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GPS付きランニング用の時計って素晴らしく便利。あと迷子解消機能を付けてくれれば完璧なのに。

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 大抵の流行ものからは取り残されている私であるが、昨年はアリスとローリング・ストーンズのコンサートに行った。それのどこが「流行りもの」なのかはまあさておき。
 ご近所のよしみでご家族が直々にチケットを取って下さった、30年ぶりの生アリス。還暦になっても皆スリムで、もとから頭髪が後退していた谷村さんは全くお変わりなく、キンちゃんの呟きトークは愛らしく、病気持ち以外は40歳で全員ホンジャマカ石塚になった学生時代のゼミ友とは大違い。小学生だった私がジャカジャカとギターを弾きまくった『ジョニーの子守歌』。「なぜ子守歌?」「なぜジョニー?」と、今ならツッコミどころ満載だが、子供の私には分からなかった歌詞の意味に気づいて、ああ自分も歳をとったなあと思った。
 続けざまにストーンズ。地下鉄や街中にばらまかれた古希のおじさんズのポスター。鈴木その子さんとか、復活して坊主頭になった岡本夏生とか、なんというか、そう、以前、渋谷で超ギャルギャルファッションの女性を追い抜くとき、チラリと顔を見たら…どこかで見たことある…、あ、あべ静江…と、見たほうがいたたまれない。ストーンズのポスターもそんな感じだ。
 が、ドームで目から鱗。体操コーチの父親の元、ずっと「体操(?)」を欠かさないミックは、キレキレに走る、ジャンプするる、声量バリバリ。フェロモン全開だった。「ミック〜っ!」と黄色っていうか、もう黄土色の声を上げる中年の私。そういえばモデルの年下妻は先日自死なさったので、現在ミックの妻の座は空席。私、歳の差なんて気にしないわ、ミック様。そしてドームを満席に埋める中年のオッサン軍団も、息切らし、肉揺らして皆踊る。

 西欧の40代以上の男は二つに分けられる。ストーンズ党とビートルズ党である。日本ではそのどちらにも属さない無所属もいるだろうが、欧羅巴では無所属はマイノリティ。私などは子供のころ「ずうとるび」と「ビートルズ」の違いが分からなかったし、今でもポールだかリンゴだかの顔も判別がつかない。
 学生時代のゼミ仲間にもビートルズ党(ハト派)がいて、新婚旅行はリバプールを筆頭にビートルズ所縁の地を訪ねる旅だった。なので、横尾忠則デザインの「Beatles/Jesus Christ」のオリジナル・オフセット印刷を手頃な価格で譲っていただいて、即、彼にプレゼントしようと思った。
 現在のサイケデリックさはない。ビートルズとキリストを大胆な構図で、古本屋で時折見る、70年代『少年マガジン』の表紙っぽい妖しい色遣いが、いかにも当時の横尾忠則。これとは違うバージョンが東芝MEIからの公式ポスターとなったため、これはおそらく未発表のもので、幻のアイテムともいえる。

 額装して宅配で出すとき、「奥様の好みじゃないんだから、物置の隅とかに置いて、時々こっそり眺めてね」とカードを添えた。そしたらお礼のメールがきた。
「今まで僕の持ち物は全て、見える場所に置くのは厳禁だったんだけど、おまえのおかげでビートルズのポスターが燦然とリビングに飾られている!」
オーマイガッ!あんた、いつからタカ派になったの。見えない場所でこっそりって言ったでしょっ!奥様はMarimekkoやittala好きのおしゃれさんなのに、北欧デザインと横尾忠則xBeatlesでは食い合わせが悪すぎる。しかし…、彼らは私の紹介で結婚したので、人並み以上に気遣いをする奥様には、強要に等しいことに気づかぬ、完全に私の迂闊。
 彼女と顔を合わせるのが恐ろしく、それ以来、彼らの家には伺えぬまま現在に至る。

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 1年ぶりにパリを散歩した。店舗の入れ替わりはあるものの、街並みは全く変わりがなく、それが嬉しいような寂しいような。東京やシンガポールでは1年も経てば、新しいビルがにょきにょき立ち、ヒルズとか汐留とか丸の内とか、街がどんどん再生されて迷子になる。蠢くような熱に満ちたアジアを訪れると、見識のあるヨーロピアンは「あっちはもう死んでるから」と言う。例えばフランスの生産性や志気の低さや、それを差し置いた待遇改善の執拗なまでの要求は、長年続くと悪循環で、退廃的な無力感が漂っている。
 パリにしか住んでいない人には、その自覚症状がないから困る。

