい。
 日本の植民地時代は、教師を辞して満州国軍に志願し、日本の陸軍士官学校に学び、満州国軍中尉として解放を迎えた。解放後は朝鮮警備隊(韓国軍の前身)に入隊し、士官学校教官を務めながら、南朝鮮労働党=共産党に秘密入党し、軍内工作の中心にいた。
 粛軍運動で摘発されて転向し、朝鮮戦争の最中に復帰した軍で青年将校らの人望を集めて次第に実権を握り、やがて軍事革命で政権を掌握、日本との国交を開いて外資や技術を導入し、世紀的な貧困に沈んだ祖国の経済開発に並々ならぬ力を傾注する。

 その多様な顔ゆえに、彼の評価もこれが一人の人物に対するものかと驚かされるほど多様でかつ矛盾に満ちている。いわく、親日派、民族主義者、共産主義者、反共主義者、変節漢、独裁者、信念の人・・・といったものである。
 しかし、多様な顔は、ナポレオンに憧れた素朴な少年が複雑な時代状況を乗り越えながら在るべき国家・民族の姿を一途に追い求める中で、究極の目的のための手段として採った生存方式として統一されている」

 私が「韓国を強国に変えた男 朴正煕―その知られざる思想と生涯」の文庫版にしたためた後書き「朴正煕時代の総決算に入った韓国」の一節であるが、冒頭の揮毫は「在るべき国家・民族の姿」を物語る。

 「朴正煕は他国に侮られぬ『強小国』を終生の悲願とし、日本の植民地化、解放後の南北分断、内戦と度重なる悲運に打ちひしがれ、『アイゴー!』と嘆くだけしかしらなかった国民を有無を言わせぬリーダーシップで゛漢江の奇跡゛へと導き、『ハミョン テンダ(為せば成る)』との自信を植え付けた。
 そうして゛泣きの文化゛に気概が蘇えり、韓国はダイナミックに変貌しはじめたのである」(同)

 朴正煕評価は韓国近現代史の最大の争点であり、民主化運動が高揚した1980年代に独裁主義者として辛辣に批判されたが、韓国の経済成長が世界的に評価され始めた90年代になると「近代化」というコンセプトで語られはじめた。
 韓国が「朝鮮戦争以来の国難」とされた金融・経済危機に襲われた1997年末の大統領選で、最大の政敵であった民主化闘士出身の金大中候補が幅広い国民の支持を得るために朴正煕の生家を訪れ、その功績を称えて歴史的和解を果たした辺りから、「韓国近代化の基礎を築いた」という評価が定まった。
 ひっそりと隠れるように生きていた娘の朴槿恵氏が、再び大衆の面前に現れ、政治を志すようになったのもその頃である。
 
 来年の次期大統領選の有力候補として朴槿恵氏が脚光を浴びるようになると、朴正煕もにわかに忙しくなる。
 昨年12月に朴正煕に関する国際学術大会が開かれたのもそのためで、明知大学国際韓国学研究所が最近、その成果を収録した「朴正熙時代と韓国現代史」(チョン・ソンファ編著)が出版された。
 そこには、朴正煕の統治時代(1961年〜1979年)に関して口述史などの基礎作業を踏まえて、左右両派が様々な角度から考察を加えている。
 http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/19/20061119000038.html

 右派の視点に立つソウル大イ・ヨンフン教授は、「朴正煕は公私を区別しない朝鮮性理学から脱し、外来文明の側に立って国家の理性と国家制度を導入し、輸出振興と経済成長で近代国家を建設した」とする。
 それに対して、民主化運動の側に立つキム・ドンチュン聖公会大教授は、「朴正煕時代の経済的成果は多数の労働者・農民にはメリットがなかった。不法な体制と絶対権力のもと人間を奴隷化し、精神を萎縮させた」と主張する。
 中間派のパク・ミョンリム延世大教授は、「朴正煕時代を経て韓国は近代国家構造と組職を備えるようになった。朴正煕は李承晩が築いた比較的安定した安保構図を生かし、跳躍への踏み台に上がり、グローバル化を主導したリーダーだった。しかし、後期は、暴力性・権威主義性が増大し、効率性や民主性が低落した」と評する。
 また、ハン・ドヒョン韓国学中央研究院教授は、「セマウル運動を通じ農民と農村は生まれ変わり、近代化が農村にも急速に浸透した」とする。
  
