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着物を着たのは人生で二度きりである。宮参り、七五三、十三参り、成人式,まで全て省略で、大学の卒業式ですら着なかった。その二度というのは姉の着付けの練習台となったとき。もう一度は結婚式も披露宴もやらないのでは祖父母には結婚したことすら理解できないかもということで、写真館で慌しく白無垢を着たときで、なんとも味気ない。
私くらい着物に縁がない人も、今のご時世では珍しくもない。
が、着物は好きだ。生地が美しい。特に古典の市松や青海波が菊花や牡丹などと組み合わさった柄はハッと目を奪われるほど斬新だし、普段の洋装では考えられないような派手な柄でも帯であれば華やかさこそあれ下品にならない。成人式や卒業式のような場所ではなく、普段に地下鉄などで、当たり前のように姿勢良くキリッと来ているご婦人を見かけると凛としたその雰囲気に見とれてしまう。
帯を古着市で買った。着るためではないので、思い切り派手で鶴をあしらったおめでたい柄のものを選んだ。この気合の入った使い込みようからみて、どこかの貸衣装屋で幾人もの花嫁さんを着飾ったに違いないと思えた。ますますおめでたい。
この帯の一部は中国の古たんすにかけ、一部はクッションカバーに、残りに黒い縁取りを付けて敷布を作り、フランス人に差し上げたら花びん敷などに愛用してくださっている。
こんな使い方しかできない私、幸田文の『きもの』や青木玉のエッセイを読んだりすると、着付けもやっておけばよかったと今更ながら思う今日この頃である。
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