啓示12章・なぜ組織に盲従するべきでないのか「火のような色の大きな龍・・・その尾は天の星の三分の一を引きずって、それを地に投げ落とした。」(啓示12:3,4)
エホバの証人の組織の中心になっているのは、聖霊で油そそがれたクリスチャンすなわち天的希望を持つクリスチャンです。とりわけ、エホバの証人は、油そそがれた長老、その中でも、統治体の兄弟たちを重要視しています。しかし、聖書は油そそがれたクリスチャンに盲従することの危険性を示しています。なぜなら聖書は天的希望を持つ者のすべてが最後までエホバに忠誠を保つわけではないことを示しているからです。(啓示2:14,20。テモテ第二4:10)
油そそがれたクリスチャンは、天的召しを受けたからといって救いを捉えることが保証されているわけではありません。それは、私にも言えることですが、油そそがれたクリスチャンのエホバに対する立場は流動的です。聖書は多くの油そそがれたクリスチャンが天的な召しを受けた後、サタンの影響力により、エホバに対して不忠実になってしまうことを示しています。(啓示2:14,20。テモテ第二4:10)
啓示の書は、サタンが天の星の三分の一を引きずって、それを地に投げ落とすと述べています。エホバの証人は、この聖句は、サタンがかなりの天の霊者のみ使いたちをエホバから引き離したという意味であると解釈しています。しかし、私は聖書中の星という語を検討して、これはサタンが油そそがれたクリスチャンの多くをエホバから引き離すという意味であると考えるようになりました。
聖書が「星」と言う場合、もちろん文字通りの無数の天の星を意味することがあります。(創世記1:16)しかし、預言書の中で、「星」という語は、大抵比ゆ的な意味で用いられています。そして、星は、み子イエスを意味する場合があります。(啓示22:16)しかし、「星」が複数である場合、霊者であるみ使いたちを表すこともあります。ヨブ38章7節で、「神の子たち」つまり、霊者たちが「明けの星」と呼ばれています。
しかし、預言書の中で、「星」という語は、天的召しを受けたクリスチャンも意味しています。例えばイエスの右手の上にある「七つの星」は、油そそがれた「会衆の使いたち」です。(啓示1:16,20)また、ダニエル書の「小さな角」によって地に落とされる「天の軍」の「星」は、北の王によってつまずかされる天的希望を持つクリスチャンです。(ダニエル8:10)また、ダニエル書には、「多くの者を義に導いている」「洞察力のある者」が「星のように輝く」とも述べられています。(ダニエル12:3)この聖句でも、星になぞらえられているのは、油そそがれたクリスチャンです。
では、啓示12章4節の「星」は、み使いたち、油そそがれたクリスチャンのどちらを意味しているのでしょうか。ダニエル書では、「星の幾つかを地に落と(す)」と書かれており、啓示の書の「地に投げ落とした」という表現と類似しています。このことは、啓示の書の投げ落とされた星が油そそがれたクリスチャンであることを示唆していると思います。(ダニエル8:10)
また、啓示12章7〜9節で、天で戦争が起こり、悪魔サタンとその使いたちが「地に投げ落とされた」と述べられています。ですから、悪霊たちを地に投げ落としたのは、悪魔サタンではなく、ミカエルであるイエスと彼に従うみ使いたちです。ですから、啓示12章4節で、サタンがみ使いたちを「地に投げ落とした」と述べられているとしたらおかしいことになります。
また、ノアの時代に、天での奉仕から離れたみ使いたちは、サタンに無理やり説得されたからではなく、自分で地上の女たちに対する性的欲望を培って地上に降りて人間の姿をとりました。(創世記6:2)
ですから、これらのことを考えても、啓示12章4節で、地に投げ落とされる「星」は霊者なるみ使いたちを表しているのではないと思います。つまり、啓示12章3,4節は、かなりの数の油そそがれたクリスチャンが悪魔サタンの影響力に屈してしまうことを表していると思います。
Hydra Dragon Serpent Embroidery Pattern