 保守と進歩の枠を超えて朴正煕とその時代を客観的に評価しようとする点では一歩前進だが、限界もある。
 朴正煕がライバル視しながらも大きな影響を受けていた北朝鮮と金日成との関係が、まだ視点に入っていないからである。

朴正煕暗殺の現場写真

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 韓国保守派の精神的支柱であり、今なお現実政治に影響力を与え続けるのが朴正煕元大統領である。
 その娘が、来年に迫った次期韓国大統領選挙の野党有力候補である朴槿恵前ハンナラ党代表であることは日本でもかなり知られている。元大統領の娘であるにもかかわらず、その人生が悲劇的に語られるのは、母親に続いて父親までもが暗殺される悲運に襲われたからだ。

 その暗殺現場となった宴会場が上の写真で、捜査当局によって公開された。
 朴正煕は左中央に座っていたが、正面から銃撃されて胸部に被弾し、頭部に確認射殺された。最後までその場を動かず、「私は大丈夫だ」と最後に言い残した。
 写真下は車智徹大統領警護室長で、室内トイレに逃れたが絶命した。

 事件は、1979年10月26日午後7時過ぎに起きた。場所は、ソウル市宮井洞の中央情報部「安家」向かいにあったカ棟の秘密宴会場だ。
 犯人は側近中の側近である金載圭中央情報部長で、晩餐の最中、釜山の反政府暴動を鎮圧できないでいることを大統領から叱責され、車室長からも批判されると、隠し持った拳銃で2人を銃撃した。
 本人も殺害動機について、民主主義回復のための革命であるとし、直接的には、車警護室長に対する日ごろからの不満と、朴大統領から叱責されたことを挙げた。

 現場には、朴大統領、車室長、金中央情報部長以外に、金桂元大統領府秘書室長、申才順(大学生、モデル)、沈守峰(歌手)らがいた。
 宴会場周辺で中央情報部と大統領警護員の銃撃が起こり、警護員ら5人が死亡した。

 主犯の金部長は1980年5月24日に絞首刑に処され、部下5人も死刑が執行された。
 金桂元大統領府秘書室長や鄭昇和陸軍参謀総長も関与を疑われ、逮捕されるが、後に赦免された。

 今も韓国を悩ませているのが、事件の目的、背景である。
 金載圭は軍事裁判で「内乱目的」と断罪されが、私は「自主国防を標榜し、核ミサイル開発に突き進む朴正熙と対立していた米国CIAの陰謀の可能性が高い」と自著「韓国を強国に変えた男・朴正熙」で書いた。http://www.amazon.co.jp/gp/product/476982419X/sr=1-2/qid=1164294642/ref=sr_1_2/250-3519019-3587410?ie=UTF8&s=books

 これに対して、朴正熙研究で知られる趙甲済元「月刊朝鮮」社長著「朴正煕、最後の一日―韓国の歴史を変えた銃声」は「金載圭と車警護室長との忠誠心競争の中で突発的に起きた単純殺人の可能性が高い」と指摘する。http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794214960/sr=1-1/qid=1164294824/ref=sr_1_1/250-3519019-3587410?ie=UTF8&s=books
 読み応えのある力作である。同書へのエコノミストでの書評で私は、実証性を高く評価しつつも、「真相解明にはなお、米機密文書の全面公開を待たねばならない」と書いた。
 いずれの説も事件の一面を突いている。どれが主たる側面かは現時点では読者各自が判断するしかないだろう。

