河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

酒鬼薔薇聖斗・教育

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 イジメによる子供の自殺が増えている。
 早まってしまった本人は、取り返しがつかない。残された家族、学校など地域のコミュニティーにも大きな傷を残す。

 自殺は人間世界だけの不可解な現象だ。
 弱肉強食と自然淘汰が支配する動物世界では、個体が生きるために他を殺す現象はごく普通に見られるが、自らを殺すことはない。

 1958年に制作されたディズニーの映画「白い荒野」に、ノルウェー地方に住むネズミの仲間であるレミングが数百万匹という大群を成して行進し、やがて崖や海岸から海に入って溺れ死ぬシーンが出てくる。
 動物の集団自殺として世界に衝撃を与え、私の脳裏にもいまだにそのシーンが強烈な記憶として残っている。
 集団自殺は自然の摂理だと思想的に一般化され、自殺を美化する風潮を生み、文学や演劇にも大きな影響を与えた。
 しかし、現在では、それは演出、一種のやらせだったというのが定説になっている。爆発的に増えた群れが餌場を求めて移動中に進路を誤り、後続の群れから押し出されて海に落ちた場面を、集団自殺に見せかけたというのだ。

 「ひたすら死への道へと旅するレミングの大群」は、人間が勝手に作り上げた幻想とみるべきであろう。
 自然界では、生の延長乃至は終着点が死、であり、動物は死ぬまで生き抜こうと努める。それが本能であり、自然の摂理なのだ。
 飛んで火に入る夏の虫も、人間が明かりに集まる虫の習性を利用しているだけのことで、蛾は死ぬために飛び込むわけではない。

 人間だけが、死を生と切り離して観念的に捉え、自殺をする。
 つまり、考えるからで、大脳新皮質で、もう生きられない、死にたいと思い込む。

 ただ、動物と人間は全く不連続でもない。

 干潟の野鳥たちを観察していると、すくむような仕草を見せることがある。
 バンなども、上空にチョウゲンボウやオオタカが飛来すると、一瞬立ち止まり、それから茂みに走りこむ。雛は親の動作からそれが危険だと知り、退避行動を真似ている。
 蛇に睨まれた蛙がすくんで動けなくなるのも、それだろう。
 瞬間的には危険から身を守ることを放棄したように見えるが、突然の事態に身を守る方法を探していると考えた方が理解しやすい。

 人間にも同様な状態があるが、医学的には欝と言うらしい。
 欝が進行すると、自殺する行為と結びつく。脳内モルフィンの作用で、瞬間的に、痛みを苦痛と感じないとされる。
 動物実験で、逆条件反射という生物反応も確認されている。嫌悪刺激の後に快適刺激を与えると、積極的に嫌悪刺激を求めようとする。
 人間の自殺の原因を、それに求める説もあるようだ。

 しかし、自殺が自然の摂理に反することは明らかである。
 人間だけが身を守ることを放棄し、自殺に逃げ込む。
 特に、イジメは人間社会固有の病的現象と言える。

 いじめる側に非があることは言うまでもない。
 だが、イジメを理由に自殺を選ぶ方も、自然の摂理、神の意思に反していることを知らねばならない。
 死ぬまで生きることが、生を受けたものの義務であり、逃亡者になってはならないのである。

 多くの場合遺書を遺し、生の延長である死を生から切り離した理由、つまり、自分の存在を否定するものへの抗議や怒りが書き連ねている。
 事前にそれを周囲が察知していれば、自殺は防げるが、感受性、プライドや自意識の強さなどの個人差があって、なかなか気付かず、当惑させられることが多い。
 その結果、自殺の原因を巡って肉親、学校、教育委員会の間に混乱と葛藤が生じている。 
 