聖書はサタンが油そそがれたクリスチャンの一部を不忠実にさせることを示している それは、エホバの証人の統治体の兄弟たちのように長年真理において忠実を保ってきたクリスチャンにも起こりえる事態です。なぜなら、聖書は、エルサレム会衆の長老団の中で中心的な役割を果たしていたペテロが霊的に危うい事態にあったことを示しているからです。(ガラテア2:9)
ペテロは、非ユダヤ人がクリスチャンになるのに神により用いられたのに、割礼組に対する恐れのために、非ユダヤ人との交わりを避けていたことがありました。(使徒10:44-48。ガラテア2:11,12)ペテロがそのままにされていたなら、ペテロはクリスチャンはモーセの律法から自由になったという聖書の真理から離れ落ちてしまったでしょう。その真理から逸脱は、聖書の他の真理も否定することにつながりかねませんでした。
ACTS 10 - 21 Behold I am he whom ye seekペテロは非ユダヤ人に王国への扉を開いたがその真理を否定しそうになった しかし、パウロが、ペテロのその行動を戒めました。(ガラテア2:14)そして、長年にわたって会衆への手紙の中でクリスチャンがモーセの律法を守る必要がなくなったことを聖書から論じました。最終的にペテロは、パウロの聖書に基いた論議を受け入れたために、最後までエホバに忠誠を保つことができました。(ペテロ第二3:15)しかし、パウロの霊的援助がなかったならば、ペテロはエホバに是認された立場から離れ落ちていた可能性があります。
初期クリスチャンは、パウロの手紙を読んで、パウロの論議が聖書に基いているか確認しました。(使徒17:11)ですから、あるクリスチャンの主張することが聖書にしっかり基いているか確認する必要があります。
私は、エホバの証人の信条の多くは、聖書に基いていると思います。しかし、その信条や解釈の一部は、聖書と調和していないと思います。大群衆は、油そそがれたクリスチャンの解釈は絶対大丈夫と考えるかもしれませんが、ペテロの例も示しているように、油そそがれたクリスチャンも聖書の正しい解釈からそれることがあります。それで、大群衆に属するクリスチャンは、エホバの証人の組織の信条をただ鵜呑みにするのではなく、それが聖書にしっかりと基づいていることを確認して後、受け入れる必要があると思います。
私は、自分の聖書の解釈にできる限り自分の憶測を入れないように、聖書に基いたものになるように努力を払っています。是非、皆さんに、油そそがれたクリスチャンの論議が聖書にしっかり基いているかどうか確認していただきたいと思います。ベレアの人々のように、「それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べ(る)」ことが必要です。(使徒17:11)そのようにして第一にみ言葉に従うことが大切です。そうすることは、クリスチャンの救いに不可欠です。(ローマ10:2。テモテ第一2:4)
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エホバ神との関係
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使徒5章・組織へ盲従するのではなく神の言葉に従う「私たちは、自分たちの支配者として人間より神に従わなければなりません。」(使徒5:29)
盲目的に油そそがれた者に従っていれば、私たちはそれでいいのでしょうか。聖書を調べると、昔の神の僕が盲目的に油そそがれた者に従っても、結果が良くなかったこと、また、新しく油そそがれたクリスチャンが、より古い油そそがれたクリスチャンに盲従するのではなく、聖書に第一に従う努力を払ったことを示しています。
ヨアブは、油そそがれた王ダビデに盲従しましたが、結果は良くありませんでした。ダビデは、バテ・シバと姦淫を犯し、その夫ウリヤを死に追いやるという過ちを犯しました。ダビデは、バテ・シバとの姦淫を隠すため、ウリヤが命を落とすよう戦闘が一番激しいところにやるようにヨアブに指示しました。ヨアブは、ダビデの指示に盲目的に従いました。(サムエル第二 11:14‐17)
