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藤城清治ファンのページ
藤城先生の美しい世界をご紹介しています。少々マニアックな内容ではありますが、お楽しみいただければ幸いです。

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きのうのサイン会の様子を、動画でどうぞ!(^_-)-☆




華やかで爽やかなサマースーツ、
ばっちり決まっています(^_^)v
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途中で上着は脱がれたようで、
藤城先生、燃えていますね(*^o^*)
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・・・次は早くも今週末にサイン会!
しかも9月15日には追加サイン会!!
先生、ますます絶好調でいらっしゃいます(*^o^*)(*^o^*)(*^o^*)

なお末筆ながら、
これらの情報は総小判さんからいただき、
それに基づいて、りあさん・スイカさんTwitterから画像を転載させていただきました。
みなさん、本当にどうもありがとうございますm(_ _)m




◆りあさんTwitter

◆スイカさんTwitter

◆関連記事
:秋田展サイン会、8/18・24と9/23開催
:<号外>9/15 秋田展サイン会開催!













9月15日も、サイン会です!!(*^o^*)

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・・・追加というだけでもびっくりなのに、
日付けも意表を突くもの(@_@)♪
9月の3連休は、2回ともサイン会ですね(♡_♡)

なお末筆ながら、
この情報は総小判さんからいただきました。
いつも本当にどうもありがとうございますm(_ _)m




◆さきがけニュースカフェ(秋田魁新報)Twitter

◆関連記事
:秋田展サイン会、8/18・24と9/23開催














ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、
ヤフーブログは9月1日をもって、新しい記事のアップができなくなります。
このため、今月31日までにすべての過去記事をアメーバブログに移行し、
心機一転、再スタートします(^_-)-☆

但し、完璧に移行できる訳ではなく、次のような注意点があります。

①みなさんさんから頂いたコメントは残念ながら移行されません(僕のリコメもです)
②ブログ内に書いた僕自身のブログの関連記事へのリンクは切れてしまいます
③YouTubeへのリンクも(たぶん)切れてしまいます
④過去記事の画像は、拡大してもあまり大きくならないかもしれません
⑤ヤフーブログ側に記事は一切残りません。
⑥そのほか、予期せぬところで不都合があるかも?(汗)

なおアメーバブログでのブログ名も、
「藤城清治ファンのページ」のまま。
「lightandshadow7111のブログ」で、
ブログ主はTonchikipooです。

アドレス:

移行の日が決まりましたら、またお知らせします(^_-)-☆

引越し後も、変わらずご贔屓いただけますよう、
どうかよろしくお願いしますm(__)m













「愛情の都」の舞台は、
主にお茶の水〜秋葉原あたりになっていることが判りました♪
(各画像の右下をクリックすると、拡大できます)

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この界隈のシンボル的存在が、ニコライ堂。
正式名を「東京復活大聖堂」といいます。
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今回はこのニコライ堂(=東京復活大聖堂)を目印にして、
タイトルバックになった5点の影絵の描かれた場所を巡ってみようと思います。
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まずはニコライ堂を通りの向こうに見る作品。
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ニコライ堂との位置関係や、絵の中にも交差点が描かれていることから、
このあたりから見た景色だったのではないかと思われます。
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現地の写真だと、このような感じ。
影絵の描かれた時代とは違ってビル陰になっていますが、
通りの向かい側中央には、ニコライ堂がちょっぴり見えています(^_-)-☆
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次はガード下の2点。
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この場所は非常にはっきりしていて、昌平橋の交差点。
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写真で見ると、この2枚。
なんと1枚目には、影絵と同じレンガの壁も写っています(^_^)v
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場所探しが超・困難だったのが、ニコライ堂を背景にした眼鏡橋でした(汗)
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これは「萬代橋(よろずよばし)」といい、現存していません。
しかも映画の作られた1950年台には、
すでにもう存在していなかったのです(@_@)
この橋は、かつて昌平橋よりも少し下流に架かっていました。
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萬代橋があったのは、1873(明治6)年から1906(明治39)年までの間。
この彩色銅版画はその当時の様子です。
背景にはニコライ堂が描かれていて、
アングルこそ多少異なるものの、先生の影絵とよく似た光景です。
(影絵の方のアングルは、1本下流の万世橋上から見たものでしょう)
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こちらはその版画の説明文。
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またこの写真は、1906年の萬代橋の解体工事の様子です。
左上に見えているのが、昌平橋。
当初、萬代橋は藤城先生が幼い頃に見た記憶を描いたのかなと思いましたが、
予想をはるかに超える古い時代のものでした(@_@)(@_@)(@_@)
おそらく先生は、当時の資料や上記の版画などを見て眼鏡橋を描かれたのでしょう。
この作品だけは厳密にはフィクションな訳ですが、
先生が時代考証にとらわれずあえて萬代橋を描いた理由は、
おそらくその橋の形。
眼鏡橋という、より風情のある姿を描きたかったのではないでしょうか。
先生の創作意欲の強さと凄まじいばかりのこだわりを感じます。
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※なお上流の昌平橋と下流の万世橋についても、
かつて眼鏡橋だったかどうかを調べてみましたが、
どちらにもそのような記録はありませんでした。




最後はこの街並み。
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中央の建物が両脇の道路にはさまれていて、
特徴のある景色だったので辛うじて場所を特定できました(^_^;)
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現場はこんな様子です。
ただ右にある道路が影絵よりもだいぶ広いので、
そこのところがまだちょっと引っ掛かっています(汗)
車道の拡張工事があったのかな〜??
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・・・今回、聖地バーチャル訪問をしてみて分かったのは、
若かりし先生の創作意欲の強さとともに、
東京の街の大きな移り変わり。
意外にも橋が無くなっていたり、意外にもレンガの壁が残っていたり。
この街の激動する歴史を垣間見た思いです。

末筆ながら、
今回の記事は、ファンの方からの情報が大きなきっかけになりました。
また今回の「愛情の都」キャプチャ画像は、花椿さんからいただいたものです。
みなさん、本当にどうもありがとうございますm(_ _)m




◆Googleマップ
:お茶の水・秋葉原
:都道405号
:旧中山道
:本郷通り
:国道17号

◆花椿夕月の『雪*星*さざれ石』
:☆8月9日 映画「愛情の都」を見た
https://blog.goo.ne.jp/xlxq_pxlx/e/fa11e0997c10be2cb04cc9824a85af92

◆早稲田大学図書庵資料

◆東京ガス
:ガスミュージアム  明治錦絵の世界(PDF)
:ガスミュージアム  がす資料館 東京名勝三十六景「萬代橋眞景」

◆ウィキペディア
:昌平橋

◆関連記事
:影絵 in 映画「愛情の都」(1画像追加)
:映画「愛情の都」オンエア決定
:映画「愛情の都」タイトルバックの謎(重要な訂正あり)













オンラインショップで、
注文できるようになりました!(*^O^*)

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・・・善は急げで、さっそく注文しようと思います(*^_^*)♪♪♪
新作を見るのが楽しみ!!

なお末筆ながら、
この情報は総小判さんからいただきました。
いつも本当にどうもありがとうございますm(__)m




<追記(2019.8.15)>
これまでとは違って、注文時にカード払いも選べました。
また銀行振込も選択できます。
代引きではないので、その分手数料がお安くなっています(^_^)v



◆藤城清治の世界 オンラインショップ
:図録










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