 がしかし、確かに美的コダワリのある人はわりといる。
 地下鉄でゲイカップルらしき男二人がいて、ひとりは頭ぼさぼさの不潔っぽい無精髭。極めつけにジーンズを半ケツぐらいずり下げ、・・・ってか、にーさん、下げすぎっ!パンツ覗いてまんがな、ってなチラリズムどころか、パッション紫色のブリーフが5cmは露出している。が!ラフに着たラベンダー色のセーターが、はみパンの紫と調和しているうえ、シャツ袖口のボタン穴は紫の縁取りで、だらしなく見えて隙がない。俄然ボサボサ頭が無造作なスタイリッシュに、無精ひげもセクシー感満載に見えてくる。アキバ系がツンデレに萌えるのと同じように、ダラピリ系にクラっとくる私。
 ある友だち(西洋版骨董オタク)は家の改装にあたり、船舶用円窓の素材感で建築家と互いに譲らず決裂し、元部下(ゲイ)は社内標準の見積書がダサくて美意識に反すると、独自フォーマットを作った。多少ルールから外れても寛容で、ケセラセラなくせに、シャツにパスタソースが散った径0.5ミリの染に「うぎゃー」と大騒ぎするお国柄。「美」に対するコダワリが尋常でない人の率が高い。

 表参道近くにある太田記念美術館にも収蔵されているこの絵は、北斎の『千繪の海』。関東周辺の漁をテーマに水の流れと漁師を躍動感溢れる描写で表現した錦絵の連作で、『富嶽三十六景』完成期の同年作とされる。ホクサイって何?というレベルの我楽多屋に転がっていたのを、今私が居候しているノルマンディの家のマダムも北斎とは知らずに買った。保存が杜撰だったのか色褪せて、2色の濃淡しか残っていない。それでも市井の生活感と躍動する水が、A5版ほどの枠から飛沫を放つ。

 このシリーズは全10図。各図50枚は刷られたという富嶽三十六景と違い、これは各十枚しか刷られなかった希少品で、日本に揃いは存在せず、全十図が最初に発見されたのはパリ国立図書館だった。それについてお正月にNHKで『幻の北斎』とかいう特番があったらしいのだけれど、見逃してしまって残念無念。それを見ていれば、この絵がフランスに渡った理由が分かったろうに。
 富士山や役者絵ならまだしも、漁師じゃありがたみがねえや!と当時の江戸っ子が言ったかどうか。この絵はフランス人のお眼鏡にかなって海を渡ったのだろう。同じシリーズの「総州銚子」がゴッホやモネをはじめとする印象派に多大なる影響を与えたことはあまりに有名だ。
 
 不思議なアートがわんさかで、それが不思議な調和をなしているマダムの家。今晩は、鰯の南蛮漬けを、彼女が掘り出したイゲ皿に盛ってみる。

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 私は雛祭りというものをしてもらったことがない。
 桃の節句に雛あられに甘酒をいただいたことはあるし、もしかしたら母は桃の花くらいは飾っていたのかもしれないけれど、娘二人の家に、流行の煌びやかな五段飾りが登場することはなく、それは、公団にそんなものを飾るスペースも収納もなかったことと、あとひとつは、おそらく左よりで、男女同権を標榜する父が、娘たちをことさら「女」として育てることをよしとしなかったためだと思う。

 シモーヌ・ド・ボーボワールは著書『第二の性』で語る。「人は女に生まれない、女になるのだ」と。後のフェミニズム運動に多大な影響を与えた人だ。
 世の中には、女には当然あるべきとか、持っていると賞賛される規範というものが確かに存在する。気働きが利き、献身的で、控えめで周囲を立て、奇麗好きで従順。そんなことは男にとっても美点だろうが、例えば逆に、気が利かずに横柄ででしゃばり、小汚くて反骨精神にあふれた女はオワッテいる。それが男なら、まあ許容範囲。二番手の性である以上、表舞台を舞う筆頭性を影で支えねばならぬ、そんなメンタリティが今もそこここに漂う。

 この浮世絵は鏑木清方。明治から昭和初期にかけて市井の人々の四季に彩られた暮らしを、素朴に温かく表現した画家で、西の松園、東の清方と呼ばれた。普段着の家庭婦人と雛人形。古き佳き日本を情緒豊かに描くことが十八番の彼らしいさりげない作品。たとえばこのお内裏様を携えているのが男だったらどうだろう。どうしようもなく違和感を覚えるだろう。