ダビデはエホバに油そそがれた王だったので、ヨアブの盲目的な従順の行ないは正しいものになったでしょうか。やはり、ヨアブの行動は間違っていました。ヨアブはエホバとの関係を損ないました。ヨアブの行動は、エホバに非とされていた殺人でした。ヨアブの行動は、彼が神の言葉と律法を軽視するひとつの表れでした。ダビデの間違った指示に盲目的に従ったヨアブは、人生の最後には、ダビデに指示されたソロモン王により、処刑されました。(列王第一2:29−34)
ですから、油そそがれた者の指示が聖書に調和していない場合、油そそがれた者に盲従した人の行ないはその人に益になりません。また、そうした行ないは、エホバとの関係を良いものにしません。ヨアブはその時、ダビデに盲目的に従うのではなく、それが殺人を禁じるエホバの言葉に調和していないことをダビデに指摘するのが、正しい行動だったでしょう。
一方、初期クリスチャンは、人間ではなく、聖書の言葉に第一に従うように努力を払いました。(使徒5:29)そのようにした良い模範は、アンティオキア会衆のパウロです。
パウロは、一世紀のエルサレム会衆の長老団に盲目的に従いませんでした。なぜでしょうか。一世紀には、ユダヤ教の体制が終わり、キリスト教の体制に変わり、モーセの律法は廃されました。(ローマ10:4)でも、この真理をユダヤ人のクリスチャンはなかなか受け入れられませんでした。それで、キリストの死後も、クリスチャンであっても割礼を受けることが必要だと主張する人たちがエルサレム会衆の長老団の中にいました。(使徒15:1,5)
そのような主張は、エルサレムで長老たちの集まりが持たれて、割礼を受ける必要は無いという裁定が下されて後も根強くあったようです。(使徒15:28,29;16:4)後に、エルサレム会衆の長老団は、パウロがエルサレムを訪れた時、パウロが割礼の習慣を非としているという評判があったので、モーセの律法の要求に従っていることを示すように求めました。(使徒21:20−24)パウロは、モーセの律法を守ること自体は聖書の原則が許容することだったので、エルサレム会衆の長老団の求めに従いました。(使徒21:26)
しかし、エルサレム会衆の長老団がモーセの律法に固執するのは間違っていましたし、キリスト教の新たな進展に従ってもいませんでした。このことは、クリスチャン会衆内で中心的な役割を果たしている真理において長い経験のあるクリスチャンであっても、聖書的に間違った信条に固執する場合があることを示しています。
それで、パウロは、会衆への幾つもの手紙の中で、モーセの律法を守ったり割礼を受けたりする必要がないことを聖書から論じました。(ローマ2:28,29;3:30。ガラテア5:2−6)モーセの律法はイエスによって廃されていましたから、モーセの律法を守ることに固執することは、クリスチャンにとって後退であることをパウロは説明しました。(コロサイ2:16。ガラテア5:4)
それで、パウロは、エルサレム会衆を尊重していたとは言え、盲従はしていませんでした。また、パウロの手紙を読んだ諸会衆は、各自が第一に聖書に従っていることを示しました。
初期クリスチャンはパウロの手紙を読んで論争点について聖書的根拠を確認した パウロは、エルサレム会衆の長老団に盲目的に従っていれば、いずれエルサレム会衆の長老団が、エホバの導きにより、正しい聖書の理解に到達するだろうとは考えませんでした。なぜモーセの律法を守る必要がなくなったと言えるかということを聖書から長年にわたって論じました。そのようにして、パウロは人間ではなく、エホバに第一に従いました。 私は、エホバの証人の統治体はさまざまな点で尊敬すべきところがあると思います。彼らは、私たちが聖書の基本的な真理を見極めるように助け、神の律法を守るように助けています。また、愛を示すことなどの聖書の原則を生活に当てはめるように人々を助けています。また、宣教に励むように大群衆を助けています。また、統治体の兄弟たちも、聖書の研究に励んでいると思います。
