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朴正煕元大統領の娘が、次期韓国大統領候補として注目を集めている。
言わずと知れた朴槿恵(パク・クネ)ハンナラ党前代表のことだが、若くして母親をテロの凶弾に失い、父親も腹心に暗殺される二重の悲劇に遭った。
(写真は朝鮮弓を引く母親陸英修女史、右は朴正煕大統領。奥が本人)
比類なき権勢を誇った軍人大統領の娘として、緑濃い青瓦台の奥深くで育ちながら、父親亡き後は市井に放り出され、掌を返したような世間の無情な仕打ちに涙したこともあったようだ。
陸士にいた弟は覚醒剤に溺れ、最近ようやく立ち直り、家庭を持った。美貌の持ち主が五〇過ぎた今ま
で独身を守っている理由がそれとなく分かる気がする。
彼女には自薦他薦のプロポーズが殺到し、ストーカーまがいの行為に悩まされたこともあった。
韓国民の彼女に対する視線は、感謝と同情、一部では今なお癒えぬ敵意の混じった複雑なものがある。
それは韓国近代化の父であり、容赦のない独裁者でもあった父親の影そのものである。
61年の軍事クーデターから国家改造を掲げて二十年近くも国家の上に君臨し、非業の最期を遂げた後も、子飼いの全斗ファン、盧泰愚とほんの少し前の93年まで二代、軍人大統領が続いた。
全元大統領などは頭をなでられすぎて禿げてしまったという話もあるくらいで、良きにつけ悪しきにつけ故大統領の影響力は今なお無視できない。
ライバルであった北朝鮮の金日成主席同様に、韓国近・現代史における朴正煕元大統領の評価もまだ完全に定まったとは言えないが、それを最も痛感させられているのが朴槿恵氏ではないか。
長く世間の目を避けるようにひっそりと暮らしていた゛悲劇の大統領゛の娘が何故、政治に情熱を傾けはじめたのか。
一人の人間の生き様としても、どこかドラステックで引き付けられるものがある。
00年に国会議員になり、02年5月初め、突然、北朝鮮を訪れ、亡父の宿敵の息子である金正日総書記と会談して世間を驚かせた。
その年末の大統領選に密かな闘志を見せたが、ハンナラ党の候補選出から漏れ、しばらく不遇の時期が続いた。
その彼女を政治の表舞台に引き上げたのは、やはり故大統領の威光であった。
04年3月、国会で絶対多数を占めていたハンナラ党が盧武鉉大統領弾劾案を数の力に物を言わせて強行可決した直後から、猛烈な逆風が吹き始めた。
世論は「自身の不正腐敗を顧みず、国民が選んだ大統領を党利党略から強引に追い詰め、国政を無用に混乱させた」と、野党の大義なき暴挙に怒ったのである。
翌4月の第17代総選挙を控え、ハンナラ党の支持率は10%台に落ち込み、逆に、弾劾に反対した少数与党のウリ党の支持率が40%台に急上昇した。
ハンナラ党は、内部が責任のなすりあいで分裂し、瓦解の危機に直面した。
日本で言えば森政権末期の自民党に似た状況であった。
選挙直前、救世主としてハンナラ党代表就任を求められたのが、朴正煕元大統領の故郷である慶尚南北道を中心に根強い大衆的人気がある朴槿恵氏であった。
総選挙では、わずか49議席(定数273、欠員2)の少数与党であったウリ党が152と3倍以上も議席を増やし、単独過半数の第一党に躍進した。
ハンナラ党は、かろうじて改憲阻止議席100席を超えたが、得票源は慶尚南北道に極端に偏った。
朴槿恵氏はそれなりの役割を果たし、党内の評価は高まったが、皮肉にも、朴元大統領の悪しき遺産である地域主義に頼る古い体質を抱え込んでしまった。
その後、世代や地域を超えた保守のビジョンや政策を模索し、近代的な国民政党への脱皮を目指した。
それは一定の成功を収め、ハンナラの党勢は回復した。
だが、旧態依然とした体質がなくなったわけではなく、朴槿恵氏も父親の政治的遺産を最大の頼りにしている状況は変わらない。
次はいよいよ大統領選だ。
温故知新をいかに実践するか、彼女の課題はそれに尽きるであろう。
朴槿恵氏にとって、政治が全てなのである。恐らく、政治と結婚したのだ。
自分を散々振り回し、消耗させたものから逃げるのを止めて正面から向き合い、国家と父親、家族、そして、自分自身のアイデンティティーを明確に総括しようとしているのではないか。
自尊心をかけた一途な韓国版゛鉄の女゛から目を離せなくなった。
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