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GPS付きランニング用の時計って素晴らしく便利。あと迷子解消機能を付けてくれれば完璧なのに。

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 ゼミ仲間、のんちゃんは、群馬の大きな材木問屋のひとり娘。応援指導部という硬派な体育会が忙しく、ゼミで全く発言しないため、勉強に不熱心な他のゼミ員と3人で「はまぐりシスターズ」を自称していた。猪突猛進型だが、どこかのほほんとした、いや、ちょっとズレてる感じで、JJ&CamCanを地でいくキャンパスにあって「お嬢」を感じさせない素朴な学生だった。

 そんな彼女と北海道へプチ卒業旅行。ビンボーな私はもうひとりの仲間、ちかちゃんと浜松町から船旅。のんちゃんは親からもらったJTBの旅行券で飛行機で遅れてやってきた。
 彼女らは、しっくりいかない男関係にブチ切れ、旭川の居酒屋で地酒を、ホテルに戻って洋酒をあおり、深夜過ぎ、のんちゃんはパンツ一丁で床に大の字で、ちかちゃんはゲロを吐いてる。翌日の函館本線は二日酔い女二人を連れ、超低テンション。小樽の北一硝子で嬉々とする私の背後で、二人は展示室脇の階段にどんよりと座り込んだまま動かなかった。

 卒業して銀行へ就職したのんちゃんは、その後アメリカへ留学し、帰国後、例の友達以上恋人未満だった先輩にフラれ、鬱で精神科にかかった。その頃、勤務先が近かった私は、ときおり昼休みに愛宕神社でお弁当を広げて愚痴を聞いた。監視役に弟が送られてきて同居し、2度ほど失踪、と素朴な外見のわりに波乱万丈な数年間を過ごし、心配した親が手配した見合い相手と結婚することになる。相手は、聞いて驚け!京大卒スタンフォード大修士卒の一級建築士という栃木の土建屋の長男で、私たちゼミ仲間は「でかした!人生の運を使い切った!」「もつべきものは、いい男を連れてくる親!」と喝采を浴びせた。

 式当日、総レースのドレスをまとったのんちゃんに、「もちっとドレス選なきゃ。二の腕がボンレス!」という私たちに、真顔で「やっぱ、まずいよね。キミジマで仕立てたんだけどー」と応え、皆をドン引きさせた。キ、キミジマにオーダー・・・。百万はくだらない。さすがお嬢。
 披露宴もすさまじく、いかにも地方〜な結婚式場は、300人の招待客であふれ、新郎新婦の地元の市長、市議会、商工会、建設業界のお歴々がそろい踏み、果ては栃木県XX市和太鼓の会による太鼓を伴奏にお色直しした新婦の入場だの、群馬県△△市の伝統の踊りを守る会による盆踊りとか、もうXX市と△△市の対抗戦の様相を呈した。祝辞は「是非、男の子を産んで、りっぱな跡継ぎを!」「新婦は新郎を影から支えて、XX市の産業発展に寄与!」と笑えるほど旧態依然で、郷愁を覚えた私の隣で、男女同権主義者のちかちゃんが憮然としていた。
 引き出物ものに布団をもらい仰天し、お車代として新幹線代をいただき、在来線で行ったケチな私たちは儲けを得た。とにかく、私の記憶にNo1で残る結婚式だった。

 小樽の北一硝子。もう20年も前の話。あの北海道旅行で唯一買ったもの。あれから私とずっと旅をして、函館本線の車窓からみた残雪のように、うっすらと、でもキラキラした記憶をつつみこむ。
 のんちゃんは、今はXX市や△△市や両家の期待通り、男児を3人産み、立派に土建屋のおカミさんを務めている。

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 先週、欧州連合が文化事業の一環で運営するバロック・オーケストラのコンサートに行った。
 欧州各国のコンセルバトワールの主席卒業者、または在籍の優秀な学生を推薦させ、毎年オーディション選抜する1年任期の若いオケだ。そこに有名ソリストを1、2加えて巡業コンサートするが、過去21年の500人に及ぶ元メンバーの多くが、プロ奏者として活躍しているところをみると、これは欧州では登竜門的役も果たすらしい。