 この人間特有の個人差を理解する想像力や努力こそが求められる。
 いじめられたからといって、全てが自殺するわけではないからである。

 また、個人差とは個性に起因する。
 その意味で、いじめは個性の否定の側面を有すると言えよう。
 いじめの犠牲者が増えていることは、個性が尊重されず、画一性を求める社会的風潮が強まっていることの反映でもある。

 それから子を守り、自殺を防ぐのは、つまるところ親の愛ではないか。
 親への孝心や他人への敬愛の心など全ての倫理・道徳の基本は親の愛であり、絶望した子を救う最後の防波堤なのである。

子殺しは極刑に

 最近増えている実子殺しには、最も重い罰、極刑で臨むべきではないか。
 我々人間界の倫理道徳の根本を守ることであり、自然界に対するけじめでもあるからだ。  

 忌まわしい事件は、今月21日午後9時に起きた。
 京都府長岡京市の佐々木拓夢ちゃん(3)が父親らからの虐待で餓死したのだ。
 拓夢ちゃんの顔や両太ももに赤い小さな皮下出血の跡を含む多数のあざが残っていた。府警は、3歳児平均の半分の体重約7キロで歩行も困難だった拓夢ちゃんが、つねられるなどしていた可能性があるとみている。
 同居していた継母の無職西村知子容疑者(39)=保護責任者遺棄致死容疑で逮捕=は、拓夢ちゃんが衰弱していることを認識していたことを認めているという。

 これまでの調べで、実父の佐々木貴正容疑者(28)=同=と西村容疑者は拓夢ちゃんが3歳になった9月1日以降、便意の意思表示をしなければ食事を与えないというルールを決めた。
 実父は「子育てのことで(西村容疑者に)意見すると食ってかかってきた。自分の子の面倒をみてもらっている負い目があり、虐待をやめるよう強く言えなかった」と供述しているという。
 
 「しつけ」を口実に、衰弱して動けなくなった子を虐待していたことになる。 
 この夫婦は長女(6)にも虐待を繰り返し、大阪府内の施設が引き取っており、虐待の常習犯であった。

 これは殺人である。そうなるとわかっていながら行うことを未必の故意というが、動けないほどに衰弱している子を虐待すれば死ぬことは常識であるから、明らかに未必の故意による殺人罪に該当する。
 府警はその方向で調べているらしいが、殺人罪で起訴し、法の裁きを受けさせるべきである。
 幼い子には全く責任はないから、一般論としても、身勝手なエゴによる殺人行為として重罰の対象になる。

 実親に殺された拓夢ちゃんの無念は、言うまでもない。社会が代わって報復すべきは当然である。
 と同時に、社会秩序を維持するためにも、厳罰で臨むべきである。
 親が子を守り育てるのは自然の摂理に基づく人倫の根本であり、これが崩れたら人間社会は根底から崩壊する。

 家族は社会の基礎であり、人倫・道徳の原点である。
 例えば、両親や祖父母などの尊属を殺害する尊属殺、今に言う親殺しを重罰にする規定はどこの国にもあった。
 特に儒教の影響が強い東洋では、尊属殺は尊属への敬愛や報恩という社会道徳を破壊する罪としてとらえられ、中国の律令法では皇帝への反逆罪と同罪とされた。

 日本でも大宝律令以来の刑事法の原則とされ、刑法200条に受け継がれた。
 1973年4月の最高裁判決で違憲とされ、削除された。家父長制度の遺風であり、民主的ではないというものであった。
 また、子供や孫などの卑属に対する死傷行為が家父長の懲戒権として処罰が軽減されることに対する不平等も問題視された。

 それはそれで人権意識の高まりに相応する進歩と評価できる。
 それだけに、社会的にも家庭内でも弱者である卑属の権利擁護の観点から、卑属殺人、つまり、子殺しについて改めて考える必要があるのではないか。

 そもそも儒教が親殺しを厳罰にしたのは、親の子への慈愛を当然としていた。
 子の親への敬愛や報恩は、それを大前提にしているのである。
 子殺しはその大前提を壊すもので、それを放置すれば社会秩序は混乱してしまう。