しかし、私は、エホバの証人の統治体の聖書預言の解釈の一部は十分に聖書と調和していないと思います。もし、大群衆が、統治体の兄弟たちの聖書預言の解釈に盲目的に従っていても、それが聖書と調和していない場合、正しくはならないと思います。また、それによって救われるわけでもないと思います。
それで、聖書に固く従いたいと願っているクリスチャンは、油そそがれたクリスチャンの聖書の解釈と、その聖書的根拠に注意を払う必要があります。そして、組織の教えに盲従するのではなく、第一に聖書の正確な知識に従う必要があります。
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エレミヤ26章・エレミヤを守ったシャファンの子アヒカム「その上、シャファンの子アヒカムの手がエレミヤと共にあった。彼を民の手に渡して死に至らせることのないためであった。」(エレミヤ26:24)
エレミヤは、エホバの真の預言者でしたが、エホバの真の預言は、ユダの人々に人気がありませんでした。そのため、エレミヤは何度も命を脅かされました。そんな時、エレミヤを守った友のひとりにシャファンの子アヒカムがいました。
エレミヤは、人々が偶像崇拝をしていることや、流血をしていることを非難しました。(エレミヤ3:8,9;19:3,4)また、ユダとエルサレムがエホバから災いを受け、バビロンによって滅ぼされ、エルサレムが荒廃することになることを伝えました。(エレミヤ1:15,16;26:6;32:28,29)エレミヤが伝えた音信は、人々を怒らせ、エレミヤは、王や君たちによって命を脅かされました。(エレミヤ26:11)
エホヤキム王の治世中に、シャファンの子アヒカムは、エレミヤの側に立ち、エレミヤが殺されないように彼を守ったと記されています。(エレミヤ26:1,24)シャファンの子アヒカムはどんな人物だったのでしょうか。彼の人生はどんな結果になりましたか。
アヒカムの父シャファンは、ヨシヤ王に書記官として仕えていました。ヨシヤ王は、その治世の初期にユダから偶像崇拝を取り除く活動を行ないましたが、シャファンは、その活動に協力していたと思われます。(歴代第二34:3-5)聖書は、ヨシヤがシャファンを大祭司に遣わして神殿の修理をさせたことを記しています。そして、その折に大祭司は、神殿で発見された聖書の原本と思われる「律法の書」をシャファンに渡しました。シャファンは、自分でその律法の書を読み、またそれをヨシヤの前で朗読しました。(エレミヤ22:3,8,10)このことから分かるのは、アヒカムの父シャファンがヨシヤと協力して真の崇拝を擁護しており、神の言葉を恐れる人であったということです。
当然アヒカムも父親の影響を受けていたでしょう。ヨシヤは、シャファンの子アヒカムとその父シャファンと他の人たちを、女預言者フルダのもとに遣わして、発見された律法の書に書かれていたことに関するエホバのご意志について尋ねさせました。アヒカムと他の人々は、ユダの人々の偶像崇拝ゆえにエホバはユダに災いをもたらすが、ヨシア王自身は安らかに死ぬことになるというエホバの言葉を王に伝えました。(エレミヤ22:14,16,20)ですから、アヒカムは、エホバが偶像崇拝に反対しておられてユダに災いをもたらすというエホバの言葉と預言を知っていました。アヒカムも父親シャファンと同じくエホバの言葉を恐れる人でした。
アヒカムがエレミヤを守ったのは、おそらく悪政で名高いエホヤキム王の治世中だったのかもしれません。(エレミヤ26:1,2,24。列王第二23:36,37)エホヤキムは、エレミヤの預言と調和した預言を語ったウリヤを殺しました。(エレミヤ26:20,23)ですから、エレミヤの命も危険にさらされていました。
しかし、アヒカムは、聖書の原本に記されていることを知っており、エレミヤの預言が聖書の言葉と調和していることを知っていました。アヒカムは、王の近くで仕えていたので、王宮である程度力を持っていました。それゆえにアヒカムは、自分の有利な立場を利用して、エレミヤを守りました。