 ボーボワール自身はフェミニズムを標榜していたわけではない。サルトルと事実婚の関係にありながら、彼女が米人作家と交わした書簡集、いや恋文集を読めば、いじいじオロオロべたべたと、女々しさが惜しみなく発揮されている。『第二の性』やサルトルとの契約婚は、彼女がどうしようもなく自身の「女」を自覚しているがゆえの戦いだったのではなかろうか。
 父は、娘の私に社会進出を奨励し、表向きリベラルなソーシャリスト然としていたが、実際彼が娶ったのは、男を立てるいかにもな家庭婦人だったし、家ではTVリモコンを動かす以外は何もしない亭主関白で矛盾を抱えた人。そして、私は会社でアニキと呼ばれ、将来は立派なオヤジになることを嘱望されたサラリーマンになったが、100%家庭婦人である母に育てられたからか、怜悧な上司やパワフルな同僚に尻尾を振ってソソクサとお仕えしている。

 女であることに不公平を感じることはない。第二番手であるがゆえの特権が、誰かに扶養してもらえる自由や、失敗しても大目に見てもらえる自由や、なんとなく深刻に考えなくてもよい自由が、今の時代には不公平より圧倒的に多いから。家事労働が電化製品の発達で軽減された昨今、女であるほうが気楽で選択肢も多い。
 性別で枠にはめるのはよくない。男も女も望むスタイルを選択できる幅が社会にあってほしい。でもがんじがらめに性差を取り除くフェミニズムには馴染めない。玄関に掌に乗るようなお雛様を飾ったり、雛あられを取り寄せたり、桃の花はどこかにないかと花屋をはしごしてみたり。そういうことを気兼ねなく、気味悪がられず楽しめる第二の性が私には心地よい。

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 毎年、12月から4月の間は自分のクローンを作って働かせたいと思う。欧州の会計年度が年末締めで、日本の会計年度が3月締めなので、大きいビジネスはこの時期に動くから、やたらと忙しい。なのに、今年はそれ以外のゴタゴタ、社内でのストーカーがらみやセクハラ系のトラブルが起こって、なにもこんな極寒季に発情しなくても、春になってからやってくれりゃ私も時間の都合が付きやすいのに、その処理にまで追われてまったく疲れる。

 ストークした彼女は、妻子あるJくんに恋して、周囲に「Jは私に惚れてるの」と吹聴しまくった。そもそも彼女はオフィスの独身男は全員自分に惚れていると思い込むタチで、挨拶しかしたことのない外注さんに、「私の気を引こうとしたって無駄よ」と言い放つ勘違い加減から男性陣は皆恐れている。J君の場合は彼の優しさが災いし、迂闊に彼女の悩み相談に乗ってしまったがために愛と思い込まれ、トイレや給湯室へ立てば彼女に後を追跡されるようになった。そのうち彼女はJくんがいるとドキドキして仕事ができず、Jくんが外出だと、どこで何をしているのかが気になって仕事にならず、日に何通もメールを送り、週末も電話攻撃、待ち伏せ。直接的にも間接的にも断り続けているJくんも、テキの根性・・・というか思い込みについに根をあげ、「ガリガリ、ガサガサ、ボサボサで手にも触りたくないのに、どうにかしてっ」と、人事に泣きついた。んで、人事のお姉さんと私は、ただでも忙しいこの時期に、会社訴訟がらみの事例集や弁護士事務所の助言なんかを集めて、ウンウンと頭を悩ませている。仕事に集中してくれないだけでも困るのに、人の仕事まで増やさないでほしい。
 
 ストーカーは珍しいが、会社には不倫がつきものである。東京ではよく「泥棒猫のXXって女はいますかっ!」などという上司の奥さんからのヒステリックな電話を受けたものだ。「XXは離席中ですが」などと応えれば、「このまま待たせていただきます、何時間でもっ」とのたまう妻もいた。あーたは暇なんでしょうが、私は電話ないと仕事にならんのですが・・・。女遊びは構わんが、みっともない事態は、男よ、予防してくれ。
 パリ支店のような弱小企業でさえ不倫は沸く。いつぞやは学生あがりの契約社員と懇ろになった同僚が、浮かれるがあまり妻に漏らすという失態をした。ちなみに妻は26歳の超美人で、そうか、男は妻が若くて美人でもやはり浮気したい動物なんだなと再確認した。で、夫婦間で揉める分には構わないのに、その妻がなんと社長の奥様に「下積みの時代を支えてきた私の立場わっ!」と泣いて訴えた。・・・下積みって、彼まだ30そこそこなんですが・・・。そも、なにゆえ社長夫人に訴えるのか、アンビリーバボー。んで派遣の彼女の契約は延長されなかった。仕事できて助かってたのに。しくしくしく。

