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 赤ちゃん連れの友達が遊びに来た。カミーユくん、1歳4か月。ヘラヘラ笑いながらヨタヨタ歩くその姿は、深夜の歌舞伎町にいるへべれけのオジサンたちと似ていた。 
 うちで白米を口にねじこまれて微妙な顔の赤子に、母親は「お米は初めて!美味しい?」ときき、彼がピアノを叩いて不協和音出すと「初ピアノだ」と喜ぶ。全てがこの調子。1日に「初体験」が何度あるのか。人生まだ16ヵ月だと毎日が新しい発見に満ちている。私など外国に転居してさえ滅多にない。そんな私にとってこの皿は久しぶりの「初体験」だった。

「後期の鍋島にみるものなし」と誰かが言った一方、私には見分けの難しい平戸について、デンマークのある美術館長は「1750〜1830年の平戸焼は日本に於ける最も見事な磁器」と著している。
 ヨーロッパの骨董市、骨董屋には大雑把な輸出用色絵古伊万里や、グロテスクな龍の盛絵がされた明治期の香蘭社や、銅版転写にしたってペラペラすぎる梅文の皿、チープな土産物用の横浜焼が溢れている。メイド・イン・ジャパンだと認めたくないような、このセンスのなさや粗悪な絵付けも私たちの歴史の一部と笑って流すのか、そんなものだらけなので、これを陶磁器修理工房で見たとき、掃き溜めに鶴のように美しく見えた。しかも私にとって「初めての」櫛高台なのだ。
 これが後期の鍋島なのか平戸なのか、私には判別がつかない。高台は雑な筆ではあるものの、一本線の櫛ではなく輪郭を描いてから塗りつぶす手間はかかっているし、伸び伸びと描かれた柿、呉須の濃淡でつけられた葉には立体感があり、周りの波に墨弾きで白抜きが施されていて、なにより呉須の青に透明感があった。
 が、ヨーロッパ式の直しがばっちり施されていてすごかった。彼らには「傷みを見えなくする」のが直しなので、カケやニュウを隠すためにその両側3センチぐらいは全て色が目立たないように白と青の絵具が塗られてニスがかけられている。元の色を極力出したくて、丁寧に直しを剥いでいくと、直し絵具の剥落を抑えるためにもとの釉薬に細かい擦過傷のようなものまでつけていて、すこし悲しくなってしまった。直しを直す。これまた少し寂しい初体験。これから金繕いするか、このままにしておくか思案中。

 この週末に、姉夫妻が那須温泉帰りに栗田美術館に立ち寄ったという。古美術にも陶磁器にも特段関心がなさそうな彼らに鍋島・古伊万里の壮大なコレクションがどう映ったのかは知らない。ただ、20代の私が有休を取ってそこに行った時の感動がなければ、木盃形の完璧な曲線も、色鍋島の巧緻さも、柿右衛門の乳白色の磁肌も、心に刻み込まれることはなく、そしてこの皿に出会っても気づかぬままスルーしていたと思う。
 経験があるからこそ出会える嬉しい初体験が、これからもたくさんありますように。

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 地元でよく行く骨董屋さんが二つある。ひとつは『古美術』という店で、「古美術○○」とか「○○古美術店」という屋号ではなく、まんまの「古美術」。飼い犬に「ドッグ」と名前を付けた同級生がいたが、まあそんなかんじか。
 孫はまだいないかも…くらいのご夫妻が営んでいて、店内は玉石石石ぐらいの比率の混交。ご主人は昔のグループサウンズっぽい微妙なチャラさで、薀蓄の後に「東京で買ったら3倍はする」と必ず言い、胡散臭さは否めない。が、人当たりはすごく良くて憎めない。奥様のほうが泰然としていて値段の最終決定権もお持ちと見た。しかし夫婦のキャラはどうあれ、店の設えというか演出は他に類を見ないほど素敵で、古瓦と古木、更紗や欄干を観葉植物や水を交えてわざとらしくなく上手く配し、その上、出して下さる玉露がとびきり美味しく、隠れ家カフェのほうが流行りそうな、日がな一日、本を読んで過ごしたい空間なのだ。
 ということで、なんだかんだ言ってもこの店が好きで、帰省の度に餌食になっている。ここでは自分の眼で判断すべしと分かってはいるのだが、不思議と自信満々のご主人の私見をなぜかスルーできず、…唐津の向付を買った。彼は「江戸中期ぐらいはある古唐津」と言ったが、今思うとありえない。古唐津の定義は桃山から江戸初期なんだから。で、案の定、眺めれば眺めるほど、どことなく、そこはかとなく釈然とせず、なんの根拠もなく「違う」と思う。

