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KSBの白バイ衝突死報道シリーズ、2007年10/30日放送分を見ながら当時を思い出す。
なお、動画再生アプリがないとこの動画はスマホで見られないかもしれないが、ご勘弁。
過去の記事は書庫「事件の振り返り」にて
放送当日は、高知白バイ事件控訴審判決の日
裁判長は柴田秀樹。この裁判とこの放送で日本で一番、顔の知られた裁判官となった…かもしれない。(数年後、富山地裁所長で退職)
判決は字幕にある通りだ。
柴田裁判長は、弁護側提出の生徒証言やブレーキ痕とされた痕跡の鑑定、部品の散乱状態等からの事故鑑定の事実審理をすることなく、却下を言い渡した。
控訴審はやり直し裁判でないことは知っていた。だから、1審で審理されていない新たな証拠なら無視はできないだろうと考えていたが、大甘だった。
番組後半で大学の先生が語っているが、控訴審で証拠を審理するかしないは裁判官の裁量次第とのことだ。日本の刑事裁判で無罪となるのには、いかに良心を持った裁判官に巡り会えるかだろう。
その巡り会う確率は1ー0.99=1%ということになる。
地裁で、片多ヤスシ裁判官は次の理由で警察の証拠捏造を否定した。
「野次馬などの衆人環視の中で、(路面に液体を塗るなどして、ブレーキ痕を)捏造をすることは不可能」
黄色の円は私が書き込んだものだが、その円の中に、壁を作るように人があつまってっている。その真ん中辺りが問題のブレーキ痕のある地点。
集まっているのが制服組だけならまだしも、背広組だ。県警本部のお偉いさん達
裁判で認定された通りにブレーキ痕か本物なら、誰も居なくてもいいだろう。
それも、事故発生か短くても30分、長くて60分程度経過して、なんで、ブレーキ痕の周りに人垣を作っているのか。何の相談をしているのだろうか。
答え
野次馬の目をさえぎるためでしょう。
相談をしているのではなく、痕跡のそばに人を近づけないため。
何が衆人環視だろうか。環視どころか通行人には何も見えない。
この放送を見れば、他にも似たような場面があります。
1m前後のブレーキ痕❓の長さを計るのに、なんで3人も要るのでしょう
次はこの写真
赤の矢印は白バイとバスの衝突地点。
茶色の円の中の直線はブレーキ痕❓の位置を番組の中で書き込んだものだ。
さて、白バイの破損した部品の散乱地点と衝突地点に何か矛盾を感じませんか?
感じない人もハッとした人もリンク先の動画をご覧下さい。
まだまだ、この写真1枚で語りつくせぬ物語はあるのだが、次に行く
次は高裁判決後の記者会見の様子。会場は高松高裁敷地内。
いい顔していると思います
その顔を見てもらうために、いつもより大きめにUPしてます。
ここから先は、放送には出ていない裏話。
記者会見には結構マスコミはきてました。高知のマスコミは全部きてたし、全国キー局もきてた。
支援者は高知県からバス1台借り上げてきてた。
もちろん、法廷で傍聴していた県警総務課の法務担当ら、警察関係者達は記者会見会場に来るわけがない。と、思っていたら、警察関係者がいました。
記者会見も始まり落ち着いた頃、ふと気がつくと後ろばかり撮る、つまり、私達支援者しか撮らないビデオカメラ、それもどこにでもあるお手頃価格のカメラで、あちこち移動しながら撮影してる若い女性がいた。 公安かな?
