今日も独り言

ブログをやる時間がなくなってしまいましたので多分お終い。長い間ありがとうでした!

沖縄

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月に一回ぐらい大好きな沖縄の苦難の歴史を振り返ります。
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いつか風になる日

学生時代、琉球民族史を研究していた時期があった。


その後、念願かなって何度も沖縄に行った。


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気付けば沖縄が大好きになっていた。


沖縄の音楽も自然に好きになっていった。


沖縄民謡やBEGIN、RINKENバンド、THE BOOMの「島唄」等々は飽きることなく何度も聞いて、歌って、踊った。

 
でも、自分の中では沖縄を一番連想させてくれる音楽は…

元ちとせの「いつか風になる日」だ



社会人二年目だったから2003年だったかなぁ? 沖縄を舞台にしたauのCMでこの歌が使用されて以来、妙に印象深い。

沖縄を思い浮かべると今でも自然とこの歌が脳裏をよぎる。


彼女は奄美大島出身で沖縄の人ではないが、奄美大島は九州島以北の文化の影響よりも沖縄文化の影響の方が若干強く、奄美方言は琉球方言の一部として扱われているのも一つの原因かも。

(ただ、奄美の人々は自らの文化と沖縄文化を完全には同一視しておらず、南は徳之島まで、北は奄美大島・喜界島までを奄美文化圏として認識している)


    何故に陽炎はゆらめいて
    黄泉へと誘う澪標(みおつくし)か

    遥か紺碧の空と海
    すべてをのみ込むあの蒼さよ

    還らぬ日の想いを胸に抱く季節(とき)
    儚き泡沫(あわ)のような運命(さだめ)のものたちも

    果てしない輪廻(みち)を彷徨えるのなら
    いつもずっとずっと傍にいてあげる

    赤い花弁(はなびら)が落ちる瞬間(とき)
    数多(あまた)の生命(いのち)が誕生(うま)れ逝くの

    幾千の歳月を波が弄ぶ
    麗らかな陽の中で私も風になる

    大空を花が埋め尽くすように
    海をもっともっと抱きしめてあげる

    やがてきっときっと永遠(とわ)は刹那に去って
    だけどずっとずっと此処にいてあげる
    ただ風が吹いている


好きなフレーズは最後の方に出てくるこの部分

    
「やがてきっときっと永遠(とわ)は刹那に去って」

刹那(せつな)は仏教の時間の概念の1つで、最小単位を表す。

概して「一瞬」


そうだよね。

永遠だと思っていたこともいつしか刹那に過ぎ去ってしまう。

永遠に消えないと思った悲しみもいつしか癒え、癒えてしまうと一瞬のことのように感じる。

少年の頃は老いるなんてことは永遠にやってこないと思っていたのに、最近は眼精疲労はシンドイし、肩もこりまくり(笑)

永遠と刹那という一見反対の言葉が、実は背中合わせだとこのフレーズで改めて気付く。



言葉のマジックだよね、これは。


あっ、最後のまとめはじぇんじぇん沖縄と関係なかったわ(笑)




今でこそ、沖縄は癒しの地として多くのヤマトンチュー(本土の日本人)に称賛され、随一の観光地になっているけど、17世紀初めの島津侵攻、19世紀後半の琉球処分、その後日本領と編入された後も法整備が本土に比べ極端に遅れ、異民族と蔑まれ、先の大戦では本土決戦のため捨て石とされ、アメリカの軍政権下に置かれ、日本に返還されてからも在日米軍基地の75%が沖縄に集中する歪な構造となっている。

観光地・沖縄とは全く違った側面を持っているが、そういうことからも目をそむけちゃいけないと思うんだなぁ、沖縄が好きな一個人としては。

どんだけ〜?

6/27の沖縄タイムス夕刊より。








↓ランチタイムなのに午後八時まで???

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これが噂に聞く沖縄独特のウチナー時間ってやつか?


それとも、この店だけがおかしいのか?






気になって夜も眠れません。  寝室|ョ´д`*)《ネルョ オヤチュミ♪
仕事の関係上、全国の地方紙と呼ばれる新聞を読んでいたら4月10日付けの「沖縄タイムス」にとっても素敵な記事があった!

それは…

オリオンビールが5月にも東京都内に営業所を開設!


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三ツ星が光り輝き沖縄のシンボルともいえるオリオンビール。東京では規模の大きい酒屋に行けば見つけることもできるが基本的には沖縄料理の飲食店のみで見る事がほとんどだ。しかし、近年は沖縄ブームを背景に沖縄料理店の増加で消費量が増えている為、業務用を中心に首都圏での営業を強化、販路拡大を目指すそうだ。これで東京でも、もっと気軽にオリオンビールが飲めるぞ!

オリオンビールの思い出といえば3年前に行った竹富島の民宿で、その日に初めて会ったにもかかわらず他の宿泊客や民宿のオジーやオバー達と夜な夜な飲み交わしたことだね。まるで時間が止まったような、あののんびりとした雰囲気で飲むオリオンビールと泡盛は最高にうまかった!

                             ↓竹富島の風景
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さて、オリオンビールといえば何曲か歌にもなっていて、オイラは特にBEGINの歌っている『オジー自慢のオリオンビール』という歌が大好きだ!いろんな沖縄音楽を聞いたが、この歌ほど穏やかな気性のウチナーンチュをウチナーンチュらしく表現してる歌はないと思う!