 このシルクスクリーンは、他部署の同僚がイタリア出張のお土産に下さったもの。精緻な図面を引くようなスタイルから建築家あがりの画家さんなのだと思う。このシルクとグッチのトワレをくれたその人と一緒に仕事をしていたその昔、私は馬車馬のように働いた。闘争心とでも言おうか。色気はないが、こんな社内恋愛ならいちゃもんもつけられまい。
 会社という空間は恋愛ワールドだ。でもどんなにキリキリ擦り切れるような痛い片思いをしていようと、口元が緩んでしまうほどラブラブに盛り上がっていようと、エロエロねっとりな愛欲に溺れていようと、とりあえずは仕事をしてほしい。いや、しなくてもいいから、人の邪魔はやめてほしい。
 それが社内恋愛の最低ルールでしょう。

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 メールの整理をしていたら、何週間も前に頼まれていたのに放置していた仕事を2件発見した。「げ。もぉ〜、督促してよ〜」と、自分が悪いのに、心の中で相手に責任転嫁しつつも、謝罪メールを送った。最近こういうことが多い。以前は「もうできた?」「頼むよ〜」とビシビシ催促があったのに、最近はぱったりで、忘れても怒られもしない。なんだかヘン。
 私は毎日オフィスにはいないので、いる日はこのときとばかり人に捕まる。デスクににじり寄られ、内線で呼び出され、トイレに拉致され、カフェに連行させられる。私に関係ないことも多々あるけれど、相手はとりあえず「言う」ことに満足するらしいので、聞くだけは聞くことにしている。
 先週は、とある気難しいお客様が、ウチのフィールドSEにいちゃもんをつけ、キレた挙句「XXさん(←私の名前)に電話してやるっ」とのたまい、実際に掛かってきた。そのSEの作業レポートにも、「○○社の△△氏は『これじゃ埒があかん。XXさんに電話するぞ』と威嚇した」と記載されていて笑った。私にチクることが威嚇になるのか・・・。
 そんな状況を分析するに、周囲は私を「エライのかも・・・」と勘違いしているらしい。

 そもそもフランスでは私の勤務先は零細企業なので、たとえ社長でもたかがしれている。で、それよりずんと下っ端の私などは組織から見ればカス、同然。んでもって目の前でぎゃあぎゃあと、大抵の場合は瑣末なこと、を訴えるスタッフの前で腕組みして聞き入っているポーズをしながら私の頭のなかは、ランチは韓国弁当かタイ弁当かで悩んでいたり、力仕事に袖を捲った同僚に目を遣って「お、いいカラダっ」と発見して喜んだり、5時になったら上階の韓国放送のオニーサンと一杯ひっかようとかウキウキしたり、相当いい加減だ。のに、なぜかバレてない。
 上の指示通りにシコシコ働き、ピシピシしごかれつつ、よしよしされるのが好きなだけの私をよく分かっている人もいた。が、彼らが一人、二人と帰国し、転職したりして、じわじわと実態を知らない人ばかりになった。それで「エスカレーションよろしく」とか言われるようになり、え、え、え、えすかれえしょんっ・・・と、ビビッてしまう。
 そういえば、以前1500字の中に総数10個の「ブス」を連発した記事をUpした時も、いただいたコメントは揃いも揃って「いや、ブスなはずはない」で、自己認識と周りがお持ちのイメージとのギャップに、まごまごしてしまった。

 このお軸は祖母の筆。表装は安ものだし、上手下手も分からないし、そもそも私には読めない。
 「江碧にして鳥愈白く、山青うして花燃えんと欲す、今春看又過ぐ、何れの日か是れ帰年ならん」
 望郷をうたった杜甫のこの漢詩は、私が外国に出るにあたり選んでくれたもの。亡くなった祖母の大切な思い出の品だけれど、資産的価値はゼロ。が、ウチに遊びにくる西欧人たちはみな、Splendid!と感心し、一様に誰か有名な書家の作なんだろうなと断定する。「素晴らしい」と言うものを否定するのも失礼なので、「まぁ」とか「はぁ」とかで話を濁している。
 大正に生まれ、上昇志向の人だったのに、時代の流れで所謂「嫁」なった祖母は、私に職業婦人への道を期待していた。そして私は周囲の過大評価に支えられて今も仕事をしている。
 この掛け軸がすごくないことは私が一番よく知っている。私が偉くないことも私が一番よく知っている。でもこの書も仕事も、大切だというだけで、それは十分ハッピーなことなのだから、まあいいかと思える今日この頃である。

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