さて、この記者会見。現場に居合わせた人しか知らないが、大荒れで終わった。
きっかけは某新聞社の若い記者の質問だった。
記者「白バイ隊員亡くなられていることはどう思っているのか」
片岡「大変申し訳ないことをしたと思っている」
記者「残されたご遺族にはどうか」
片岡「…申し訳ないと思ってます」
記者「本当にそう思っているのか」
片岡「思っています。私は事故当初(ブレーキ痕❓の存在を知る前)から、今でも本当にそう思ってます」
記者「だったらなぜ反省しないのか。相手は死んでいるのですよ」
「相手は死んでいるのですよ」 「申し訳ないと思っている」
この繰り返しがしばらく続いて、片岡さんも弁護士も熱くなってきたところで会見を終わらせた。
一番、腹立ていたのは高知県以外の記者達でしたね。「あれはどこの記者だ」と。
記者会見が終われば各局が単独取材に入る。高知のマスコミの単独取材はなかった。その記者は、記者会見終了後も片岡さんに食い下がったが、支援者が間に入り、その単独取材は断った。
会場を出て、テレ朝「スーパーモーニング」の取材中、その記者は諦めきれないのか、インタビューに乱入してきて、キャスターの所太郎さんに厳しく注意されていた。
バスに乗っていた生徒達が事件の署名活動をした会場で、記者はほぼ生徒全員から一対一の取材を行ったが、その取材もひどかった。
記者「みんなはバスは動いてたというけど、君はどう?」
最初の質問がこれだったと生徒たちから聞いている。
この頃は、生徒も保護者もその新聞社を信じてました。
その記者は亡くなられた隊員、あるいは彼の奥さんと親しい友達だったかもしれない。
いや、それ以上の何か、その三人の間には「物語」がある様に感じた。
その記者は今は新聞社をやめ、新聞社の関連会社で働いているという噂を去年、耳にしたが本当かどうかは知らない。 このブログの2007年の記事の中に、彼の取材をもとに書かれた記事を全文掲載したはずだが、場所を忘れた。その記事は校正も入っているし、読めない内容ではなかったから、全文を彼が書いたものではないと思う。
次回の予告…じゃなくて予定
香川・岡山ローカルのKSBが10月に5回も、高知県の事件を夕方18:30頃に流した。
その反動か、関係者筋の圧力かわからないが、2008年1月まで放送がなかった。
一方で11月に入り、TVではテレ朝「ザッ・スクープ」・「スパモニ」で全国放送。週刊誌もMr.バイクとかの雑誌に掲載されたり、ネットではきっこのブログで取り上げられて、この事件はメジャーデビューして行く。
このブログの週間訪問者が4万?だっけ?yahooブログ週間ランキングで4、5位位になったことがある。
私はハイな状態でアドレナリン全開。平均睡眠時間は四時間なかった…。
鉄「おや、話が随分と自惚れ話にそれちまいやしたぜ。旦那」
政「旦那ぁ〜、もう、自慢話も次回の予定もいいですから、最後に一言、お願いしやす」
旦「鉄と政には恥ずかしい所を見せてしましたね。では、最後に…」
高知白バイ事件の署名活動
日時 6月3日、12:00〜13:00位の間、
場所 高松市の三越デパート付近
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きょうは、
土佐の大月町で
お刺身、
食べてました。
6/3、高松市は三越辺りで署名活動
その後、高松高裁へ 直訴⁉
よろしくお願いします。
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#3ー2をupするにあたり、前記事のリンクで2007年10月の過去記事をチェックした。
まぁ、人の記憶ってのはあてにならないもので、「おお!こんなこともあったよな」と感慨にふけっていたら、この時刻になってしまった。
麦酒も進んで6本目か
さて、この記事は高知白バイ事件を10年間にわたり、この先も、決着がつくまでは報道してくれるKSB瀬戸内海放送の報道シリーズに沿って、高知白バイ事件をふりかえっている。
KSB報道シリーズ全31回 ⇨ http://www.ksb.co.jp/newsweb/series/kochi
今日はその4回目ということで、
07年10月25日放送のシリーズno4 「真実はどこに・・・動き出した生徒達」
このリンク先は、wmvファイルのためなのか、スマホでは直接ご覧になれないかもしれません。
動画再生アプリが必要です。 10月20日生徒の支援活動について、裏話や詳細な話は過去記事にあげているんで、下にリンクをはります。
裁判に勝つためにはいろいろな策がいるものですが…高知地裁で校長先生の証言と、事故直前にー白バイに追い越された完全なる第三者の目撃証言者が、身内と言える同僚の白バイ隊員の目撃証言に負けるとは思いもしなかった。だから、生徒を地裁の証言台に立たせるのに反対したし、過酷じゃないかともおもった。
今も、大人になった当時の中学生達とたまに会う。ある時は「霞」で、ある時は職場で、しかし、事件の話はほとんどしない。彼ら彼女達は私がLMとは知らないし、私もあえて事件の振り返りを求めない。
