奇跡やしるし

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テサロニケ第二2章新共同訳・続「聖霊体験」は神の霊が注がれた証拠ですか

 
 
「不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業を行ない・・・」(テサロニケ第二29 新共同訳)
 
先回、「ルカ9章新共同訳・『聖霊体験』は神の霊が注がれた証拠ですか」の中で聖霊体験の特徴が悪霊から攻撃されている特徴を表わしていることを調べました。
 
すると、ヤフーブログで、記事の中にある「ネット上の概念はあまり正確とはいえないと思いますが、どこから取ったものでしょうか?」という質問のコメントがありましたので、私が引用したネットの出所を示したいと思います。
 
礼拝中に、「牧師の叫びやバックグラウンドの激しい音楽、会衆の叫びによって、マインドコントロールされた状態に陥るのが聖霊体験だ」という部分、「聖霊体験をして倒れてしばらく動けなかった、礼拝中に泣きじゃくって涙が止まらなかった」という部分は、「聖霊に導かれる(5 [成長するクリスチャン] 」からの引用です。 聖霊体験をすると、「牧師に手を置かれて、あるいは背中を押されて、ステージでばたばた倒れる」ことがありますというのは、聖霊−体験と教義―成長するクリスチャンからの引用です。
 
今回は、奇跡はその体験をする人たちに神の霊が臨んでいる証拠ではないという聖書的根拠を、さらに示したいと思います。
 
確かに、一世紀のクリスチャンに神の霊が臨んでいたことは,彼らが行なうことのできた奇跡によって証拠付けられました。神は当時のクリスチャンに特別な力を授けました。しかしその力は特別な目的を果たすためでした。
 
神は選び出された「御自分の名を信じる民」は、もはやユダヤ人の会衆ではなくて設立まもないクリスチャン会衆であるという「証し」を、「しるし、不思議な業、さまざまな奇跡、聖霊の賜物」によって行なわれたのです。(ヘブライ 2:4新共同訳)ひとたびこの事実が十分に確立されたとき、このような奇跡的な賜物はもはや必要ではなくなりました。
 
神の聖霊による奇跡的な賜物はいつまでもクリスチャン会衆とともにとどまるものではないことになっていました。「預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう」と予告されていました。(コリント第一13:8新共同訳)ですから、奇跡的に預言が与えられることや、異言、学んだこともないのに奇跡的に与えられる知識はいずれなくなってしまうことになっていました。では、それらのものはいつなくなったのでしょうか。
 
使徒 8章18節は、「使徒たちが手を置くことで」霊の賜物が与えられたことを明らかにしています。ですから、霊の賜物の奇跡が伝えられるためには、使徒たちの存在が必要でした。それで最後の使徒が死んだ後、異言などの霊の賜物を分け与えることはなくなりました。したがって、一世紀に奇跡的な賜物を使徒たちから与えられた人々が地上からいなくなった時、奇跡の賜物は消滅しました。
 
それでは、今日起こっている聖霊体験、つまり異言や幻を見ることなどの奇跡は、何を示しているでしょうか。今日の聖霊体験、つまり奇跡やしるしは、真の宗教に伴うものではありません。なぜなら、「サタンの働き」は「あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業」によって示されるとパウロは警告しているからです。(テサロニケ第二 2:9新共同訳)
 
また、イエスは、終わりの時に、「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとする」ことを予告されました。(マタイ24:24新共同訳)ですから、聖霊体験は、終わりの時に、神の霊が注がれた証拠ではありません。かえって聖霊体験は悪魔サタンや悪霊が働いている証拠となります。
 
それで、聖霊体験をする人は、神に近づいたように見えても、実際は、悪魔サタンと悪霊によって欺かれています。聖霊体験をする人は、悪霊に惑わされていますから、聖書を正しく解釈できません。ですから、聖霊は三位一体の神の一つであるという教えは、悪霊に影響されている教義だと言えます。聖霊は、神が用いる聖なる力であり、私たちが崇拝するべきものではありません。
 
私たちは聖霊体験によってではなく、聖書の正確な知識によって、真の神エホバに近づき、崇拝することができます。私たちは、聖霊体験を求めるのではなく、それから離れており、聖書の正確な知識を求めましょう。
 
