河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

酒鬼薔薇聖斗・教育

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 東京・秋葉原で昨年6月、17人を殺傷したと公判中の加藤智大被告(27)が、事件で負傷した元タクシー運転手の湯浅さん(55)に謝罪の手紙を送っていた。
 「私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が『荒らし行為』によってその存在を殺されてしまった」と犯行動機を記しているが、その存在のバーチャルな軽さに慄然とさせられる。

 酒鬼薔薇聖斗が12年前の犯行声明で「透明な存在」と自己を表現したことと似ている。
 酒鬼薔薇予備軍が拡散している観があるが、最近全国で頻発する凶悪犯罪もそれと無関係ではあるまい。

 手紙はB5判の便せん6枚に直筆で書かれており、加藤被告の弁護士を通じて6日、湯浅さん宅に届いた。
 加藤被告は「遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、人として謝罪すべきだという結論に至った。どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えている」と記した。
 さらに事件について「記憶がほとんどないが、やったことには間違いはなく、罪から逃れるつもりはない」とし、被害者や遺族の苦痛について「私の唯一の居場所であったネット掲示板において、私が『荒らし行為』によってその存在を殺されてしまった時に感じたような我を忘れるような怒りがそれに近いのではないか。全てを説明しようと思っている」と書いた。

 湯浅さんは「丁寧な字で書かれており、あんな事件を起こす人間とは思えなかった」と語ったそうだが、情念が引き起こす犯罪とはそのようなものである。
 情念が消えれば、凶悪犯もごく普通の、か弱き愚かな人間の一人である。
 正常に戻った人間を死刑にすることには、抑止力を期待する社会的な報復、つまり、みせしめ以上の意味はなかろう。

 問題は、そのようなバーチャルな存在を生んでしまう社会である。
 加藤被告の場合は直接的には人を使い捨てし、居場所をいとも簡単に奪ってしまう派遣切りがある。
 その意味で、鳩山新政権には賃金ピンはねで超え太る人材派遣会社なる社会のダニを儲けさせる悪法である派遣法の早期廃棄を求めたい。

 しかし、それだけで済むものでもない。
 人間をモノ扱いし、人間性を否定する社会の風潮を改めない限り、根本的な解決は難しい。
 強欲資本主義の本質的な危機は、金融不安よりも、そこにある。

 ある日突然、隣室の見知らぬ男によって肉体を切り刻まれ、この世から忽然と消え去る。
 江東女性殺人事件に、街中に潜む現代の狂気に慄然とさせられた人が少なくなかろう。

 それに対して東京地裁(2月18日)は「冷酷きわまるが残虐極まりないとまでは言えない」として、死刑の求刑を退け、無期懲役を言い渡した。
 賛否両論を引き起こし、裁判員制度実施でナーバスになっている世論は割れたが、そこに、裁判官を含む現代人の合理主義に潜む盲点がある。

 判決文が「女性を『性奴隷』にする歪んだ欲望」とする動機自体は、目新しいものではない。いかにも世相をうかがわせ、我々に衝撃を与えたのは、「死体を細かく切断して投棄した」との部分だ。
 「発覚を恐れた極めて身勝手で自己中心的で、計画性が認められる」のは、それなりに合目的性がある。つまり、一見して合理主義的である。

 我々に戦慄を覚えさせるのは、残虐な手口もさることながら、悪魔に憑かれた“内なる星島”である。
 「なるほど、死体を隠滅すればわからない」とどこかで納得してしまうのは、他人事ではない。ソフトエンジニアらしいが、バーチャルゲームかのように一人の女性の存在を瞬時に消し去ってしまう。「なるほど、手際よい」と、不覚にも、共感してしまう自分に驚く人もいるのではないか。

 判決文そのものに、ある種の迷いが認められる。被告を精神病者扱いせず、殺害行為と死体損壊行為を区別する行為に理解を示し、情状酌量しているのはそのためであろう。
 現実的には両行為は 一体化していたと思われる。証拠隠滅可能と踏んで凶行に及んだふしもあるが、判決文がその辺を明らかにしていないのは、裁判官にも戸惑いがあったことをうかがわせる。

