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五日白昼、両手の包丁を振りかざし、東京都品川区の商店街を疾走しながら次々と5人の通行人に切りかかった16歳の少年は、「ギャー、助けてくれよ!」と、加害者とも思えぬ奇声を発していた。
防犯カメラが捕らえた犯行の様子だが、「神の裁きを!」「なめるんじゃねぇっ」と叫んでいたとの目撃者談もある。
週刊フライデー(1/25)によると、防犯カメラが設置された戸越銀座商店街の日焼けサロン近くの薬局の女店員は、「店に逃げ込んできた男性たちが必死に押さえつけていたドアの向こうで、追いかけてきた少年が『神の裁きを!』と叫びながら包丁でドアのガラスを何度も叩いた」と証言する。
駆けつけた警察官に殺人未遂容疑で取り押さえられたが、「組み伏せられても全く無表情であった」と別の目撃者は語っているという。
私立高校2年という少年の心に、何が起こったのか?
少年の言う“神”とは何なのか?
人類史を変えた最大の発明は、恐らく火と神であろう。
前者は物理的エネルギーとなって経済を発展させ、後者は精神文明の精神的エネルギー源となった。他方で、使い方を誤り、多くの悲劇をもたらしてきた。
少年は中学校を転校し、高校入学後も通信教育を受けるコースに転籍していたが、某紙で副校長は「成績はトップクラス」と語っている。
当人は「人と話すのが苦手。友人もいない」と供述し、家庭や学校で人間関係に悩み、ストレスを抱えていたようだが、勉強に終われ、友達と遊ぶことを忘れた秀才型の少年に良く見られるケースだ。
自ら神を創ったくらいだから、IQは高い方であろう。
「ギャー、助けてくれよ!」との叫びは、その“神”に救いを求め、自ら最後の審判を下したのであろうか。
少年は数年前から精神的に不安定になり病院に通院していたため、東京地検は責任能力があるか簡易鑑定を行う方針というが、安易に精神病者のレッテルを貼り付け、一件落着というのだけはやめてもらいたい。
年齢はかなり上だが、昨年暮にも長崎県佐世保市のスポーツクラブで2人死亡、6人重軽傷という無差別的な散弾銃乱射事件が起こり、犯人は現場から5キロ離れたカトリック船越教会敷地内で自殺した。江戸時代からの隠れキリシタンの家系で幼児期に洗礼を受けていたというから、これも自分の神に救いを求めたケースだろう。
いずれも社会的、法律的には身勝手な犯罪行為だが、それだけで片付けてしまっては本質的な問題は見えてこない。
類似の事件が続発しているという事実は、社会にそうした悲劇を引き起こしている原因があるということである。
9日夜に起きた青森県八戸市の一家三人殺害事件の犯人、長男(18)にも、共通した“あるもの”を感じさせる。
翌朝、八戸駅前で警察官に逮捕された時は、「近づくな」と大声で叫びながらサバイバルナイフを振り回した。取り調べには落ち着いて応じ、「3人を自宅で殺害後、遺体を布団の上に川の字に並べた。なぜかはいいたくない」と供述しているという。
小学生のころから家に引きこもるようになり、家族にナイフを突き付けるなどの奇行や暴力を振るっていたというが、必死に育ててきた子供の凶刃に倒れた母親(43)や、将来の夢を断たれた弟妹の無念はいかほどであったろう。母親は「精神的におかしくなった」と周囲に漏らしていたというが、家庭内では解決できないものがあったと思われる。
品川区の通り魔少年は、警視庁の調べに「直前に母親とトラブルになった」と、母親に無視されたと感じたと供述しているが、八戸市の少年と異なり、「誰でもいいから皆殺しにしたかった」とナイフの矛先を世間に向けた。
恐らく彼の“神”が、そうせしめたのであろう。
現代の大量消費社会は規格外の商品がはじき出され、人間の精神世界も汚染されている。
規格外の考えの持ち主(偉大な発明・発見はそこから生まれるのだが)は無視され、疎外される。
学校教育の場にまでそれが蔓延することで子供たちが追い詰められ、いじめ、不登校やひきこもりで傷つけあっている。そして、一部が極端な行動に走ることになる。
殺人事件にまで発展するのは、「汝人を殺すな」という根本的な規範が揺らぎ、いつの間にか「何で人を殺してはいけないの?」に置き換えられてしまったからだろう。
それを犯行声明で社会に突きつけたのが、1997年に神戸で起きた児童連続殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗であった。
さらに視点を広げると、実は、神々の闘争は日本社会だけの現象ではない。
今や地球規模で、規格外の考え、価値を否定し、抹殺する動きが国家的な規模で拡散し、同時にそれへの反発も強まり、紛争が絶えない。
品川区や八戸市の少年たちの暴走は、現象形態は全く異なり、地理的にも相互に遠く離れているが、根源的には、イラクやパキスタンで頻発するイスラム教徒の自爆テロに通じるものがあるように思える。
それらはテレビなどメディアを通して日常の茶の間に入りこみ、不断に「何で人を殺してはいけないの?」と問いかけている。
大人たちがそれに答えられず、ただおどおどしているのを見ながら、明らかに子供たちは影響を受けているのである。
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