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「あなたが正さんや晩さんを設けるときには,友人や兄弟,また親族や富んだ隣人などを呼んではなりません。・・・ むしろ,あなたがごちそうを設けるときには,貧しい人,体の不自由な人,足なえの人,盲目の人などを招きなさい。 そうすればあなたは幸いです。彼らにはあなたに報いるものが何もないからです。あなたは義人の復活の際に報いを受けるのです。」(ルカ14:12)
交わりはどのように益あるものとすることができるでしょうか。イエスは他の人を食事に招待する時は、友人、兄弟、親族、富んだ人を招くのではなく、貧しい人、障害のある人を招くようにと言われました。
でも、ふつう食事招待の交わりはイエスが招かないようにと言われた人々を招くのが普通です。そのようにして、親しい人の間の親睦を楽しみ絆を強めます。でも、イエスも友人や兄弟、親族、富んだ人などの親しい人とも交わられたことでしょう。それで、私たちは交わりをする時に、そうした人とも交わりを設けますが、イエスの言われたような人も、交わりに招待するよう心がけることができます。
もし、イエスの助言に従って貧しい人や障害を持つ人を招くとどんな結果になるでしょうか。障害を持つ人は仕事ができないために、やはり貧困に苦しんでいるかもしれません。また、障害のゆえに人と交わる機会が少ないかもしれません。
今日貧困は世界中に広がっていて、発展途上国でも、先進国でも、貧困のために日々の糧に事欠く人は少なくありません。一日一食で過ごしている人もいれば、何日も食べるものがない人も私たちの身近にいるかもしれません。また、富んだ人であったのに、自分の失敗や社会の状況の変化ゆえに貧しくなってしまう人もいます。そうした人を招くならば、そうした人が食事をして何日かは生き永らえる助けを差し伸べる事になるかもしれません。
私自身も、若い時に収入が少なくて、だいぶ長い期間、毎日30円から50円の耳パンだけで過ごしたことがあります。その時に、信仰の仲間がたびたび自宅の食事に招いてくれました。私はその食事招待の時だけ、十分食べて、栄養のある食事をとることができ、そうした状況を生き延びることができました。
その時、その信仰の仲間は私の状況を知っていたわけではなかったと思います。でも、少しは、気づいていたかもしれません。そういう親切を今でも懐かしく思い出します。
先進国では、貧しい人は自分の状況を話さないかもしれません。けれども、注意深くあれば、言葉の端々からその人の状況が分かることがあるかもしれません。私たちはそのような時に、貧しいのはその人の責任だと考えて憐れみの戸を閉ざすでしょうか。
立場の低い人たちに憐れみを示す人をエホバはどうご覧になるでしょうか。箴言22章9節には、「情け深い目を持つ者は祝福される。彼は自分の食物の中から,立場の低い者に与えたからである」と述べられています。それで、立場の低い貧しい人に憐れみを示して、自分の食物を分け与える人は、エホバに貸していて、エホバはその行ないに報いて祝福して下さると述べられています。(箴言19:17)
このことから、エホバ神は貧しい立場の低い人を、立場の高い人と同じように顧みておられることが分かります。イエスは義人の復活の時にエホバに報いていただけると述べています。貧しい人や立場の低い人を顧みる人は、将来のエホバからの報いを確かなものにすることに貢献するということが分かります。
聖書はどんな人を優先するように勧めていますか。それは、信仰のある人を優先するように勧めています。結局、いつの時代も貧しい人はいつも大勢います。援助しなければならない人は、大勢います。私たちはすべての人を助ける事ができるわけではありません。
ガラテア6章10節には、「すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」と勧められています。それで、信仰の仲間の間で、困窮している人や、問題を抱えている人を優先して実際的に良いことを行なう事ができます。
それで、さらに援助ができるような時は、他のすべての人に助けの手を差し伸べる事ができます。
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