 コンサートは圧巻だった。バロックだからあまり抑揚がなかろうと思うかもしれないが、ビバルディは珍しくもチェロがソロに立ち、情熱がほとばしる演奏に鳥肌が立った。チェロに気を取られっぱなしだった私は、3曲目になってようやく気が付いた。2年前の同じコンサートでセカンド・バイオリンだった奏者が、コンサートマスターをしている。北欧特有の明るい巻き毛を、弦を弾くたびに揺らしていた少年のようなバイオリニストは、今は金髪を短く刈り込み、すっかり男っぽくなていったので気づかなかった。
 あの日、コンサート後の晩餐会で、彼はたまたま私の隣席になり、はにかみつつ自身の音楽の系譜を話してくれた。20歳という異例の若さで最初にこのオケに参加し、28歳で2度目に参加したのが2年前。今30歳のはず。ブランデンブルグ協奏曲の彼が奏でる優美なソロ。今回はオーディション抜きのコンマスとして呼ばれたのだろう。

 コンサート後の晩餐会が引けたとき、人ごみを掻き分け、後ろから彼の肩をつついてみた。
 こんにちわ、覚えてるかな、私。彼は少し驚いたように私を見て、はにかんで応えた。2年前隣に座ったMade in Japanだね、と。少しホッとして言った。
「2年前『次の時はコンサートマスターでくる』って言ったでしょ。本当にそうだから驚いちゃった。You made it!」
彼は目を見張って、それから「Yeah, I am a man of my word.」と僅かに目を細めた。

 これは私が唯一持っているシャンパングラスで、LSA International社のもの。ハンドメイドならでわの柔らかさとコンテンポラリーでかつ上品なフォルムが特徴だ。パリのコンランショップで買った。
 嬉しいこと、おめでたいことがあると、シャンパンをキンキンに冷やす。それをお気に入りのグラスに注いで乾杯すれば、言葉にせずとも「おめでとう!」の心がキラキラとした明るさで伝わる気がして、大好きな飲み物だ。
 ディナーの終わったテーブルには当然もうシャンパンはない。だから私は「シャンパンの代わりね」と言って、スパークリング・ウォーターをグラスに注いだ。
「コンサート、とても感動したけれど、貴方のソロが素晴らしくて感動したのか、貴方の昇進に感動したのか分からないんだよね。・・・ま、なんにせよ、乾杯!」とグラスを渡したら、彼は隣の丸い柱に突っ伏して笑い続けた。
 
 向こうで「帰るぞ」と連れが指合図していたので、お別れの握手をして歩き出したその時、
「ぼくは明日ルクセンブルグに発つけど、12月にはロンドンにいるから・・・」と彼が言った。
 私は足を止めて振り返り、彼のブルーグレイの瞳をすこし見つめ、続く言葉を待たずに踵を返した。そして会場から出て行こうとしている連れを追いかけた。

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 先々週、知り合いが来た。彼女は私が東京で働き始めた時に担当した最初のマトモなお客さま、ある銀行にいて、でもいかにも金融っぽいところがない、キレイで朗らかで今っぽい人だった。当時、接待で宴席にご一緒することはあったが、個人的に会うことなどなかったのに、数年前からフランス語を習いだし、パリに3度遊びに来た。いつもはホテルなのに、今回は頼まれて、拙宅にお泊りいただいた。
 なんでも離婚したらしい。だから一人でホテルは寂しくて辛いそうだ。
 
 離婚した、と聞いても、私は「まぁそうだろうね」くらいにしか思わなかった。だって3年前に彼女がパリに来た時は、夫とは別の男、それも妻子持ちを同伴で、つまりW不倫旅行だった。私は自分に関係なければゲイにも不倫も人の勝手なので一緒にお食事などしたけれど、その3年後に離婚と聞いて、一体なにを驚くことがあろうか。
 が、彼女は相当しょぼくれている。話をきけば、離婚の原因は夫の浮気だったそうで、携帯の履歴を怪しんだ彼女が12万円で興信所に依頼し、現場を写真で押さえたそうだ。
 うーむ、こういう場合はなんというのでしょう。トリプル不倫?
 離婚に際して、現場を押さえられた彼が一方的に慰謝料を払い、彼は彼女の実家まで一人で謝罪に行き、ボロカスに罵倒されたというのにも驚いたが、さらにたまげたのは、彼女が自身の不倫は棚にあげまくり、「結婚したら一生添い遂げるものだと思っていたのにヒドイ」と大真面目に言うことだった。「生まれ変わったら結婚しようねって・・・」と郷ひろみに対して死後の世界までの長期計画を涙ながらに語った松田聖子が、生まれ変わらずとも2度3度(?)結婚してゆくのと、どことなく共通点がある。そういえば郷ひろみも2度結婚したし、二谷友里恵も2度結婚したし、でも神田正輝は今もご存命なのかすら全然わからない。

