河信基の深読み

読者各位様:本「河信基の深読み」は順次、北朝鮮投資開発戦略研究所(2019年4月〜所長・河信基)の公式HPへ移行して参ります。

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 予定が入っているソウルに戻らなければならず、朴正煕生家参観を早々に切り上げ、クミ駅行きのバスに乗った。市中心部の通りは小売店が軒を列ね、人があふれて賑わいを見せていた。千葉市や広島市の繁華街を思い浮かべれば理解しやすい。
ガラス張り天井のモダンなショッピングモールが併設されたクミ駅でソウル行きの特急券を買い求めるが、ムグンファ号もセマウル号も指定席が満席。立席を購入し、三時間、食堂車に居座った。
晴れ渡った秋の夕暮れの嶺南地方は、黄金色の稲穂が夕陽に映え、海を越えて来た旅人の旅情を誘う。

7時過ぎにソウル駅に着いたが、各ホームから降り立った人がどっと合流してくる。改札を出ると、クミ駅を一回り大きくした華麗なショッピングモール。ホテルにチェックインする前に腹ごしらえをしようと、人混みの中でキョロキョロしながら、手頃なハンバーグショップを見つけた。
ハンバーグを頬張りながらただっ広い店内を見渡していると、あることに気付いた。外国人がやたら多い。西洋人、中東系は外見ですぐわかるが、耳を澄ますと、韓国人と見分けがつかない日本人、中国人、タイ人らがかなり混じっている。私の隣のテーブルの三人づれの女性はインドネシア人であった。8年前にこの駅に来た時には見なかった光景である。

外国人観光客の多さを改めて意識したのが、旧王宮の景福宮においてである。
私は韓国を訪れると景福宮参観を欠かさない。初参観は1995年に父と一緒であったが、近くの大統領官邸を警備する部隊が一隅に物々しく駐屯していた。
何よりも私の網膜に焼き付いたのが、グロテスクな旧総督府である。日本植民地時代に景福宮正門の光化門を撤去し、王宮を睥睨するように作られた。『朴正煕』執筆の準備をしている時であったが、それを残した彼の限界みたいなものを感じた。
次に参観したときは総督府のてっぺんにクレーンが設置されて解体作業が始まり、その次に行ったときには跡形もなくなっていた。金泳三政権の最大の功績は旧総督府解体と評価しているが、残念なことに、再建された光化門はコンクリート剥き出しの貧相なものであった。
2010年に昔ながらの光化門が復元されたと聞き、是非この目で確かめたいと思っていた。

この日早朝、ホテル周辺を散歩している途中、(1)で紹介した清渓川を偶然発見したが、ホテルに一旦戻って朝食を済ませ、景福宮へと歩いた。ピョンヤン、ウラジオストク、モスクワ、タシケント、ベルリンなど裏道まで歩き回って現地の素顔を探るのが私の流儀だが、ソウルも何回か来て、おおよその事は了解している。
 8年前になかった高層ビル群に目を丸くし、華麗に変身した街並に感心しながら歩くこと30分弱、景福宮の城壁が道なりに現れ、さらに行くと、古風泰然とした城門が見えてきた。
光化門は、中央の緑地帯を挟んで幅200メートルはあろうかと思われる世宗路を正面に見据え、期待に違わぬ偉容を誇っていた。
 上の写真は世宗路から写した光化門で、背後に北岳山の南側に位置する景福宮の全景が広がる。大統領官邸の青瓦台は景福宮の背後にある。アジア有数の大都市ソウルの中心部とは思えない自然豊かな光景であるが、市街は漢江が流れる南側へと広がる。

光化門復元は、単なる王朝趣味の復活ではない。
門を入ると広場があり、その先が景福宮の中心、王が政務を司る勤政殿である。広場中央に大きな太鼓が置かれ、10時から朝鮮王朝の伝統行事であった衛兵の交代式が始まる。
定刻、勇壮な太鼓の響きと共に東門から赤黄青など派手な原色で彩られた軍装に剣や槍を帯びた数十の衛兵が隊列を成して登場し、二手に別れて威風堂々の分列行進を繰り広げた(写真下)。

縄取りされた外側に観光客が群がり、歓声をあげながらてんでに写真を撮り始めた。
私もスマホの照準を合わせようと動き回ったが、ふと気付いた。観光客の大半は外国人であった。月曜日の午前ということもあり、韓国人は少ない。
世界的な文化現象となった韓流ブームに乗って世界中から人々が集まり、『チャングム』など韓流歴史ドラマに頻繁に登場する衛兵の姿を生で観て、感動しているのである。
光化門復元と同時にバッキンガム宮殿の向こうをはるように復活された衛兵交代式は大成功であった。
 