 
 
 
 
 

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ルカ9章新共同訳・「聖霊体験」は神の霊が注がれた証拠ですか

 
「その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、引きつけさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子供をいやして父親にお返しになった。」(ルカ9:42新共同訳)
 
私が以前「使徒2章・聖霊は人格的なものですか(新改訳)」という記事をはてなダイアリーのブログにアップした時に、「聖霊体験もしていないのに、聖霊は神ではないとは乱暴じゃないですか。」というコメントがありました。
 
「聖霊は人格的なものですか」の記事は、聖霊が三位一体の一つの位格ではなく、水のように非人格的な力であることを示し聖霊を崇拝するのではなく、唯一まことの神を崇拝するように励ます記事でした。それに対する反論として、私が「聖霊体験」をしていないことを聖霊について語る資格がないと述べていたようでした。
 
私は聖霊体験とは何か十分に分からなかったので、ネットで調べてみました。すると、「聖霊体験」とは、あるキリスト教会の中で使われている言葉のようでした。それによると、礼拝中に、「牧師の叫びやバックグラウンドの激しい音楽、会衆の叫びによって、マインドコントロールされた状態に陥るのが聖霊体験だ」ということです。聖霊体験をすると、「牧師に手を置かれて、あるいは背中を押されて、ステージでばたばた倒れる」ことがあります。そして、「聖霊体験をして倒れてしばらく動け(ない)」ことがあります。また、聖霊体験をすると感情をコントロールすることができなくなり、「礼拝中に泣きじゃくって涙がとまらな()」ことがあります。
 
「聖霊の体験、といいますと、床に倒れる、体が震える、異言を語る、幻を見る、心があたたかくなる、などなど、人によっていろいろの体験があります。」と述べる人もいます。以上は、ネット上にある「聖霊体験」についての説明です。
 
このような体験は、本当に、聖霊が注がれたことの証拠なのでしょうか。聖書を調べてみましょう。
 
初期クリスチャンは、確かに神から聖霊を注がれ、異言を語ったり、幻を見たりしました。しかし、それによって初期クリスチャンは、感情のコントロールを失ったり、泣きじゃくったり、床に倒れたりしたでしょうか。
 
異言などの霊の賜物があった初期クリスチャンは、集会を、どのような仕方で開いていたでしょうか。使徒パウロは集会に関して次のように指示を与えていました。「異言を語る者がいれば、二人かせいぜい三人が順番に語り、一人に解釈させなさい。解釈する者がいなければ、教会では黙っていて、自分自身と神に対して語りなさい。・・・座っている他の人に啓示が与えられたら、先に語りだしていた者は黙りなさい。・・・預言者に働きかける霊は、預言者の意に服するはずです。神は無秩序の神ではなく、平和の神だからです。」(コリント第一14:27,28,30,32,33新共同訳)
 
それで、初期クリスチャンの集会は無秩序だったり、騒がしかったりすることなく、平和裏に秩序だって行なわれていました。異言などの奇跡的な賜物を与えられていたクリスチャンは、順番に話し、解釈する人がいない時や他の人が語っている時は、黙っており、感情を制御していました。ですから、「聖霊体験」をする人が感情をコントロールできなくなるのは、初期クリスチャンに神の霊が注がれた特徴と反しています。
 
かえって感情をコントロールできなくなったり、倒れてしまって動けなくなってしまったり、無秩序な事態になるのは、悪霊に攻撃されていることを示しています。冒頭の聖句に示されているように、一世紀に、「悪霊」は、ある少年を「投げ倒し、引きつけさせた」と述べられています。(ルカ9:42)また、ある悪霊は一人の男を動かして、大声で叫ばせたり、投げ倒したりさせていました。(ルカ 4:33〜35)それで、今日の聖霊体験とは、聖書中にある悪霊に攻撃された人の状況と似ていると言えるのではないでしょうか。
 
ですから、今日の聖霊体験は、神の霊が注がれた証拠ではなく、かえって悪霊に支配されている証拠となるでしょう。ですから、私は、「聖霊体験」がないことを幸いに思います。
 