聖書はエホヤキムが死んでその子のエホヤキン(エコニヤ)が王になり、エホヤキンは、ユダの君たちと共に、バビロンに流刑にされたことを示しています。(エレミヤ24:1)聖書はそのことについて明記していません。しかし、アヒカムは、この時、エホヤキンと共にバビロンに流刑にされた可能性もあります。なぜなら、エレミヤがエコニヤと共にバビロンに行った流刑囚に手紙を送った時、その手紙をシャファンの子アヒカムではなく、シャファンの子エラサに託しているからです。(エレミヤ29:1-3)
そして、もしアヒカムがバビロンに流刑にされたのだったら、エレミヤがバビロンの流刑囚に送った手紙によると、彼はエホバから恵みを得ており、バビロンである程度自由で恵まれた生活を送ることができました。(エレミヤ24:5-7;29:1,2,4-6,11)
それから約20年後、バビロニア人が、エルサレムを滅ぼし、多くの民を流刑に処した後、アヒカムは、ユダヤ人の総督に任じられたゲダリヤの父親の名前として登場します。(エレミヤ40:5-7)アヒカムではなく、その子のゲダリヤが責任者として任じられました。ですから、アヒカムは、その時には、亡くなっていたのか、バビロンに流刑にされていてユダにいなかったのかもしれません。もし、バビロンに流刑にされていたとしたら、バビロンの王によってユダヤ人の総督に任命された者の父親なのですから、アヒカムは、バビロニア人から信頼を得ており、彼らによって殺されることなく、手荒な扱いも受けなかったことでしょう。
ですから、シャファンの子アヒカムは、神の言葉に恐れを示し、エホバの真の預言者エレミヤを守りました。その結果、聖書は十分な情報を与えていませんが、存在する情報によるとアヒカムはバビロニア人からも敬意を受けていたと考えられます。ですから、アヒカムは、真の崇拝を擁護したことによって激動の難しい時代に、エホバ神の是認と保護を与えられたようです。
私たちもエホバの言葉に敬意を示し、その言葉が一般の人々から人気がないとしても、エホバの言葉を擁護しましょう。エホバは、おそらく私たちのエホバの言葉への恐れに報いてくださるでしょう。(詩編5:12;91:9,10)聖書は、エホバの預言の言葉に恐れを抱く数え切れない大群衆が大患難を生き残るという報いを得ることを約束しています。(啓示7:9,14)
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エレミヤ34章・裁きの中でゼデキヤに示された憐れみ「あなた自身も彼の手から逃れられない。あなたは必ず捕らえられ、彼の手に渡されるからである。・・・あなたはバビロンへ行くであろう。・・・あなたは剣によって死ぬことはない。あなたは安らかに死に、・・・人々はあなたのためにも香をたき、『ああ、主君よ!』と、あなたのことを嘆き悲しんで言うであろう。」(エレミヤ34:3-5)
良い王ヨシヤの子ゼデキヤは、エルサレムで治めたユダの最後の王となりました。ゼデキヤは、バビロンのネブカドネザルによってエルサレムで王座につけられました。(エレミヤ 37:1)
エレミヤはゼデキヤに対して、エルサレムとゼデキヤ自身がバビロンの手に落ちることを予告しました。しかし、ゼデキヤに対するエホバの宣告には、少しだけ救いとなる事柄が含まれていました。ゼデキヤは、バビロンの王の剣によって殺されることはなく、安らかに死ぬことになるということが予告されていました。(エレミヤ34:3-5)ですから、ゼデキヤは、エホバの裁きを経験しましたが、エホバから少しの憐れみを示されました。
ゼデキヤは基本的には、その治世中,「エホバの目に悪いことを行ない続け」、エホバの言葉に背きました。(エレミヤ 52:1,2)しかし、ゼデキヤは、預言者エレミヤに何度もエホバの言葉を伺いました。ゼデキヤは、エレミヤの言葉が成就していったことを認めてエレミヤに敬意を払わざるを得なかったようです。(エレミヤ37:18,19)ゼデキヤは、かたくなにエレミヤに敵対して、エレミヤを殺そうとした君たちとは、違いました。(エレミヤ38:4)ゼデキヤは、エレミヤに敵対した君たちからエレミヤを守る働きをしました。(エレミヤ38:16)