いかんのう… このままじゃ#3ー3に持ち越しになるが、それもやむをえん。
9年前の10月にこの高知白バイ事件はメジャーデビューした。このブログもインディーズデビューくらいの転機を迎えた。2007年10月のブログ記事は全部で68件。中にはコメント数208件っていう記事もある
明日から2日間出張なんで、週明けまでブログを更新できないかもしれないが、ご関心と時間のある方は上のリンク先記事をご覧ください。特に古参のネット支援者の皆様にはよろしくお願いします。
もちろん、たまたま覗いた人も、それなりにこの事件を知っている方も、その辺の小説を読むよりは魅かれるかもしれません。
何故?って、よく言うじゃないですか 「事実は小説よりも奇なり」って
次回 #3ー3
前回、予告しつつも酔っ払っちまって、今回書けなかった、どこかの新聞記者が仙波さん講演会場で行った高校生への取材のお話。
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我ながら書きも書いたり10年間。途中ブランクもあるが、その時はFC2で白バイ事件をやってた。
合計したら1400記事にはなるだろう。
このブログのどこで何を書いたやらわからない。書庫のまとめ方もデタラメ。
いま、前記事のように #事件の振り返り をやっているので、どうしても時系列で10年間を遡って思い出さないとならない。
いちいち過去記事を検索するのも面倒なんでこのページを作成した。
白バイ事件に興味のある方はご利用ください。
このブログを始めたのは2007年3月6日。事故から1年後。
高知地裁の第1回公判を傍聴してからブログを始めた。当時は訪問者も1日で10人を超えない日が多かった。
スタートから9年間で約54万人の訪問者だから、平均したら年6万人、月平均5000人になるが…
私にとって事実上このブログがブログデビューで、ブラインドタッチはできないし、内容も文章も酷いし…いまでも下手だが、写真もリンクの張り方も一から勉強したもんだ。
2007/3 高知地裁公判
/4 ご遺族民事訴訟 公判結審
/5 弁論要旨
/6 地裁判決6/7
/7 ほとんど書いていません。
/8 記事を書いていません。
/9 支援する会発足
/10 KSB放送開始 高松高裁判決
/11 白バイ事件 テレ朝系で全国放送
/12 控訴審判決文掲載など
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白バイ事件を振り返るということで、KSB瀬戸内海放送が報道した「シリーズ/高知白バイ衝突死」にそって事件を振り返っています。
今日はその3回目ということで、
07年10月25日放送のシリーズno4 「真実はどこに・・・動き出した生徒達」
このリンク先は、wmvファイルのためなのか、スマホでは直接ご覧になれないかもしれません。
動画再生アプリが必要です。
この頃を振り返ってみます。
過去の記事 ⇨ 書庫「事件の振り返り」
07年10月に入って4回目の放送です。というのも10月30日が控訴審判決の日で、その前に力を入れてくれたのだと考えてています。
放送の内容と今回の話が多少前後しますが、ご勘弁ください。
控訴審は10月4日に即日結審しました。控訴審に向けて、弁護側は交通事故鑑定を依頼し、バスのブレーキ痕はとされたものは、バスのものではないことの立証を試みていた。
また、バスに同乗していた当時の中学生がバスが止まっていたことを意見書に書き、控訴審での証言も求めていた。
1審の高知地裁では提出していない新証拠と新証言を提出したわけだ
⭕何のための控訴審か
この頃の私はまだまだ法廷を信じていたので、新証拠の審理くらいはするだろうとある一定の期待感をもって控訴審を傍聴した。
しかし、控訴審は事故の賠償の進展を確認しただけで、審理はその1日で結審した。即日結審という言葉もその時初めて知った。
中学生の証言さえ必要ないとする柴田秀樹裁判長の判断は法廷の現実を改めて思い知らされた気がした。
高知県警、地検関係者は慌てていたようだ。
地元高知ではこの事件は白バイとスクールバスの交通事故程度の扱いで、事故の存在は知られていても裁判の進展や争点は報道はされていなかった。
ところが、ここにきてKSBが警察の証拠ねつ造の疑いということで、ブレーキ痕の写真などを夕方のニュースで流したから慌てた。
KSBにも圧力があったとおもうが、あったとしたら、それは逆効果だっただろう。番組を見た多くの方がスリップ痕に疑問を感じてくれた。警察にしてみれば幸いにも、KSBは香川 、岡山のローカル番組で高知の人はほとんどがその番組を見ることができなかった。
続く、
次回は高知白バイ事件を振り返る#3ー2として今日の続きを掲載します。
仙波敏郎さんとの出会いと生徒達の動き。
そして、放送には出ていませんが、講演会場に生徒取材に来ていたとある新聞社の酷いお話。
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