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聖斗君! いよいよ関東医療少年院から仮退院ですね。
もうすべてを忘れ、社会の片隅でひっそりと暮らしたい、という気持ちもあるでしょうが、できるならば、君には、事件の真相を積極的に明らかにして欲しい。
伝え聞くところでは、指導教官らに当初は「死にたい」と訴え、昨年11月末、中等少年院に移送されたときには、「自分にできることがあれば、何でもしたい。苦しむ必要があるのならば、苦しみたい」と漏らしたそうですね。
自分を第三者の目から見つめなおす余裕が生まれたからだと思いますが、そこで、成人になリ、社会復帰を目前にした今、君に言いたい。
君には、なぜ、か弱い少年少女に牙を向けてしまったのか、その原因を明らかにする社会的、道義的責務があると思うのですが、どうでしょう。
誤解しないでもらいたいのですが、決して君を非難しているのではありません。
君は確かに加害者でしたが、子どもたちを理解しようとしない我々大人社会の犠牲者でもありました。だから、大人の仲間になりつつある君がしかるべき責任を果たしてくれたら、と期待を込めて言っているのです。
君はある意味で、悩める時代の告発者です。
「酒鬼薔薇聖斗」を神と仰いだ佐賀バスジャック事件の少年もいます。
文芸春秋誌は「現代のカリスマ」と表現しましたが、君があの日とり付かれた゛狂気゛が、この時代に住む人々の心の闇を浮彫りにしたことは記録されるべきでしょう。
少年たちだけの問題ではありません。周囲や社会から自己の存在を否定されていると感じている大人は数あまたです。
君の犯行声明文にある「透明な存在」とか「絶対的孤独」という挑戦的な言葉が、内面的な孤立感を抱えながら、惰性と諦めで覆い隠していた大人社会の日常の断面を切り裂き、日本中を震撼させたのだと思います。透明な存在である自分を取り戻すにはそれしかなかったと、ある種必然性みたいなものを君の犯行声明分から感じ、何か人間の根幹を揺すぶられ、自己の非力を思い知らされた大人たちが少なくなかったのも事実です。
長崎の少年は「両親は非常に優しいし、思いやりがある」と述べたそうですが、逮捕後、親との面会を拒絶し続けた君とは明らかに異なりますね。
彼の日記帳からも、君が書いた「懲役13年」のような、「透明な存在」にまで追いつめられた苦悩や葛藤、怒り、絶望というものは伝わってきません。早熟な君の場合は精神的にも大人の領域に足半分、踏み込んでいたと思います。
君が告発した「透明な存在」とか「絶対的孤独」は現代人の宿業である疎外そのもので、君はそれに少年の純粋さと稚拙さで立ち向かったのだと思います。「透明な存在」にまで追いつめられた自己の実存の意味を、「なぜ人間は生きるのか」と問いかけ、さらに逆説的に「なぜ人を殺してはいけないのか」と極限まで問い詰め、それに疲れ果て、ついに悪魔に魂を売ってしまった。
無垢で傷つきやすい中学生の君に、適当なところで折り合う大人の狡知がなかったのは無理はありません。
人間としての一線を越えてしまったことは永遠に背負うべき十字架です。
しかし、君が投げかけた質問に満足に答えられず、せいぜい、警察につかまるから殺さないのだという最低限の言葉しか思いつかない大人も褒められたものではありません。
大人のエゴで子どもを押しつぶし、子どもが子どもらしくありえなくしてしまったこの社会に住む我々大人にも責任がなかったとは言い切れません。
しかし、想像力や感性が枯渇した大人たちには、それがいまだに分からないようです。
精神科医たちは人格や性格といった個人的資質に原因を求め、後付けの対症的な説明をするだけです。
また、社会は、事件を生み出した病巣には手をつけず、子どもを押さえつければ済むといった安易な傾向に流れ、少年法を厳罰主義に替え、教育基本法を改正し、愛国心や公共心などを法律で押しつけ、個人の内心の自由を縛りつけようとしています。
そうして、酒鬼薔薇予備軍が心の闇の中でそれに敵意を募らせ、ますます混乱を深めています。
聖斗君!
この悪循環を断ち切るために、是非君の力が必要です。
君の最大の誤りは、同じ仲間である子どもたち、弱い立場の少年少女を犠牲にしたことです。
狂気に身を委ねて一気に超えようとした問題の本質に、改めて光を当ててみてくれませんか。無意識の奥深く潜み、不安におののいている゛もう一人の自分゛ともう一度、真摯に向き合ってもらいたいと思うのです。
君なら十分に可能だと思う。学校の成績など問題ではありません。
一度見たことを写真撮影したように再現できる直感像資質があるそうですね。
私的なことで恐縮ですが、私は、最近、五歳になったばかりで数字も満足に読めない幼女と神経衰弱というトランプ遊びをして、ほとんど勝てず、カードを瞬時に覚える記憶力に舌を巻いています。
これが例の直感像資質なのかと実感させられていますが、「懲役13年」で放った君の異才なら、自分の内面に光をあて、凶悪殺人を犯すにいたった精神的遍路をたどり、文学に昇華させることは不可能ではないはずです。
事実をはるかに超えた真実を活字にし、孤独に悩む若者たちに何事にも屈しない力と勇気を与える強烈なメッセージを発して欲しいものです。
キリスト教徒を残虐に弾圧したパウロが救いを求めて回心し、聖人に列せられた先例もあります。
小説は事実より奇なりはほとんど死語と化していますが、現実に追い抜かれ埋没した文学の復権は、君のような現実の修羅をくぐった人によってなされるのかもしれない、と私は密かに期待しています。
追記:
上記の文は、元酒鬼薔薇聖斗が仮退院前に出版された「『酒鬼薔薇聖斗』への手紙―生きていく人として」(宝島社03年10月)に収録されたものである。
読売新聞によると、05年1月に医療少年院を本退院し、社会復帰した元酒鬼薔薇(現在24)は3月29日、両親に託して被害者の山下彩花ちゃん(当時10歳)の遺族に謝罪の手紙を届けた。縦書きの便せん3枚にボールペンで「申し訳ありませんでした」などと記し、今後も償いを続ける意志を伝えた。
だが、彩花ちゃんの母京子さんは「悲しいくらい誠意が見えない状態が続いている。もう少し具体的な謝罪の方法を手紙で示してほしかった」と話しているという。
元酒鬼薔薇は、医療少年院を仮退院中の04年8月に2通の手紙、本退院直後の彩花ちゃんの命日に遺族あてに花束と簡単なメッセージカードを届けたが、遺族にも衝撃を与えた社会にも十分な説明がない。
そうしたことから、現在でも、元酒鬼薔薇には事件の真相を明らかにして、遺族や社会に応えて欲しいと思っている。
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