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安倍首相が職務放棄したのを受け、自民党の新総裁選が熱を帯びているが、拉致問題の混乱を収拾し、日朝正常化を促進するには、新総裁・首相は、安倍政権の中核を担っていた麻生自民党幹事長よりも、福田康夫氏の方が相応しい。
朝鮮中央テレビは昨夕、安倍辞任を簡単に伝え、論評は控えたが、恐らく同じことを考えているであろう。
2002年の日朝ピョンヤン宣言は現在もかろうじて生き残っているが、それを本来の軌道に戻すには、扇動的な安倍拉致外交を止揚することが不可欠であり、これまでの経緯からして、福田氏が適任であるからである。
日朝ピョンヤン宣言に対する第一の背信行為は、02年10月に「2〜3週間の一時帰国」を条件に帰国した蓮池薫氏ら5人を日本側が戻さなかったことにある。北朝鮮側は「約束違反だ」と抗議し、交渉は中断した。
北朝鮮との交渉に当たった田中均・外務省アジア大洋州局長(当時)は約束は守るべきだと主張し、福田官房長官も同調したが、小泉首相と訪朝した安部官房副長官は「そんな約束は当初からなかった」と言い張り、世論や拉致被害者家族会の要望を盾に押し切った。
安倍氏が世論扇動のために嘘を付いたのは明らかで、拉致被害者の曽我ひとみさんは日本政府が5人を帰国させない方針を決めた後、テレビで「家族は一緒の方がいい。帰ってくるといったのに(約束を)破ってしまった」と揺れる心情を吐露していた。
岡田克也・民主党幹事長(当時)は03年1月19日のNHK番組で「(5人を北朝鮮に戻さないと)政府が決める必要はなかった。そのことで北朝鮮は態度を硬化させた」と、日本政府の対応を批判したのは正しい。
報復主義的な“拉致フィーバー”に火が付くのはこの頃からで、安倍氏が“対北朝鮮強硬派”として脚光を浴び、03年9月に自民党幹事長に抜擢された。同年11月の総選挙のために小泉首相が安倍氏の「人気」を利用したのであった。
04年4月に福田氏が国民年金保険料未払問題で辞任した後は、小泉後継レースで有利な立場に立つ。
反対に、福田、田中氏は「売国奴」の代名詞かのようにメディアで糾弾される。重村智計、櫻井よしこ氏らがその急先鋒であった。
第二の背信行為は横田めぐみの遺骨関係問題だが、これも、安倍氏のポスト小泉を狙う政治的野心と不可分であった。
04年5月の小泉再訪朝で蓮池氏らの子供たちが帰国し、横田めぐみさんの「遺骨」も日本側の強い要望で引き渡された。ところが、同年12月に細田官房長官が鑑定の結果、「横田めぐみさんの遺骨は他人のものと判明した」と発表する。
だが、鑑定を担当した吉井帝京大講師が英科学誌『ネイチャー』に「サンプルが汚染されていた可能性がある」と語り、細田発表を事実上、否定した。
「遺骨」を高熱処理した北朝鮮の杜撰な対応も問題だが、いまさら遺骨を捏造する必要はなく、細田発表は世論を意識した政治的判断であったことは間違いない。
それを裏付けるように、鑑定書は公開されず、北朝鮮側には要約しか渡されていない。吉井氏らも科捜研医科長に栄転して匿われ、未だに姿を隠したままである。
その背後にいたのが自民党拉致対策本部長をしていた安倍幹事長代理であったことも間違いない。同年秋の参院選敗北で幹事長代理に降格され、挽回の機会をうかがっていた。
世論は細田発表で北朝鮮の“捏造”に激昂し、反射的に、制裁を声高に主張する安倍氏の名声は高まり、翌年10月に内閣官房長官に再度抜擢され、小泉後継の立場を固める。
その延長線上で誕生した安倍政権はまさに“拉致フィーバー”の産物であり、衆愚政治の典型とも言える。
その背景にあったのは、米ネオコン主導の「反テロ戦争」であり、ネオコンは「拉致問題への支援」を約束し、反テロ戦線に日本を引き込もうと画策したのである。
従って、朝米対話でそれが破綻するのは必然的帰結であり、実際、安倍氏はシドニーでブッシュ大統領に「責任を負う」と言質を取られ(8日)、記者会見で「職を賭す」と追い詰められ(9日)、帰国後、麻生幹事長に辞意を伝え(10日)、辞意を表明し(12日)、翌日病院に駆け込む。
急展開した辞任劇の謎を解くキーワードは、北朝鮮へのテロ支援国家指定解除問題である。
安倍氏は解除延長の条件にテロ特措法延長をブッシュ大統領に約束させられ、帰国して不可能なことを思い知り、遁走したのである。
そのパロディーじみた安倍拉致外交の一翼を担ってきたのが、麻生外相→幹事長であった。
日朝関係正常化には日朝ピョンヤン宣言の原点に立ち戻る必要があり、麻生氏には難しいだろう。
それに比べ、手を汚していない福田氏は北朝鮮と話しやすいと言える。
19日から開催される6か国協議では、無能力化のロードマップが正式に描かれ、米国が同時履行的にテロ支援国家指定解除や敵国通商法適用解除に動くことになる。
日本外交が置き去りにされないためにも、早期に非安倍拉致外交に切り替える必要がある。
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