1305年に朝鮮王朝の宮殿として建立された景福宮の復元工事は1990年から開始された。36年にわたる日本の植民地支配下で消滅しかかった民族文化と伝統保存が主目的であったが、時ならぬ韓流ブームで観光立国の目玉となった感すらある。
復元工事は2030年まで続けられる予定で、広大な宮内では原型に近いものを復元するために遺構の発掘が行われている地区がある。王が船を浮かべて楽しんだという湖水に囲まれた楼閣などが点在し、紫禁城には及ばないものの、京都御所や江戸城よりも広い。それを全て復元するには莫大な費用を要するが、観光資源としては申し分ない。
 私のホテルの近くの鐘閣でも定刻に衛兵交代式が執り行われるなど、ソウル市内の各旧跡で王朝絵巻を再現するイベントが持たれ、外国人観光客を喜ばせている。
 観光立国は今や重要な国策である。
 欧州歴訪を終えて11日に帰国した朴槿恵大統領の第一声は、外交関係がギクシャクしている北朝鮮でも日本でもなく、旧跡の崇礼門復元工事で露見した手抜き工事への叱咤であった。韓国文化財庁はキムチ食文化をユネスコの今年の無形世界遺産に登録させようと躍起になっている。 
 官民一体で努力した甲斐あって、韓国への外国人観光客は年々急増し、昨年は1114万人と836万人の日本よりも約300万人も多い。ソウル市内の通りには外国人がごく普通に見られ、街に溶け込んでいる。以前は見られなかったコンビニ、スターバックス、ハンバーグ店が爆発的に増え、どこも繁盛しているのもうなづける。

観光立国は外貨稼ぎの経済効果だけではなく、否応なく韓国人に世界の中の韓国に目を見開かせ、意識を確実に変えている。 
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 爽秋の忠州での二泊三日は、あっという間の実り多い日々であった。
人間性豊かな友人達と楽しく交歓し、漆黒の農道を歩きながら語り合い、オンドル房で腹蔵ない意見を深夜まで交わした。暖かい陽射しに誘われるように車で十数分の所にある、王朝時代から“王の温泉”と呼ばれたスアンボ(水安堡)温泉にも遊んだ。
 二日目の最後の夜、民主化運動の渦の中で熱唱した歌手二人がソウルから駆けつけ、期せずして往時を彷彿させる熱い合唱が沸き上がる。部外者ながら最後に、マイ先生からのたっての指名で私もMy Way を、マイク無しになんとか絶唱した。

20日の朝食後、一人、東方の慶尚北道のクミ(亀尾)に向かうことにした。
「朴正煕の生家を見てみようと思います。金日成の生家がある万景台とそっくりだと聞いたので、自分の目で確かめないことには。純粋な客観主義が私の立場です。」
「同民族なのだから、似ても不思議ではないでしょう。」
私の車が門を出るまで見送ってくれたユン元長官は、そう言って和やかな笑みを浮かべた。御当人はまだ行っていないらしい。

車に同乗させてくれた人物は、クミ近くのテグ(大邱)から来た政治学博士の姜基龍氏。朴軍事政権時代の1970年代、北朝鮮のスパイ組織として摘発された民青学連事件に連座してテグの刑務所に収監された。民主化後に冤罪が確定し、後に韓国中部電力監事を務めた。
クミには一度も行ったことがないと、複雑な心中をのぞかせる。朴正煕への評価は国民の中で高まっており、旧民主化勢力内でも、政敵として迫害された金大中元大統領が韓国近代化の礎を作ったと評してから微妙に揺れている。金大中の本命後継者とされながらノ・ムション元大統領に大統領候補指名選挙で破れた韓和甲氏ら重鎮らが、朴正煕の歴史的な役割を認めている。
 韓氏は姜氏がテグから国会議員選挙に出馬した時の後援会長であったが、距離を置いていると言う。この機会に一緒に見学しないかと誘ったが、ついに首を縦に振らなかった。