 キモチは分からないでもない。私も学生時代から8年付き合った、それは素晴らしい絵に描いた餅のごときカレシ様がいたが、その間、あっちゃこっちゃに気が散りまくっていた。男だけがタネを蒔きたいと思ったら大間違いだ。女は種の拡販はどうでもよいが、恋はしていたい。ただ一応「いつ捨てられても、それは私の不徳のいたすところでございます」とは腹を括っていたし、彼は誰より大切な人だった。きっと彼女も夫は愛していたんだろう。

 フラフラと彼女と散歩に出た先の骨董市で、裏にポンテ跡のあるこのグラスを買った。ヴェネチアングラスで、1900年頃にムラノ島で作られたもの。13世紀から続くガラス工芸技術の流出を防ぐために、島に職人は閉じ込められて生産を続けたという。ヨーロッパでは「ヴェネツィア」より「ムラノ」と呼ぶ骨董商のほうが多い。繊細さには欠ける素朴な、でもキラキラと陶磁器でいうところの貫入がちょっといい。
 その夜はビールを飲んだ。彼女はアル中気味なほど酒が必要になっていて、このグラスを何度も空けた。
 
 結果は彼女自身も招いたもの。だからといって、哀しんでいけない理由はない。
 女は誰でも多少はずるい。愛するものをいくつも抱えて、愛されるものに幾重にも包まって温まっていたい。それを失って、心にヒビがはいっても、それを糧にいつかまたこのガラスのように輝きたい。
 次に彼女が「男連れだから、ホテル紹介して〜」と元気にやってくる日が待ち遠しい。

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 イベントのための打ち合わせで、東京からスタッフがきた。口もクルクル回り、あたまもスパスパ切れる、いかにもキャリアという風の女性。そして「お客様へはクロスのボールペンという案が挙がってますが、藤森くん、どう思う?」と隣に座っていた、ロンドンから出張できていた同僚に訊いた。
 大黒将志に瓜二つな三十そこそこの藤森さんは、学生時代に祇園でホストをやっていたせいか、目端が利く。声音が妙にセクシーで、照れ隠しのガサツな関西弁に、細やかな気配りをちりばめる。日々助けていただいている私には「様」とお呼びしたいくらいのお方で、一オクターブ高い声で「藤森くぅ〜ん♡あたし、ルミコっ。覚えてないのお?いぢわる〜」とギャグでイタズラ電話はできても、とてもパシッと「くん」よばわりはできない。

 彼女は私の三期上の入社で、まさに「総合職」のフロンティア世代だ。お試し時代なだけに、私達の世代の総合職女性には、鼻息荒く、人を押しのけてハキハキ主張し、人一倍残業をし、女の意地を掛けた戦いってな気負いのある人が多くいた。けれど、旧態依然とした企業の中で、上から飲みに連行される回数だけは多いわりに、同期の男性より出世も送れ、結婚出産という節目ごとに、残業はできなくなり、年々同期の総合職女性は減っていった。そして残ってゆくのは、月並みだが「必要以上にバリバリ」な人だった。
 そんなオーラをプンプン漂わせる彼女と、「予算内で最大限に頑張りました」的なクロスのボールペンというチョイスが、八年前に「脱日本のキャリアガール」やっている私には、妙に郷愁感だ。それから彼女の口調を真似して「藤森くんっ」とつぶやいて、懐かしくて可笑しくて、独りクスクス笑った。

 かくいう私も日本では、後輩社員をくん付けで呼んでいたし、学生時代の男友達は「くん」か呼び捨て。けれどフランスに来て以降知り合った男性は、たとえ年下でも「くん」と呼ぶことはなくなった。それは年齢による上下関係の希薄なお国柄による影響と、あとは三十過ぎたら自分の顔に責任持て的な気分なのだと思う。大人になれば、仕事の中身に自己満足できればよく、呼称で上下関係をつけるのが苦手になる。私は「さん」が好きだ。
 