 拓夢ちゃんの実父は「しつけ」と弁解したが、躾と称して子を虐待し、殺してしまうのは、家父長制度下の懲戒権の悪しき遺習である。
 子への躾以前に、自身の躾がなっていないことを振り返る必要がある。
 
 動物界でも、親が身を挺して子を守るのが普通である。
 例えばバンなどは、親が食べなくとも雛に餌を運んでいる。子の食事の面倒一つまともにできない親に限って、ぶくぶくと太っているが、バンにも劣る畜生の行為と言うべきである。
 自然界の頂点に立つ人間界のけじめとしても、子殺しは厳罰に処する必要がある。
 
 ただ、継母や継父が連れ子を虐待することは動物界ではよく見られる。親を失った子は生きていけないのが掟でもある。
 その意味で、実父は動物以下の行為を行ったとして重罪に、継母は動物並みとして処罰すべきであろう。

 さらに、そうした親失格者が増えている中、問題となるのは社会のケアが不十分であることである。
 親がいなくとも子が育つのは弱者を守る文化を有する人間社会だからこそであるが、それが揺らいでいる。
 
 今回も、親になりきれない親から子供を守るべき府京都児童相談所が失態を犯していた。
 同相談所によると、長女のいる施設から9月中旬、継母が寝込んでいるという連絡が入った。10月16日に民生委員から「拓夢ちゃんが怒られて泣いている」と連絡があり、同相談所職員が実父に電話した。
 実父が「母親は体調が悪くて吐くことがある。入院させるかもしれない」と話したため、入院するなら拓夢ちゃんを一時保護すると職員は伝えた。実父は「そうなったらお願いする」と答えた。
 同相談所は事件発覚翌日の10月23日に自宅訪問を予定していたとしているが、2日前に拓夢ちゃんは死亡し、実父が翌日午前、119番通報して発覚した。

 こうした失態を目にしていると、児童相談所関係者に対しても過失致死罪容疑を考えざるを得なくなってくる。
 以前も、虐待をした親に子を返してむざむざ死に追いやった児童相談書があった。「子は親といるのが一番」といった甘い考えは捨て、「子にとって居ない方が良い親もいる」と改めるべきではないか。

 とは言え、児童相談所には自ずと限界があり、最終的には、政治や行政の責任になる。
 教育基本法の改定が問題になっているが、愛国心とか郷土愛といった共同体意識高揚で解決出来ると思うのは、安易なすり替えである。
 「愛国法」下の米国で子への虐待や少年犯罪が激増していることを他山の石とすべきであろう。

 子への虐待は、親が自分の社会的ストレスの捌け口にしているケースが圧倒的に多い。
 親が安心して子を産み、育てられる社会環境の醸成こそが急務である。

 未成年者による親の殺害や殺害未遂事件が、急増している。
 格差社会のひずみと言えばその通りだが、疎外が少年の世界にまで広がっていることを無視できない。

 警察庁のまとめによると、刑事処分対象になる14歳以上の子どもによる親の殺害(未遂含む)は、年間3〜10件で推移していたが、昨年は17件と急増した。今年もすでに10件とハイペースで、8月と9月にもそれぞれ2件ずつ相次いだ。
 
 警察庁は昨年と今年の目立った15事件を動機別に分類。「成績や生活態度を叱責・注意された」が過半数を占め、「異性交際を注意された」「親に暴力を振るわれた」などを上回った。
 経済的に恵まれた家庭で起きている傾向があり、親への単純な憎しみよりも、自分らしさを取り戻すために、家族や家庭を消し去ろうとする衝動的動機が目立つ。