 骨董がらみのエッセイやインタビュー記事には必ず書いてある「自腹を切って買い、痛い思いをすることで、初めて真贋が見えるようになる」という言葉を、なんとなく初めて実感したような器だった。中島誠之助さんなんかが「これはいけませんね」といっているのも、ああ、これがそういうものなんだと気が付く。私の眼は節穴なのだ。

 そんな微妙な気分の唐津体験のリベンジがこの器。靖国神社の定期市で買った。私が悩んでいても、他を回って戻ってきても、別段何にも意見してくれない骨董商。これはいいのか悪いのか。一楽二萩三唐津、一井戸二楽三唐津。お茶の世界ではこんなに崇められる唐津なのに、とても分かりにくい。で、私には珍しく一週間考えた。それで忘れてしまうのが常なのだが、忘れなかったので頂いた。値下げ交渉もしなかった。した途端、おじさんはバンに積んだ段ボールに片付けてしまいそうな雰囲気だったから。
 今のところは気にいっている。ベルギーの青々しいアスパラに白和えなんか、土色に活き生き映える。
 唐津についてはまだ二度目。これで間違っていても三度目の正直ともいうし、ロッキーだってファイナルに至るまでに5回死闘しているし。

 ちなみに、地元のもう一軒は、商店街にある『○苑』というお茶道具屋さん。GSおじさんと同世代と思しき店主は、悠然としていて、呉服屋の旦那的な風情がある。お道具屋なので現代作家の作もあり、お話全てに胡散くさいさが一切ない。そして、そこでいただいたもので変な気分になったことは一度もない。
 あまりにも芸風の違うこの二軒の店。長髪裾広がりスラックスのチャラ男と歌舞伎役者っぽい物腰の七三分けの旦那。私ってどっちもイケる口だったのね。

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 岡山の実家のほど近くにある林原美術館。たかが徒歩10分でも、そこにいた頃の私はティーンエイジャーで、烏城下の美術館よりお堀に浮かぶ白鳥ボートで友達と競争することのほうが楽しかったので、一度しか入館したことがなく、そしてその中で記憶に残った唯一のものが色鍋島の桜御所車文の皿だった。

 人間の感性は正直だ。例えば美術に疎い学生時代の私が初めてパリのオルセー美術館を訪れたとき、驚いて長らく見つめた二つの絵。それがモネの「パラソルの女」であり、またゴッホの「ひまわり」で、もものすごいマスターピースだということを帰国してから知った。お皿といえば瀬戸物か地元の備前焼か、またはヤマザキパンの景品しか知らない体育会系高校生の私でさえも、盛期色鍋島のそれが秀でて目を囚われるほど、芸術というのはオーラを放つものなのだ。そして代々の今泉今右衛門が今も踏襲する錦桜御所車文。

 この染付の六寸皿は、鍋島のような御大層なものではなく、明治前期の印判手。有田の城島窯、城島岩太郎の作である。岩太郎は釉薬の研究に励んだ人のようで、印判で染付のイゲ皿やこういった六寸皿に多くその陶印が見られる。
 ところどころに鉄釉シミや釉薬斑があり、アッパークラスの窯ではなかったようだが、それでも日露戦争前夜の1903年、戦前で最後の内国勧業博覧会では、美術部門での褒賞の二等賞を深川製磁とともに受賞している。ちなみに一等賞は香蘭社である。この博覧会に先立つ1900年のパリ万博では深川製磁が金メダルを受賞している。深川兄弟強し。華々しく名売り、上場をやめたとかやめないとか色々あったにせよ、現在もなお続く香蘭社や深川製磁と同じ褒賞をもらっているのに、どうも後世に全く名を残していない城島岩太郎さんなのである。