 明日は友達がくる。ちょっぴりウキウキしながら、どんな器でもてなそうか考える。
 出張の合間に立ち寄るだけだし、長いつきあいだし、京都に住んでいるから和骨董は日常だろうし、ならばこんなくだけたカップもいいかなと思う。戦後フランスの一般家庭で使われたガラスの器。青空骨董市で300円だった。子供の頃、食卓に出てきたような器。
 彼が米国で博士を取っても、ソニーの精鋭研究者として業界で名を轟かせても、京大の助教授になっても、私には変わらないお友達。アルファロメオを乗り回し長髪を後で束ね、ツウな蕎麦屋やスタイリッシュな隠れ家バーに詳しいお洒落な「○○くん」なのだから。

 キャリアガールにモノ申すのは勇気が要るけれど、お客様への粗品は、アレッシィのキーホルダーかスウォッチにしましょうという提案書を作ってみようかな。少し肩の力が抜けた感じが、ラテンなフランス人にはよかろうかと思います、と。

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 今日はワールドカップサッカーの決勝戦だった。
 試合を見るたびに思う。フランスって黒人の国だったのかと。スタメンのうち白人は2、3人。神様と言われるジダンだって北アフリカ系だ。でも11人のうち外国生まれは3人だけで、残りは、黒人でもアラブ系でも、生まれはフランスの2世か3世で、歴としたフランス人。なんともスゴイ。想像してみて欲しい。日本代表が、純日本人は中田と川口だけで、あとはフィリピン人とかブラジル人とか中近東の顔で占めらている図を。フランスで極右政党から大統領候補が出るのも、こういう危機感的国民感情があってのものなのだ。

 それはさておき、このランチョンマットはマダガスカル製。私のアパートでハウスキーパーとして毎週働いてくれていたマダガスカル人がお土産にくれた。小柄で丸々として、朗らかで働き者。でもときどき弱気なこともある同年代の彼女は、慣れ親しんでくると、よく「日本人はいいです。フランス人みたいに私たちを酷使しようとしないから」と言った。
 そんな彼女が、ある日私に1000ユーロを貸して欲しいと、おずおず頼んできた。日本円にすれば14万円程度。親元の家近くの土地が空いて、買うチャンスだけれどお金がない。今週中に手付をすれば手に入ると。パリでお金を貯め、ゆくゆくは母国に家を建て、親孝行したいという彼女の夢を聞いたことがあれば、それがあながち嘘ではないとは思った。たった14万の蓄えすらない移民の厳しい台所事情に唖然とし、2年以上通ってくれている彼女には、それが私にはどうとでもなる額であることは明らかなことが多少恥ずかしかった。
 2日間ほど悩んだ末、私は貸すことにした。それは返して貰えないだろうことを前提にした、彼女との関係への賭けだった。小切手を渡したときに彼女は目に涙を浮かべて何度も礼を言い、翌月末からキチンと毎月250ユーロずつ返してくれて、最後の返済の時に、「借金を頼んだのはあなたが四人目でした。他の誰も貸してくれなかったから。ありがとう」と。それ以降、彼女は一度も私にお金の工面を頼んでくることはなかった。

 彼女がくれたこのランチョン。そして1920年代にベルギーで生産された口吹きのウランガラス。ウランガラスはその後1939年を最後に生産中止となった。原爆製造にウランが使えると判明したからだ。二次大戦終結後、植民地だったアフリカ諸国は次々と独立運動を展開し、マダガスカルも今は独立国家としてある。けれどその貧しい国が元宗主国の経済援助なしに生きることは今でもできず、多くのマダガスカル人は、いまだにパリへ出稼ぎにでる。
 私は日本人だから、元宗主国という主従の感覚を彼女に持つことはなかったけれど、それでもハウスキーパーという役割上、彼女とお茶を飲むようなことは一度もなかった。
 私は引越しをして、今はもう彼女にお掃除をしてもらうこともない。だからいつか彼女を招いて、お茶でも一緒に飲めたらなあと、このランチョンを出すたびに思う。一緒に欧州人の悪口を言い合って、きっと楽しい時間が過ごせるだろう。

 今日、フランスは負けた。でも強かった。サッカーに限らず労働市場の広い裾野を、アフリカをはじめとする途上国からの移民に支えられ、フランスは今ここにある。

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