聖霊体験をすることは、聖書に基づく真の宗教の特徴と一致していません。聖霊体験は、神に近づいたように見えても、実際は悪霊に攻撃されています。ですから、聖霊体験をする人は、実際には、悪魔サタンと悪霊によって欺かれています。ですから、聖霊体験をする人は、聖書を正しく解釈できないでしょう。私たちは、聖霊体験を求めるのではなく、それから離れているようにすべきです。
 
次回は、聖霊体験は、何を示すしるしと言えるのかを、さらに「続 『聖霊体験』は神の霊が注がれた証拠ですか」の中で検討したいと思います。
 
 
 
 
 
 
 

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「愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。」(コリント第一13:8 新共同訳)

現代においては、キリスト教世界の僧職者が執り行う礼拝の際に、信仰治療の行なわれる場合があります。キリスト教以外の宗教では、ブードゥー教の祭司、祈祷師、まじない師などが、やはりいやしを行います。彼らは多くの場合、魔術や占いを利用します。心霊治療者の中には、自分たちの治療法は宗教とは一切関係がないと言う人々もいますし、またキリストの名によっていやしを行なう人もいます。彼らの奇跡やいやしは彼らがまことの神の後ろ盾を得ている証拠でしょうか。

奇跡を行なう能力はまことの神以外の源から、もたらされる場合があります。例えば、モーセは、イスラエル人がエホバに犠牲をささげられるよう荒野に出かける許しを得るためにエジプトのファラオの前に出ました。モーセは神の後ろ盾を得ている証拠として、その杖を投げ出すと、その杖は一匹の大きな蛇になりました。その奇跡は神の力によって行なわれました。しかし、その後、魔術を行なうエジプトの祭司たちも自分たちの杖を投げると、それらの杖もまた蛇になりました。(出エジプト7:8〜12)

それらの祭司はだれの力によってその奇跡を行なったのでしょうか。それは、まことの神の力ではありませんでした。それは、まことの神エホバの敵対者である悪霊の力によるものに違いありません。ですから、単に奇跡を行なうことができることは、その人がまことの神の後ろ盾を得ている証拠とはなりません。

確かに、イエスや一世紀のクリスチャンは、神の後ろ盾がある証拠として、いやしや奇跡を行なうことができました。しかしその目的は、設立されてまもないクリスチャン会衆が本当に神からのものであることを証明することでした。(ヘブライ2:3,4)しかし、いったんそのことが十分確立されたならば、奇跡やいやしはその目的を遂げて必要なくなりました。

それで、冒頭の聖句のように奇跡やいやしの賜物は、その目的が成就した時になくなってしまうことが予告されていました。(コリント第一13:8)

それで、イエスは、イエスの名によって悪霊を追い出したり、強力な業を行なう者たちを、ご自分の代表をしていない不法を働く者たちとして、退ける場合があると次のように言われました。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行なったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』」(マタイ7:21〜23)

それで、イエスの名によって奇跡を行なったり、いやしを行なったりすること自体は、イエスが後ろ盾となっておられることを証明するわけではありません。

かえってイエスは終わりの時に次のようになると言われました。「偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。」(マタイ24:24)それで、今日、大きなしるしや不思議な業は、かえって偽メシアや偽預言者である証拠であると言えるでしょう。それで、今日の奇跡やいやしは、まことの神以外の源、すなわち悪霊を源としていると言えま
す。

今日、真のクリスチャンは、奇跡やいやしを行なう力によって見分けられるのではありません。イエスはご自分の弟子たちに、地の果てにいたるまで、ご自分の証人となるという務めを与えられました。それで、真のクリスチャンは、イエスの証人となるという務めを行なっていることによって見分けられます。(使徒1:8)

また、本当にイエスを信じているなら、私たちは真のキリスト教の証拠として愛があるかどうかを見ることができます。(ヨハネ13:35)

私たちは聖書を判断材料にして、今日の奇跡やいやしによって惑わされ、まことの神から引き離されないようにする必要があります。

「『わたしがあなたと共にいるからである。そして,わたしがあなたを遣わしたという,あなたのためのしるしはこれである。』・・・『それで,彼らがあなたを信じず,最初のしるしの声に聴かないとしても,後のしるしの声には必ず聴くことになろう。』」(出エジプト3:12;4:8)