 しかしながら、はたして歴史に名を残すことがいかばかりのことなのか。
 私は凡人なので、芸能界でオリコンのヒットチャートで記録的な連続首位をだすことも、陶芸家になって伝統工芸展で毎回宮内庁お買上げになることも、新製品開発でビルゲイツになることも、どこかの国の皇太子の嫁にもならないから、事故死したところで誰の記憶にも残らない。歴史的な犯罪者になる勇気はない。医学的にありえないほど長生きすることぐらいはできるか。でも、もし「後世に名を残すチャンス」なるものがあっても、それに飛びつくことはないと思う。なぜなら後世には自分はいないから。発つ鳥後を濁さない程度で十分で、飛んでったあとに池には関心がない。もちろん原発廃棄物の放置とか、何の策もなくTPPに全面降伏とか、そういうのはちゃんと後世を考えるべきことですが。
 西行さんなんて、「ほとけには 桜の花をたてまつれ 我が後の世を 人とぶらはば」とかいって、死んだ後まで人に頼み事してるけど、私はそれも極力避けたいとは願っている。
 
 ただ、もしあの世というものがあるならば、100年前に作った自分のお皿が、香蘭社や深川製磁の輸出製品よりも、ずっと世界中旅をして、春になっても桜の咲かぬ土地で、私の気持ちをアップさせてくれていることを、城島岩太郎さんが空から眺めて微笑んでくれればいい。でもあくまで遠くからね。嬉しいからといって丑三つ時に出てこないよう、念のため、よろしくご理解を。

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 イギリスの鯖はやせていて秋刀魚の弟分みたいな形状をしている。これがけっこう美味で、塩焼きとか燻製とか味噌煮とか調理法さえバリエーションすれば朝昼晩でも食べれそうなほど、日本のものと優劣つけがたい。などと感じるのは、イギリスでは他のものが圧倒的に不味い・・・というか味がない・・・というか、とにかく世界が報道したロイヤル・ウェディングで、美少年から瞬時にオッサンへ変化したウィリアムの後頭部がかなりイタく、還暦過ぎたローリングストーンズのコンサートがイタく、レディ・ガガの登場でマドンナのセクシーコスチュームがちょっとイタくなってきても、年中曇りで消費税が高くても、それでもイギリスってのはなんとなく憧れちゃうような国なのだが、ただ食に関してはイタいとかそういうレベルを通り越した天下一の不味さである。よってイギリスの鯖もが秀でて美味しいと感じるのは、例えば中国人と食卓を囲むと「私ってサーヤのごとくお上品?」と感じたり、平均身長♂185cm♀172cmのオランダに行くと「私ってもしかして華奢?」と思ったりするような、単なる錯覚かもしれない。
 そう、私はオランダに行くと平均である。日本だとデカい。その上、ブスで貧乳というヘレンケラーも真っ青の三重苦で、近年は「年増」という苦難が圧し掛かってきても、とりあえずその実態を正直に申告するタチである。が、世の中の「サバを読む」という詐欺犯罪はまったく取り締まられず、野放しのまんま。特に身長体重年齢詐称は『魔女たちの22時』で「娘のカレを略奪!」ってなオバサンの登場で極まった感がある。逮捕しろ、逮捕。

 この器も30歳詐称されていた。西フランスの漁港近くにある骨董屋さん、銀行勤めの妻に食わせてもらっている店主は「19世紀末」と言ったが、これは1920年〜30年、日本で言う大正ロマンとかの時代のもの。この店主、前にもことごとく30年の時代詐称をしていた。どうせならドーンと世紀単位で詐称してみろっての。そんなチマチマだから、妻の尻にしかれてるんだろうなと余計なお世話なことを考える。

 1862年のイギリス万博が日本の万博デビューだったが、その後1867年、1878年のパリ万博や、北斎に象徴される浮世絵ブームにあいまって日本趣味は最高潮に達する。そんなジャポニズムの流れに乗ってイギリスでもSamuel Radfordという作家を皮切りに伊万里を模した陶磁器が19世紀末から50年ほどの間に各地で焼かれる。これもそういう類のもの。
 ロンドンの今はなきHales Hancock & Godwin社が、リバプール方面へ200Km、Staffordshireという町に当時30ほど軒を連ねた窯元のひとつに作らせたものだと思われる。染付技術がなかったため、赤絵の上に黒を乗せて赤絵染付の雰囲気を出そうとしているところが、稚拙で素朴。
 これが「伊万里風です」というのは、私が「20代に見えるっていわれます〜♪」というのと同じぐらい僭越だと思う。ただ、いわゆる贋作とちがって下手な小細工をしておらず、純然と自文化に好きなものを取り込みたいキモチがある。「女になりたいの〜」という素直であっけらかんとしたIKKOさんとかはるな愛とか、そんなあけっぴろげな努力が微笑ましくていただいてきた。

