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助言者の多いところには救いがあると聖書は述べています。しかし、どんな助言から益を得ることができるのでしょうか。一方、どんな助言からは益を得る事はできないでしょうか。 聖書は「ファラオの助言者の中の賢者たちについては,その助言は道理にかなったものではない」と述べられています。(イザヤ19:11)それで、賢いように見えて道理にかなった助言を与えることのできない愚かな助言者たちがいることを示しています。 バビロンの心霊術や占星術に基づく大勢の助言者は、救いをもたらさないと述べられています。(イザヤ47:13)心霊術や占星術の源は悪霊ですから、その助言によって私たちは救いを得ることはできません。(使徒16:16) では、どんな助言の源を信頼できますか。ローマ11章33節には、「神の知恵と知識が深いことを述べています。ですから、知恵と知識の源である全知全能の神の助言は信頼できます。 詩篇にも、「わたしはあなたの諭しにわたしの助言者として愛着を感じます。」とあり、「神の諭し」が助言者になると述べています。(詩篇119:24)それで、人の助言を聞くことも益がある場合がありますが、聖書は神のみ言葉そのものが助言者になると述べています。 さらに、聖書はイエスについて、「くすしい助言者」であると述べられています。(イザヤ9:6)それで、イエスの助言を考慮するなら、益を得る事ができます。それで、エホバの言葉とイエスの言葉が載せられている聖書と調和している助言は救いをもたらします。イエス・キリストは神の独り子であり、エホバ神と最も親密な関係にあるので、聖書の中でも、イエス・キリストの助言はとりわけ私たちに助けになります。 「内密の話し合いのないところには計画のざ折があ(る)」と述べられています。さらに、「助言者の多いところには救いがある。」とも述べています。(箴言15:22)ですから、良い目的や計画を成し遂げ、救いを得たいと思うならば、多くの助言を考慮すべきであると聖書は述べています。 そして、助言者が多いなら、救いに結びつくと述べられています。聖書の原則が助言者となりえるのですから、聖書の原則をひとつではなく、できるだけ数多く考慮するなら、計画を成し遂げ、救いを得る助けになることを聖書は示しています。 もちろん、聖書の原則に調和した人間の助言者も助けになるでしょう。それで、まず、聖書そのものの助言を考慮できます。加えて、聖書と調和した健全なメディアや書籍や雑誌や人の意見を助言として参考にすることも、孤立を避け賢くなるひとつの方法だと言えます。 確かに、聖書に敬意を払う賢い人間の助言者が多いならば、その助言を聞く人は、益を受けられると言えます。 また、私たちはみ言葉を敬意を払う人々の集まりに行って、み言葉からの助言を考慮したり、話し合ったりする事から益を得られると言えます。
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