 神奈川県大和市で4月、中学1年の男子生徒が母親の首を刺したが、「勉強しろ、部屋を片づけろと小言を言われ、いらいらしていた。中学になって特にうざったくなった」と母や兄から言われ、「家族はいらない」と思うようになったと自白している。
 奈良県で6月、高校1年の男子生徒が自宅に火をつけて母親、弟妹を死なせたが、少年は、医師の父から一流大学医学部へ進学するよう期待され、「今までの自分の生活を消し去り、新たに生きていきたかった」と話した。

 親子喧嘩は、ある意味で宿命的なものである。
 被害者は常に子供で、以前は自殺や他人への攻撃でストレスを発散させていた。
 だが、ある時期から家庭内暴力へと向かい、親への攻撃へとエスカレートした。

 理由としては、勝ち組・負け組という風潮の下、親を子を勝ち組に入れたいと子どもにプレッシャーをかけ、子どもの居場所を奪っていることがある。
 さらに、イラク戦争など、力で問題を解決する風潮も影響しているとみられる。
 
 精神分析的には、子供の成長する自我が、親や社会のエゴに押しつぶされ、抵抗しているものと考えられる。
 その意味では無抵抗な少年少女を殺傷した酒鬼薔薇聖斗と変わらないが、親殺しは、抵抗の形態が社会的風潮の影響を受け、矛先が直接、抑圧者である親に向かっている。

 溺愛せず、無視せず、常に子供と適度な距離を置く。
 すなわち、子供を独立した人格として尊重し、その自主性を重んじ、自立を助け、見守る姿勢が肝要であろう。

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 神戸児童連続殺傷事件から9年以上経過し、酒鬼薔薇聖斗を名乗った少年Aも2年前に医療少年院を仮退院し、成人となって社会の片隅で更正の道を歩んでいる。
 Aが犯人であることはほぼ社会的な常識となっているが、いまだにAの冤罪を主張して闘っている人々がいる。

 私の元にも最近、「警察・検察の不正の告発を支援する会」から、再審実現のために支援を訴える手紙が届いた。
 Aの逮捕直後から、月に一回くらいの割合で来ていたが、最近は間が空くが、それでも送り続けている。
 9年以上も自分たちが信じる真実を社会に訴える執念と努力に、驚くとともに、心から敬意を表したい。

 会のメンバーにはそうそうたる人々が名を連ねる。
 代表は弓削達・東大名誉教授で、東京教育大(筑波大)教授、東大教授、フェリス女学院大学長を歴任した。「ローマ帝国の国家と社会」「ローマ帝国とキリスト教」「歴史家と歴史学」などの著書がある著名な歴史学者である。
 「私自身、天皇の問題で発言し、自宅に銃弾を撃ち込まれたりしたことがある。しかし、どんな脅迫や暴力を受けても、私自身は屈する事なく言うべき事は言わなければ、と思っている。言葉以外に私たちは何も持っていない」という信念の持ち主である。
 http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj1998/sinboj98-11/sinboj981127/sinboj98112781.htm

 また、会の活動の中心人物は、冤罪事件の解明に生涯を捧げている弁護士の後藤昌次郎氏である。
 Aの事件についても、「他の冤罪事件と同様、Aの自白以外、一切の物的証拠がない。マスコミではいくつかの『決定的』証拠が報道されているが、どれも根拠のないものであることが明らかとなっている」と主張する。
 Aの自白についても、著書「神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由 A少年は犯人か」で次のように信憑性を否定する。
 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4877982396/sr=1-1/qid=1160216763/ref=sr_1_1/250-3519019-3587410?ie=UTF8&s=books

 Aの筆跡は筆跡鑑定により犯行声明文と酷似しているとされたが、兵庫県警本部科学捜査研究所の判定は「酷似した字が9、明らかに違う字が5、結論として本人と同一の者が書いたか判定できない」というものであった。
 警察の機関がこのように判定するということは、別人ということである。事実、この判定を証拠として逮捕状をとることはできなかった。
 それにもかかわらず取り調べにあたった警察官が「筆跡鑑定でお前が書いたことが明らかになった」と嘘をつき、それをうけて少年はそれなら何をいっても聞いてもらえないと諦め自白したのである。これで逮捕となった。
 家庭裁判所の審判ではもちろん、この警察官の行為は違法だと判定されている。