 とはあれ、暗殺事件に最も衝撃を受けたのが、母親に代わってファーストレディー役を果たしていた朴槿恵氏ら家族である。
 21日に釜山大で講演した彼女は、これまで口をつぐんでいた当事の衝撃を、次のように語っている。
 「1997年のIMF危機の時に初めて政治をやろうと思った。青瓦台を出てから18年間、平凡に暮らしていたが・・・、青瓦台にいたときの次に来るくらい苦痛が大きかった。息をするのも苦しいほどであった。その頃、『平凡な家庭に生まれていたら』という手記集を出版したが、あまり売れなかったのも辛かった(笑う)。
 苦痛と衝撃から抜け出そうと努力し、90年代後半頃にようやく心が落ち着きを取り戻した。その頃、IMF危機が起こり、国が滅びそうになっているのをみて、私の心も再び崩れそうになった。政治のせいで苦痛を受けている国民のため、国家のために微力を尽くさなければならないと決心した。今もそれは変わらない」
 http://www.chosun.com/politics/news/200611/200611210485.html

 息をするのも苦しいほどの苦痛に18年耐え、国家国民が危機に瀕しているのをみて、政治を志したというのである。
 父母を奪った政治を志すことで、毀誉褒貶の激しい父親とその時代と向き合い、乗り越えようとしている。
 同時に、自分が存在している意味を確かめたいのであろう。

朴正熙という踏み絵

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 大統領選を来年に控えた韓国では、朴正熙という亡霊が徘徊している。
 国会では17日、李在禎次期統一部長官に対する人事聴聞会が行われた。日本にはない制度だが、ハンナラ党議員らは「思想や歴史観、政策能力などの面で多くの問題がある。統一部長官として適切ではない」と質問を浴びせた。
 この党特有の党利党略的思惑もあるが、朴正熙元大統領を閣僚評価の踏み絵にしているのが時節柄、興味深い。

 質問に立ったのはハンナラ党の高興吉議員で、「朴正熙元大統領についてはどう評価するのか」と尋ねた。
 それに対し李在禎氏は約10秒間沈黙した後、「4・19革命以後に軍事クーデターで政権を掌握し、18年間在任する中で相当な経済発展に寄与した」と答えたという。
 
 朴正熙については強力なリーダーシップで韓国近代化の礎を築いたとの評価が定着する一方で、人権弾圧を招いた開発独裁という強引な手法への批判も根強い。
 民主化運動の流れを汲む与党や進歩層には反発が強く、朴正熙が作った共和党につながる野党ハンナラ党支持者や保守層には朴正熙ファンが多い。地域別では、朴正熙の故郷である慶尚南北道は朴正熙派、政敵であった金大中前大統領の故郷である全羅南北道は反朴正熙派が多いが、最近は流動化している。

 問題は、朴正熙時代を知らない新世代の中間層がどちらの側に付くかである。
 李在禎氏の10秒間の沈黙は、それを計りかねてのことであろう。

 朴正熙評価は実は、最大のライバルであった北朝鮮の金日成評価と表裏の関係にあり、高議員の質問も「金日成についてどう評価するか」で始まっている。
 李氏は「後世の歴史が評価するものであり、その歴史的評価はまだ定まっていない。歴史学者らの一般的な見解だ」と交わし、金日成の後継者である金正日総書記に対しても「現在、北朝鮮の指導者という地位にあるため、公の場で評価するのは適切ではない」とした。

 すると、前回大統領選で途中まで盧武鉉候補らと競った保守系無所属の鄭夢準議員が、「過去における韓国の軍事政権は統一の障害だと批判していたが、北朝鮮の軍事政権はなぜ批判しないのか」と畳み込んだ。
 確かに正論なのだが、現実政治は時に正論を嫌う。李氏は「北朝鮮は統一しなければならない相手だ。韓国内部の体制を批判することと、北朝鮮を批判することは違う」と述べるにとどまった。