クミまで二時間強の高速道。山をぬうように行くが、日本のような煩雑な料金所がなく、以前走ったドイツのアウトバーンのように流れがよい。ナビの音声表示に従い、クミのインターを降りた。
 クミ市内の地理に不馴れの姜氏と別れ、タクシーに乗り換え、食い入るように車窓から外を眺めたが、『朴正煕・韓国を強国に変えた男ーその知られざる思想と生涯』で描いた情景の痕跡も見当たらない。
朴正煕が生まれ、幼少年期を過ごした辺鄙な山村は、キョンブ高速道で首都圏や東部の製鉄都市ポハン、南部のプサン港と連結されてから急速に発展、高層ビルが林立し、工業団地が並び、IT 製品を中心に年間300億ドルを海外へ輸出する堂々とした産業中核都市へと姿を変えていた。そこに、慶尚南北道で朴正煕が圧倒的な支持を得てきた理由がある。

生家一帯は公園となり、一角に朴正煕の銅像が立つ。日曜日の午後というので、広い駐車場に観光バスやマイカーが次々と乗り付け、各地から来た人々でにぎわっていた。
昔は一本の細道であったであろう緩やかな坂(写真上)を上がると、藁葺き屋根の粗末な家(写真下)があった。

金日成の生家より小さい、が第一印象であった。
二畳ほどの部屋(下写真正面の白いドアの部分)に、本の虫であった朴正煕が使っていたという木机が置かれている。貧農に身をやつした元ヤンバンの末息子は、朝夕、この古びた小さな机にかじりつきながら必死に未来を夢見ていたのだ、と語りかけて来るようだ。
 
 生家周囲には記念館などが併設され、写真パネルなどで朴正煕の業績が紹介されている。
 凶弾に倒れた母親のあとを継いで朴大統領のファーストレディー役を果たしていた朴槿恵現大統領の写真も混じり、国家の近代化・現代化にかける父娘二代の意地や執念が伝わってくる。
 
 言うまでもなく生家は史跡であると同時に、自己の政治的な正統性を主張する政治的なプロパガンダの場でもある。金日成は生前に万景台の生家を革命史跡地に指定・整備したが、死後、かげりが見える。朴正煕のそれは近年のことであり、異論も根強い。
 二人の業績を客観的、歴史的に正しく位置づける時期に来ていることは間違いあるまい。それが私が18年前に『朴正煕』を著した最大の動機でもある。
 南北で見解が大きく分かれる現在進行形の問題であるが、最低限、金日成は抗日独立闘争の功労者であること、朴正煕が韓国近代化の功労者であることだけは客観的な史実として踏まえておく必要があろう。
 
 学生時代から金日成に感化され、その著作や関連書籍の全てを繰り返し読み込んできた私は、朴正煕研究を深める過程で、朴正煕も金日成と同じことを考えていた。失われた民族の尊厳を取り戻し、富強な国家建設のために自己の持てる英知と力を捧げようとした志において全く変わることはない、と考えるようになった。今回のクミの生家訪問は、それを改めて確信させた。
 その共通理解と、そこから生まれるであろう相互尊重と謙譲の精神なくして、朴正煕の娘と金日成の孫が対立する南北の究極的な和解はないだろう。
 
 

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 車を降りて周囲を一望した私は思わず、ほーと感嘆の声を上げた。朝鮮では古来、山の南方斜面を、気が集まるとして好む。三軒の韓洋折衷の平屋は、まさにそのような地形にこじんまりと佇んでいた。
鬱蒼とした小山を背にした横並びの家々の前は300坪程の長方形の平地で、綺麗に刈り込まれた瑞々しい芝に覆われ、赤い実をたわわに付けた柿などの木が周囲を囲む。
 南方に広がる景観に目を奪われた。180度のパノラマだ。
 先程上ってきた緩やかな斜面が数キロ先まで続き、段々畑や果樹園に挟まれるように農家が点在する。一帯が山あいの農村であることが分かるが、圧巻なのは、それを優しく見下ろすように幾重にも囲む山々である。
 遠くの山頂に目を凝らすと、すっくと立つ木々のシルエットがまばゆい。残念ながらまだ色付いてはいなかったが、紅葉が始まったら、多くの詩人たちが詠った錦繍江山の絵柄に変わることだろう。