 専門家だけに指摘は一々もっともで、警察、検察の杜撰さが浮かび上がる。

 私自身はAが犯人だと思っている。
 著書「酒鬼薔薇聖斗の告白―悪魔に憑かれたとき」では、Aの疎外感が原因と考え、彼の深層心理に迫った。
 同会では私の著書を批判する意見もあったと聞くが、批判はあってしかるべきである。

 成人し、社会に復帰したAが冤罪なり、無罪を主張するならともかく、それがない現在、Aが犯人であることは動かないと思うが、絶対というものはない。
 私はAが本を書くことを勧めているが、再審要求も真実を明らかにする一つの方法であることも否定できない。

 Aの事件はそれほどに社会に衝撃を与え、今も同質の事件が絶えることはない。
 少年犯罪を無くすには、刑罰の強化では全く不十分である。
 社会が少年たちに応分の責任を負い、少年犯罪を根源から無くすために、酒鬼薔薇聖斗事件は今後も問われ続けられなければならないだろう。

 感情を爆発させた子供に、教師や親は、どっしりと受け止め、「泣き叫ぶだけだったら赤ちゃんと同じだよ。赤ちゃんになってしまったの?」と優しく諭し、「言葉で言いなさい」と、子供自ら自分の心を整理し、考え、成長・自立の契機にしてあげることが大切だ。
 だが、暴力は絶対に許してはいけない。それは教育の前提を壊してしまうからだ。

 文部科学省の調査を具体的に見ると、兵庫県内の小学校に勤務する40代の女性教諭のケースがある。
 学級崩壊した3年生クラスの「応援」に入り、モノをけ散らす男児を廊下に引きずり出し、「何かをけらないと収まらないなら、私をけりなさい」と言ったという。

 これは最悪だ。暴力を推奨してしまったからだ。教育どころじゃない。

 案の定、男児はためらわなかった。手加減もせず、女性教諭のおなかや足を20発以上もけり続けたという。
 女性教諭は隣のクラスの男性教諭が助けに来るまで耐え続けたというが、何のための「応援」か。

 酷だが、暴力を助長し、子供のためにならないことをしてしまったと言う意味で、教師失格である。耐え切れなくなって休職したというが、仕方があるまい。
 3年生2クラスとも学級崩壊に陥り、下の学年にも崩壊が波及したというが、本当の被害者は子供たちである。
 こんな学校に子供を送る親などいまい。
 
 何故、幼く、体もまだ小さい3年生も指導できないのか。
 「指導を聞かない子どもと何度取っ組み合いをしてきたか。みんな(ほかの教師)もやられていた」と弁解し、「保護者会には、荒れている児童の保護者に限って欠席する。家庭での指導はもはや期待できなかった」と責任を転嫁する。
 子供がまともに話を聞く筈がない。

 暴れる子供を押さえ、どやしつけるのは、体罰でも何でもない。教育の第一歩だ。
 体罰と思われ、親に怒鳴り込まれるのを恐れる保身主義こそ問題ではないか。
 親と喧嘩するくらい、体を張って教育に取り組んでもらいたい。

 小学校で「厳罰化」や「警察との連携強化」を云々する不見識な者は、早々に、教育の現場から去るべきであろう。
 教育基本法を変え、国旗や国歌を歌えばどうにかなるという安易な輩も同様だ。

 ある教師は、「今の教師は、『子どもと向き合う』こと以外の負担(学校内の事務作業など)が大きくなっている。もっと子どもと向き合う時間と余裕がほしい」と漏らしたと言う。
 何故、漏らすのか。正論ではないか。もっと声を張り上げるべきだ。
 それ以外に、責任ある教育を取り戻す術はない。

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