 まあしかし、私はサバは読まないが、無類の鯖好きなので、いまわの際には鯖寿司を食べさせてくれというのが、今のところ親族に伝えてある唯一の遺言(?)である。
 願はくは花の下にて春死なん、そのきさらぎの鯖寿司のころ。

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 引越しの荷物を出した後、シンガポールの新観光スポットSANDSホテルで二晩過ごした。
 SoftbankのCF、白いスーツのSMAPが闊歩する57F の屋上プールは大パノラマで、震度3程度の揺れでもあれば、水ごと空に投げ出されそうだ。映像どおりのオシャレ空間ではあるが、直に見ればハリボテで、工事のちゃちさは隅々まで行き渡っている。トイレのドアはベニア合板だし、高速エレベーターはコントロールを失い、ズドンと2階半まで落下して扉が反動で半開きになる恐怖の小箱だし、ルームキーが四六時中ブロックする。
 でも、破竹の勢いで経済成長をするために多少のボロには目をつぶり、外国資本誘致のためにも外ヅラだけを取り繕って、基礎工事の瑕疵を突貫工事で隠し、つぎはぎの上にペンキや化粧板。いかにもシンガポール。

 フライトの前夜、ホテルで友だちが朱泥急須を餞別にくれた。いや「急須」とは福建方言「急焼」が訛って変化した日本語だから、これは「茶器」または「壷」であり、朱泥より紫砂という。
 中国系お茶オタクの自宅まで行って求めてくださった30年ぐらい前のもので、柿を模した成型はごくポピュラーなのだそうだ。肌にいい風合いが出始めていて嬉しい。

 歠瓢 光緒己卯仲冬之吉心舟仿鸣遠製

 実際のところ「歠」は自信がないけれど、とりあえず意訳を試みる。
 ラストエンペラーの一代前、光緒帝治下の己卯年は1879年、仲冬とは概ね師走頃。「心舟」は19世紀前半に活躍した著名陶芸家で、匏(瓜)型やキレのある漢文彫刻が十八番の何心舟だと思う。そして18世紀康煕・雍正期に清代の紫砂工芸の新たな局面を開いた祖と称される鳴遠。彼らの作品は故宮博物館でも展示されているが、その心舟が鳴遠を模した作だと書いてある。ただ、1874年没と伝わる心舟が1879年に製作できるはずはないのだが、それは写しのご愛嬌。
 そして「歠(=飲)瓢」。これは『論語』の「一箪の食、一瓢の飲」からの引用か。
 瓢箪の水いっぱいきりしかない貧しさの中、ふつうは不安や焦燥に駆られるだろうに、のびのびと天の教えに帰することを無上の悦びと精進する弟子の子淵を孔子が尊ぶ一節なのだが、お茶器は瓢とも呼ばれたので、そのあたりにゴロ合わせの茶目っ気も感じる。
 1980年頃にこれを作った作家は、心舟や鳴遠の作品に憧れ焦がれて、貧しくとも己の道に邁進していたのだろう。1874年製と記した理由はわからないが、もしかすると彼が60年後の1939年己卯の生まれなのかもしれない。
 
 この2年は夢かうつつか。ただ不思議とシンガポールという国への愛着は強く、5年近く過ごしたベルギーに特段の感慨がないのと比べ物にならない。
 論理的でなかろうが機微に疎かろうが、憧れの西欧日と肩を並べ追い越したい。今は貧しくても自身の「道」に邁進する熱気に満ちた、東京23区程しかない小さな国。そんな思いが静かに溢れるこのお茶器を掌にくるみ、新加坡の余韻にひたりつつ、冷夏のフランスで黒茶をいただく。

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