日の陰がゆっくりと山肌を上がっていくが、まだ明るい。中央の家の前に設置された屋外テーブルでは、我々を歓迎する晩餐の準備が忙しく行われていた。
一番奥の家から、夫人と共にユン元長官が姿を現した。物腰の柔らかい紳士である。最近、ソウルからこの地に居を移したそうだが、心境は理解できる。この国のソンビは晩年を晴耕雨読の中で過ごすことを理想としてきた。
 二十数人が集った晩餐冒頭、「現代の韓明会の教えを請おうと日本から訪ねてきた」と自己紹介すると、満更でもなかったのだろう、ユン元長官の学者然とした思慮深い顔が崩れた。
無論、心にもないお世辞を言ったわけではない。転換期にある今の韓国に必要なのは、戦略的な思考と合理性、党派の枠を超える度量を有した策士なのである。

著書を贈る際に主宰者が「朴正煕元大統領の歴史的な役割を評価している」と口を添えると、意味ありげな笑みを浮かべた。
失礼を承知で、ぶしつけに内外情勢について質問を投げ、見解がぶつかる点もあったが、さすがに生きし韓明会。しかるべき度量、そして、異なる主張から意味のある事実を鋭く選り分ける冷厳な目と柔軟性がある。
飛行機と車を乗り継いで、遠路来た甲斐があったと気を良くし、打ち解けるのにそれほどの時間を要しなかった。写真は翌朝に屋外テーブルで撮ったものであるが、今見ると、五歳年長の初対面の元長官に対してなれなれしすぎるほどリラックスしている。

この日は午前中、昨年暮の大統領選挙で与党の朴槿恵候補に破れた野党の現状と展望に関するユン元長官の特講と討論が行われた。
場所はユン元長官の自宅の応接室。総ガラス張りの窓に、緑の重層的な稜線が雲ひとつない晴天に映える。
 それを背にしたユン元長官の特講は、ムン・ジェイン野党統一候補の参謀となり、選挙対策委員長を務めただけに期待に違わぬ深みがあり、5年後の次期大統領選挙を展望して建て直しを図る野党陣営の問題点や悩みが鮮明に浮き彫りにされていた。
 
 その詳細は別の機会に譲るが、私の見立てを一言でまとめると、民主党などの野党陣営は新たなビジョンを求めて呻吟しているように思える。日本の民主党とも共通するある種の政治的な液状化現象である。
 大統領選挙に敗れた野党陣営が四分五裂し、まとまりを欠いているとの指摘に強い印象を持った。カリスマ的なリーダーに依存する政治文化が根強いだけに、それを失うと、新たな求心力を求めて離合集散するベクトルが働く。ムン・ジェイン候補と選挙協力したアン・チョルス議員への期待感も萎み、ノ・ムヒョン政権時代に外交通商部長官として太陽政策を担ったパン・ギムン国連事務総長を担ぎ出す動きも一部に出ている。
 
 そうした混迷状況もつまるところ、ビジョンや政策が変化する政治社会状況に追い付かず、曖昧なところからくる。
 民主化運動の伝統を受け継ぐが、民主主義や人権が実現した今、同じスローガンを並べても多くの国民、特に若い層からはあきられている。格差拡大など新たな社会問題は「経済の民主化」を掲げた朴槿恵陣営にお株を奪われてしまった。
 また、過去の選挙のたびにホットな争点となっていた北朝鮮との統一問題への国民の熱は冷め、北朝鮮経済の遅れた実情が知られるにつれ“負担”と意識されている。
とりわけ、金正恩政権が米韓日への核攻撃を公言した今年3月以降は反北朝鮮感情が拡散し、統合進歩党の李石基議員の連北舌禍事件は冷笑の対象となってる。
 
 
 
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 写真の忠州市郊外の山荘へと向かうバンに分乗するのは計7人。日本、韓国各地からはせ参じた学者、文化人、社会活動家ら多士済々である。別に現地合流組もいる。
 午後2時頃、バンはソウル市内のインターから高速道路に入った。渋滞もなく、車の流れはスムースで、漢江の橋を越えた。長大な河川敷は木々繁る見事な親水公園に整備され、かつての清流が復活し、魚も戻ってきたという。河岸から突き出たように、前市長が建てたオペラハウスがモダンな姿を浮かべるが、政治的な理由から今は使用されていない。

車窓からの風景は、みるみる田園地帯に変わっていく。ほんの2、3時間前に飛行機から眺めた山野を目で追うが、なだらかな山に沿った町や村、実りの秋を迎えた田畑・・・はどこまでものどかで平和だ。
ここには殺人的な豪雨や強風・竜巻に怯える影は見当たらない。昔ながらの穏やかな豊穣の自然に包まれて暮らしている人々の姿にホッとする。

