正直とうそ

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「アヒメレクは王に答えて言った,『ですが,あなたのすべての僕の中でだれがダビデのように忠実でしょうか。しかも彼は王の婿で,あなたの護衛の長ですし,あなたの家で敬われているのです。わたしが彼のために神に伺うのは,今日に始まったことでしょうか。わたしにはそれは考えられないことです! 王がこの僕[と]わたしの父の全家に何をも負わせませんように。このすべてのことで,この僕は大小を問わず何事も知らなかったのですから。』」(サムエル第一22:14,15)

 サウル王はヨナタンがサウル王に対して反逆しようとする気持ちを持っていない、それどころか忠節を表わしているダビデを擁護した時、最初はそれを聞き入れました。ところが、後になってやはりヨナタンがダビデを擁護した時、サウル王は自分の息子のヨナタンでさえ、殺そうとしました。そして、今度は、祭司アヒメレクが事情を知らないでダビデを援助しました。アヒメレクはサウル王に不忠節になろうとは考えていませんでした。アヒメレクの釈明は正当なものでした。ところが、サウル王はアヒメレクのもっともな釈明に耳を傾けませんでした。アヒメレクと従属の祭司たち85人とその家族は結果として命を失うことになりました。

 サウル王は王権を失うことを恐れ、ダビデが自分に敵対することを信じ、何とかしてエホバ神によって次の王として選ばれていたダビデを殺そうとしていました。そして、ダビデに味方する者は誰であれ、殺してしまうという非情なやり方をしました。それで、上なる権威の人がエホバ神に真っ向から敵対している時に、道理をわきまえなくなって殺人的な傾向を表わし、正当な釈明が全く通らない時があるということが分かります。

 一方、ダビデのもとに逃げた祭司アヒメレクの息子アビヤタルは、ダビデとともに苦労をしましたが、ダビデと共に命を永らえる結果になりました。そして、エホバ神は、流血に関係していたサウル王が命を失うように取り計らわれました。(サムエル第一31:4,5)

 それで、今の事物の体制下で、政治の権威が道理をわきまえなくなって殺人的になる時があること、その場合は逃げたり、ある場合はうそを言って身を守る方が賢明であることをこの事例は示しているかもしれません。

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「ダビデは祭司アヒメレクに言った,「王がある事柄に関してわたしに命じ,さらにこう言われました,『わたしがお前を遣わし,またお前に命じた事柄についてはだれにも何も知らせてはならない』。それで,わたしはしかじかの場所で若者たちと落ち合うことにしています。それで今,もしあなたの自由になるパンが五つありましたら,それを,あるいはあるものを何でも,わたしの手に渡してください」。(サムエル第一21:2,3)

 ダビデはサウル王からの逃亡中、祭司アヒメレクにパンを所望した時にうそを言いました。イエスはこの事例を引用して緊急時には基本的に祭司だけに許された供え物のパンを食べたことに言及されましたが、ダビデがうそを言ったことをとがめませんでした。(マタイ12:3,4)

 ダビデはとりわけ、何の罪もないのにサウル王から命を守るために逃げなければならない状況でした。祭司アヒメレクは、ダビデがサウルから逃亡中だと知らないで助けて後でサウル王から殺されました。(サムエル第一22:16〜18)ダビデが祭司アヒメレクに正直に話していたら、ダビデは居場所を通報されてサウルから殺される結果になったかもしれません。それで、聖書は自分の命を守らなければならない危機的な状況の時にうそを言うことをとがめていないようです。

 それで、たとえばクリスチャンが迫害から身を守るために逃げなければならない時などに、クリスチャンが身を守るためにうそを言ったとしても、私たちは他の人をとがめないようにすべきです。

 しかし、聖書は「おのおの隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは肢体として互いのものだからです。」と助言しており、とりわけ真の信仰で結ばれた仲間のクリスチャンに対して、正直であることを強調しているようです。(エフェソス4:25)ですから、聖書は基本的にいつも正直であるように勧めているのですから、こうした事例を乱用するのではなく、敵と考える人に対してもできる時には、うそを言わないように努めることができます。(ヘブライ13:18)

 できるならば、うそを言うのではなく、イエスがされたように問題を起こしてしまうような事実を黙っている方がいいでしょう。(マタイ21:27)

「アブラハムは自分の妻サラについて,『これはわたしの妹です』と繰り返し言った。・・・しかも彼女はほんとうにわたしの妹で,わたしの父の娘であり,ただわたしの母の娘ではないだけです。それがわたしの妻となったのです。」(創世記20:2,12)

 聖書はアブラハムがどのように自分の命を守ったことを示していますか。アブラハムは自分の命を守るために、妻のサラについて、自分の妹ですと言いました。これは、うそではありませんでした。実際、サラはアブラハムの異母姉妹でした。ただ、アブラハムはサラが妻であるということを黙っていました。それでアブラハムは自分の命を守るために事実を黙っていました。けれども、彼はうそはつきませんでした。それでアブラハムはエホバ神との関係を危険にしませんでした。