♪オジー自慢のオリオンビール♪

島とつくものなんでも好きで 酒に マースー*1 ぞうりまで
かりゆしウェアーでまーかいが*2 オバーが夕飯たいてるさ
今日は那覇市のビアガーデンへ 野球応援 甲子園
明日は準々決勝ど 夜から応援しておくさ

三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ
オジー自慢のオリオンビール
オジー自慢のオリオンビール

どんな映画を見にいくよりも オジーと飲んで話したい
不景気続きでちゃーならん*3 内地で仕事をさがそかね
金がないなら海にが行くさ 魚があれば生きられる
なんくるないさ*4 やってみれ 働くからこそ休まれる

三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ
オジー自慢のオリオンビール
オジー自慢のオリオンビール

戦後復帰を迎えた頃は みんなおんなじ夢を見た
夢は色々ある方が良い 夢の数だけあっり乾杯

三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ
ワッター自慢のオリオンビール
ワッター自慢のオリオンビール

三ツ星かざして高々と ビールに託したウチナーの
夢と飲むから美味しいさ
ワッター自慢のオリオンビール
ワッター自慢のオリオンビール
ワッター自慢のオリオンビール

新築祝いであっり乾杯
入学祝いであっり乾杯
卒業祝いであっり乾杯
にーびちさびたん*5あっり乾杯
オジーと一緒にあっり乾杯


*1:マースー=塩
*2:まーかいが=どこ行った?
*3:ちゃーならん=どうにもならん
*4:なんくるないさ=どうにかなるよ
*5:にーびちさびたん=結婚しました


15年前に大河ドラマ「琉球の風」を見てから琉球・沖縄の独特な歴史を認識して、それから7年後にカレッジで民族学を専攻して研究し始めた沖縄だけど今じゃ、ただの美食探求巡りのミーハーだな(笑)でも、ホント沖縄は海がない群馬で育ったオイラには海も食事も歴史も魅力的な場所だ♪また、すぐ行きたいぞ!

しーさーさぁ♪

                     基本的に週末はジーンズにTシャツです。

              そんでもって旅行に行くとほぼ毎回、ご当地Tシャツ買ってます。

      で、ちょっと前に石垣島に行ったとき公設市場で買ったこのシーサーTシャツは大のお気に入り♪
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            すっとぼけた表情をした愛らしいシーサーがなんともいえない味を出してるさ。

                     外国に行くとこれが大うけなんだよねぇ〜♪

                 大好きな沖縄もしばらく行ってないなぁ…。近々行きたいぞ!  

コザ騒動

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「秩序ある暴動だった」

1970年(昭和45年)12月20日未明に琉球政府統治下のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)で交通事故を契機に発生した車両焼き討ち事件、一般的には本土復帰一年半前に基地の町で起こった「コザ騒動」と呼ばれた騒動に対する世間の評価である。

派出所に石を投げようとしたある人に対し、群集の中から「そこは関係ない」と制止された人もいたらしい。沖縄住民による自己制御された異議申し立てだったのであろう。

27年間の軍政の中でウチナーンチュが米軍に対して実力行使に出た唯一の事件だ。おとなしいはずのウチナーンチュを駆り立てたものは何だったのか?

当時、米兵による凶悪事件はあとを絶たなかった。だが、沖縄には米軍人・軍属に対する捜査・裁判権がなく、泣き寝入りがほとんど。騒動の一週間前、主婦を轢殺した米兵もまた無罪になった。女子高生をめった刺しした米兵には軽い刑が下された。2年後の復帰が合意されているにもかかわらず、米兵は我物顔に振舞っていた。

事件の発端とされるのは米兵が起こした交通事故。酒気帯び運転の米兵の車が道路横断中のウチナーンチュ男性をはねた。糸満市で主婦をひいて死亡させた米兵に無罪判決が出た直後だったので、居合わせた住民が米兵や事故処理に来た憲兵を取り囲み「第二の糸満事故にするのか」とやじり始めた。その後、午前一時ごろから約六時間、米軍車両82台を焼くなどの騒動に発展した。

この事件は、基地に依存する町で、米軍に従順と思われていた住民がひきおこしたものであるだけに米軍は大きなショックを受けた。また、沖縄返還について交渉中であった日米両政府にも多大な影響をあたえた。

日米両政府の沖縄返還交渉は、沖縄住民が希望した「核も基地もない平和な島」をないがしろにした、基地存続の方向で進んでいった。これに対し復帰協は「沖縄返還協定粉砕」を叫び、各地で大衆的なゼネストを決行し続けた。

このような行動にも関わらず、日米両政府は1971(昭和46)年6月、東京およびワシントンで調印式をおこない、住民の要請を無視した沖縄返還を確定した。沖縄住民は、返還協定が国会で批准されて効力を発する前に協定のやり直しを求めるための、「沖縄返還協定批准に反対し完全復帰を要求する県民大会」を開催した。しかし、その後、沖縄県民の要求書をたずさえて上京した屋良主席の陳情もむなしく、沖縄返還協定は強行的に採決された。

今はどう?相変わらず米軍は地元住民の意向などは無視して夜間訓練を繰り返し、新たな兵器を持ち込み配置し、でも、東京のお役人さんやマスコミなんて知らん顔。沖縄はまだまだ平和じゃないのに本土の人間だけ平和ボケしていない?

新聞の投稿でこんな文章がありました。「本土の人間が沖縄の歴史も知らないで癒しだけを求めて沖縄に来るのであるなら、本当はお断りしたい気分だ。我々は本土の人間が押し付けた米軍基地のせいで未だかって癒されたことはないのだから…」

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