山岳地帯に入るが、バンの速度メーターは百キロをゆうに超えている。先を急ぐこともないのでパーキングエリアに立ち寄って小休止するが、ハンバーグや土産物を売る店が軒をつらね、所々に人だかりができている。日本でも見慣れた光景であり、高速道路が庶民生活にすっかり溶け込んでいる。
 その平凡な高速道路に俄然興味を抱いたのが、忠州インターを降りた時である。
 
 料金所で支払いを済ませたが、わずか4千ウォン弱というから目を丸くした。日本円にして4百円と首都高より安い。山を迂回し、トンネルをくぐり、2時間近く走ったから、日本でなら4,5千円は掛かるだろう。
日本とは高速道路のコンセプトが異なる。料金度外視の朴正煕元大統領のビジョンが根付いていることを実感した瞬間である。
 朴正煕は1970年にソウルと釜山を結ぶ韓国初のキョンブ高速道を竣工させた時、「近代化の道」と祝辞している。
ドイツのアウトバーンをモデルに、高速道を産業化に不可欠の大動脈にしようと考えたのであるが、今では全国津々浦々に張り巡らされ、日本の数分の1、最大10分の1の輸送コストで韓国経済の国際競争力を高めている。
 
 北朝鮮のピョンヤンーウォンサン間の高速道路を思い浮かべた。金日成主席の大号令で造られたが、キョンブ高速道に対抗するのが狙いで、経済的な効果は最初から度外視していた。
 1981年にその高速道を往復したが、走っているのは我々の車だけで、対向車を一度も見たことがなかった。センターラインもないが、有事には戦闘機が離着陸できると現地のガイドが誇らしげに語っていたのを記憶している。
その後30年余経ったが、北朝鮮にはいまだに高速道らしきものはピョンヤンーウォンサン線のみで、それも痛みが激しく、ようやく新道を建設中である。

産業化を明確な目標に掲げた経済重視の朴正煕と、反帝統一革命至上の政治・軍事重視の金日成の違いが、南北の高速道の今にはっきりと刻まれている。
1979年に北朝鮮のGNPは韓国とほぼ等しかったが、現在は四十分の一以下に大きく開いてしまったのは偶然ではない。
  高速道を降り、往復2車線の舗装道に入って間もなく、大きな湖が見えてきた。韓国最大の多目的人造湖の忠州湖だ。朴正煕の路線を受け継いだチョン・ドゥファン軍事政権時代の1985年に造られ、現在は遊覧船が浮かび、テニスコート、アーチェリーなどが整った国内有数の観光リゾート地に変貌した。
朴=全軍事政権の強権的なやり方には民主化勢力から今でも批判の声が根強いが、近代化の結果を出し、民主化勢力を含めた現代の人々がその恩恵を享受していることは否定できない事実である。

古今東西、例外なくどの国も独裁を経て近代化を成し遂げてきた。
独裁にはそれなりの歴史的な必然性、理由があらねばならず、結果が厳しく求められる。

朴正煕の軍事独裁は結果を出したが、プロレタリア独裁であり、現在は世襲独裁と化した北朝鮮は道半ばである。
その是非はともかく、産業化=近代化というしかるべき結果を出さなければ、後世の批判に耐えられないだろう。

忠州湖を抜けると平坦な地となり、再び往復4車線の本格舗装の道路に入った。周囲は農地に囲まれ、無料の高速道からいくつもの農道にいきなり繋がる光景が広がる。運転手は「1日に百台しか通らない」と笑うが、実は、この道でソウルなど大都市と直結する農村にとってメリットは少なくない。
ここ忠州はリンゴの名産地である。3日後にソウルの街角でリンゴを山と積んだトラックが路上販売しているのを見かけたが、案の定、忠州の農家であった。

我々のバンも車一台通れるかどうかの狭い農道に入り、畑に混じってリンゴ、柿、梨などの果樹が適度に植えられ、陽射しが心地よい南側斜面へとノロノロ上って行った。
冒頭写真に小山を背にして民家が三軒並ぶが、そこがこれから二泊三日で白熱の議論を交わす予定の山荘である。
 
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 十年たてば江山も変わる、という諺がある。18日から22日まで韓国与野界要人との懇談と新刊打合せなどで韓国を訪れたが、前回から約十年経って目にした韓国は大きく変貌していた。
四泊五日の急ぎ足ではあったが、中身の濃い小旅行であった。統計や活字・映像で想定していたことを確認すると同時に、日々変化する現実を目の当たりにして新たに見えてきたものもある。
 来年には本にまとめる予定であるが、新鮮な感動が残っているうちに概略をスケッチしてみよう。