 イエスは真実と偽りについてどのように行動されましたか。イエスは、ある場合問題を起こすようなことは黙っていました。尋ねられても、巧みに答えるのを回避されました。(マタイ21:27)けれども、イエスについて、「その口に欺きは見いだされませんでした」と述べられています。(ペテロ第一2:22)それで、イエスは決してうそを言われることはありませんでした。うそを言ってエホバ神との関係を損なうことはありませんでした。

 それから、ラハブはどのようなうそを言いましたか。彼女の偽りについて何が言えますか。イスラエル人の斥候がエリコにやってきた時に、宿舎を提供しました。ラハブはエホバに信仰を持っていたので二人の斥候をエリコの追跡者から、守りました。家にかくまっているのに、二人の斥候がもう出て行ったといううそをつきました。ラハブはそのようにして当時のエホバの民のイスラエル人の命を守ったので、結果としてエリコの滅びの時に一緒に滅びることはありませんでした。(ヨシュア2:4,5、ヘブライ11:30,31)

 確かにラハブはうそをつきましたが、それは神の僕の命を守るためであって、エホバ神に対する信仰に動かされて行動していました。それでラハブのうそは彼女のエホバ神に対する関係を危うくすることはありませんでした。ラハブは神の僕の側に立って行動していました。

 どんな偽りは避けるようにすべきですか。イエスはエホバ神との関係を否定しませんでした。さらに、ご自分の弟子たちに、ご自分とご自分の言葉との関係を人の前で否定しないようにと言われました。「だれでもわたしとわたしの言葉を恥じるようになる者は,人の子も,自分の栄光および父と聖なるみ使いたちの栄光のうちに到来する時,その者を恥じるのです。」(ルカ9:26,12:8,9)

 ですから、イエスは弟子たちに、真理を恥じることのないようにと言われたことが分かります。そうしないなら、イエスが裁きのために到来する時、報いにあずかれないと言われました。私たちはある真理が正しいと思っても、神の組織が受け入れていないと思うかもしれません。私たちはそういう場合は、神の言葉聖書に従うべきであり、真理の光を輝かせるべきです。(マタイ5:15)
サタンは良いたよりの光明が輝かないようにしていると述べられています。(コリント第二4:3,4)明らかになった真理を隠そうとするのは、サタンの努力と調和していることになってしまいます。

 パウロは明らかになった真理についてどのような態度をとりましたか。明らかになった真理に関連して聖書から論じる手紙を長年にわたって書きました。それで、パウロは一貫して明らかになった真理を隠すことなく、擁護し続けました。それで、私たちも真理に関してパウロのような態度をとるべきです。私たちは明らかになった真理についてうそを言ったり、否定したりすべきではありません。

 ラハブは神の僕を守るために確かにうそを言いました。ですから、うそを言うしか仕方がないという状況はありえるでしょう。けれども、神の民を守るためといっても、神との関係を否定するようなうそや偽りは言うべきではないと言えます。また、真理を語る点で人を恐れてうそを言って真理を否定するようなことはしないようにしたいと思います。

「『わたしは彼の上に立ち,まさしく彼を殺しました。』・・・13 それでダビデは彼に言った,『あなたが手を出してエホバの油そそがれた者を滅びに陥れることを恐れなかったとは,どうしたことか』。15 ・・・『あなたに対する血の罪は,あなたの頭に降り懸かれ。あなたの口があなたに対して証言し,「わたしがまさしく,エホバの油そそがれた者を殺しました」と言ったからだ。』」(サムエル第二13:10,13,16)

 アマレク人の若者は、ダビデに喜ばれると思ったうそを言いました。この出来事はわたしたちに何を教えますか。そのうそは、油そそがれた王であるサウルを殺したといううそでした。アマレク人の若者はサウル王がダビデを迫害していたことを知っていたのでしょう。それで、ダビデにサウル王を殺したと言えば、喜ばれると思ったのでしょう。ダビデはアマレク人の若者の言葉によって判断しました。ダビデは当時の政治の権威でした。(ローマ13:4)ところが、ダビデは上のように語って若者を油そそがれた者を殺した罪のために処刑しました。

 この出来事はうそについて何を教えていますか。ダビデは、神ではなく人ですからすべてのことを知っているわけではありませんでした。ふつうは、人は他の人の言うことを信じるものです。とりわけ、当人がしたと言う行動については、人は信じるものです。

 アマレク人は、自分が実際には行なっていない罪のために命を失いました。それはうそのためでした。それで、私たちは自分にとって状況が良くなると考えるうそによって命を失うことさえあるということを覚えておくべきです。さらに、ダビデ王にしても、神ではありませんから、物事をすべて見抜くということはできず、人間は裁きをあやまるということを意味しています。人はうそを言った結果を甘受しなければなりません。

 この出来事が教えるもうひとつの教訓は何ですか。この出来事は、エホバがたとえ不忠実になっても油そそがれた王のサウルに対して敬意を払うことを期待されたということも示しています。(サムエル第二24:10)

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