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諸行無常=慈悲喜捨 人間は真理を理解できない。だけど、真理に近い場所にいたい。

♬ฺ10月諸行無常に思う♬

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友人。

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絶対に必要とされるものではない



でも いた方が人生が何倍も楽しい  そんなもの。

自分以上。

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自分以上に大事な存在はない


こっちのほうが真実に近い



情や情けや責任やらで誤魔化しているが


泣きながら生まれてきた人間に


ご大層な目的やら 理由などなく


そんな人間が毎日まいにち 生き長らえているのは


やっぱり自分が可愛くてかわいくて 仕方がないからである


出来るなら 会社で重圧な責任と戦うよりも 家で昼寝していたい



愛と正義と希望に満ちた社会のなかで まいにち笑顔で生活していくよりも


食っちゃ寝して社会の重圧に耐え切れずに家族に当たり散らしてる自堕落な生活のほうが


より人間の本質に近い気がする


それを律するための教訓でもある



凡ては 自分がいい思いをするために 生き長らえていると思う


家族のためやら 国のためやら 体裁は社会のなかで生きるために


必要だからつく嘘なのだと思う



見誤ると 自分が正義の味方とか思いはじめそうで


危険な思考である


そんな大した事してる人間なんていないょ

言葉を学ばない人間。

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言葉を教えない人間がいるらしい



言葉を話すが、文字化したりしない人たち。



凡て伝達はその場で伝える





その人たちは、言葉の危うさを教えてくれる



言葉は伝達機能のひとつであり、便利だから使うだけであり



別に、信じるものでもなんでもない(『神』もその類)



『完璧』という状態も物質もない 『不完全』という状態も物質もない



凡てが『諸行無常』である 言葉ではあらわし切れていない



『人間』でさえも。



人間が言葉で理解しようとしている限り、真実に近づけないのはそういうわけ。

生死。

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生は一生、死は一瞬とはよく言うが、



生きている間や、他人の死からは学ぶ事が出来るが



自分の肉体が死んでしまってはどうする事も出来ない




一生が学び続けられる所以である



自らの死から、自ら学ぶ事は何一つ無い

何故。

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きのう、何故わたしは仏像に惹かれるのかなって考えてた



たぶん、仏像は人間のいいところの寄せ集めなんだな。



素敵な笑顔、曲線美、眼光、慈悲喜捨、その自然体。



ふつう、生きた人間が自然にしたら、たいへんだ。。堕落人生だ。



仏像は何にも言わずに、人間のいいところも悪いところも見てるんだな。



実は、受け入れてるんでも、見てるんでもなく



ただ人間が、人間(自分)を客観視するために作った偶像なのかもしれないけどね、



天皇制と同じであれば便利ってだけかもしれないけどね、



でも仏像は美しい。惹かれる。

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