ひとり、ふらり、ぶらり。度々、旅

音楽聴きながら眺めてください。 各書庫からどうぞ。

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1月17日 あの日と。

15年前の今日、阪神淡路大震災が起こりました。

大きな揺れに目が覚め、飛び起きました。
またすぐにグラグラと大きな揺れ。
ベッドサイドの棚からはスタンドが落ち、時計が落ち、写真立が落ち・・・。
布団をかぶってひたすら、
  ・・・おかぁちゃん・・・わ、また揺れた・・・怖い、怖い怖い・・・
随分経った様な、わずかな時間やったような。
少し揺れが収まった頃、テレビをつけてみました。
放送開始直前だったせいか
毎日放送だけが臨時ニュースで大阪市内の様子をライブで映していました。
画面には砕け落ちた車のショウルームの画。

夜が明けてから、両親・兄夫婦のところへ電話をしました。通じました。
東京の友人から電話が入りました。心配してくれていました。

地上の電車はすべて止まっていることがわかりました。
地下鉄は動いているのかしら?
大阪市内の部下に電話をして、
「地下鉄かバスが動いているなら出社」それ以外は無理をしないように指示して、
地下鉄の駅へ向かいました。

最寄の駅までは平穏でした。
地下鉄は止まっていましたが、バスが動いていたので梅田まで乗りました。
梅田に着くとすでに大勢の人でターミナルはあふれていました。
会社までは2駅ほどでしたので歩くことにしました。

この時まではあんなに凄まじい事になっていようとは夢にも思いませんでした。
しかし、歩き出してわかりました、すごい地震だったんだって。

御堂筋の両側の歩道はガラスの海でした。
時折パラッパラッっとガラスの破片がまだ落ちてきます。
人々は黙々と歩きます、ざくざくとガラスを踏みながら。

事務所の中はロッカーが倒れ、書類が散乱し、割れたガラスの破片があちこち散らばっていました。
出社した5人くらいでかたずけはじめ、その合間に各々の部下に電話を入れ始めました。
会議室をかたずけていた役員が大声で呼びました。
会議室のテレビの画面には阪神高速が横倒しになっている画が映っていました。
どこかが凄く燃えている画が映っていました。

ここにきてようやく想像を超える大変なことが起こっているとわかりました。

神戸方面へは電話はすでに通じなくなっていました。
その頃はまだ携帯電話もありません。インターネットもありません。
神戸方面からは連絡を待つしかありませんでした。

夕方遅く二人を除くすべての社員とその家族が無事であることが確認できました。
二人は東灘区と西宮でした。
被害が一番甚大だった地域です。
この日の夜遅く安否が確認できました。
家族ともども無事でした。

その翌日、役員と部長、部下一人の一組、二班がその2家族を訪ねました。
たいした怪我もなく無事でした。
しかし、家は全壊に近い半壊だったそうです。
電気はおろか水道もガスもなく、
暗くて寒い、そして恐ろしい一晩だったそうです。

道中には、瓦礫の山。
屋根が足元にそのままの形であったそうです。
そして、毛布もかけられないで横たわっている遺体がいくつもあったそうです。


数日後、神戸のまだ西、垂水というところへ得意先を訪ねました。
天保山から遊覧船が神戸まで運行していると聞き乗りました。

船の中は人でいっぱいでした。
座席はもちろん満席、
床には毛布や新聞が敷かれていてその上にもみんな座っていました。
座っているのはほとんどが女性、お年寄り、子供。
男性はほとんどみんな立ったままでした。
船の中は静寂と言って良いほどでした。
時折聞こえるのは、咳き込む声と小さい子ががぐずる声。
私は甲板にいました。
ただひゅーひゅーという船が風をきる音をよく覚えています。

神戸ハーバーランドという港が近づいても音は一向にしません。
岸壁に着岸する時でさえ、ちゃぷちゃぷという波音が聞こえるだけ。

町には音がありませんでした。

無音。

高速を行き交う車の音、
ビルから流れ出てくるBGM、
その他都市にあるはずの「雑音」が全くないのです。
人々の話し声すらないのです。

無音。

すべての光景が「白黒写真」のようでした。

JR神戸駅からも人がいっぱい乗りました。
みんな黙っているか小声で囁きあっていました。
出発してから程なく車内全体が静まり返りました。
人がいないのかと思うほど静かです。

北側の窓の外には焼け野原になった長田が広がっていました。
南側の窓の外は崩れた家々の光景が広がっていました。

呼吸をすることすらはばかられるほどの
そんな静寂でした。

気が付くと合掌していました。
そして、周りの人も合掌していました。
誰言うともなく、みんな合掌していました。



私の「あの日」とその数日の記憶です。
幸いなことに全くといって良いほど被害のなかった私と私の家族でした。
しかし、あまりの被害の大きさに、
人に聞いたり自ら話したりすることははばかられる思いでした。
15年経っても鮮やかな記憶です。
しかし、今でもすべて「白黒写真」なのです、あの光景は。