 ハンナラ党など保守派は認めたがらないが、韓国でも解放直後は、金日成を抗日闘争の英雄と敬う風潮があった。朴正熙すら南朝鮮労働党に秘密入党し、金日成の指導を受けていた時期があったのである。
 その評価が北朝鮮軍の南侵による朝鮮戦争を境に逆転する。朴正熙は金日成に体制競争を挑み、驚異的な高度成長を成し遂げた「漢江の奇跡」で勝利する。

 日本植民地時代の傀儡国家・満州国軍中尉として解放を迎えるなど、朴正熙の複雑な遍歴には今でも多くの韓国人が戸惑い、暗殺という悲劇的な最後が遺したショックは完全には癒えていない。
 今のところは朴正熙を肯定的に評価する人が多いが、固定的ではなく、いつまた逆転するかわからない。一般論としては、韓国が揺れている時は“ぶれない”リーダーシップが郷愁を持って語られ、韓国が安定している時は“強引な”リーダーシップが嫌われる傾向がある。

 その風に乗りつつあるのが、朴正熙の娘の朴槿恵前ハンナラ党代表で、中間層を引き付けて有力な次期大統領候補の一人として浮上している。
 最近のイメージ調査ではワイン。気さくだが品があり、保守的で優雅という、冒頭の絵のような感じを持たれている。ただ、政策能力に難があるとの評もある。
 http://www.chosun.com/politics/news/200610/200610020037.html 
 
 対立候補の李明博前ソウル市長も、「漢江の奇跡」を支えた現代建設の元社長であり、高健元首相も朴正熙時代に官僚として実績をあげてきた元朴正熙チルドレンだ。

 対する、朴正熙の踏み絵を踏まされている与党。
 金大中、盧武鉉二代でエネルギーを使い果たしたか、それとも新たな飛躍をするか、正念場に差し掛かりつつある。対北朝鮮政策は逆風が追い風に変わり始めたが、不動産や失業対策などで今ひとつ、らしさを示せないでいる。

 1979年10月26日の朴正熙大統領暗殺事件当時、首相だった崔圭夏(チェ・ギュハ)元大統領が22日に死去した。88歳だった。
 歴代大統領としては李承晩、朴正煕、ユン・ボソンに続き4人目の逝去だが、大統領としては最も短命だった。
 
 暗殺でクーデターを企んだ金戴圭中央情報部長が逮捕され、権力の空白を埋めるために大統領代行となり、同年12月に正式に大統領に就任した。
 しかし、同年12月12日に全斗煥陸軍少将らが率いる新軍部による粛軍クーデターで実権を奪われ、翌年5月17日の国会強制解散、5月18日の光州事件を経て8月に辞任し全斗煥大統領と交代、大統領在任期間はわずか8カ月にとどまった。
 
 光州事件の際の武力投入の経緯など現代韓国史の謎の部分を明かす証言者と期待され、96年に粛軍クーデターや光州事件に関する抗訴審で法廷に立ったが「大統領在任中の事件を公開すれば、憲政史上に悪い先例を残す」と沈黙を守った。
 新軍部の大統領間接選挙制要求を受け入れ、改憲の日程を引き延ばしたり、大統領辞任声明で、全斗煥将軍が作った国家保衛非常対策委員会を「国家機構確立のための努力を注いでいる」と弁護したことから、「新軍部に協力した」との疑いがもたれている。
 密かに回顧録を残しているとの噂もあるが、関係者は否定している。将来、個人的なメモくらいはみつかるかもしれない。

 京城第1高等普通学校、東京高等師範学校英文科、満州国立大の大同学院を卒業した解放前世代。1945年にソウル大師範学部教授になったが、翌年、官職生活に入る。
 英語の実力が卞栄泰外務部長官の目に留まり、外交官としての道を歩み始め、外務部次官(59年)、外務部長官(67年)を務め、76年に首相に任命された。
 駐日代表部総領事、公使、第4回韓日会談代表を務めるなど、日本との因縁も深い。

 26日にソウルの景福宮の広場で国民葬が執り行なわれ、国立墓地である大田顕忠院の国家元首墓域に埋葬される。葬儀委員長は韓明淑首相が務める。


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