しかし、ゼデキヤは、君たちに対して力のない王でした。(エレミヤ38:5)ゼデキヤは、君たちを恐れて行動していました。(エレミヤ38:25,26)ゼデキヤがエホバに対して不従順であったのは、君たちの影響力もあったのでしょう。ゼデキヤに対するエホバの裁きが和らげられたのは、そうした状況を、エホバが、ある程度考慮されたからかもしれません。
ゼデキヤに対して、エホバの裁きが和らげられるという言葉が伝えられたのは、いつのことだったのでしょうか。それは、バビロンによるエルサレムの攻囲が始まってしばらくしてからのことだと思われます。
ゼデキヤはネブカドネザルに反逆し、軍事援助を求めてエジプトに使いを送りました。(歴代第二 36:13;。エレミヤ 52:3。 エゼキエル17:15)その結果、ネブカドネザルの率いるバビロンの軍隊がエルサレムに攻めてきました。(エゼキエル 24:1,2)エルサレムの攻囲が始まった後、ゼデキヤは、ネブカドネザルがエルサレムから撤退するかどうかについてエホバに伺うため、使いをエレミヤのもとに遣わしました。(エレミヤ21:1,2)
エホバの言葉によれば、エルサレムとその住民はバビロニア人の手により災いを被ります。また、その時には、ゼデキヤとその僕たちと民は、バビロンの王の手に渡され、剣の刃で討たれることになると予告されました。(エレミヤ21:7)
しかし、それからしばらくたって後、エレミヤは神の導きに従って自らゼデキヤのもとに行き、ゼデキヤ自身に対する宣告を伝えました。エレミヤは、エルサレムは滅ぼされるが、ゼデキヤ王は剣で殺されることなく、バビロンへ連れて行かれ、そこで安らかに死ぬことを王に知らせました。(エレミヤ 34:1‐5)
ゼデキヤは決してエホバの言葉に完全に従順に従う王ではありませんでした。(エレミヤ 34:8‐22)しかし、その後もゼデキヤは使いをエレミヤのもとに遣わしてエレミヤに祈ってもらおうとしたり、エレミヤと個人的に会見して、エホバの言葉を聞こうとしました。(エレミヤ37:1,5,17;38:14)
ついにエルサレムは撃ち破られました。ゼデキヤと戦人たちは逃げ去りましたが、捕まり、ネブカドネザルのもとに連れて行かれました。ゼデキヤの息子たちは彼の目の前で打ち殺されました。また、ユダのすべての君たちもバビロンの王によって打ち殺されました。
一方、ゼデキヤの境遇は最悪の事態は免れました。ゼデキヤは予告されていた通り、剣で殺されはしませんでした。しかし、ゼデキヤは盲目にされ銅の足かせを掛けられてバビロンに連れて行かれ、バビロンの拘禁所で死にました。(エレミヤ52:6-11)確かに、ゼデキヤはエホバの裁きを受けましたが、予告されていたように、安らかに死にました。
ゼデキヤの死に方は、かたくなにエレミヤの預言の言葉に敵対したユダの王エホヤキムの死が人々によって悲しまれることなく、その遺体がエルサレムの門の外に放置されることになったのとは、対照的であったと言えるかもしれません。(エレミヤ 22:18,19;36:30)
ゼデキヤはエホバの言葉に不従順でしたが、それでも事態の進展を見て、エホバの言葉にある程度恐れを示しました。また、エホバ神の真の預言者であったエレミヤに対して少しの敬意を示し、エレミヤを保護する役割を果たしました。ゼデキヤのエホバに対する少しの恐れをエホバは見逃されませんでした。私たちは、どんな立場にあっても、エホバとその預言の言葉に敬意を示すようにしましょう。その敬意に従っておそらくエホバは報いてくださるでしょう。
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2012年の年鑑の東日本大震災の報告とヨハネの感想(1)東日本大震災の報告が2012年のエホバの証人の年鑑に掲載されています。かいつまんでお知らせしたいと思います。