 無理もない。犯人の合理主義を裁判官を含む我々も共有しているからである。
 ただ、星島の合理主義は歪んでいた。違いはひとえにその点にあるが、星島が逮捕されて自己の誤りを涙を流しながら反省し、自ら極刑を望んだというから、紙一重の違いでしかないのかもしれない。

 周囲から“普通”と思われている人がある日突然、魔が指して凶行に及ぶ。 
 ということは、恐らく、我々一人ひとりの心のどこかに、星島になる蓋然性が潜んでいることを意味するのであろう。

 不合理な行為が批判されるのは当然である。殺人が不合理な感情の産物である限り、我々は異常なものとして安全地帯から眺めていることができる。
 しかし、合理的な殺人は異常とのフェンスを取り払ってしまった。
 合理主義はいつ、どこで、どうして歪み、仮面の裏に得体の知れない怪物の顔を持ってしまったのであろうか。

 もともとデカルトに始まる近代合理主義は、人間を人間たらしめる本性(人間性)を至上原理とするヒューマニズム(人間中心主義)に後押しされて誕生した。
 善や真理の根拠を神に依存する宗教(キリスト教)の頚木から人間を解き放ち、その本質を思惟能力に求め、理性の力によって真理・法則を究明し、この世に理想社会を建設できると信じたのである。
 ヒューマニズムとは同じ遺伝子を受け継いだ双子の兄弟であり、非人間的な殺人は感情によって理性を忘れた獣の所業であり、合理的な殺人などは原理的にありえないはずであった。

 それが歪んだのは、ヒューマニズムが金を人の上に置く拝金主義=資本主義によって換骨奪胎されてからであり、金銭欲などの欲望充足のためには何でもやる、許されると倒錯するようになった。
 そして、デカルト的合理主義の真髄と言うべき批判的合理主義は、病み、「人を殺してはいけない」との殺人戒さえ疑い、否定することに悪用される。
 「何で人を殺してはいけないのか?」と挑戦状を突きつけたのはかの14歳の酒鬼薔薇聖斗であったが、社会はその答えをいまだに出せないでいる。

 星島被告への判決文にも、その答えはない。
 被告の涙は、捕まったことへの悔悟の涙かも知れない。少なくとも、裁判官はそう思っているに違いない。本当に改悛したと判断したら、無期ではなく、有期刑にしたはずだからだ。
 

 小学生の時のペットの恨みで厚生省元次官らを殺傷したという小泉容疑者の供述は世間を驚かせているが、よく考えると、遠い過去の心の傷が突然甦り、感情的な言動につながる“非論理的な飛躍”は、誰しも大なり小なり経験する事ではないだろうか。
 小説や映画での劇的展開には、そうした組み立てが多い。

 小泉容疑者は、小説をも超えてしまったのであろう。
 彼は国立の佐賀大学中退までは、数学が得意な典型的な地方の優等生であった。猛烈な競争社会である東京に来た後のフリーターという厳しい現実との格差が、彼のプライドをズタズタに切り裂き、凶行に走らせた可能性は十分にある。
 私的な怒りが無差別に暴発したという意味で、秋葉原の事件と共通したものがある。

 地方の秀才が多い高級官僚に矛先が向けられたのは、少しの差で人生が分かれたことへの嫉妬や逆恨みがあったことだろう。
 同様な屈折した傾向は、神がどうのこうのと訳のわからないことを口走りながら、日教組攻撃で憂さを晴らそうとした中山前国交相にも認められた。政権を二代続けて無責任に放り出し、「漢字が読めない」と小学生に言われる総裁・首相を担ぐ自民党議員が日教組批判をしている立場ではなかろう。

 事件の背景には、ブレーキが利かなくなり、安全地帯まで奪った過度の競争社会=格差社会の歪みと、それに何の対策も立てられない無能な政治がある。
 事後処理的な警察力には自ずと限界があることは、ことさら言うこともあるまい。