初めて羽田飛行場からキムポ空港へと飛び立つが、便利になったものだと実感した。
当日の午前7時頃、自宅近くのバス停から羽田空港行のバスに乗り、20分ほどで国際線ターミナルに到着。その足で大韓航空の予約チケットを入手し、あっけないほど簡単に出国手続きを終えた。
 韓日は近くなった。前回は「冬のソナタ」が大ヒットし、日本で韓流ブームが爆発的に起きていた。7,8年前のことであるが、家から成田空港まで2時間以上かかり、インチョン空港までの飛行時間より長かった記憶が残っている。毎朝三便出る羽田なら、朝家を出て夕に帰る日帰り旅行も可能だ。札幌や福岡に行くのと変わらない。

9時15分丁度に飛行機は離陸してグングン上昇し、朝晩散歩する多摩川下流や東京湾が眼下に広がり、新宿御苑が小さな緑の丸に見えた。なるべく日本の地形を目に刻んで置こうと、雲に隠れるまで見下ろしていた。
 韓国のそれと見比べるためだが、二時間ほど経って飛行機が高度を落とし始め、黄海に面した白い西海岸や緑の山岳地帯が見えてきた。
数百メートルの穏やかな山なみの麓に点や線になって民家、道路、畑が広がっている。日本アルプスのような2千メートル級の峻険な山岳が人の侵入を拒む日本とは明らかに異なる光景だ。日本各地で記録的な豪雨が山をかけ降りて洪水や山崩れを引き起こし、人命を奪う災害が頻発しているニュースが頭をよぎった。
 変化に富んだ日本の美しい景色に感心していた以前の思いはない。地球温暖化や異常気候が明らかに私の自然観を変えている。
 
 私の隣に座った青年デザイナーを含め満員の乗客は大半が日本人。中国人、西洋人も混じる。確実に韓日の大動脈になりつつある飛行機は、予定時間通りの11時30分にキムポ空港に降り立った。
 長蛇の列をつくる外国人を横目にすんなりと入国審査を終え、渡航の感慨を味わうため、空港内のカフェで憩いのコーヒーを注文した。価格は日本とまったく同じで、韓日の消費レベルが実質的に差がないことを軽く確認した。
 タクシーを拾って集合場所になっているソウル市庁前のプラザホテルに向かい、車窓から真っ青な秋の空に恵まれたソウル市街を観察した。
 
 久しぶりの韓国の第一印象は、安定と活気である。冒頭の写真は三日後の朝の散歩時に撮った清渓川である。都市の中心部に緑豊かな散歩道が整備された清流が復活し、周囲に総ガラス張りの洒落たファッションビルが林立している。
前回はインチョン空港やKT(韓国版新幹線)などができたばかりで、慌ただしい発展途上国そのものであったが、高層ビルに緑地や公園がマッチした街には先進国に入った落ち着きと国際都市の風格さえにじむ。
 どの地でもタクシー運転手は世情に明るく、庶民感覚の代弁者でもある。3,40分ほど世間話を交わしたが、朴槿恵大統領の評判はまあまあのようだ。他方で民主党など野党に対して冷めた見方をし、日本における民主党への失望感と似ている。

プラザホテル玄関口に着くと、バンが待っていた。広場で隔てられた真向かいの市庁前の道路に噂のテントが二つ。先の大統領選挙の際に国情院職員らがネットに朴候補を応援する書き込みをしていたことが発覚し、民主党党首らが交代で抗議の座り込み闘争をしているが、人の影もまばらで、緊張感がまるでない。
 日本を発つ前までは現場をぜひ自分の目で確かめたいと思っていたが、拍子抜けしてしまった。
 
 これからバンで他の六人と合流し、高速バスならソウルから二時間という、忠清北道の忠州へと発つ。朝鮮半島の臍の部分に位置する風光明媚な忠州郊外の山荘で、民主化運動に長年携わってきた人たちとの懇談会が予定されている。
 韓国最大の策士、現代の韓明会とマスコミなどで称され、先の大統領選挙でムン・ジェイン野党候補の選挙対策委員長を務めたユン・ヨジュン元環境部長官も待っているはずである。
今回の旅行の最大の目的の一つは、今も韓国政界に少なからぬ影響力を保持するユン・ヨジュン元長官らと二泊三日、じっくりと意見交換をすることにある。

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