今、震災の「前」と「後」が世の中の出来事の年代を思い出す私の判断材料になっています。


合掌。




閉じる コメント(11)

地震の規模の大きさが想像を超えた大きさでした。ビルや高速道路などの公共物も例外なく被害を受けました。地震後公共物には強度補強が行われ今日までまだ続いています。6年間、私も地震の緊急連絡員をしていましたが、あれだけ大きな地震になると連絡もつかないのではと思います。備えがあっても対応には難しい大地震です。

2010/1/17(日) 午後 5:04 kazenokoron

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伝えてくれて、どうもありがとう。
何だか読んでて涙が止まらなかったです・・・
決して忘れてはいけないし、出来ることからやらないとね、、、。

2010/1/17(日) 午後 9:52 haupia♪

KAZEさん。先ほどNHKで阪神淡路大震災のメカニズムをやっていました。
完全な予防は無理としても、何かが解り何かの役に立てば良いなぁと思います。

2010/1/17(日) 午後 10:32 Liliokai

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hauちゃん。生まれたばかりの赤ちゃんは、もう今年高校生です。
しかし5歳くらいの子供でも記憶は残っているそうです。
普段忘れていても良いと思いますが、何かの時には思い出すことが今後の為に役立つような気がします。
今ハイチが同じ規模の地震に見舞われたとか。この17日と同じ時期にと思うと何かできれば、と思いました。
もちろん全世界でいろいろなことが起こっているのではありますが、まずは身近な思いから・・・。

2010/1/17(日) 午後 10:38 Liliokai

超のつくお久です。私もたいがい更新しませんが、Liliさんも向こうを張っていい勝負です(笑)

お互い元気そうで何よりですが!

最近あまりコメして周らないんですが、内容がマジメだったので…

結婚前の主人は直後から長田区へ1ヶ月程ボランティアに行き、復興間もない頃私も連れて行って貰いました

主人の話では長田区はかなり悲惨な地区で、状況はお書きの通りだった様ですが、想像と大きく違ったのは避難所の人達が明るく逞しかった事だそうです

ボランティアって賛否両論、主人も色々悩んだそうですが、結果、動機はどうでも(興味本位でも)、行動自体に価値がある、と言い聞かせ行ったそうです

そして今は、出来る事をやれば良い、という結論を持ってます

タヒチ、私も何もできません

でも同じ『できない』でも「そう思いながら心を痛める人」と「誰かがやるだろうと思う人」とでは、天地以上の差があって

前者はそれだけでも行動したことと同義だと主人は言い、私もそう思っています

2010/1/22(金) 午後 8:34 mariyamania

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ぼくは地震があったその翌日に大型スーパーの店舗の復旧工事に行ったのだけれど・・・せめて食料品だけでも配給できるようにと要請があって。

ぐにゃりと曲がった高速道路
焼け焦げてしまって平地になってしまっていた長田
全壊半壊した建物のなかには遺体が残されたまま
三宮の崩壊したビルの間で駅に向かうとてつもない群衆

地震前、地震後・・・

ぼくも人生が変わりました。具体的にはいえないけれど。

2010/2/9(火) 午前 0:38 Popo_wee

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ね〜さん、お久しぶりです。

地震の傷跡はまだ残っているようですね。
町にも、人の心にも。
合掌することしかできない私をお許しください。

2010/2/15(月) 午後 6:14 MITAKE

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Mariyaさん、ほんっとにお久です!コメいただいてからもう約1ヶ月たちます・・・。ゴメンナサイ。

そうですか、ご主人はボランティアで・・・。
ありがとうございました。

ボランティアの方々がいなければ、神戸はもっと暗かったと思います。皆さんが、一生懸命尽くしてくれはったことに、みんな「カラ元気」でも「ださななぁ」と元気を出してはったんやと思います。

みんな前を向くことに必死やったと思います。

2010/2/18(木) 午後 11:02 Liliokai

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weeちゃん、そうでしたか、現地に行ってはったんですね。

ご苦労様でした。

何かが変わりましたよね、前と後とで・・・。

2010/2/18(木) 午後 11:04 Liliokai

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Mitakeっちー。

忘れないことが大切だと思っています。
1年に一度、思い出せるようでいたいです。

2010/2/18(木) 午後 11:06 Liliokai

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ちょうど震災の周年の頃、net上に当時のニュース映像等を見つけ、2時間ぐらい見続けました。あの時、住んでいたマンションが倒れるのじゃないかと思うぐらいの恐怖の後、全てが停電になり、しばらく闇に包まれました。テレビが台から落ち、どこで起ったのかも分らないまま、とりあえず何らかのニュースを得るために、テレビをセットし直して、電気がつくのを待っていました。電気がつくまで1時間あまり、その長かったこと。その間にも何度もゆれ、その後2年近く、カラダが揺れを記憶していて、ふとした揺れや、揺れではないのかもしれない事象にさえ敏感になっていました。忘れることも出来ないし、今も世界中で起る災害に心が痛みます。。。でも、何も出来ないでいる自分が情けないし、もどかしい。。。。

2010/4/14(水) 午前 0:07 muna_zo


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