2011年3月11日金曜日、午後2時46分マグニチュード9.0の地震が東日本を襲いました。被災地では、4棟の王国会館が破壊され、他にも4棟の王国会館が使用不能になりました。エホバの証人の兄弟姉妹の家屋235軒が流されるか大きな被害を受けるかし、修理の必要な家屋は1000軒を超えました。(日本支部による震災後約1年の報告によると、エホバの証人によって900軒の家屋の修理が終了したそうです。)
また、被害の大きかった地域に住む1万4000人余りのエホバの証人のうち、死者は12人、重傷を負った人は5人、行方不明者は2人です。当初、死者・行方不明者の情報が混乱していましたが、年鑑の報告が一番正確でしょう。
エホバの証人の経験です。地震が起きた後、光一という若い兄弟は実家に向かいました。石巻市の実家は、海から5キロほどの所にありました。しかし、近くまで来てみると、辺りは全部水に浸かっていて「そこから先は船でも出さないと行けないという感じ」でした。地震から3週間たって遺体安置所で父親が見つかり、それから3週間後に母親の遺体も安置所で見つけました。
(ヨブは、彼の子供10人を亡くしました。エホバの証人も災害に対して不死身であるわけではありません。家族を失うというヨブのような悲痛な経験をした人もいました。)
地震が収まるや、七ヶ浜町の雅章は海から1キロのところにある王国会館の駐車場に車を入れました。こう語っています。「そこに逃げてきた姉妹がいました。まさかここまで津波は来ないだろうと思っていましたが、すぐに真っ黒い水が押し寄せてきました。車が2台とも浮いて流されそうになりました。わたしは窓を開けて脱出し、車の上に逃れました。姉妹の車は流されて見えなくなってしまいました。姉妹を助けてくださるようエホバに祈りました。
「わたしは体がずぶ濡れの上、吹雪になって震えていました。吹雪はやみましたが、辺りは凍えるような寒さでした。すぐに日が落ち真っ暗になりました。わたしは車の屋根の上におり、凍てつく水の中で孤立していました。他にも、何かの上に取り残された人や建物の屋根の上にいた人もいました。朝まで救助は来ないかもしれないと思い、寒さに耐えられるよう、2週間前に行なった公開講演を思い出してやってみました。適切にも「苦難の時にどこから助けが得られますか」という題でした。その後、「わたしの父、わたしの神、わたしの友」の歌を覚えていたので、何度も歌いました。これまでエホバに仕えてきた歩みが思い浮かび、涙があふれました。
「そんな時、近くの家から『大丈夫ですか。そっちに行きます!』という大きな声がしました。」声をかけてくれた男性は、流れ着いた木材の束をいかだにして近くの人たちを助けていたのです。その人に助けられて雅章兄弟は、家の2階の窓から中に入ることができました。別の車に乗っていた姉妹も救助されたことをあとで知り、安堵しました。
(この経験から、災害の時は王国会館に逃れても助かるわけではないと思いました。エホバが最終的に自ら裁きを行なわれるこの事物の体制が終わる時は別ですが、自然災害や戦争の時は、王国会館は、身の守りにならないと思います。私の解釈では、世界戦争である大患難の時、王国会館に逃れても助けは得られないと思います。実際に安全な山に逃れることが必要でしょう。
しかしながら、雅章兄弟がエホバに依り頼んだ人生を送ってこられ、またこの苦難の時にもエホバに依り頼んだので、エホバの憐れみにより、救助されたのではないかと思います。また、私は、雅章兄弟の祈りが聞かれてその姉妹は救助されたのではないかと思います。災害時に神の僕は、不死身であるわけではありませんが、神に助けを祈り求めて、エホバに助け出されたエホバの証人は多かったのではないでしょうか。)
今日は2012年4月5日、イエスの死の記念式の日なので、特別に記事をアップしました。この報告の続きをまたアップしたいと思います。
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