 モーセはエホバ神から、ファラオのもとに遣わされて、イスラエル人をエジプトから導き出すという任務を与えられた時に、自分にはそういう資格や能力がないと感じました。エホバは「わたしがあなたと共にいる」と彼を力づけました。そして、エホバはモーセにみっつの奇跡を行なう力を与えました。ひとつは杖が蛇になるという奇跡です。もうひとつは、モーセが手を衣のひだに差し入れたり、引き出すことによって、その手はらい病に打たれ雪のようになったり、いやされたりするという奇跡でした。もうひとつの奇跡は、ナイル川の水を取って,陸地に注ぎ出すならば、それは血となるという奇跡でした。そのようにして、その当時は、エホバはモーセとともにおられることを示されました。

 けれども、神は、今日私たちとともにおられることを奇跡やしるしによって示されるでしょうか。確かに、一世紀にイエスたくさんのしるしを行なって神の子であることを示しました。「たくさんの人が彼(イエス)の行なうしるしを見て,その名に信仰を持った」と記されています。(ヨハネ2:23)

 さらに、神はイエスとイエスの弟子たちに奇跡やしるしを行なう力を与えました。「神は,数々のしるし,また異兆やさまざまの強力な業をもって,・・・その証しに加わられた」と述べられています。(へブライ2:4)

 けれども、奇跡やしるしはイエスの真の弟子たちだけが行なえるのではありません。イエスは終わりの時に、「偽キリストや偽預言者が起こり,・・・大きなしるしや不思議を行なう」と予告されました。(マタイ24:24)また、パウロは「不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴(っています)」と述べました。(テサロニケ第二2:9)

 それで、偽キリストや偽預言者もサタンの働きによってしるしや奇跡を行なえると述べられています。ですから、奇跡やしるしを行なえること自体が神がその預言者とともにおられることを示すわけではありません。

 さらに、奇跡については、パウロはそれがやがて過ぎ去って行くと予告しました。コリント第一3章8節で、パウロは「愛は決して絶えません。それに対し,預言の賜物があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます」と予告しました。ですから、奇跡やしるしは奇跡を行なえた一世紀の使徒たちや他のイエスの弟子たちが死んでしまうと、過ぎ去ってしまいました。それで、奇跡やしるしは今日、真のイエスの弟子たちを見分ける絶対的な証拠とはなりません。

 それでは、感情的な神との一体感はイエスの真の弟子である真の証拠となるのでしょうか。

 聖書には、大勢の汚れた霊に支配された男がイエスに悪霊を追い出してもらったことを示しています。その人は、「夜も昼も絶え間なく墓場や山の中で叫んだり,石で自分の身を切りつけたりしていた」と述べられています。(マルコ5:5)

 さらに、聖書によると、イエスは悪霊につかれた少年をいやされましたが、男の子の父親は子供について、「霊が取りつくと,突然に叫びだすのです。その霊は息子に泡を吹かせながらけいれんを起こさせ,打ち傷を負わせた後にやっと引き下がるのです」と説明しました。(ルカ9:39)

 ですから、感情的に叫びたい気持ちになったり、けいれんしたり、自分に傷をつけたりといった理性を欠いた行動は神と近づいた証拠ではなく、悪霊に影響されている証拠である危険があります。それで、叫んだり、けいれんしたりという平常心や理性を失う経験は、感情的な神との一体感があっても、それは真の神がともにおられることを示していません。聖書は理性を働かせる事、冷静さを保つことを励ましています。(ローマ12:1、箴言17:27)

 では、今日どのように神にともにいていただけるのでしょうか。聖書は終わりの時まで、聖書の知識が秘めておかれること、そして終わりの時に聖書の真の知識が満ちあふれることを予告していました。み使いがダニエルに言いました。「ダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封印しておくように。多くの者が行き巡り,真の知識が満ちあふれる。」(ダニエル12:4)一世紀の使徒たちが、死んでしまうにつれ、奇跡は過ぎ去ってしまいました。

 それで、今日、奇跡や感情的な神との一体感ではなく、聖書の研究によって聖書の正確な知識を取り入れる事によって、神に是認されているグループや預言者を見分けることができます。それで、真理の正確な知識が重要です。(テモテ第一2:4)

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