 警戒すべきは、無差別テロが蔓延しかねない社会的な風潮である。
 小泉容疑者の背後に、特定の勢力もしくは組織が潜んでいるとの指摘があるが、何よりも危険なのは、不況の深刻化とともに進行する声無きテロ予備軍の増大である。
 もはやマンガ脳に対応できる事態ではない。

 実母に殺された福岡の小学一年生は、大学病院の小児科で広汎性発達障害と診断され、特殊学級に送られたと言う。
 最近はこうしたケースが少なくないが、そこに落とし穴が潜んでいないだろうか。

 週刊朝日の今週号が「育児日誌」を掲載しているが、それを読むと、闊達な子供をもてあました親の姿が見えてくる。
 「言うことを聞かなかった。」父親の言葉だが、今の子供に珍しいことではない。

 目を引かれるのは「算数や記憶力は優れていた」と言う部分である。「鉄棒など運動を好んだ」との指摘もある。
 特殊な才能すら感じさせるが、何故その子が発達障害なのか?

 「人の目を見て話すことが出来ず、すぐ立ち上がってどこかへ行ってしまう」「病弱の母親に暴力をふるう」・・・と言ったネガティブな記述が見られるが、ちょっと乱暴な男の子といったもので、よくあるケースである。

 問題は、福岡大学医学部小児科の医師がどこを診て、広汎性発達障害などと診断したかにあるように思える。広汎性などという付け足したような病名は、子をもてあました親の求めで安易に診断書に書いたのではないか。
 それを基に特殊学級に押し込め、さらに母子の葛藤が激しくなったーそんな構図が透けてくる。

 無論、現地にも行かずに軽々に断定することは避けねばならないが、親を含む大人世界の勝手な都合で、未来ある無垢の命が奪われた事は否定できない。

 まったくいやな世の中になったものである。これも腐敗無能の自民党長期政権がもたらした教育の混乱の現れであろう。
 福岡市での母親による子殺しのことである。

 事件の第一報を聞いて、母親ではないか、といやな直感がした。
 状況が不自然なことに加え、気になることがあった。小学校1年の被害者が特殊学級に通っている、と報じられたからである。

 近年設けられたこの特殊学級が、くせものである。
 個性豊かな子供たちを特殊の名でくくり、つまり、異常扱いし、閉じ込めてしまいかねないからである。

 と言うのも、かねてからやたら精神病者を作り上げて商売するアメリカ流の心理学に疑問を感じていたところ、子供が小学校に通う友人の家で、低学年対象のアンケート用紙を見せてもらった。
 学級担任から保護者宛てに送られてきたものだが、内容を読んで慄然とした。

 最近少年犯罪の度に心理学者が訳知り顔で口にする発達障害とか人格障害といったメニューが並び、問題行動として、落ち着きがない、一ヶ所にじっとしていられず、急に動き出す・・・といった項目がずらり挙げられ、該当する箇所にチェックを入れる仕組みだ。
 この全てに該当しない子とは、一体どんな子なのか。規格品のロボットではないのか。

 私の子供の頃は、友達にそのいずれかに当てはまる子はいくらもいたし、私自身もそうだったろう。だから、学校が面白かったのである。
 それが今は問題視され、特殊学級に送られる。学校ではなく、監獄ではないか。

 安倍政権の「教育改革」でそうしたロボット化教育行政が強化された訳だが、安倍さんや仲間の麻生自民党新総裁のガキ時代は、それらの問題行動の多くに該当したと聞く。
 いまだに政権放り出しなどで世間に迷惑をかけているが、どう説明するのか。
 こうしたデタラメ教育行政で子供の個性を圧殺し、子供の将来への親の希望を奪い追い詰める責任は重い。

 無論、子殺しは人倫の根本に触れる重罪であり、どんな理由であれ許されるものではない。
 母親は一生をもって償うべきは当然である。

 しかし、事を個人レベルの問題で終わらせてはならない。
 母親による子殺しが増えている終末現象に終止符を打つには、無能無責任な自民党政権、それと癒着した教育官僚とともに、患者を増やして暴利を貪る米国流心理ビジネスを駆逐する必要があろう。


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